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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942ベイルート航空戦1

 ヴィシーフランス空軍第6連隊第3戦闘機大隊第6飛行隊所属のジャン・ル・プレー軍曹は、上昇を続けるドヴォアチヌD.520のコクピットから、眼下に広がるベイルート市街地の各地から立ち上る煙を見つめていた。


 レバノン共和国の首都であるベイルートが、古代史上で集落として始めて確認された時期は紀元前五千年頃であるらしい。つまりベイルートは都市としてはパリなどよりも長い約七千年の歴史を持つ古都ということになる。
 その長い歴史の間に支配者を幾度も変えたベイルートは、アジアとヨーロッパの中間地点という立地条件から、アラブ最大の交易港といっても良く、アラブ人だけでなく古くから世界各地から様々な商人や宣教師たちが集まる国際色豊かな都市だった。
 造船技術が発達して船舶の航続距離が飛躍的に進捗した近代でも、地中海東岸の交易港としての役割が衰えることはなく、前世紀には質の良いレバノン産の絹糸の出荷地としても栄えていた。

 都市としてのその長い歴史を反映させるように、建物の建築時期によって様々な様式が混在するベイルートの市街地は、今では遠くレバノン山脈の麓まで広がっていた。
 その市街地の端には、プレー軍曹たちが離陸したばかりの基地も存在していた。昨年度からシリア・レバノン地方への増援としてアルジェリアから派遣されたプレー軍曹たち第3戦闘機大隊が駐留するその基地は、長大な滑走路を備えた大規模なものだったが、すでにD.520の視界の悪いコクピットから見えるその姿はひどく小さなものになっていた。

 それにも関わらず、ベイルート市街地から立ち上がる煙は明瞭に見えていた。火災を示す煙の本数も一本や二本ではなく、市街地の各所から上がっているようだった。
 また、基地と同じく広大なベイルート港には、この高度からでも見分けられるほどの大型船の姿は一隻も見えなかった。
 フランス降伏後の政治的な不安定さから商船がベイルート港に寄港することは今ではほとんどなくなっており、数少ない中立国が利用する中継港としての役割は百キロほど南に位置するパレスチナのハイファ港に移行していた。
 その代わりに港口の近くには、先日撃沈された軍需物資を移送してきた貨物船の船首が惨たらしく海面から突き出されており、桟橋には商船の代わりに各種の対空砲が、荷降ろしをする作業者の代わりに兵士たちが配置されていた。


 ただし、ベイルート港周辺や第3戦闘機大隊が駐留する基地の警備にあたっている部隊は、一応はレバノン共和国の正規軍に所属していることになっていたが、その内実は多数の民兵が流入した雑多なものだった。
 レバノン共和国の正規軍自体も現在では分裂状態にあり、国軍参謀本部の指揮下から離脱した部隊は約半数にもなるらしい。
 それでいて、正規軍の指揮系統から離れたにも関わらず、離脱した多くの部隊は脱走兵も少なく、隊としての戦闘力を維持し続けているようだ。

 このように異様な事態に陥ったのには、レバノン共和国の国民構成からなる特有の事情があった。
 中近東地方には珍しく砂漠地帯が全くなく、逆にレバノン山脈を含む険しい山岳地帯が連続するレバノン地方は、古来から迫害された宗教的少数派が隠れ住むには格好の土地だった。最近でも先の欧州大戦中に、オスマン帝国中枢の迫害から逃れたアルメニア人が集団で移住していた。
 そのような宗教各派のなかでもキリスト教マロン派は、国際的には極少数派ではあるが、レバノンの地では逆にイスラム教スンニ派と共に多数派を占めていた。
 このことが先の大戦後にフランスがオスマン帝国に代わって新たな宗主国となった際に、同じキリスト教徒が多数を占めるために統治しやすいとみて、シリアからレバノンが切り離されて統治される原因ともなっていた。

 だが、レバノン共和国として単一の政体として成立したとしても、各宗教の枠組みが消え去ったわけではなかった。ベイルートなどの湾岸地方のごく一部を占める大都市を除けば、レバノン国民の大多数は20世紀半ばの今でも山岳地帯に各宗教ごとに分かれて集落を形成していた。
 お互いの集落はほとんど自給自足の生活を行なっており、最低限の接触を除けば他の宗派の人間と触れ合うこともないらしい。
 だから、参謀本部などの指揮中枢を除けば、レバノン正規軍は基幹戦力となる連隊単位で宗教ごとに別れており、実質上は政府の指揮下にあるというよりも所属宗派ごとに元から分裂していたのだ。

