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記憶の淵に

作者: 涼華

終戦の日間近ということで、太平洋戦争の記憶が残っていた事態の風景を描きました。

 少年が、まだ小学生だった頃のことだ。幼なじみのゴロー、ケンタ、サブといつも彼は一緒だった。



 その年の四月、珍しく、新しい先生が彼らの村にやってきた。若い男の先生だった。彼らはすぐにその青年と仲良くなった。


 坊ちゃん先生、子供達は親しみを込めて新しい先生をそう呼んだ。





 一学期はすぐに過ぎ、待ちに待った夏休みが始まろうとしていた。


 「これから、通信簿と夏休みの友を渡すからな。」


 坊ちゃん先生の張りのある若い声が響いた。先生は、村の青年達と比較しても背が高く、面長で彫りの深い顔立ちをしていた。映画俳優みたいだ。と、子供達の間ではもっぱらの評判であった。


 「通信簿さえなければなぁ。また、母ちゃんに怒られる。」ガキ大将のゴローがぼやいた。


 「ゴローでもお母さんが怖いんだな。」少年は小声でからかった。


 「ウチの母ちゃん、世界中で一番怖いさ。父ちゃんだって怖がってるもんなぁ。」


 「ウチは父さんの方がうるさいんだ。」と、ケンタ。優等生のケンタは級長を務めている。


 「どうしてだよ?いつも一番のくせに。そうか。ケンタんちはお役人だもんなぁ。」やせっぽちのサブが話に加わる。


 「おまえはどうなんだよ?」ゴローが尋ねた。


 「じっちゃん、文句言うけど、忙しいからなぁ・・」少年が答えた。


 「いいよな。俺も一平おじいちゃんのとこの子になりたいよ。」


 「お前ら!」坊ちゃん先生が雷を落とした。「注意力散漫。バカモン!」


 子供たちは、出席簿で頭をはたかれた。


 「いって〜〜」


 「そんなんだから、成績が今ひとつなんだ。」




 成績は今ひとつでも、夏休みの楽しさは変わらない。子供達は歓声を上げて教室を飛び出した。


 「先生、夏休みも遊びに来ていい?」「宿直室で、トランプやろうよ。」彼ら四人組は坊ちゃん先生に声をかけた。


 「いいとも、でもその前に、宿題をちゃんとやってくるんだぞ。」


 「は〜い。」


 子供達は真夏の太陽の下、家路へ急いだ。




 夏休みになっても、村の生活が変わるわけではなかった。漁村の朝は早く、子供達もいつものように早起きして父親や兄の仕事を手伝った。その後は、学校へ行く代わりに、一日中遊んで過ごす。夕方、再び家の手伝いをすますと、大人も子供も早々と床につくのであった。




 みんなが、今夢中になっているのは、秘密基地作りであった。裏山に小さな洞があるのを仲間のサブが見つけた。そこを、彼らは、『ゼロ戦爆風隊補給基地』と名付けていた。


 「サブ、お前を斥候に“にんめい”する。」ゴローが命令する。「しっかり見張ってくるんだぞ。」


 「はっ、隊長殿。」敬礼してサブは洞窟から出ると、木に登った。


 「ゴロー、何でケンタ、来ないのかな?」少年が尋ねた。


 「隊長殿と呼べ。」すっかり隊長になりきったゴローが威張っていった。


 「わかりました。なんで、ケンタは来ないのでありますか?隊長殿。」


 「父ちゃんに怒られたんだってよ。爆風隊ごっこするなって。」


 「あいつ優等生だからなぁ。もともと、あんまり乗り気じゃなかったし。」少年はため息をついた。「三人だけじゃつまんないなあ」


 「坊ちゃん先生の所にでも行くかぁ。ケンタもいるかも。」ゴローは立ち上がった。「お〜い、斥候、補給基地より撤収!」


 少年も叫んだ。「学校に行くってさ。」




 木造平屋建ての校舎が、見えてきた。明治に建てられたという校舎は和洋折衷ではあったが瀟洒なたたずまいを残していた。校庭には古いサクラやイチョウの木が濃い緑の葉を茂らせ、涼しい木陰を作っている。校舎と平行して、一間の、これも木造の小屋が建っていた。宿直室と子供達は呼んでいたが、ここに、坊ちゃん先生は寝起きしていたのだった。


