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仮想戦記(仮 作者:ロックウッド
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1942シチリア海峡海戦11

 ボルツァーノ艦体の奥深くから聞こえてきた異音は、左右の推進力に大きな差が生じたせいで、主機である蒸気タービンや減速機周りの構造材に負担がかかっているために発生したものだった。
 おそらく機関室内に据え付けられた減速機やタービン、それに軸室内の長大な推進軸を固定する軸受けなどを艦体に結合している頑丈なボルトも、常態とは異なる複雑な応力が急に発生したことによって、軋んで悲鳴を上げているはずだ。
 当然、異変はそのボルトを通じて艦体構造物そのものにも伝達されている。だから推進系と結合された構造材だけが、周囲の構造材との間にひずみを生じさせて、異音を発生させているのだろう。

 ボルツァーノの艦尾に備えられたプロペラは、それぞれ一基ずつの高圧、低圧、反転の各タービンが一体となったタービン系統と、減速機を介して結合されていた。
 前後のボイラー室から高圧蒸気を供給されたプロペラにつながる計四つの推進軸は、減速機の推進軸受けを通じて、艦体に推進力を伝達している。
 巨大な艦体を稼働させるための大出力を受け止めるために、減速機は特に頑丈に艦体と結合されているが、通常は構造強度を超えるような負荷がかかることはなかった。
 戦闘時の大口径砲弾による被弾などによって、異常な応力でもかからない限り、複数の中間軸受けで艦体に固定された推進軸は、大きくよじれたり、設計時の応力を超えることはなかった。

 ただし、それは四つの推進軸が同一方向の推進力を生じているか、あるいは停止している場合に限られた。現在のように、高速航行中に片舷側の推進軸のみを正転させて、反対舷を逆転させることなど考慮されてはいなかった。
 出入港時のように停泊しているのと大して変わらないような低速度であれば、両舷で逆転させることもありうるが、その場合は推進力そのものが小さいから、艦体構造に過大な負荷がかかることは無い。

 戦艦や、重巡洋艦のような大型艦の場合は、巨体故に細やかな動きは考慮されていないから、最初から推進方向を調整するよりも、用意された曳船を利用することのほうが多かった。だから、もしかすると就役前の試験を除けば、ボルツァーノが推進軸系統を左右舷で逆転させるのは、これが始めてではないのか。
 このまま推進系を逆転し続ければ、減速機や中間軸受けを結合するボルトなどの構造材が破断して、致命的な損害が生じるのではないのか。もしも一見正常な状態に戻ったとしても、一度過大な応力を受けた艦体構造物がどのようなひずみを生じているのかはわからない。少なくとも定期検査の前に緊急ドック入りして徹底的な点検を受ける必要があるだろう。ルティーニ中佐はそう考えていた。


 そのような状況下で、見張り員の誰かが、敵機の銃撃開始を絶叫するように告げた。それからやや遅れて、敵機からのものらしい射弾が、艦橋構造材などにめり込む嫌な音と、艦橋かその近くからあがった悲鳴が聞こえたが、ルティーニ中佐達艦橋要員の大半は、敵機からの銃撃を気にするような余裕はなくなっていた。
 それよりも、機関音や銃撃による騒音よりも、構造材からの異音の方が、ずっと小さな音のはずだったが、ルティーニ中佐には異様なほど大きく聞こえてきているような気がしていた。

 ルティーニ中佐が見つめていた左舷側の海面に、何かの影がうつったのはその直後だった。中佐が見つめていた海面は、艦橋から左舷見張所につながる開口部によって僅かに切り取られた領域だけだったが、その影は高速でボルツァーノの後方から前方へと去っていった。
 その影が、上空を銃撃しながら航過していった敵機によるものであるとルティーニ中佐が気がついた時には、すでにその影は消え去っていたが、代わってボルツァーノの主砲発射の轟音と閃光が海面を満たしていた。