 現在も参謀本部の命令を無視して続々と離脱している部隊は、いずれもレバノン国内でもシーア派やドルゥーズ派、アルメニア正教派など少数派に属する宗派出身者で構成された隊ばかりだった。
 逆に、ベイルート周辺に陣地を構築している部隊は、多数派のマロン派やスンニ派の教徒達で構成された残存正規軍部隊や民兵達だった。彼らはヴィシーフランスに一応の忠誠を誓う政府と国軍参謀本部の指揮下におかれていた。
 ただし、自由フランスや英国を始めとする国際連盟側に鞍替えした少数派宗派出身者が離脱した政府や参謀本部にどれだけの権威が残っているかは怪しいものだった。
 多数派とはいっても、マロン派とスンニ派を合わせてもレバノン人口比率の6割にも達していなかったからだ。

 つまり現在のレバノン共和国、そしてベイルート市街地では同じ国民同士が宗教各派に別れての内戦が勃発しているのだった。
 少数派を焚き付けて、レバノン共和国の現政権を握っているマロン派とスンニ派への武力闘争に駆り出させているのは、ヴィシーフランスが属する枢軸国と敵対する国際連盟軍に間違いなかった。
 悪辣な英国人や日本人達が、それまで各派宗教に別れながらも平和に共存していたレバノンで暮らす住民たちの仲を切り裂き、武器を与えて現地政府を転覆させようという陰謀を遂行しているのだ。
 そんなことを考えながら、プレー軍曹は同じ国民同士が争う戦場となっているベイルート市街地を悲しい目で見つめた。


 プレー軍曹は、半ば無理やりに視線をベイルート市街地からD.520の風防にむかってまっすぐに向けた。D.520の長い機首には、熟練した整備兵の手によってチューンナップされたモーターカノン付のイスパノ・スイザ液冷12気筒エンジンが据え付けられている。
 だが、風防の先にはまだ敵機の姿はなく、僅かにガラスに反射したプレー軍曹の顔が見えただけだった。
 苛立ちを隠そうともしていない自分の顔を、プレー軍曹はいっそう強く睨みつけていた。その睨みつける先に目指すべき敵機があるはずだった。
 ただし、内心の怒りはその敵機そのものに向けられているわけではなかった。そうではなく、自分達を取り巻く現在の状況そのものにプレー軍曹は怒りを感じていた。

 プレー軍曹は眉を寄せて風防に映る自分の顔を見つめながら考え込んでいた。宗教各派の力関係が複雑に絡み合った内戦がレバノン共和国で勃発したのはつい最近の事だった。
 ただし、ある程度の規模以上の部隊が戦闘を開始したのがその時だというだけで、実際には小規模な部隊による小競り合いや威嚇行為は以前から繰り返されていた。

 そのきっかけとなったのは、もちろんレバノンとシリアの実質上の宗主国であるフランスが、ドイツに降伏したことだった。フランス本国政府、つまりヴィシーフランスはドイツに敗北はしたものの、副首相であったペタン元帥が首相に昇格して仏独休戦協定が締結されていた。
 戦場となったフランス北部の占領などフランスに過酷な休戦協定ではあったものの、制限こそあれフランス軍の全面的な武装解除は求められなかったし、勝者であったドイツによってフランスの主権国家としての存続が確認されていたから、現在はヴィシーフランスこそが正統なるフランス政府であることに間違いは無かった。
 さらに国民議会は、敗北から立ち直り新秩序を建設しようとする政府に大きな権限を与えており、ペタン政権はフランス本国の多くの国民の支持を得ていると考えて間違いなかった。


 しかし、中には構築されようとする新秩序に歯向かおうとする反動勢力も存在していた。それは、パリ陥落直後にロンドンに脱出したシャルル・ド・ゴール准将を代表とするフランス国民委員会だった。
 現在ではド・ゴール准将らは自由フランスなどと呼称しているが、彼らが正統政府の指揮下から離脱した単なる反逆者の集団にすぎないことは明白だった。プレー軍曹はそう考えていた。

 ヴィシーフランス政府が、前大戦の英雄にして前政権では副首相を務めていたペタン元帥が率いているのに対して、自由フランス代表を自称するド・ゴール准将は前大戦ではその期間の大半を捕虜として過ごした歩兵中隊長であったのに過ぎなかった。
 一応は国防次官として独仏戦当時の内閣の一員に任命されてはいたが、それも開戦後の慌ただしい任命によるもので、それ以前は一個師団を指揮する師団長でしか無かった。

 当時の第3戦闘機大隊は、ドイツに続いて侵攻を開始したイタリア軍に対抗するためにニースに展開していたから、主戦場であるマジノ線近くで戦闘を行なっていたらしいド・ゴール准将率いる師団がどのように戦ったのかはプレー軍曹にはよく分からなかったが、戦力規模から考えても大した活躍ができたとは思えなかった。
 それ以前にド・ゴール准将が率いた部隊は師団とは言うものの、開戦直後に新編された部隊である上に、当時は将官ですら無く大佐の階位のまま師団長を務めていたらしい。
 だから、実際には師団とはいっても独立した大隊や連隊規模の予備兵力をかき集めた臨時編成部隊に過ぎなかったのではないのか。
 しかも、ド・ゴール准将は休戦協定締結前に次官職を解かれているのだから、シャルル・ド・ゴールは単なる犯罪者であり、脱走兵であるというのがヴィシーフランスの正式な見解であり、プレー軍曹もそう信じていた。

