表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

暗黙の了解

作者: 柳瀬七海

「いいなぁさっちんは。私も彼氏が欲しい~」


「……」


昼休み、昼食を終えた教室で返事も出来ず困ったような顔しかできない私。

確かに、一緒に帰るし、休日は映画にだって行くけれど、果たして私達は付き合っているのだろうか?

友達よりは近い距離にいると思うけど……

喚起のために少しだけ空けた窓の隙間から吹き込んだ風にカーテンが揺れ、校庭の様子が目に入る。

真っ赤なトレーナーを着たあいつは探すことなく視界に入ってきて。

この寒いのによくサッカー出来るよ。


「さっちんってば、顔が緩んでる。私がこんな切実な思いをしているっていうのに、愛しの彼を盗み見? 神様は不公平だー」

そう叫んだ奈津は、誰か紹介してよ、なんて言い始めた。


「彼氏は誰でもいいってわけじゃないでしょ」

はためいたカーテンの隙間から校庭を盗み見るのは奈津も一緒。

あいつと一緒にサッカーをしている奈津の幼馴染が本命なのだ。


「もうさ、いい加減諦めようかと思って5年だよ。高校に入ったらアイツよりカッコいい彼氏作る気満々だったのに、何で同じ高校に来ちゃったんだか。これじゃ諦められるもんも諦められないっていうの」

零れるような呟きは、奈津の本音なのだと思う。

諦めようと思っても、近くにいるんじゃ難しいよね、痛いほど気持ちが解る。


「で、今年はどんなの作るの?」

明後日は言わずと知れたバレンタインデー。

毎年手作りはしているけれど、あいつにあげるチョコは特別なものじゃなくて、友チョコと称してみんなに配るチョコとなんら変わりはないんだよね。


「去年はブラウニーだったから今年はマフィンかトリフにしようかと迷っているんだけど、奈津はどっちがいい?」

奈津の事だからマフィンかなぁなんて思っていたのに


「だから、私じゃなくてヤツにあげるのだよ」

視線を窓の外に向け真っ赤なトレーナーを指さしていた。


「だから、あいつにあげるも何もいつもみんなと一緒だよ」

そんな私の言葉に間髪入れずに

「嘘、可哀想」

なんて言われてしまった。


それは嘘でも何でもなくて。

ただ見かけによらず甘いもの好きのあいつにだけは少しだけ量が多めなのだけ。

期待しすぎて欲張りになった私の想いを悟られませんように。

現実に向き合った時傷が深くならないように。

一定の線から踏み込まないと決めた私なりの考えだった。


「付き合うって何だろうね」

思わず口にしてしまったみたい。

奈津からは

「信じられない、彼のいない私にそれを言うか」

と口を窄めていじけられちゃったけど。

私だってそれは同じだったり。


暗黙の了解みたいにクラスのみんなは私とアイツが付き合っているって思っているみたいだけど、本当は、ね。

アイツからも私からも付き合おうなんて言葉は一度も言った事がないのだから。


友達、親友? そんな曖昧な関係の狭間にいる私達。

小学校からの腐れ縁みたいな?


「奈津、今日の放課後お茶しない?」

今まで言えなかった事、奈津に正直に言ってみよう。

もしかしたら、何で今で黙ってたのと言われちゃうかもしれないけれど、もう限界だった。


奈津に嫌われませんようにと、それだけが心配で午後の授業なんて何一つ頭に入ってこなかった。

そうしてとうとう放課後。


「サチ、帰るぞ」

いつものように声を掛けられたけど、その声に割って出たのは奈津だった。


「今日は私とデートだから、残念でした」

と腕をするっと絡ませられて。


奈津、こいつ全く残念がって無いと思う。

思わず苦笑してしまう。


「了解、あんまり遅くなるなよ」

なんてまるで保護者みたい。

確かに陽は短くて寒いけど、小学生じゃないんだから。


「私もこんな風に心配されたいもんだ」

奈津の視線は今しがた話しをしてた真っ赤なトレーナーの向こう側で大口開けてるいる幼馴染。

私よりよっぽど可能性が有ると思うのだけどな。

そして、いつもの喫茶店に。



「で、話しって何?」

いきなりふられた言葉に銀色に光ったティースプーンで紅茶に渦を作っていた私はその手が止まってしまった。

中々言いだせなかったのは確かだけど、今の今まで担任の見事なまでの英語の発音の悪さを笑ってたよね?

