挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
103/268

1942シチリア海峡海戦13

 エル・アゲイラの港は、予想以上に混乱しているようだった。負傷者を輸送してきたトラックなどに混じって、船便で脱出しようとしているのか、どう見ても負傷兵には見えない兵達が、桟橋の手前で警備と整理にあたっている憲兵に食って掛かっていた。
 ボルツァーノの艦橋から見る限りでは、警備にあたっている憲兵隊は、イタリア軍のカラビニエリではなく、ドイツ国防軍に所属する野戦憲兵であるらしい。

 一個小隊規模の野戦憲兵隊は、小銃や短機関銃を構えてかなり殺気立っているようだった。憲兵達が対応している一般の兵達も苛立たしげな顔をしているようだった。
 この距離からでは何を言い合っているのかはよくわからないが、軍紀の維持に関してかなりの権利を与えられている憲兵隊を相手にしている割には、食って掛かっている一般の兵達の様子は異様だった。
 このままでは憲兵隊と一般部隊との間で戦闘が起こってしまうのではないのか。そのような懸念を、ボンディーノ大佐はほんの僅かに抱いたが、すぐにどうでも良くなっていって顔を背けた。

 入港してからの膨大な書類仕事や各機関との折衝を、参謀であるルティーニ中佐に半ば押し付けて気分転換にと艦橋から周囲を見渡していたのだが、ボンディーノ大佐は、すぐに気が滅入っていた。
 これが敗北ということなのかと、始めて理解したような気がしていた。


 状況は混乱しているようだが、実際には、憲兵隊に食って掛かっている殺気立った兵達のほうがごく少数だった。桟橋の近くで悄然として腰を下ろして憲兵隊や輸送船団をぼんやりと眺めている兵もあった。
 憲兵隊に食って掛かっているのは、ドイツ国防軍アフリカ軍団所属の兵達のようだが、眺めている兵達はイタリア兵のようだった。さすがに彼らはドイツ軍の憲兵隊と衝突する気も起きないようだった。

 大部分の将兵たちは、彼らのどちらにも与しなかった。憲兵隊にも、輸送船団にも興味を示さずに、ただひたすらに西へ西へと遥かトリポリを目指して移動する兵達だった。
 もちそん、その将兵たちもさらにいくつかのグループに分かれていた。

 もっとも上等なのは、自隊用の移動車輌を未だ有している部隊だった。彼らは未だに鋭い目を周囲に向けて警戒しながら移動していた。
 ただし、その数はあまり多くはなかった。すでに燃料切れで放棄された車輌も多く、エル・アゲイラでの燃料補給のあてが外れて、残り少ない燃料を他車に移送してから、ここで放置される車輌もあるようだった。
 それに、戦力を温存している部隊の中でも最精鋭の集団は、後方を追撃してくる国際連盟軍を足止めするために、東方で遅滞戦闘を続けているのではないのか。

 大多数の将兵は、車輌を失うか、あるいは最初から保有していない、もしくは他隊から強引に奪ったような部隊だった。彼らは、原隊通りの部隊編制を保っているかも怪しかった。
 うつろな目をした将兵たちは、無言で西へと移動を続けていた。
 おそらく桟橋の近くで船団を眺めている兵達も、もとは彼らのように虚しく撤退を続けていたのだろう。それが思いがけず船団を目にしたのだが、憲兵隊に食って掛かっている兵達のように、無理やりに乗り込もうとする元気もないのではないのか。


 ボンディーノ大佐は、大きくため息をついていた。
 桟橋を警備する憲兵隊の検査は厳重なものだった。彼らが取り締まる対象は、強引に船団に乗り込んで戦地を脱出しようという兵達だけではなかった。輸送船団で本来移送しようとしていた負傷兵達にまで、厳重な捜査をおこなっていた。
 調査はかなり本格的なものらしく、負傷兵からの聞き取りはもちろん、彼らを連れてきた同じ隊の同僚の兵達や衛生兵も対象となっているようだった。
 もちろん、船内に移送されるのは負傷兵を除けばごく少数の軍医と衛生兵だけで、負傷兵を搬送してきただけの兵は容赦なく追い返されていた。

