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メイドの剣

作者: 浅間巧

 女は雑踏の街を歩いていた。

 頭には白いヘッドドレスをつけ、紺色の服に白いエプロンが際立っている。

 スカートの丈は短い。スラリと伸びた足の先には革製の靴が見えた。

 女の手には杖が握られていた。だが地面を突くことはなく、一定の高さのまま左手に握られていた。

 雑踏の街に済む無法者たちは、その姿を珍しそうにしながら、或いは邪な視線を込めて、厭らしい笑みを口元に浮かべていた。

 女がここに来るのは久しぶりだった。メイドの仕事を始めて以来だ。

 あれから5年経った。この街の住人は様変わりしていた。

 しかしこの街そのものは何も変わらない。悪徳と暴力と、そして生気に満ちあふれていた。


 落書きだらけの建物に入る。落書きすべて卑猥で幼稚な絵だ。

 ここの住人は文字を読めない。読めるのなら地図に「掃き溜め」などと書かれたこの街に住み着こうなど考えないはずだからだ。

 建物のなかは壊れた椅子に器用に座って、馬の小便以下の温い酒を飲んでいる奴らがいた。

「人を探している」

 女は懐から手書きの人相書を見せた。

 答えは決まっている。「知らねえな。」

 女はそう答えた男のテーブルへと近寄った。酒と汗と汚物の混じった酷い臭いのする男だ。

 女はテーブルへ銀貨を数枚置いた。「これでどう?」

 男はニヤリと笑うと肩をすくめた。「知らねえな。」

 女は首を振った。ここの流儀は分かっている。

 女は男の腕を捻り上げ投げ飛ばした。地面に叩きつけられた男の鼻を杖で強く殴りつける。

「て、てめぇ!」

 その場にいた何人かが立ち上がった。女は体勢を低くして構えた。

 あたりをジロリと見回すその眼光は鋭く、殺しに躊躇しない覚悟と経験を持っていることが男たちにも分かった。

 こいつは俺たちと同種の人間だ。

「わかった話すよ。だが倍払え。」

 女は黙って銀貨をテーブルの上に重ねた。


 月のない夜だった。

 掃き溜めの一角、木を無造作に組み合わせただけのあばら屋。

 近くを流れる小川は街中のゴミを飲み込み食い過ぎた肥満児のようだ。

 小川はブクブクと腐敗したガスをまき散らし、無数の毒虫を産み落としていた。

 少年はこのような景色は見たことがない。

 庭師によって綺麗に整えられた庭と少年に傅く使用人達。

 屋敷の外がどうなっているのか、家庭教師の言葉の中でしか知らなかった。


 少年を外に誘ったのは1人のメイドだ。

 いつも少年に優しく、少年の我が儘をなんでも聞いてくれたメイドだった。

 メイドは少年に外の世界の催し物について語った。好奇心旺盛な少年が外に出たいというのに時間は掛からなかった。

 その夜、こっそりと裏門をぬけた少年とメイドに気がついた者はいなかった。

 そしてメイドの口元に浮かんだ笑みには隣にいた少年も含めて、気がついた者は誰もはいなかったのだった。


 両手両足を縛られた少年は床を這う虫から逃れるすべはなかった。

 手のひらほどもある蜘蛛が少年の足の上を舐めるように這いまわり、醜く腹を膨らませた百足が少年の鼻先に接吻を求めて近寄ってくる。

 悲鳴は口にかまされた猿轡さるぐつわによって封じられた。

 涙と涎だけがボトボトと床に落ちていた。


 あばら屋の周りには黒いマントを着た影が5人座っていた。

 槍や剣で武装した集団だ。マントから覗く腕や足には幾つもの傷痕が伺える。

 少年を引き渡せば金になる。三月は遊んで暮らせる金だ。

 少年の命の価値は彼らにとって三月の酒代でしかなかった。


 では今死地へ向かうメイドにとって少年の命の価値とは何なのか。


 トンという音とともにナイフが1人の男の首から生えた。男はそのまま倒れて気道の潰れた喉を激しく掻きむしりながら死んだ。

 2本目、3本目のナイフはかわされた。幾度と無く修羅場を生き残った傭兵たちはすぐさま脅威を探り当てる。

 左手に杖を持ったメイドはナイフでの攻撃を諦めると、ゆるりと姿を見せた。

 2人の傭兵が分厚い直剣を抜き、力強く地面を蹴って襲いかかった。

 体重と速度を乗せた剣は重く、メイドの腕力では受け止められるものではない。