まだ心の準備が出来てないのだけど……


「もしかして恋愛相談だったら、私パスだよ。恋人同士の事情なんて想像すら出来ないからアドバイスなんて出来ないもん」

当たってるけど、違ってる。

未だ口を尖がらせたままの奈津の唇。

微妙な空気だけど、今しかないのかも。

私は意を決して銀のティースプーンを紅茶から引きあげた。

小さな雫が紅茶に波紋を広げる。

この波紋が落ち着いたら話してみよう。

奈津の顔を見て一つ頷くと、小さく深呼吸。

そして、最後の波紋がティーカップの淵に消えたのを確認して意を決した。


「あのね今まで言えなかったのだけど……付き合ってないんだよ」


私の言葉に奈津の口は尖がりが無くなり、ポカンと丸く輪を作る。

固まってる? そう表現するのが正しいのかも。


「誰と誰が?」

奈津は瞬きも忘れているかのように目を見開いている。


「私と、あいつが」


隠してたつもりじゃないけれど、否定をしてこなかった。

言葉にするのが怖かったんだ。

誰かに盗られちゃうかもしれないって、このままみんなが勘違いしてたらいいって。

そんなずるい計算もあったんだ。


「ごめんね、どうしても言い出せなくて」


黙りこくった奈津。

この沈黙にうろたえる私。

怒ってる? 呆れてる?

その両方かもしれない。

膝の上で拳を握ってその沈黙に耐えるしかない私。


「ごめん、ちょっと頭の中混乱してる。だってあいつ――」

一度区切って奈津はアイスコーヒーを口に含んで一息ついた。


「じゃあさ、二人して付き合ってるフリしてたっていうの?」


思ってもみない言葉が返ってきて、段々と鼓動が加速してきた。


「フリなんてしてないよ。私が否定出来なかっただけなの。自分でも計算高いって思うけど、私と付き合っているって噂があるうちは誰かに言い寄られないかもしれないと思って――」