 すぐそこにまで国際連盟軍が追撃してきているという割には、憲兵隊の捜査は悠長なことをやっているようにしか見えないが、そこまでしなければ、改装する軍の秩序を維持することは出来ないのかもしれなかった。
 だが、これでは輸送船団に負傷兵を乗せて、出港できるまでにはまだ時間がかかるかもしれなかった。昨日ようやくエル・アゲイラに入港することの出来た輸送船団だったが、思いがけない所で足止めをくらっていた。


 ボンディーノ大佐は、もう一度ため息をついていた。正直な所、エル・アゲイラから延々と西に歩き続けるのと、輸送船団で移送されるのと、危険度で言えば大して差がないような気がしていたのだ。
 撤退というよりも潰走を続けている枢軸軍の背後には、有力な国際連盟軍の部隊が追撃をかけているはずだが、その部隊の背後には航空支援を行うために陸海空軍の航空部隊も追いかけてきているはずだ。
 大部分は制空権を確保するための戦闘機や、近接航空支援を行うための対地攻撃機と思われるが、対艦攻撃が可能な機体も少なくないはずだ。

 それに、ボンディーノ大佐は、日本軍は専用の偵察機が充実していると聞いていた。戦闘機などからの改造機ではなく、非武装で高速、高高度を飛行する長距離偵察専門機もあるらしい。
 そのような機体であれば、北アフリカ沿岸を航行する艦隊も容易に発見されてしまうのではないのか。
 かといって沿岸を遠く離れた洋上に出たとしても、今度は哨戒中のマルタ島から発進した大型飛行艇が存在するはずだ。

 一度発見されてしまえば、機動性に劣る輸送船を多数含む船団に波状攻撃が行われるのは間違いないはずだ。
 出港時も、独立戦闘飛行群に再度の上空援護を依頼してはいたが、彼ら自身も陸上部隊とともに西へと移動しなければならないから、撤退しながらの上空援護は難しい任務となるはずだった。


 脅威となるのは、頭上の敵機だけではなかった。眼下の海中にも敵潜が潜んでいる可能性は少なくなかった。
 ボンディーノ大佐は、入港直前に襲撃していた潜水艦のことを考えていた。状況から考えて、輸送船団に襲撃をかけてきた潜水艦は一隻のはずだった、多数の潜水艦による雷撃だとすると、どうしても雷撃時の移動速度が既存艦と一致しなかったのだ。
 それが、哨戒線の中のたまたま一隻だけが襲撃に踏み切っただけなのか、それとも他艦がボンディーノ大佐の陽動に引っかかって、シチリア島からトリポリへと向かう航路を遮断する他の海域に引き釣り出された中で、勘の良い指揮官に率いられた一隻だけがエル・アゲイラ近海に進出してきたのか、それは分からなかった。

 しかし、ボンディーノ大佐は後者であるような気がしていた。
 別に、これといった根拠があるわけではなかった。ただ、航空機からの脅威から逃れて、輸送船団の要員たちが油断したあの一瞬のタイミングで襲撃をかけてきた指揮官が只者であるはずはないと考えていたからだ。
 というよりも、只者であってはならないと思い込んでいたのだ。ただ幸運だった艦などにあれほどの被害をこうむったとは考えたくなかったのだ。


 敵潜からの襲撃は、潜水艦側の乗員たちはどうだか知らないが、ボンディーノ大佐達の感覚では、ごく短時間で終了していた。
 それにも関わらず輸送船団が被った損害は少なくなかった。撃沈されたのは中型の油槽船と旧式の水雷艇一隻ずつだったが、水雷艇オーダチェが盾となって魚雷を我が身で受け止めなければ、船団旗艦である大型客船一隻も沈められていたはずだ。
 輸送船団で犠牲となった戦死者はオーダチェと油槽船を合わせて百五十名ほどに達していた。

 もしも、船団旗艦が撃沈されていた場合、すでにボルツァーノ艦長と護衛戦隊指令を兼ねるボンディーノ大佐に、さらに輸送船団の指揮までもがまかされただろうから、多数の航行性能が全く異なる艦船からなる輸送船団の指揮は破綻していたかもしれない。
 自艦の詳細まで把握しなければならない艦長が、航続距離や速力の異なる艦船の状態を管理するには、護衛戦隊の司令部機能は貧弱すぎたのだ。