 そのような人物を代表に担ぎ上げているほどなのだから、自由フランスと名乗る集団が正統性などあり得ない脱走兵の集まりに過ぎないことなどフランス国民誰の目にも明らかだった。
 実際、フランス本土に在住する国民はもちろん、本土に近ければ近いほど、植民地政府も自由フランスではなく、ヴィシーフランス政府を支持する傾向が強かった。
 というよりも自由フランスが身を寄せる国際連盟軍に対して根強い反感を抱いていたのだ。


 フランス海軍艦艇がドイツ側に参加するのを防ぐために、フランスにとってかつての友軍である英国海軍が、アルジェリアに寄港していた戦艦四隻を基幹戦力とする外洋艦隊を襲撃したタイミングは、フランス政府が降伏してから半月程しか立っていなかった。
 まるで予め計画されていたようなメルセルケビール軍港への攻撃によって、降伏後のフランス海軍にとって主力と言っても良い外洋艦隊は、戦艦一隻を含む貴重な大型艦を喪失し、残存する艦艇の多くも長期修理が必要なほどの損害を被っていた。

 ただし、メルセルケビール海戦と呼称されたこの戦闘の結果、必ずしも英国が望んだようにフランス海軍残存艦艇の無力化はなされなかった。
 確かに英国海軍は勝利を得たものの、昨日までの友軍を容赦なく冷酷に攻撃する英国海軍の態度に対して、当のフランス海軍を含むフランス国民の世論を硬化させてしまったからだ。
 英国海軍は戦術的には一方的な勝利を得たと言っても良かったが、戦略的には敗北したといっても良かった。さらに撃破された二隻の戦艦も後に完全に修理されて、再び外洋艦隊の主力として再就役していた。
 メルセルケビール海戦の二ヶ月後、今度はダカールにおいて再び英国海軍が駐留するフランス海軍に降伏を迫ったが、今度はヴィシーフランス海軍も待ち構えており、かなりの激戦となった。
 この連続した海戦の結果、英国海軍は何隻かのフランス海軍を撃沈した代わりに、フランス国民の世論を悪化させてしまっていた。


 ヴィシーフランス政府が今次大戦からの離脱と中立を宣言した後も、フランス国民は占領者であるドイツへの反発と、豹変したかつての友軍である英国、国際連盟への不信感に揺れ動いていたが、昨年度に二度の海戦に続いて後者が決定的に高まる事態が発生していた。
 フランス領インドシナに新編された国際連盟軍が侵攻を開始したのである。

 建前上自由フランスの要請を受けた形の国際連盟軍は、英国インド師団や英領マレー植民地軍に加えて、日本陸軍一個師団、タイ王国一個旅団を数えていた。
 本国ヴィシーフランスからの援軍が途絶え、旧式な兵器で戦わざるを得なかった陸海空三軍からなるフランス領インドシナ駐屯部隊は、短時間の内に壊滅、あるいは降伏していしまったらしい。
 あっという間に組織だった戦闘が不可能となってしまった結果、フランス本国でも駐留部隊がその後どうなったのか詳細はよく分からなかった。

 しかし、この戦闘の結果、自由フランスの承認のもとでフランス領インドシナがカンボジア、ラオス、ベトナムの三王国がフランスの保護国からの離脱と実質上の独立を宣言するというフランスにとって屈辱的な事態を招いていた。
 もちろんだが、自由フランスの勝手な独立承認と国際連盟軍の一方的な侵攻にフランス国民は激怒し、今年になってヴィシーフランス政府も世論の後押しを受けて、国際連盟諸国に対する宣戦布告を行なっていた。
 ヴィシーフランス軍も本国の防衛と停戦後に削減されていた兵備の急速な再整備を行うとともに、将来戦場となりうるレバノン共和国やシリアなどへの兵力の増援を行なっていた。


 プレー軍曹は、自分たちをレバノン共和国に派遣した経緯を思い出しながら、ふと仏領インドシナのことで痛みを感じていた。国際連盟軍によって壊滅させられたインドシナ駐留部隊には、プレー軍曹の旧友も派遣されていたからだ。
 ―――クロードは無事に生き延びてくれているのだろうか……
 重苦しい気持ちを抱いたまま、プレー軍曹は上昇するに連れて段々と青くなる空を監視しながらも、少年時代の頃を思い起こし始めていた。
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