誤解だよ、そう言いたくてちょっと声がうわずってしまったうえに言葉足らず。


顔をあげられなくて、視界に入るのは奈津の腕を組んだ姿。


「まあ思い返せば、さっちんあいつに関して歯切れが悪かったようにも思えるけど、私には本当の事を言ってくれても良かったんじゃない? ちょっと凹むよ」


「うん、私も今日こそ言おうっていつも思ってたのだけど……ごめん」

本当にごめんだ。


「さっちん顔上げてよ、確かにちょっと凹んだけど私も付き合ってるって思いこんで随分と突っ込んじゃったから、言い出しにくかったんだよね」


おそるおそるゆっくりと顔をあげると、ケーキを頬張った奈津がいた。

「ほら、紅茶冷めちゃった。ケーキも早く食べて買い物行こう。チョコの材料も買って行くでしょ」


心配してたけど、奈津はいつもの奈津で。

だからこそ申し訳なく思っちゃう。


「うん」

私もケーキを頬張った。

レアチーズは酸味があって、鼻の奥がちょっとだけツーンってなった。

奈津には今年多めに作らなくちゃだ。


それからデパ地下にあるバレンタインの特設会場に行ったのだけど、明後日が本番とあって凄い人だった。

棚の中央には、綺麗にラッピングされたチョコ。

綺麗なお姉さんが試食のチョコを一粒くれた。

ちょびっとほろ苦い大人の味。

私もこんなチョコを上げる日がくるのかな。

想像した相手は、やっぱりあいつで。


そうなるといいんだけど。


「さっちん、何作るのか決めた?」

軽いトリップした私を覚醒させたのは奈津の声。

そうそう、何を作るのかまだ決めてなかった。

やっぱりマフィンかな。

商品棚に並んだような綺麗なものは作れないけれど、気持ちを込めたら……


今の均衡を壊す勇気、私に持てるだろうか。


「私は毎年これって決めてるんだ」

そう言った奈津の手元にはハートの形をした昔からある市販のチョコ。

90円というその値段は奈津も勇気がない証拠なのだよね。

私達には友チョコと称して手作りのチョコをくれるのに。

溶かして型に入れるだけだって、なんて奈津は言うけど手作りには違いないのだから。

ついでにと渡す私も人の事は言えないのだけどね。


でも、本当にホッとした。

こうやって奈津と今まで通りに話せてよかったって心から思う。

何度も奈津の背中にありがとうを言ったんだ。


次の日。

本を片手に睨めっこ。

作った事はあるから大丈夫だとは思うけど、バレンタインって言うだけでいつもと違う緊張が。

小学校の頃から流行りだした友チョコにも感謝してるのだよね。

あいつだけに作るのでは私の気持ちが全面に出ちゃいそうで。

でも、もし友チョコなんて無かったら私も市販のチョコで済ませちゃうのかもしれない。

それこそ、チロルチョコを数種類なんて感じだったかも。


テーブルいっぱいに広がるマフィンの材料。

クラス中の女の子に配るから結構な量。

いつもは適当に測る粉も測りをじっと見つめてみたり、生地を練るのも一苦労だったり。


一時間の格闘の末、オーブンから漂う甘い香り。

香りだけは合格点かな。

テーブルの上に並んだラッピング袋を数えながら、アイツの顔を思い浮かべた。

今年も貰ってくれるよね、と。


明日のバレンタインは日曜日。

わざわざ渡しに行こうなんて、そんな大それたこと出来る勇気はまだ持てない。

クラスの子と月曜日にね、って事で話しはしてあるだけにその延長でなければとてもじゃないけど渡せない。

一日過ぎちゃうけど、きっと義理だって思ってるからいいよね。

誰もいないキッチンで独り言。

オーブン終了のブザーがなって私はオーブンの扉を引き下げた。

さっきの香りが何倍にもなってキッチン中に広がった。

焼き上がりも大丈夫、美味しそうにみえる。

一つだけ分量が中途半端になった私の味見用のマフィンも結構膨らんでる。

結構やるじゃん私、なんて思ったり。


金網の上で冷まし終わるまで、ひとまず休憩。

ぺらぺらとお菓子の本を捲ってみる。

この本は小6の時のクリスマスにねだって買って貰った私だけの本。

お母さんもお菓子の本を持ってるけど、どうしても自分のが欲しかったのだよね。

折角のクリスマスだからもっと高いのねだればいいのにってお父さんにも言われたけれど、私はこれが欲しかったんだよな。

自分のお小遣いではちょっと手を出しにくい本格的なお菓子の本。

どのページにうつるお菓子も魅力的で、いつか制覇するんだって決めたのだよね。


これ最初に作ったやつだ。

基本的なパウンドケーキと書いてあるそのページはあちらこちらにシミがあって。

本を見ながら卵を溶いたもんだからはねちゃったんだよね。

作る度に少しは上達していくのか、次第に歴代作ってきたページのシミは無くなってきて。

今回のマフィンのページなんて綺麗なものよね。

オーブンの使い方だって少しは心得てきたんだもん。

量を多めに作る時は2段にしたオーブン皿を上下変えたり。

今では初めの頃よく失敗したムラ焼きも殆ど無くなったんだ。


作れば作る程上達するものよ、そう言ったお母さんは今までお菓子作りだけは手伝ってもらった事は無かったな。

今となってはそれが上達に向かったのかも。


そろそろかな、マフィンに手を翳して冷えた事を確認すると、ラッピング開始。

喜んでくれるといいな。

机の上いっぱいに広がったマフィン。

真ん中に鎮座するのは、一回り大きなアイツの分。

みんなのいないとこで渡すから、一人だけ大きいなんて知りもしないだろうけど。


月曜日登校するとみんな大きなバックにいっぱいのチョコが詰まってて、それを見ては大笑い。

配っても同じだけチョコが返ってくるから、やっぱりバックは大きくなくちゃね、なんて。


教室に入ると驚いた事に、アイツが席に座ってる。

いつももっと遅いよね?

部活の朝錬が無いにしても早すぎるんじゃない?

まさか、チョコ欲しさに?