 「先生〜。」ゴローが声をかけると、宿直室の窓から、ケンタと坊ちゃん先生が顔をのぞかせた。


 「やっぱり、抜け駆けしてるじゃないか。ずるいぞ。」少年は口をとがらせた。


 「ごめんよ、みんな、勉強を教えてもらってたんだ。」


 「きたねぇぞ。ケンタ。自分だけいい成績とる気なんだろ。」ゴローが続けた。


 「ち、ちがうよ。」


 「そんなこと言うんなら、お前たちも、宿題を持ってこい。俺が見てやる。」坊ちゃん先生が大まじめに言った。


 「ええ〜。そんなあ。」「ゴロー、お前が余計なこというからだぞ。」「やぶへびだ〜。」




 四人組はその日の午後、夏休みだというのに学校で勉強をさせられた。


 しかし、その事は思いの外、素晴らしいことをもたらした。苦手だった算数や、読書感想文が終わってしまうと、日記の他は図工と自由研究しか残っていないことに気がついた。


 「やった。」少年は歓声を上げた。


 「これで、毎日遊んでいられるぞ。」ゴローも嬉しそうだ。


 「お前達、まだ肝心な宿題が残ってるじゃないか。」坊ちゃん先生が困ったように言った。


 「大丈夫。僕たち、自由研究や図工は何をやるか、もう、ずっと前に決めてるんです。」ケンタが説明した。


 「決めてるって?」先生は不審そうだ。


 「なっ。」「うん。」四人は目配せすると、にっこりと笑った。


 「当ててみてよ。先生。」少年が促した。


 「そうだなぁ。自由研究は・・・昆虫採集だろう。」


 「あったり〜。」サブがおどけた。「図工は?」


 青年は、考え込んだ。その様子に子供達はワクワクしている。しばらく思案した後、青年は口を開いた。微かに顔を曇らせながら。


 「お前達、ゼロ戦や大和を造る気じゃないだろうな。」


 「ええっ、いけないの。」サブが思わず叫んだ。


 サブの向こうずねをゴローが思い切り蹴飛ばした。「バカッ、余計なことまで。」


 「どうしていけないのさ。あんなにカッコいいのに。」少年はびっくりした。


 「先生も、ゼロ戦、きらいなの?」サブは悲しそうな顔をした。


 「嫌いっていうのじゃないんだ。ただ、戦争に使われるものだろう。だから、あんまり、そうだ。ゼロ戦の代わりにYS11や新幹線を造ったら?富士や宗谷はどうだい?」


 坊ちゃん先生は慌てて、子供達を慰めた。




 帰り道、ゴローがつぶやいた。


 「坊ちゃん先生も、ゼロ戦が嫌いなのかな?」


 「なんか別のもの考えなきゃだめかぁ。」少年はがっかりした。「富士や宗谷より、断然、大和の方がカッコいいのになぁ。」


 「とにかく、別のもの考えようよ。」


 そう言ったサブが一番がっかりしているな、と、彼は思っている。




 ツクツクボウシが鳴き始め、夏休みも半ばに近づいたある日、四人は、坊ちゃん先生の所に遊びに行った。窓からのぞくと、青年が荷造りしている。


 「何やってるの?」


 「丁度良かった。これをガラス戸に貼り付けてくれ。」


 青年は、『二四日まで留守にします』と書かれた半紙を手渡した。


 「どこへ行くんですか?」ケンタが尋ねた。


 「墓参に行くんだよ。」


 「ぼさんって?」ゴローは不思議そうだ。


 「お墓参りのことだよ。」


 「もうすぐ、お盆だもんなぁ。」少年は頷いた。「故郷のお寺なの?」


 「いや。」青年は首を振った。「ビルマへ行くんだ。」


 「ビルマ?それどこにあるの?」サブが尋ねた。


 「一学期に勉強したばかりだろう。もう忘れちゃったのかい?」先生は笑うと、教室に貼られた世界地図を指さした。


 「誰のお墓なの?」サブがまた、聞いた。


 「親父さ。俺がまだ母さんのお腹にいるとき、親父はビルマで死んだ。」先生はぽつりと言った。




 「ごめんよ。先生、余計なこと聞いて・・」四人の目から涙がこぼれそうだった。


 「バカだなぁ・・気にしてなんかいないよ。」青年は子供達の頭を撫でた。


 「俺もおじいさんに育てられたんだ。おまえと同じさ。」そう、少年に言うと、坊ちゃん先生はにっこりと笑った。




 少年は、その日、祖父の一平老人の舟に乗っていた。漁師仲間の五助が櫓を漕いでいる。真夏の太陽が波に反射して、キラキラと眩しく輝いた。


 「お前、ここんとこ学校に行かんようだが」五助が口を開いた。「先生に叱られたのか?」