 唐突に起こった主砲の発砲だったが、やはり艦橋要員に与えた精神的な衝撃は、さほど大きなものではなかった。ついさっきも主砲が発砲していたが、その時よりも発砲を告げるブザー音から、実際の発砲までのタイミングは短かったはずだが、艦橋要員の中にはブザー音に気が付かないものさえいたかもしれなかった。
 ただし、精神的なものはともかく、肉体的には主砲の発砲が与えた影響は少なくなかった。本人たちの感覚では、予告なしに行われたような気がする主砲発砲による衝撃波によって、大傾斜に備えていた体が支えを失ったのか、それとも逆方向に力が加わったのか、転げ落ちるようになぎ倒されたものもいるようだった。
 ルティーニ中佐は、大傾斜に備えてしがみついていた構造材を、手が真っ白くなるほど強く握りしめて、あちらこちらから加わってくるような衝撃に備えていた。
 だが、その脳裏はすでに次々と容赦なく短時間で入ってくる情報を処理できずに、考えこむばかりだった。


 ルティーニ中佐は、青ざめた顔で激しい傾斜の上に、艦の奥底から異音をまき散らしながら進むボルツァーノの艦橋で、あれこれと考えながらもただ立ち尽くすほか無かった。
 だが、感覚的には恐ろしく長かったが、実際にはボルツァーノの傾斜が激しくなっていたのは一分にも満たない時間でしか無かった。あれほど激しかった傾斜は、時間が経つに連れてゆっくりと、だが確実に正常に戻りつつあった。
 唖然としながら、ルティーニ中佐は周囲を見渡していた。短時間で次々と状況が変化したものだから、やはり呆けたような顔をした艦橋要員が多かったが、命令を下したボンディーノ大佐だけは、気にした様子もなく平然としていた。
「操舵、舵戻せ。機関、両舷第二戦速」
 艦橋内には、いつもどおりのボンディーノ大佐の声だけが響いていた。

 泰然自若、というよりもは物事に無頓着なだけにしか見えないが、ボンディーノ大佐の態度は、ルティーニ中佐を安心させていた。良くは分からないが、大佐の命令に従ったのは正解だったようだ。
 そう考えながらルティーニ中佐は視線を前に向けようとして、その先の光景に違和感を感じていた。
 ――舷側に、船団が見えている……だと。
 ルティーニ中佐は、感心するよりも呆れたような顔で、その光景を見ていた。

 さすがにあれだけの無茶をしたかいがあったようだ。大傾斜から復元した後のボルツァーノの針路は、恐ろしいほど狭い旋回半径で90度近くねじ曲げられていた。
 これだけ急角度かつ短時間の転舵を行えば、投下された魚雷の針路からは逃れられたのではないのか。いくらなんでも、ボーファイター編隊を操るイギリス人たちが、このような大角度の回頭まで考慮に入れて照準を行ったとは思えない。これで魚雷は実質上は無効化されたのではないのか。

 ルティーニ中佐はそう考えてから、違和感を感じて艦橋の左右舷の見張所に顔を向けた。急回頭の直後から見張り員の報告が途切れていることに気がついたのだ。
 敵ボーファイター編隊による魚雷投下からの経過時間や、その時点でのボルツァーノとの相対距離を考えれば、そろそろ魚雷とボルツァーノの針路が交差してもおかしくなかったから、至近距離に接近した雷跡を見分けるのは容易では無いのか。
 だが、もしかすると、先ほどの大傾斜によって見張り員が海面に投げ出されてしまったのかもしれない。そう心配しながら見張所に視線を向けたが、そこには配置された見張り員たちは、大した怪我もなさそうにして立っていた。
 だが、見張り員達は揃って首をひねりながら海面を見つめていた。どうやら魚雷を見失ってしまったようだった。