 それに、護衛戦隊を含めた輸送船団のなかで、収容人数が最も大きいのは、原型が大型客船である船団旗艦だった。船団旗艦を欠いた場合に移送できた人員は、現在の半分程度がそれ以下にまで落ち込んでいたはずだ。
 収容される傷病兵たちも、客船のように機材の整った収容空間のない貨物船の、空いた空間に放り込まれるから、体力が残っていなければ、航行中に危篤状態におちいる兵も少なくないかもしれなかった。


 ただし、入港時は何とか船団旗艦を守りえたが、出港時にはどうなるかはわからなかった。すでに輸送船団の存在は知られてしまっているのだから、敵海軍による包囲網は時間がたつほど狭まってくるはずだった。
 その中には、入港時に攻撃をかけてきたあの潜水艦もいるのではないのか、ボンディーノ大佐はそう考えていた。

 突然の襲撃後、輸送船団がエル・アゲイラに入港するまで、駆逐艦アルティリエーレと軽巡洋艦バリによる対潜制圧が執拗に実施されたが、投下された爆雷は数多かったが、敵潜を撃沈した証拠は得られなかったようだ。
 それ以後の敵潜の自由な行動は阻害できたようだが、撃沈はできなかったのではないのか。

 アルティリエーレ艦長のピオキーノ中佐も、敵潜の撃破に関しては首をかしげていた。むしろ、二隻の相次ぐ爆雷攻撃の実施で、騒擾状態になって聴音機が無効化された海域から、敵潜が密かに脱出した可能性も示唆していた。
 日本海軍の潜水艦がそれほど優秀であったのか、それとも、やはりアルティリエーレの指揮で、鈍重なバリから指定の海域で爆雷攻撃を実施させるという戦法に無理があったのかもしれなかった。

 日本海軍の潜水艦がどれだけの時間、戦域にとどまっていられるのか詳細なデータはなかったし、魚雷の搭載定数も不明だったが、二隻の対潜攻撃から逃れたあの潜水艦が港外でこちらを監視している可能性は決して低くはない。ボンディーノ大佐はそう考えていた。


 ボンディーノ大佐がぼんやりと艦橋脇の見張所から港内の様子を見ていると、ふと背後に人の気配を感じて、ゆっくりと振り返った。艦橋内からこちらの様子をうかがうようにしていたのは、イタリア陸軍の熱帯地方用軍衣に着替えたカステッラーノ准将だった。
 初めて会った時のように、笑みを浮かべたカステッラーノ准将は、ボンディーノ大佐のわきに立ってから言った。
「そろそろ下艦しようかと思いまして、大佐に一言ご挨拶に来ました」
 ボンディーノ大佐は、眉をひそめながら答える声も小声になっていた。
 カステッラーノ准将の北アフリカ戦線派遣が、表向きの目的である単なる前線視察の陰に、国際連盟軍と接触して単独講和を図るという真の目的があることを知っているのは、ボルツァーノや護衛戦隊司令部の中でもボンディーノ大佐だけだったからだ。

 ほかの人間にカステッラーノ准将の本当の目的を知られるわけにはいかなかった。もしも、早い段階から無関係の将兵に知られてしまえば、ファシスト党や軍内の主戦派にも知られて警戒されてしまうだろう。
「最初の予定を立てていたころとは随分と状況が変わってしまったと思いますが、それでも行くんですか。すでに独伊軍は、北アフリカ戦線で、かなり押し込まれているようだが、この状態で勝ち戦の国際連盟軍が講和に簡単に応じるとは思えないんですがね」
 カステッラーノ准将は、ボンディーノ大佐のわきで混乱した桟橋の様子を眺めてわずかに眉をしかめたが、すぐに意を決したように再び笑みを浮かべると、大佐に向き直っていった。
「簡単に講和が可能だとは私も考えていませんよ。逆に苦境に立っているからこそ、早期の講和が必要なのではないかと私は思います。確かに国際連盟軍にしてみても、今は勝ち戦に乗っていますが、独伊軍が防衛する我が本土への上陸戦では膨大な損害が予想されるでしょうから、安易な上陸戦の決行には二の足を踏むはずです。講和への道筋はここにある、と私は考えます」
 ボンディーノ大佐は、苦々しい表情でうなずきながら、視線を混乱する桟橋に向けた。本土決戦ともなれば、この混乱した状況が、民間人の居住するイタリア本土で再び繰り返されることになるのだ。
 その時に生じる軍民の損害は、たとえ一時的に国際連盟軍から本土を防衛できたとしても、膨大なものになるだろう。それだけは何としても避けたかった。