 「違うよ、五助おじさん。先生は墓参に行ったんだ。今、留守だよ。」


 「墓参か、しゃれた言葉ぁ、思えたのぉ。先生に教わったのか?」一平はキセルをふかしている。


 「うん、お父さんのお墓参りに行くって言ってたよ。ビルマに。」


 その言葉に二人の顔に影が差したのを、少年は気づかなかった。彼はさらに続けた。


 「お母さんのお腹の中に先生がいるときに亡くなったんだって。先生のお父さん。」


 「インパール・・」五助がつぶやいた。一平はじっと海を見つめいている。冷たく硬い空気が二人を取り巻いていった。


 「インパールって何?五助おじさん。」


 少年の問に答えはない。五助と一平は、押し黙って遠くを見つめている。


 「じっちゃん。」


 老人の背中が、何も聞くなと言っていた。




 その日の午後、四人はいつものように補給基地に集まった。


 「一平お祖父さんもか。ウチの父さんも母さんも可哀想にって言ったきり何にも言わないんだ。」


 「ウチのじいちゃん、二度と聞くなって怒鳴り散らすんだぜ。」ゴローは憮然としていった。


 「母さん、インパール作戦っていってたよ。」


 「インパール作戦かぁ・・もしかして、先生のお父さんってゼロ戦の操縦士だったんじゃないかなぁ。」少年がつぶやいた。


 「きっとそうだぜ。グラマンと戦って撃墜されちゃったんだ。東隼人のお父さんみたいにさ。」ゴローが古本を見ながら言った。


 「スカイ・キングみたいなのにやられたのかなぁ。」少年はゴローから手渡された「0戦はやと」のページをめくった。


 「ビルマだったら陸軍だろ。ゼロ戦じゃないよ。隼だよ。」サブが木の上から声をかけた。




 「我々の任務はインパール作戦について調査することにある。」ゴローが口を開いた。


 「調査するって、どう調べるんだよ。じっちゃんも誰も話してなんかくれやしないさ。」


 「う〜〜ん、じゃ、どうすればいいんだよ。」


 「父さんが言ってた。わからないことがあったら図書館で調べろって。」


 「図書館?勉強するのかぁ?やだなあ。」ゴローはとたんに情けない声を出した。


 「図書館なんてここにはないよ。S市までいかなくちゃ。バス代どうするのさ。金無いよ。」サブも続けた。


 「いい考えがある。」少年が目をきらきらさせながら、三人に耳打ちした。「夏休みの宿題を調べに行くって、言うんだよ。ケンタも一緒だって言えば、じっちゃん達、バス代ぐらいくれるかも。」


 「そうだな、優等生のお前と一緒だったら、母ちゃんも信用するかもな。」ゴローも頷いた。


 「よし、明日の朝、バス停前に隊員は集合。以上。解散。」隊長気取りのゴローが敬礼した。


「はいっ。」サブと少年も敬礼を返す。ケンタだけがばつが悪そうにその場にたっていた。




 夕食後、少年は祖父に切り出した。


 「S市まで、何しに行くんだ。」一平はいぶかしげに彼を見つめた。


 「夏休みの宿題なんだ。調べなきゃならないんだ。ケンタも一緒に行くんだよ。だって、ここには何にもないだろう?S市なら図書館もあるって、みんなが・・・」


 少年はしどろもどろになった。自分が言い出したこととはいえ、一平老人を騙すのは気の引けることであった。一平の静かな眼差しの前で、彼は何もかも見透かされるような気がした。


 「ほれ。」一平は茶箪笥を開けると、封筒から硬貨を二枚取り出した。「バス代だ。買い食いなんかするんじゃねぇぞ。」


 じっちゃん、ごめん。少年は心の中でつぶやいた。




 次の日、少年はワクワクしながらバス停に向かった。子供達だけでバスに乗るのは初めてのことだった。バス停には、ゴローとサブが待っていた。


 「ごめん、遅くなって。ケンタは?」


 「あいつ、まだなんだ。ばれたんじゃないか?」


 その時、ケンタが妹のミツ子を連れて現れた。


 「ミッちゃんも一緒なのかい?」少年が話しかけるとミツ子は頷いた。


 「どうしても母さんが連れていけっていうんだ。」ケンタがすまなそうに言った。


 「いいじゃないか。バスがきたぞ。出発だ。」ゴローが元気よく叫んだ。


 バスは、綴れ折りの道を車体を揺らしながら進んだ。彼らの村が遠ざかっていく。夏の朝の湿り気をまだ含んだ道は、バスの中に心地よい山の空気を運んできた。峠にさしかかると彼方に村の岬の全容をバスの窓から眺めることができた。


