第三部
周りを見渡しても、人、人、人…。
何度あたりをきょろきょろしても、見知った顔は一つもない。
「迷ってもうた…」
もう最悪や、と和葉は溜息をついた。
平次がいなくなって2週間。本人がいくら隠しても、傍目から見てもはっきり分かるほど凹んだ和葉を励まそうと、女友達二人が夏祭りに誘ったのも必然の流れ。
それぞれお気に入りの浴衣に身を包み、通り沿いに広がる縁日を渡り歩いてるうちに、ひょんなことから和葉は二人を見失ってしまい、今に至る。
人の波に飲まれ、視界ゼロの状態で平均的身長の友人二人を発見できる可能性はゼロだった。
「なあ、どないしょ?」
金魚すくいでゲットした、真っ赤な和金にビニル越しに話しかけた。
口をパクパクさせている様子が自分の問に答えてるようで可笑しく、和葉はクスリと笑う。
「ま、ええか」
石畳の道の真ん中で立ち止まり、ふっと上を見上げた。
昼間快晴だった空は、今日も深い群青。あの時と、同じ空。
小さく息を吐き、肩の力を抜くと、もう一度、小さな相棒に話しかけた。
「せっかくの夏祭りやもん、楽しまな損やんな」
再び和葉は歩き出す。あっという間にその姿は雑踏の中へ消えていった。
***
「おじちゃん、わたがしひとつちょーだい」
懐から財布を取り出しながら和葉が頼む。和葉の目の前で、しゃぶしゃぶ台に似た機械の中に入れられたザラ目が細く白い糸に変わり、甘い匂いと共に割り箸に巻き取られてゆく。
はいどうぞ、と渡してくれる屋台の店主に、おおきにという言葉を3枚の百円玉と共に渡し、早速わたがしを口に含んだ。
口の中で一瞬縮み、堅くなったわたがしは、すぐに上品な砂糖の甘さと一緒に消えてしまう。
その感覚さえ数年ぶりで、つい懐かしく思ってしまう。
半ば無心でわたがしを食べ終え、手近にあったベンチに腰を下ろす。
慣れない下駄で歩き回ったせいで、足がぱんぱんに張っているように感じた。
焼きトウモロコシ、フランクフルト、焼きそば…座っている間にも漂ってくるこうばしく、それでいてねっとりとした香りが、どうしても今の和葉には好きになれなかった。むしろもっと透き通るような、爽やかなものを傷心は欲していた。
もう一度、手元の和金に目を向ける。
そう、透明な水の中で、涼しげに泳ぐ真っ赤な姿に。
まん丸な目の中に、吸い込まれそうなくらい深く黒い瞳。
こんなに真剣に瞳を見つめたのはいつ以来だろう、そんな感情がふつと芽生えた。
見つめる和葉の気持ちを知ってか、和金はパクリと口を動かす。
「なあ」
その言葉に答えるようにもう一度、パクリと小さな口が動く。
「いつになったら平次、帰ってくんねんやろ?」
パクリ。
「なんぼ忙しいゆーたって、メールぐらい返してくれてもええやんな」
パクリ。
「電話もつながらへんし、2週間も音沙汰ないのは酷いと思わへん?」
パクリ。
「アタシかて、めっちゃ心配してんねんから…」
「スマン」
「えっ、嘘…?」
「なに目ぇ丸くしとんねん。後ろや、後ろ」
和葉が和金から弾かれたように顔を上げ、ゆっくりと振り返り、固まった。
その視線の先には、見慣れたキャップ。上着、肩。
「帰ってきたで」
平次は親指で深めに被った野球帽のつばを押し上げた。
陰になっていた平次の目が現れる。
平次の頬にはまだ生々しい傷が赤い口を開き、顔中のいたるところに擦り傷と黒ずんだすすが残ったまま。右手の甲にも赤い血が滲んでいる。
「和葉?」
さっきから半ば放心状態の和葉を、いぶかるように平次が声を掛けた。
和葉の呆然とした視線を追う。
その視線は、自分の顔で止まっている、そう平次は判断した。
平次は自分の頬に手を当てる。べっとりと生暖かいものが手のひらに触れた。
ああ、これか、そう軽くうなずいた後、平次は続けた。
「工藤が前から追っかけとった犯罪組織にな…」
和葉がようやく動いた。
彼女は首を振った。
平次の話を拒むように。
代わりに、彼女は口を開いた。
「お帰り、平次」
ゆっくりとした口調だった。
平次も、なんとはなしに和葉の気持ちを理解した。
「ただいま」
平次の傷だらけの顔を、雑踏と屋台の柔らかな光が包んでいた。
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