 メイドはすっと姿勢を低くすると攻め手が剣を打ち下ろす刹那に地面を左に跳ねた。

 激しくも直線的になっていた傭兵の剣は空を切り、メイドの右手が杖へと伸びた。

 音はしなかった。瞬きする間に男の右足が両断されていた。メイドの右手には杖の中にあった仕込み刀が握られていた。

「ぎゃあああああ!!」

 悲鳴が掃き溜めに響き渡った。珍しいことではない。


 もう一人の傭兵……顔に大きな傷のある女だ。彼女は舌打ちすると、腰を落として剣を構え直した。

 対してメイドは膝は軽く曲げる程度、重心を上にして構えた。

 傭兵は服の下にきている鎧を当てにして果敢に踏み込みメイドの首を目掛けて軍馬ごと騎乗者を貫く必殺の突きを放つ。

 彼女にはこの片手突きに絶対の自信があった。実戦の中で磨き上げ、一度も躱されたことのない殺しの技だ。

「ぎゃっ!?」激しい痛みが走った。

 目の前のメイドも尋常の使い手ではなかった。剣を突き出す前に左手の杖が彼女の右手の指を潰していたのだ。

 必殺の突きは威力を殺された。それでも突き出された剣はメイドの頬を僅かに切り裂いた。

 突きは必殺でなければならない。突いたら剣は極まりそこで止まる。

 手を引き戻す間などない、鎧のない左脇の下をメイドの剣が滑り赤い花が鉄の匂いを咲かせた。

 彼女は急速に力が抜けていくのを感じた。だがそれもすぐに感じなくなった。

 左の腕の力を失った女傭兵の鎖骨から肺へと剣を突き立てるのは、メイドにとって造作もないことなのだから。


 残ったのは2人。

 唇が刀傷で裂けている男と綺麗な顔立ちをした女だ。

「これで取り分が増えたぜ。」男は槍を構えた。

 メイドは無言で歩みを進めた。

 メイドの仕込み刀は刀身60センチほど、対して男の槍は3メートルはある。

 間合いの差は絶対的だ。相手の刃の届かないところから相手を殺す。男は自分の勝利を疑わなかった。

 左手の杖を捨て、メイドは初めて両手で仕込み刀を握った。刀身を上に向け上段に構えた。

 だんっ!とメイドは音を立てて地面の砂を蹴った。

 だが砂を浴びたのにもかかわらず男は反射的衝動を訓練で抑えこんだ。目は見開かれたまま、今こそ勝機とメイドに突きかかった。

 メイドはこれを予期していたかのように身体を捻ると剣を振り下ろし、槍の先を切り落とした。

 槍は棒となった。傭兵は慌てて棒をメイドに叩きつけようとした。

 だが斬り上げられたメイドの剣は、次に棒の中程を両断した。

 三撃目は傭兵の顔を斜めに斬り裂き、男の視界は赤く、そしてすぐに黒く染まった。


 最後に残った女は杖を構えた。それはメイドの持っているものと同じものだった。

「あんた……何様のつもり!あんな給金で昔の仲間を斬ろうっての!?」

 女はメイドに向かって叫んだ。メイドは何も答えない。

「あんたも同じ掃き溜めの人間だろうが!この裏切り者!」

 女は左足を後ろに踏み込むと身につけたメイドの剣の技術を惜しみなく使った。雷光の如き神速の抜き打ちだった。

 メイドは落ち着いて左手を添えた刀身で迫る剣の軌道を受けた。

 きぃぃぃんと刃が鳴った。2人の視線が交差する。脳裏に過るのは幼いころの記憶。

 それは、すぐにあぶくとなってはじけて消えた。

 刀身を滑らせたメイドの剣が女の指を落とした。仕込み刀には指を守る鍔がない。

 力を失いカランと女の仕込み刀が落ちるのと、斬り上げられたメイドの剣が女の首を裂くのはほぼ同時だった。


「今の私はメイドですから。」

 動かなくなった幼なじみの目をそっと塞ぐと。メイドはそう答えた。


 助けられた少年を抱きかかえメイドは屋敷へと戻った。

 すでに頭は明日の仕事の段取りへと切り替わっていた。

テスト投稿も兼ねて書いてみました。

楽しんでもらえたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これもう本当に好き 勧善懲悪なのにどこか寂しい [一言] 素朴な幸せの光景が見える
[良い点] 『取り分が増えた』とか、人を書くのが上手い。 一言の自己紹介もないのに、人物の背景が想像できる。 メイドの主人公というからうんざりした気持ちで、でも短編ということで読み進めていくと。 [一…
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