 バスはS市の市街地に入った。舗装された道路に車が何台も走っている。商店街には、数多くの店が建ち並んでいた。子供達は夢中で辺りを見回した。


 「そっちじゃないよ。」ケンタが苦笑している。「図書館はあっちだよ。」


 大きな石造りの建物に子供達は入った。町のにぎわいとは別世界のように静まりかえっている。白いYシャツ姿の学生達が机に向かっていた。


 「みんな勉強してら。」ゴローが気後れしたようにつぶやいた。


 「こっちだよ。」ケンタは促した。


 「どこに行くんだい?」少年が尋ねる。


 「ここで本を探してもらうんだ。」カウンターにいる若い女性にケンタは頼んでいる。


 「僕たち、インパール作戦について調べにきたんです。何か、本を貸して下さい。」


 「あなた達、宿題やりにきたの?感心ね。こんなに小さいのに。」


 ここで待つように、とその人は言うと奥に入っていった。やがて、何冊かの本を持って、彼女は現れた。その中の一冊をケンタに手渡した。


 「これなら、写真も多いからあなた達でもわかるはずよ。」


 ケンタは礼を言うと戻ってきた。


 「向こうで調べようよ。」「お兄ちゃん、あたしも、ご本読みたい。」


 「ミツ子の本も探してくるから、みんな先に調べてて。」


 「あいつ、やっぱり、すげえなぁ。」ゴローは感心している。少年もサブも頷いた。


 一番端の机に座って、三人はその本のページを開いた。子供達の歓声が響く。


 「見ろよ。ゼロ戦だぜ。」「わぁ〜、本物のゼロ戦の写真だ。カッコいいなぁ。」「迫力〜。やっぱり写真だと違うね。」


 三人は舞い上がった。ページをめくるたびに、彼らが本でいつも見ていた戦闘機や戦艦の写真が何枚も載っているのだ。彼らの憧れた世界がそこにはあった。戦闘機も戦艦も今にも写真から飛び出してきそうだった。発動機の音や、機銃の衝撃が伝わってくる。


 「白黒なのが残念だね。ゼロ戦の機体の色がわからないや。」サブが話しかける。

 

 「ああ、見ろよこれ。大和だ!ええっと、「大和の存在は秘密とされ、国民がその存在を知ったのは敗戦後である』だってさ。」


 世界最強の戦艦の姿を子供達はため息をつきながら見つめている。


 「みんな、いい加減にしろよ。」戻ってきたケンタが小声でたしなめた。


 「何だよ。うるせえな。」ゴローが言い返す。


 「みんな勉強しにきてるんだ。うるさくするとたたき出されるよ。」三人は顔を上げた。学生達が彼らを睨みつけている。3人は慌てて、小声で話し始めた。


「大体、お前らが騒ぐからだぞ。」「ゴローだって。」「しぃ〜っ。声がでかいよ。」


 口に手を当て、目を輝かせながら、時のたつのも忘れて子供達は写真に見入っている。あたかも、自分がゼロ戦を操縦しているような錯覚に陥っているのだ。急降下するときの爆音や敵戦闘機の機影、隊長機からの無線、機体にかかる風圧、加速度、操縦桿の重み、それら全てを感じていた。その時、彼らは皆、大空のサムライであったのだ。




 「いつまで見てるんだよ。」ケンタの声で我に返る。「全然進んで無いじゃないか。早く調べようよ。」


 「堅いこと言うなよ。まだ時間はあるぜ。」ゴローは不服そうだ。


 「バスがなくなるよ。早く。」


 「わかったよ。」少年が渋々賛成した。「目次を見ればいいんだ。すぐ調べられるさ。」


 「ほら、大戦末期・レイテ海戦・・・え〜〜と・・・・インパール作戦・・あった。結構有名な作戦みたいだ。」


 「早くしようよ。」ケンタがせかす。


 「インパールはインドの辺境にあり、インド、ビルマ間の要衝として・・ようしょうって何だ?」


 「おい、そんな説明、もう、どうでもいいから写真だけでも見ようぜ。」


 少年はページをめくった。そこにある写真を四人は食い入るように見つめた。






 子供達は、意気消沈した様子で図書館を後にした。




 銀行の時計が十二時半を指していた。真夏の日差しを浴びながら、彼らは呆然と佇んでいる。ツクツクホウシの声がひどく遠くに聞こえ、にぎやかな町並みも白っちゃけて見える。