 不審に思ってルティーニ中佐は、早足で艦橋を横切ると、先程まで見つめていたはずの艦橋から見張所につながる扉から身を乗り出しながら海面を覗きこんでいた。
 そこには、不自然なほど濁った海水が、白く渦を巻いている姿があった。まるで大口径砲弾が着弾した直後の海面のようだった。
 僅かに首を傾げてから、ルティーニ中佐は唐突に気がついていた。
「ボルツァーノの急回頭で、海面に渦が出来たのか……」
 雷跡発見できずと困惑した見張り員があげる報告を聞きながら、ルティーニ中佐は頷いていた。もしも真っ直ぐにボルツァーノに向かってきていた魚雷があったとしても、一万トンを超える物体が、時速50キロ近くで、その場で旋回したことによって発生した巨大な渦に巻き込まれて、あらぬ方向に迷走して終わったはずだった。


 見張り員の報告はそれで終わらなかった。艦首方向を担当していた見張り員が、やはり戸惑ったような声で、敵編隊が迷走しているといった。
 我に返ったルティーニ中佐が、急いで艦首に向き直ると、見張り員の報告通りに、ついさっきボルツァーノを銃撃していたはずの敵ボーファイター編隊が、艦首方向の空域をふらふらと飛行していた。
 しかも、明らかにその数が減少しており、ボルツァーノが回頭する前に見せていた、低空で一糸乱れることのなかった緻密な編隊からは、櫛の歯が欠けたように、不自然な隙間が開いていた。
 そういえば、振り返るときに見た海面に、黒く濁った跡が残っていたような気がしていた。もしかすると、すでにボルツァーノの周辺で墜落した機体が海面に残した痕跡だったのかもしれなかった。

 ボーファイター編隊に何が起こったのかは明白だった。ボルツァーノに銃撃を敢行するために接近していたボーファイターの至近距離で、主砲が発砲されたのだ。
 その場で急回頭を開始したボルツァーノには、ボーファイター編隊の搭乗員達も驚愕したことだろうが、空中を飛び回る航空機からすれば、海面の艦艇など、最高速度だろうが、微速前進中だろうが、這うような速度であることに変わりはないだろう。
 大遠距離から放たれる魚雷ならばともかく、針路をねじ曲げて、銃撃の照準を事前に変更することなど容易かったはずだ。
 だが、ボルツァーノの回頭速度は、彼らの予想をも上回っていたはずだ。雷撃からの回避を行うことくらいは予想していただろうが、ほとんどその場で回頭するなど思いもよらなかったのではないのか。
 そして、そのような異様な機動を行うボルツァーノを強引に銃撃した結果、当初の想定よりも危険なほど至近距離まで接近してしまったのだろう。


 通常であれば、ボーファイター編隊にさほどの危険は無かったはずだ。高速で空中を飛来する航空機以上に、自身が急角度で回頭していたボルツァーノからの対空砲の照準も困難だったからだ。それどころか、あれほどの大傾斜の中で、発砲を継続できた砲は無かったのではないのか。
 ただし、予め急回頭を想定していた上に、発砲準備を完全に備えて待機していた主砲は別だった。
 ごく短時間の打ち合わせを行ったに過ぎないはずだったが、艦橋構造物の最上部にあるために、最も揺れの激しい射撃指揮所に配置されているにも関わらず、砲術長はボンディーノ大佐の意思を完全に理解していた様だった。
 最初に威嚇射撃を行った後、二基の主砲塔は装弾を完了させた上に、敵機の予想飛行空域に照準を合わせて待機していた。おそらく主砲塔内の砲台長以下の要員達も、主砲発射に備えて、大傾斜を耐えぬいてずっと砲術長からの命令を待ち続けていたのだろう。

 分厚い装甲に囲われた主砲塔内の要員には、いきなりの大傾斜も不可解な命令の意味も理解できたものは少なかったはずだ。それでも彼らは不安を押し殺しながら、命令に従って待機を続けていた。
 そして、短かったが、異様な環境下の待機は報われることになった。