そんな疑問が浮かぶけど、何時に来たって変わらないよね。


毎年、一緒に帰る道すがら渡してるアイツへのチョコ。

本当は毎年この日はドキドキしているんだ。

誰かにチョコ貰って、その子と付き合い始めちゃったらっていう不安。

何度も見てきたんだ、チョコを貰ってる姿。

見ないようにしてるけど、同じクラスだった事が多いから、どうしたって目に入っちゃうのだから仕方ない。


あー本当にちょっと気が気じゃないよ。


「おはよう」

元気な声は奈津だ。

「おはよっ」

せめて空元気でも出さなくちゃやってられないよ。


机の上に置いたバックから、奈津がチョコを取りだしたのを切っ掛けに周りに集まってくる友チョコ仲間。

みんなラッピングにも凝っていて凄い可愛いのばっかり。

みんながチョコばっかりだからさ、なんてクッキーを作ってきた子もいたりで、クラスはちょっとしたお菓子屋さん状態だ。

部活に入っている子はそっちの関係にも渡すから、ほんと凄い量で。

この日ばかりはいつもは羨ましい部活してる子にちょっと同情しちゃったり。


「日曜一日お菓子作りで終わっちゃったよ」

と言うのも大袈裟じゃないと思う。

今年は日曜日で良かったね、なんて。

平日にあったら、学校終わってから直ぐに取り掛かっても夜中まで掛っちゃうだろうからね。


色とりどりのラッピングしたチョコ達はバックに溢れんばかり。

昼休みに少しづつ味見しようって盛り上がったところに担任登場。

くもの子散らすように席についたみんな。


「先生にはチョコくれなくてもいいからな」

と言うけれどそれは期待してる顔じゃない?

先生には悪いけど、市販のチョコでって話しが纏ってたり。

みんなで20円づつ出し合って、クラスの女子一同からって事で用意はしてあったりする。

500円にも満たないチョコだけどね。

去年の担任は、ホワイトデーのお返しにのど飴をみんなに二個づつくれたりしたんだよな。

「他の先生には内緒だぞ」

って言ってたっけ。


授業が始まっても上の空だった。

机の脇に引っかけた袋の底にはゆっくりと眠るあいつへのマフィン。

約束してないけど――今年も一緒に帰るよね。

あいつの後姿をそっと盗み見て、どうか今年も。

そう願わずにはいられなかった。


昼休みお弁当を食べ終わっての事だった。

さっきからうちのクラスの廊下の前でいったりきたりしている子に気がついた。

心がざわつく。

どうかあいつ目当てじゃありませんように。


休み時間になる度にドキドキしていた。

数人の男子が呼び出されるのを見ていたから。

そんな光景を気になりつつも見ていられなくてトイレに逃げ込んでいた私。

奈津はそんな私に自信持ってって言ってくれたけど、どうして自信が持てよう。

また堪らなくなって、私は席を立ってしまった。

そうトイレに逃げ込む為。


「待ってさっちん」

私を追いかける奈津の声が大きくて、足を止めて振り向くと、窓際にいたアイツと目が合った。

珍しい事じゃないけれど、日が日なだけに目を逸らしてしまう。

教室を出ると丁度うちのクラスの前を行ったり来たりしていた彼女と鉢合わせ。

私は目を伏せたまま、廊下を駆けだした。

何となくだけど、ビンゴなような気がする。

自意識過剰なのかもしれない。

だけど彼女の私を見た途端に大きく見開いた瞳。

私とアイツの噂を知っていてもアイツを好きなのかもしれない。

私に持てない勇気を彼女は持っているのだ。

逃げてしまった癖に、胸がざわついて仕方がない。

お願い、どうか私の想像が間違ってますように――。

駆けこんだトイレで忙しなく動く心臓に手を置いた。


「さっちん……」

鏡に映る奈津の顔は険しくて。続いた言葉に私は氷ついてしまった。


「さっきの子、アイツの事呼びだしていたよ」

聞きたく無かった。


「うん、そんな感じがしてた」

無理に笑顔を作ってみたけど、どうしたって頬が上がってくれない。


「さっちんはそれでいいの? 勇気出すんじゃ無かったの?」

肩に置かれた奈津の手が重たかった。


「誰かが告白した後に言うのって辛いものがあるよね」

何もなければいいと願うだけの私と、彼女がいるという噂を知っていながらチョコを渡した子。

勝った負けたじゃないけれど、自分の甘さを痛感してしまう。

誰にも――誰とも付き合って欲しくなんか無いけれど。

私にそれを想う資格なんてあるのだろうか。


仲の良い友人。

そこから一歩踏み出せなかったのはアイツとギクシャクしたくなかったから。

いつだってチャンスはあったはずなのに。


弱虫な私は奈津に言われても、トイレから出る事も出来ず鏡の前でため息をつく。

どのくらい経ったのか、予鈴がなって仕方なくトイレを出た私。

タイミングってあるんだな。

なんでもっと早くにトイレを出なかったのだろう。

教室へ戻る廊下の陰に、さっきの女の子の後ろ姿。

視線に入るアイツ。

目を逸らそうとしたけれど、彼女を通り過ごして私を見ているかのようなアイツの視線。

段々と小刻みになる心臓。

廊下を踏みしめる足に知らずと力が入った。

早くこの場を立ち去りたいと。

その時だった。


「俺、今年は好きな子からじゃないと受け取らない事にしたから」


えっ。

思わず足が止まりそうになる。

瞬時に浮かんだバックの底。

彼女に、そして私へのけん制?