 「お兄ちゃん、お腹空いた。」


 小さなミツ子がケンタの手を引っ張った。その声に促されるように、彼らは駄菓子屋に入り、甘食を頼んだ。ぼそぼそした感触が口の中全体に広がり、味が全くしなかった。ミツ子だけがおいしそうに甘食を食べている。


 「のど乾いた。お兄ちゃん。」「ラムネ、下さい。」


 ミツ子の分だけラムネを買うと、彼らはバスを待った。程なく、バスがやってきた。


 バスが動き始めてから、お金が足りなくなっているのにみんな気づいた。


 「買い食いしたからだ。」


 いつもの彼らだったら、もっと騒いだだろう。しかし、今日は奇妙なほど冷静だった。何もかもが曇りガラスを通したように霞み、虚ろに思えた。


 「どうする?」


 「どうするって、どうしようもないよ。」


 「ケンタとミッちゃんは村まで帰れ。俺たちは、途中で降りる。」


 「でも、」


 「こいつの言うとおりだぜ。ミッちゃんの足じゃ、村まで歩けないよ。」


 「ごめん、みんな。」「いいんだよ。」


 峠の途中で三人は降りた。炎天下の上り坂を彼らは歩いた。陽炎が立ち上り、汗が噴き出してくる。眩しいほどの日差しのなか、三人の表情は暗かった。


 「のどが渇いたよぅ。」サブが情けない声を出した。


 「我慢しろ。」ゴローがつぶやく。


 「ひもじいよ。坊ちゃん先生のお父さんもひもじかったんだろうか。」サブが泣きそうな声になった。


 「こんな程度ですむもんか。もっとずっと苦んだんだ。餓死だって・・」少年が首を振る。


 「みんな死んでた。骸骨みたいになってたぜ・・」


 「ああ・・」少年は頷いた。「白骨・・街道・・だって・・」


 図書館で見た写真が三人の脳裏に甦ってくる。


 「あの兵隊さん、目を開けたまま死んでたな・・」ゴローが肩を落とした。


 急に、サブが道にしゃがみ込み、戻し始めた。サブの背中をさすってやりながら二人は声をかけた。


 「だいじょうぶか、サブ。」「お前も、バスで村まで行かせればよかったな。」


 「ごめんよ。ごめんよ。」サブは泣きじゃくっている。


 「泣くなよ。頼むから。」そう言いながら、二人の目からも涙がこぼれてきた。


 「あっちの木のとこに行こう。」指さした少年の視界も涙でかすんでいる。




 彼らは木陰にしゃがみ込み、涙をぬぐった。ぬぐってもぬぐっても涙があふれてきた。


 木立の中からは、蝉時雨だけが聞こえてくる。


 しばらくして三人はまた歩き始めた。真夏の日差しが容赦なく背中に照りつけた。どこまでも青く澄んだ空が広がっている。やがて前方に、村の岬の姿が現れた。岬の向こうには、大海原が広がっている。


 雲一つ無い夏の昼下がり、少し伸びた自分の影法師を見つめながら、三人は押し黙ったまま、村への道を歩いていった。





このはなしは、ゾウの花子の話を小学校の低学年の時に読んだ自分の体験が元になっています。

実際に起きた上野動物園の事件、その当時私は何も知りませんでした。あのころ(40年近く前)の子供達にとって上野動物園に遊びに行くことは大変な楽しみだったのです。その動物たちが昔、そんなひどい目に遭わされた。許せない。でもどうしようもない。自分が生まれるはるか以前のことだから。予備知識もなくこんな話読んだのですから、私は混乱し涙も出ませんでした。そして、不思議なことにこの話を長い間忘れていたのです。

この話の中で、子供たちは、戦記物とは違う戦争の惨さを知ってしまい、知らなければ良かった、見なければ良かったと思うのですが、これは、ゾウの花子の話を知ってしまった、その当時の私の感情でもあります。

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