月を求めて
退屈している女が娯楽を求めるように。
闇の中で男が光を求めるように。
それは当然の成り行きだった。
月明かりすら届かない、闇の支配する室内に響く湿った音。
そして混ざり合う女の声。
甘い嬌声はいまや掠れた悲鳴と成り果てている。
狂ったように鳴く女を、八雲は冷めた目で見据えていた。
「……つまらんな」
小さな呟きであったが、組み敷かれている女は過敏にその言葉に反応する。
身を固く強張らせ、たった今まで快楽に上気していた頬は急速に青ざめていった。
「いいことを教えてやろう。明晩、女が1人来ることになっている」
耳元で囁くと、女の口から短い悲鳴が漏れ出た。
それは先程までとは明らかに違い、恐怖ゆえのこと。
「先日町に来た踊り子がかなりの美女という話でな」
耳を食み女を突き上げながら続ける。しかし、既に女は行為に意識を向けることができなくなっていた。
「お前はどうしたい?」
八雲の声が甘く響く。優しい響きを帯びてはいるが、女には却って逆効果のようで、涙をボロボロと溢れさせる。
「い、いや……嫌あぁぁっ」
「とはいえ、お前もそれなりに長く尽くしてくれた」
急に八雲の声音が変わる。
泣き叫ぶ女は、その淡々とした声に、ピタリと押し黙る。しかし、興奮状態の為に呼吸は荒い。
己の運命を握る男の次の言葉を震えながら待っていた。
「奴隷どもにくれてやろうかとも思ったが、お前をあまり苦しめるのも忍びない」
奴隷たちの性欲の捌け口となるか彼らの餌となるか、それが本来八雲に見放された女が辿る道である。
しかし、八雲の言葉からは、そのどちらでもないことが窺い知れた。
見開かれた女の瞳に、希望の色が宿る。
「だから……この場で楽に殺してやろう」
しかし、一瞬にして女の儚い期待は打ち砕かれた。
絶望に女の顔が歪む。
その変化に八雲の口元が楽しそうに笑みを描いた。
女の首元に指を這わせながら、強く腰を突き入れる。柔らかに女の首筋を撫ぜながら、律動を繰り返した。
女は恐怖と絶望に顔面を染め、褥に腕をついて後ずさろうともがく。だが、体格のいい男に組み敷かれ、首を押さえつけられては逃れられるはずもない。
八雲が指先に力を込めた。
鈍い音が八雲の手に伝わる。
声を上げることもなく、女は痙攣を繰り返す。口からは血と涎の交じり合った液体が頬を伝い耳元に落ちる。
膣に子種を注がれながら、女は絶命していた。
女から身体を離す八雲の顔には何の感慨も浮かんでいない。
己の衣服を整えると、彼は女に一瞥もくれることなく部屋を後にした。
「片付けておけ」
厚い雨雲を思わせる灰色の髪をかき上げ、待機していた側仕えに言いつける。
苛立たしげに命じられるのにも顔色一つ変えず、側仕えは一礼し部屋の中へと入っていった。
その姿を最後まで見届けることなく、八雲は自室に向かい歩を進める。
八雲は退屈していた。
一つの世界を丸ごと統べる王でありながら、満たされることのない空虚感を感じ続けている。
彼の思い通りにならないことなど何もない。
望めば何でも手に入る。金でも宝石でも、女でさえも。
人の運命ですら、彼の掌中に握られている。
それなのに一体何が足りないのだろう。何をすれば、この渇きは癒されるのだ。
八雲は窓の外を見上げながら、溜息をつく。
細い月が、雲の隙間から朧気に顔を覗かせていた。
昼間だというのに、謁見の間に差し込む光は弱弱しい。
窓の外には薄い雲が広がっており、その為広間は薄暗かった。
その中を、一人の女が玉座の前に引き連れられてきた。
女の腰まである長い髪は、弱い明かりでありながらも光を反射して輝いている。
「お初にお目にかかります。八雲様」
跪く女の凛とした声に、八雲は片眉を上げた。