あんな言葉聞いたら、あげられないじゃん。

涙が浮かびそうになるのを必死で堪えて、廊下を駆けだした。

廊下は走っちゃいけないのは百も承知だけど、そんな事を言ってる場合じゃなかった。


何もしないうちに失恋したのかも。

一歩踏み出す勇気が無かった私は振られる事さえも出来なかったということなのかも。

それが自分の望んだ形でしょ?

自分に問いただす。

一番近い友人の位置は失ったわけじゃないのだから。


でも実際、アイツに好きな人がいるなんて知りたくもなかった。

随分と自分勝手な思考回路だな。

笑え、笑え、そう唱えてないと泣いてしまいそう。

教室のドアを開くと真っ先に奈津に目がいく。

心配そうに見つめる奈津に苦笑いしかできない。

奈津が立ち上がった時、チャイムが鳴り担任が教室へ入ってきた。

奈津は声に出さずに「あとでね」と言うと前を向き私も自分の席に着いた。

号令と同時に教室の後ろのドアが開いた。

ちょっとした注目を浴びたアイツは「浮気発見」なんてみんなに冷やかされて

「そんなんじゃねえよ」なんて頭を掻いている。


「そんなんじゃねえよ」

その言葉の意味は?

浮気じゃないっていうことだよね、そう私と付き合ってなんかないのだから。

私とアイツはなんの関係なんてないのだから。


頭の中の邪念を振り払おうと必死でノートを取っていた。

くだらない先生のだじゃれまでノートに書き記す始末。

余計な事を考えないように、ひたすらペンを走らせた。


そして放課後、奈津が誘ってくれたけれど、今日は奈津だって一緒にいたいと思うのは私じゃないって解ってる。

大丈夫だよ、って言っても大丈夫じゃない私の言葉を奈津は解ってくれて話を聞いてくれるって言ったけど、それに甘えるほど図々しくなんてなりたくなかった。


ほんと、平気だよ。

そう言って教室を出ようとした私に声が掛かる。


「サチ、帰ろうぜ」

クラス中から冷やかしの声が飛んでくる。

そんな事言うから期待しちゃうんじゃない。

それとも、今日私に何か報告があるとか?

昨日のうちに彼女が出来たとでも言いたいのかもしれない。

マイナスな考えしか浮かんでこない私は、逃げる事しか出来なかった。


「ごめん、今日ちょっと用事があるから先に帰るね」

ちゃんと笑って言えただろうか?

