月を捕えて
ろうそくの火が壁に陰影を刻む。
ゆらゆらと炎が揺らぐのに合わせて踊る影から、八雲は視線を腕の中の女へと移した。
淡い光に晒される白い肌は、未だ情事の火照りを残している。
「明月」
呼びかけると、背後から抱き締められていた女が振り返った。
「私は明日から一週間ほど留守にする」
「はい。お気をつけていってらっしゃいませ」
八雲が城を空けるとなると、それは公務に他ならない。
その為、特に疑問を投げかけることもなく、明月は返事をした。勿論一週間公務だけを続けるとも考えていないであろうが。
「寂しいか?」
問うと、明月は微笑んだ。真っ直ぐな瞳が悪戯っぽく細められる。
「寂しいです、と答えればよろしいのでしょうか?」
実際にはそんなこと思ってもいない、とでも言わんばかりの口調。八雲は苦笑するしかない。
「口の減らない奴だ」
「それは失礼を。正直者なものですから」
明月は不敵な笑顔そのままに、素っ気無い言葉を紡ぐ。
その明月の額に一つ口付けを落とし、八雲は小さく息をついた。次いで八雲の顔に浮かぶのは、口の端を釣り上げるだけの意地の悪い笑み。
「そう言いながらも、こちらの方は一週間待てるのか?」
未だ情事の跡の色濃く残る秘部へと指を伸ばす。指先が湿った秘所へと割り込むと、明月はビクリと身を強張らせた。
「八雲様と、一緒にしないでくださいませ」
「そうだな。一週間後は覚悟しているといい」
息が上がるのを必死に抑えながらも、明月は不敵な笑みを崩さない。
「貴方様は一週間禁欲など、なさるつもりもないでしょうに」
「妬いているか?」
「いいえ、全く」
言葉の最後に、布が肌と擦れる音が重なった。
明月が八雲の元に来てから一ヶ月。その間二人は三日と間を置かずに肌を重ねている。
勿論いつでも求めるのは八雲であり、互いに望んでのことではない。しかし明月は始めに宣告した通り、八雲が望めばいつでもその身を差し出した。
己の身は全て八雲の自由である。そう告げた言葉を、明月は違えなかった。
そして逆に、明月は八雲にすがることも、何かを望むこともしていない。
明月の言う八雲のものにはならないというのは、このことを指すのだろう。そう八雲は推測していた。
ならば、明月を己にすがらせることが出来れば、彼女の全てを手に入れたことになるはずである。
明月は八雲に気を許していない。だから、すがらない。
それは理解できる。
だが、八雲と過ごしている時の明月は軽口も叩けば笑顔も見せる。無理して気を張っているようには思えなかった。
どうすれば明月を己のものにできるのか。八雲には見当もつかない。
しかし、そのことは決して不快ではなかった。明月と共に過ごす時間は、八雲が今まで得ることのなかった充足感に満ちていたのだから。
一週間の出張公務を終えて、八雲は己の城に帰ってきた。
早速とばかりに明月の部屋を訪ねるが、彼女の姿は見えない。窓から差し込む柔らかな日差しが、簡素な部屋の中を照らしているだけだった。
その場に、主の帰還を聞きつけた配下の一人がやってきた。
「明月はどこだ?」
彼の挨拶を聞くのもそこそこに、八雲はまだ若い配下の青年に問う。
青年は暫し考えるように首を傾げた。
「明月殿は、この時間でしたら中庭にいるのではないかと思います」
「中庭?」
「はい。一日中部屋の中にいるのは気詰まりだと仰って、いつも昼間には中庭におられることが多いようです」
成程、明月は踊り子として各地を旅して回っていた。家の中に閉じこもるのは性分に合わないのかもしれない。
納得しながら、青年にはそうか、とだけ答えておく。
「八雲様は、明月殿が随分お気に入りのご様子ですね」
「ああ、退屈しないからな」
応えると、青年の口の端が歪んだ。
何か言いたいことがあったのだろう。
だが、余計なことは言わない方がいい。そう思ってか口を閉ざして笑みを形作る。
それもよくあることと、八雲は気に留めることもなく中庭へと足を向けた。
光の集まる中庭は、この城の中で最も艶やかに四季を感じることが出来る場所である。
中央には桜の木が一本、主役然として居座っている。
その桜の木の下に、明月は立っていた。明るい日差しを受け、長い髪がみずみずしく輝いている。
声をかけようと数歩近付き、八雲はそこで明月の傍らに立つ一人の男に気がついた。
足を止めて、その男を見やる。
線の細い男だ。否、線が細いどころか貧弱と言って差し支えない。
顔立ちにはこれといって特徴が見受けられない。
薄汚れた服をまとって髪も全く手入れされていないことが、更に男の印象を凡庸としたものにしていた。
城の敷地内でそのような格好をしている者、となれば間違いなく奴隷として連れてこられた人間だろう。
草木の手入れをしていたのだとすれば、この場に彼がいること自体はおかしくない。
おかしいとすれば、その奴隷と明月が親しげに会話をしていることである。
明月も物好きな、と八雲は始め呆れはしたものの、特に気に留めはしなかった。
しかし。
明月の表情を見た途端、八雲は言い知れぬ苛立ちを感じた。
彼女は笑っていた。と言っても、八雲といるときにも明月はよく笑う。
だが、今の笑顔は八雲の知るそれとは全く違っていた。
切り取られた青空の下、晴天によく似合う健康的で邪気のない笑顔。
明月にもあのように少女のようなあどけない一面があったのかと八雲は驚嘆する。
そしてそれと同時に、八雲の中に広がる暗雲は濃さを増していった。明月の笑顔と反比例するかのように。
大股で歩み寄ると、明月が八雲に気付いて振り返った。
「八雲様。おかえりなさいま……っ」
手首を掴み上げ、引き寄せる。その力の強さに明月が顔を顰めたが、八雲は構わず彼女を引っ張って歩く。
「八雲様?」
城の中へと入ってからも、廊下を早足に歩き続ける。その八雲に大人しく従いながら、明月は困惑したように八雲の名を呼んだ。
「私は今日帰ると言っておいたはずだ」
低い声が明月の耳を打つ。
「主の帰宅を、何故部屋で出迎えない」
「え、はあ。申し訳ありません、思っていたよりもお早いお帰りだったものですから」
明月は、何故八雲がこのように不機嫌なのか分からないようだった。八雲自身、己の感情を理解できていないのだから無理もない。
突然湧き上がってきた激情に、名前を付けることができなかった。
唯一つ理解できるのは、己の中の凶悪な願望が目を覚ましたということ。それだけである。
明月の部屋に着くと、八雲は彼女を寝台に引き倒した。
半ば放り投げられるようにして寝台に倒され、明月は咄嗟に起き上がろうと腕を着く。
しかし、上半身を浮かせるよりも先に、八雲は明月の首を押さえつける。
「罰を与えなくてはならないな」
うつ伏せに押さえつけられ、身動きの取れない明月に覆い被さると、八雲は彼女の耳に唇を寄せ囁いた。
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