 その時計四門の主砲に装填されていたのは、対艦砲撃用の分厚い装甲を貫くための徹甲弾ではなく、対地、対空砲撃用の榴弾だった。実際には敵艦の装甲を貫いてから、重要区画内に破壊をまき散らすために、大型艦の徹甲弾は炸薬を装填した徹甲榴弾ではあったが、拡散する破片が構成する半径や密度は、純粋な榴弾に比べれば雲泥の差があった。
 また、徹甲弾の場合は、装着される信管は相手の装甲などに命中した瞬間から作動する着発式を使用しており、通常は装甲を貫いた後に炸裂するために、信管の作動から一瞬遅れて起爆する着発延期にセットされている。
 これに対して、榴弾の場合は、徹甲弾と同じように着弾時の衝撃で発動ずる瞬発から、発砲後の時間経過による炸裂まで、幅広い作動時間を設定出来た。対艦、あるいは対トーチカなどの装甲板を持つ相手に徹甲弾の目標が限られているのに対して、榴弾の場合は対地砲撃から対空砲撃まで、様々な標的が想定されていたからだ。


 今の砲撃で発射された砲弾は、おそらく時限信管を最短時間にセットされていたはずだ。感覚的には、砲身を砲弾が離れた瞬間に炸裂したようなものではないのか。
 結果的に至近距離を無防備で飛行していたボーファイター編隊は、炸裂した榴弾破片の爆散円に運悪く突っ込んでしまったのだろう。そして、姿が見えなくなった敵機は、榴弾の破片に被弾してあえなく墜落してしまったようだ。
 破片が直撃しなかった機体も、至近距離で榴弾が炸裂した影響は少なくなかったようだ。榴弾の炸裂や主砲の発砲による衝撃波によって、機体周辺の気流は大きく乱されたはずだ。
 こんな超低空を飛行していた機体の主翼は、安定して揚力を発生させられる状態では無かったはずだ。強引にエンジンの推進力で飛行していたようなものではないのか。
 そんな危険な状態で、一瞬で機体周辺を乱されたものだから、機位を保つことも出来ずにふらふらと迷走し始めていたのだろう。

 もちろん、この状態は長くは続かないはずだ。一度乱された気流は、機体の前進によって、再び整えられて、安定した揚力を発揮するようになるはずだ。あの鮮やかな襲撃機動を見る限りでは、ボーファイター編隊の搭乗員達は手練のようだから、短時間で飛行姿勢を再び安定させてしまうのではないのか。

 だが、ボルツァーノの砲術長は、彼らよりも一枚上手だった。主砲は装填や信管調整が間に合わないようだが、急回頭時から停止していた高角砲が発砲を再開していた。
 先程はさほど効果を上げていなかった高角砲だったが、ふらふらと頼りなく飛行するしか無いボーファイター編隊には面白いように至近距離で着弾を続けていた。
 しかも急回頭前と違って、必ずしも敵機に砲弾や破片を命中させる必要はなかった。再び周辺空域の気流を揺さぶってやるだけで、十分だった。
 少なくともボーファイターの一機は、操縦不能となったのか、着弾による火災や煙は全く見えないのに、周辺で高角砲弾が炸裂した直後に、唐突に機首を下げると、まっすぐに海面へと落下していった。

 すでに敵ボーファイター編隊は逃げの姿勢に移っていた。先ほど果敢に銃撃を行なった編隊だとはとても思えなかった。
 ルティーニ中佐は大きく安堵の溜息をついていた。これで船団からの脅威は過ぎ去っていった。そう考えたからだ。すでに上空から敵編隊の姿は見えなくなっていた。
 敵ボーファイターは、独立戦闘飛行群の機体に撃墜されるか、すでに遁走に移っていた。


 だが、ルティーニ中佐が安心するのはまだ早かった。右舷側の見張所に配置された見張り員が、唐突に大声を上げた。その内容が信じられずに、ルティーニ中佐は一瞬呆然としてしまったが、次の瞬間に聞こえてきた衝撃音に、慌てて、艦橋を今度は右舷見張所に向かって駆け出していた。
 そこには、船団の外周付近を航行していたはずのタンカーの舷側に、巨大な水柱が発生している姿があった。
ボルツァーノ級航空重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cabolzano.html
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