自分が望んだ友人の立場を続けるためには今日だけは一緒になんかいられない。

家に帰って思いっきり落ち込んで、みんなから貰ったチョコをヤケ食いして明日復活したら、その時は思いっきり祝福してあげよう、うんそれがいい。


私は返事が返ってくる前に鞄を振って教室を飛び出した。

チョコが山ほど入った鞄を持って校庭をみないように学校を抜け出た。

学校から早く遠ざかりたい。

そう思う私は自然と速足になった。


そんな私に近づく足音。

突然肩を叩かれた。

おそるおそる振り向くと、懐かしい顔。お姉ちゃんのモト彼で私の高校の先輩だったりする。

「久し振り、やっぱりさっちゃんだった。今日は一人なんだ」


「久し振りです、先輩。はい今日は一人です」


なんて虚しい会話なんだろうって思った。

こんな日に一人なんてね。

先輩は私の大きく膨らんだバックをみて

「凄いな、それ全部チョコだったりするの? 俺なんか1個も貰ってないのに」

なんて。

鞄の底のチョコが頭に浮かんだ。

良かったらどうぞ、そう言おうと口まで出かけたけれど言えなかった。


「先輩、暇だったりします?」

突然の誘いに

「暇も暇、大暇だよ。それに先輩ってさっちゃんに言われるの慣れないって言ってるじゃん」

なんて。

一人で浸ろうと思ってたけれど、一人でいたくなかったのかもしれない。

学校の帰り道、先輩改めヒロちゃんと一緒に入った喫茶店。

チョコの代わりと言ってはなんだけど、好みも聞かずにホットチョコレートを2つ頼んだ。


「私からのチョコですよ、ありがたく思ってくださいね」

なんて恩着せがましく言った私に。

「ありがたく頂きます」

とヒロちゃんが笑った。


よくよく思い出すと私はヒロちゃんにとって結構厄介な存在だったように思える。

見たい映画だからと、お姉ちゃん達のデートについて行ったのは1度や2度じゃない。

玄関先まで迎えにきたヒロちゃんに一緒に行きたいなぁと呟く私は今思えば二人デートを邪魔する厄介な奴だったのだろうから。


大学に行って少しアカぬけたかも。

話していると昔のタカちゃんみたいだけど、外見の雰囲気がなんとなく違うような気がする。

きっとヒロちゃんは私のテンションが低いの察知してだか、大学の仲間の面白い話をしてくれているのだと思う。

昔っからそういうところは変わってない。

人一倍気を使うんだよね。

だから、あの頃だって私を置いていけなかったんだと思う。

お姉ちゃんも別にいいよ、みたいな態度だったら余計かもしれないけれど。


ヒロちゃんとの時間は私の沈んだ気持ちを少しほぐしてくれたみたいだった。

悲しい事には変わりがないけれど、ちょっとだけね。

そういえば、お姉ちゃんとヒロちゃんはいつ別れたのだろう。

ずっと気になってたんだ。

いつの間にかって感じだったから。

またいつ会うかも解らない、お姉ちゃんに聞いてもはぐらかされちゃうし、折角だから聞いてみよう。

二杯目に頼んだカフェオレを一口含むと、小さく咳払いをして聞いてみた。


「お姉ちゃんといつ別れちゃったの? びっくりしたんだから」

何の脈絡もなく聞き始めた私に、ヒロちゃんの目はまん丸に。


「そっか、美咲は俺と別れてたんだ。そっかそうだよな、今更だもんな」

何だか私は地雷を踏んだらしい。

思ってもみなかったヒロちゃんの言葉に私は動揺してしまった。

そんなタイミングで私の携帯が鳴ったんだ。

この着信音はアイツから。

部活が終わったのかもしれない。

出るのに躊躇していると、ヒロちゃんが出なくていいの? と目を細めた。

その優しい笑顔に後押しされるように、ゆっくりとポケットから携帯を引き上げた。


「もしもし」


「もしもし」


電話を掛けてきたのは向こうなのに、何もしゃべらないってどういうことなのよ。

「もしもし?」

私の再度のもしもしに、ようやくあいつの言葉が聞けた。


「用事終わった?」


と。

ヒロちゃんの顔を見て携帯に声を向ける。

「今大事なとこだから」


そう、こんな中途半端なところじゃ帰れない。

自分から聞いた事だし、それにあいつに言った用事なんてないんだから。


「何かあった?」

メールはするけれど、電話が掛かってくること自体珍しい。

そう聞くのは至って自然な流れだと思うけれど。


「何かあったってそれを聞くのは俺の方だよ。終わったらまっすぐ帰ってこいよ。お前家の前で待ってるから」

頭の中を整理する前に電話が一方的に切られてしまった。

全くなんだっていうのよ。

何だか怒られてるみたいな気がするのは気のせいなのだろうか。

携帯を切ってからも暫く呆然としていると


「もしかして、相手は藤原?」

ヒロちゃんのピンポイント攻撃。

何で知ってるの? と思いつつ、お姉ちゃんの元カレ――んっ?元じゃないのか? だったら納得かも。


「藤原だけど、意味不明なんです」

と笑ってごまかした。

きっとヒロちゃんも勘違いしてるんだと思う。


「私の事より、ヒロちゃん。さっきの話、お姉ちゃんとまだ付き合ってるんですか?」

ヒロちゃんは困ったように笑ってこう言った。


「俺はまだ彼氏のつもりでいたんだけどね。そうじゃないのかもしれない」


複雑だ、複雑すぎる。

何だかすっきりしない答えを聞いた気がする。

ヒロちゃんは未だ入っていたホットチョコレートを飲み干すと

「じゃあ、そろそろ行こうか」

って席を立ちあがった、それも伝票を持って。


「だって今日は私からのチョコのつもりで」

伸ばしかけた手をするりと避けられると


「いいのいいの、もう貰ったようなもんだから」

と会計を済ませてしまった。

そして、ヒロちゃんは私の家まで送ってくれることに。

ぽつりぽつりとお姉ちゃんとのことを話だしたヒロちゃんの言葉に聞き入っていた。


それは世に言う自然消滅というものなのではないしょうか?

些細なケンカで、距離を置こうと言いだしたのはお姉ちゃんらしい。

ヒロちゃんは距離を置くと言う事を真面目に捉えてお姉ちゃんから連絡がくるのを只管待っていたという。

別れたつもりなんて無かったって。

そりゃ一年近くも連絡を取ってなかったら別れた事にならないのだろうか?