 カステッラーノ准将は、重苦しい雰囲気を消し去ろうかのように、あえて明るい口調になっていった。
「それはともかく、シュタウフィンベルク少佐のことはよろしくお願いします。彼もこんなことになって不本意でしょうが、仕方ありませんね」
 ボンディーノ大佐は、しばらく視線をさまよわせてから、何かを思い出したかのように慌ててうなずいていた。
「ああ、彼は確かに不運でしたな。赴任先への移動中に負傷するとはね……少佐のことは、確かルティーニ中佐に、赴任先の部隊に連絡するように伝えたはずだが、この混乱ではちゃんと伝わっているのかどうかわかりませんな」

 空中、そして海中からの襲撃の中、護衛戦隊旗艦であったボルツァーノは、無理な機動で推進系統にかかった負荷を除けば、ほとんど損傷をこうっていなかった。
 人的な損害の中で、最も大きかったのは、便乗者であるシュタウフィンベルク少佐の銃傷だった。ボーファイターによる艦橋周辺への機銃掃射によって、少佐は負傷していた。
 命に別状はないようだが、ボルツァーノ乗り組みの艦医によれば、右手を切断のうえで左目も摘出せざるを得ないほどの重傷で、とてもではないが、赴任先部隊への移動は認められないとのことだった。
 とりあえずシュタウフィンベルク少佐は艦医の手でボルツァーノの医務室で緊急手術を行っていたが、早いうちに本格的な入院が必要であるというから、ボンディーノ大佐は、少佐をそのまま医務室に押し込めてから、彼の本国であるドイツの陸軍病院に送り返すつもりだった。
 もっともその手の事務措置はすべてルティーニ中佐に押し付けてはいたが。


 しばらく桟橋の様子を見守っていた二人の耳に、唐突に銃声が聞こえてきた。どうやら業を煮やした野戦憲兵隊が、短機関銃による発砲を開始したらしい。
 使用されているのは拳銃弾を使用する短機関銃のみで、発砲した兵士も一人だけだった。発砲した兵士は指揮官らしき将校のすぐわきに控えていたようだから、おそらく小隊副官の先任下士官が威嚇発砲を行っただけなのだろう。
 ただし、他の兵たちも手持ちの小銃や短機関銃を構えて、いつでも発砲できる体勢をとっていた。

 北アフリカ戦線ではあまり激しくはないらしいが、独ソ間で激戦が続く東部戦線では、強い権限を与えられた野戦憲兵隊が、緩んだ軍紀を正すために、脱走兵や負傷兵を容赦なく処刑しているといううわさも聞いていた。
 先程まで強い態度で食って掛かっていた部隊の兵たちも、ようやくあきらめたのかすごすごと、西へ向かう列に合流するのか、とぼとぼと歩いていくようだった。

 カステッラーノ准将は、しばらくその様子を見てから、ボンディーノ大佐に向き直っていった。
「それでは私はこれで失礼します。それと……先程の話ですが」
 ボンディーノ大佐はわずかに首をかしげて見せた。何の話か分からなかったからだ。カステッラーノ准将は気にした様子も見せずにつづけた。
「講和の条件の話ですが、私は問題があるとすれば、むしろイタリア本国の方にあるのではないかと思います。とにかく停戦の方向に政府、軍首脳の考えを一致させなければなりません。その過程ではこれまで以上に講和派が表舞台に姿を現さなければならない事態も当然出てくるかと思われます。
 ボンディーノ大佐には、殿下のことをくれぐれもお願いいたします」
 そういうと、カステッラーノ准将は、ひどくまじめな表情でぴしりと敬礼をしていた。慌ててボンディーノ大佐は答礼しながらも、まっすぐにカステッラーノ准将の目を見て力強くうなずいていた。
 戦いはまだこれからだ。ボンディーノ大佐はそう考えていた。
ボルツァーノ級航空重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cabolzano.html
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