彼女は、王への献上品としてこの場にいる。残虐なる支配者への、だ。
だというのに、この落ち着き具合はどうしたことであろう。並の女ならばどれ程取り繕っても声の震えを抑え切れないというのに。
「顔を上げろ。――女、名前をなんと言う?」
促すと、長い髪に隠された女の容貌が露になる。
白い肌に紅の唇が際立つ。
「明月と、申します」
長い睫毛に縁取られた瞳は氷の色に似た青、ほんのりと色づいた頬。
踊り子であるというだけあり、確かに細い体は均整が取れている。
思わず八雲は息を呑む。
しかしそれは、女の容姿によるものではない。
今まで見たことのないほど力強い瞳に、八雲は射抜かれていたのだ。
どれだけじっと女の瞳を見ていただろうか。八雲は上機嫌に目を細めると、玉座から下り明月に歩み寄った。
跪いたまま己を見上げる明月の顎に手をかけ、視線を合わせる。
「明月。これより先、お前は私の為だけに踊ることになる。その覚悟はあるか」
「……覚悟ならば、してまいりました」
静かな声には、それでも張りがあり、耳に心地良い。
間近に見る明月の瞳は、より透明度が増しているように感じられた。八雲の鋭い目に見つめられて尚、彼女の目は揺るがない。
「決して私は貴方様のものにはならない、と」
決然と言い放つ。
さほど大きくはないはずの明月の声が、広く響き渡る。
「この女……!」
明月の隣に控えていた男がいきり立つ。彼女を連れてきただけに、どのような責を負わされるかと思うと明月の発言を見過ごせなかったのだ。
「黙れ、今は私が明月と話をしているところだ」
焦りから顔を真っ赤に染め上げる男を一睨みして黙らせる。
八雲は己と明月だけを広間に残し、他の者たちに退室するように命じた。これより先も、邪魔が入るに違いないと予想できたからである。
側近まで全員下がらせると、八雲は明月と視線を合わせた。
「ならばどうする。私を殺すか」
「残念ながら、私にはそのような力はございません」
「この場で自害でもするつもりか」
返事は鈴を転がすような笑い声だった。
「そのようなことをする理由がどこにありましょう」
八雲には女の言わんとすることが分からなかった。
現在、事実として明月はこの場にいる。逃げ出せるはずのない王宮に。
「貴方様が手に入れられぬものなど、ないでしょう。そう、事実、貴方様は私を手にお入れになりました」
不可解な思いが表情に出ていたのだろう。明月は滑らかに語りだした。
しかし、彼女の言葉は更なる疑問を八雲に与える。
「先程の言葉と矛盾しているのではないか」
「いいえ」
八雲の問いに、明月はきっぱりと反論する。
「私のこの身は全て貴方様の自由に。頭のてっぺんから爪の先まで、髪の一筋さえも貴方様の望みのままに。ですが」
そこで一度、明月は言葉を区切る。
瞬きの後、彼女は鋭く八雲を見据えた。
「貴方様は決して、私を手に入れることはできません」
「……」
「……」
暫しの沈黙。それを破ったのは、八雲の笑い声であった。
クツクツと、決して大きな声ではなく、しかし確かに喉を振るわせる。
「お気に障ったのでしたらどうぞ、処分を」
「いいや、気に入った」
捕えていた明月の顎から、頬へと手を滑らせる。
「面白い。是が非でも私のものにしてやる」
それは、当然の成り行きだった。
「お前の言う、手に入れられないというのがどういうことなのか。私には分からない」
八雲は飽き飽きしていたのだ。
自由にならないことのない、この世界に。
「だが」
それならば。
「すぐに、そう宣告したことを後悔させてやる」
手に入らないものに強く惹かれるのも、必然だったのだろう。
退屈という闇の中で、八雲は光を見つけたような気がしていた。 |