ちょっとヒロちゃん悠長すぎるってもんじゃないの。

でもそれだからヒロちゃんなのかもしれないけれどね。


家の門が見た時、ヒロちゃんは

「じゃあね」

と言って背を向けようとした。

でもガレージに止まったお姉ちゃんの原付を発見すると、ヒロちゃんの背中を引っ張った。

ぜったい、ここで待っててと言い放って玄関に向かった。

家の陰に、エナメルバックを下げたあいつがいた。


ちょっと、後ろを振り返りヒロちゃんにちょっとごめんと目で合図を送ると、そのエナメルバックに向かっていく。

「ごめん、ちょっとだけ待ってて。すぐに終わるから」

返事も聞かずに家に飛び込んだ。


「お姉ちゃーん。いるんでしょー」

ありったけの大きな声に煩いよ、って言いながらお姉ちゃんが顔出した。

やっぱりいたんだ。

おせっかいだと思うけど、ヒロちゃんの思いをちゃんと終わらせてあげなくっちゃ。

何なのよ、というお姉ちゃんを引っ張りだしてきた。

凄いね、私からしたら外見が変わってみえるけれど、後ろ姿だけでも一目で解るなんて。

「ヒロじゃん」

お姉ちゃんはそう呟くと、サンダルを鳴らしてヒロちゃんの元へ一直線。

足音に振り返ったヒロちゃんの首元めがけてダイブときた。


ありゃりゃ? 思いを昇華させるつもりだったけど、やっぱりお姉ちゃんも別れてると思ってなかったということなのかな?

意地っ張りにもほどがあるよ。


って言ってる場合じゃない。

私はこれからが試練なんだ。

ヒロちゃんにお節介焼いたと思った時から決めていた。

私も潔く振られようって。


「お前の姉ちゃん大胆だなぁ。あれ三島先輩だろ?」


「うん、そう大胆だよね」


さっきまでヒロちゃんの事を考えていたから、大丈夫だったけど今は違う。

全身で意識している私がいる。

こんなにも平然として、私に何を告げるつもりなのだろうか。

この時期の日暮れは早い。

気がついたら辺りは薄暗く、街灯の明かりが灯りはじめていた。


「用事って? 何か私に話があるんでしょ?」


「ああ」


本当は心臓がバクバクしていた。

自分からとどめを刺されようとしているのだから。

こうなったらヤケクソよ、さっさと言いやがれってんだ、とは心の叫び。

あくまでも自分の気持ちを伝えようとしないのは、ずるいのかもしれない。

知らない方がいいって事もあると思うんだよね、と一人言い訳をする自分もいる。


「今年はくれないんだ」

拗ねたように下を向くこの少年はいったい誰なのだろう。

少なくても私の知ってるやつじゃない。


「だって、今年は好きな人からしか貰わないんでしょ?」

聞こえたんだからとばかりに嫌味っぽく言ってみた。

チョコの催促はきっとこれから話す事の前に軽いジョークを交えたこいつなりの照れ隠しなのだと、そう思った私。


「だから、だろ」

しつこい。しつこすぎる。

そこはサラッとスルーするとこでしょ。

私の心構えも長い時間は持たないんだからとばかりに。


「だ、か、ら 誰かからもう貰ったんでしょ? いいよそんな軽口開かなくても」

もう半分泣きそうだった。

涙を堪えるためにツンと薄暗い空を見上げた私に。


「軽口なんて言ってねえって。それにお前の今日の用事って何だよ。三島先輩と一緒に帰ってきたお前見たときの俺の気持ちなんてお前には解らねえだろうよ。まあお前の姉ちゃんとの事見てたらホッとしたけどよ」


とまるで恋人に嫉妬をしているかのような言葉。

だから勘違いしちゃうんでしょ。

ずるいよ、もう。


「用事なんてないよ。あんたにチョコ渡せないと思ったら一緒に帰るの辛いだけじゃない」

しまった勢いで言ってしまった。

これじゃ私から告白しているようなもんじゃない。


「だから何で俺にチョコを渡せないのか言ってみろよ」


「言ったでしょ、廊下でしっかり聞いたって。好きな子から貰えばいいじゃない」


もう売り言葉に買い言葉。

堪えてきた涙が知らぬ間にあふれ出してきた。


「俺が付き合ってるのはお前だけだし、お前の他に好きなやつなんていないんだけど」

そう言いながら私の頭に大きな手が乗っかった。

これには私が驚いた。

出だした涙が引っ込んだくらいに。


「へっ」

えっというつもりが飲み込んだ涙のせいなのか、変な声に。

いつから? そう聞きたいけれどなんとなくそれは聞いてはいけないと警告ランプが光だす。


「浮気なんてしてないし、そこまで拗ねなくてもいいだろ」

今まで一緒にいたってこんな雰囲気になったことは一度だってなかった。

つまり私はコイツと付き合ってたっていうこと?


思ってもみない展開に私の思考回路はついていけない。

とりあえず、何度も機嫌を直してチョコをくれとせがまれて、私はチョコの詰まった鞄の底から少しぺちゃんこになったマフィンを取りだした。


目の前のコイツは満足そうに頷いて、後で味わって食べるからと私のマフィンを鞄の中にしまっていた。

「期末終わったら映画でも見に行こうぜ」


そんな言葉も何だか信じられなくてあっけにとられる私。


「返事は?」

と促され慌てて「うん」と返事をする始末。


「じゃあ、貰うもん貰ったし、明日学校でな」

なんて、嵐のように去っていった。

一体何が起きたのだろう?

これは白昼夢というものなのではないだろうか?

あっ。

すっかり存在を忘れていたけれど、お姉ちゃんとヒロちゃんは?

まさか一部始終を見られてたなんて事はないよね。

振り返る時の恐怖と言ったらなくて。

ゆっくりと回れ右をしてみたら、そこには誰もいなかった。

ふーっ。

大きく息を吐き出したのは安堵したからだったのだけど。

ただいまと玄関に入るとそこには見慣れぬスニーカーが。

どうやらいつの間にヒロちゃんはうちに上がっていたようで。


手洗い、うがいついでにキッチンにいくと

「青春してたね」

なんてお姉ちゃん。

どうやら途中まではしっかり聞こえていたようです。


「お姉ちゃんだって変わらないじゃない」

言い放ってから、ヒロちゃんの存在を確認してしまった。

お姉ちゃんは照れなのか、ヒロちゃんの頭をひっぱたいている。

お姉ちゃんの作った型に流しただけのチョコレートを頬張りながら、嬉しそうに頭を掻いてるし。

「お邪魔はしないですよー」っとうがいを済ますと自分の部屋に駆けこんだ。


今日一日で気持ちのアップダウンが激しかった事。

私付き合ってたんだ。

それってどうなのだろう?

私がそう思ってなかったのにその付き合いは成立するものなのかな。


でももう深く考えるのは止めにした。

ベットに制服のままダイブするとポケットが震えた。

あいつからだ。

メール一件。

題名

――来年も同じの作って――

添付された写真には私の作ったマフィンを大口開けて頬張る姿。


勿論その返信は

了解しかないわけで。


頭の中を整理しつつ、今日話を聞いてくれると言ったのに断ってしまった奈津にメールをした。


「奈津、私いつの間にか付き合ってたみたい。ちゃんとチョコ渡せたよ。未だに信じられないんだけどね。奈津はどうだったかな?」

と。


私は何にも知らなかったんだ。

私が教室を飛び出した後、唖然としていたアイツに奈津がアドバイスしていたことなんて。



――さっちんはこの学校であんた達の事言われても否定してこなかった。これはチャンスよ。軽い暗示になってると思う。あんたの事だから今までにもそれらしきこと言ってたんでしょ? さっちんに思いこませるの、あんた達が付き合ってるって――


”そんな無謀な。それにあいつを騙すような事はしたくないし”


――そんな綺麗ごと言ってる場合じゃないよ、結構さっちん人気あるって知ってるでしょ? あんたとの事がただの噂だなんてバレテごらん、一気にライバル登場だよ。同じ学年だけじゃない上級生からだって言いよられるかもね。さっちん流されやすいから、いつの間にかさらわれてるかもね――


そんなやり取りが行われていたなんて。


思考回路がパンク寸前の私は早めにベットにもぐりこんだ。

ベットの脇では一件のメールの着信。


――さっちん、良かったね。っていうかやっぱり付き合ってたんじゃない。誰がみても二人は付き合ってるよ。私もね、ちょっと前進したかも。じゃあ、おやすみ――


いつから付き合ってたんだろう?

いくら考えてもそれらしい日は思い浮かばなくて。


明日、いつから?って聞いたら怒るかな?

怒るだろうなぁ。

想像したら軽く睨むあいつの顔がちらついて、それを振り払うかのように大きく頭を振るとぎゅっと目を閉じた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