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第八話 愛しむ心 ※挿絵

 翌日、覇夜斗はやとは、夕月ゆづきがいる祈祷の間を訪れた。

 昨日、夕月ゆづきに襲いかかる彼の様子を目にした巫女や侍女達は、緊張した面持ちで彼らを見守っていた。

 夕月ゆづきも、冷静を装っていたが、よく見ればその表情はいつになく強ばっていた。


「昨日は悪かったな」


 どかりと腰を下ろした覇夜斗はやとは、彼女に目を合わさずに言った。

 謝罪の言葉を口にした王に、一同は意外そうに目と口を丸くした。


「……いえ、あの後、あなたの母上のことは宇志男うしおから聞きました。あなたの怒りはもっともです」


 夕月ゆづきは、覇夜斗はやとから視線を外して小さな声で言った。


「私たちにとってはいい父でしたが、あなた方にとっては、そうではなかったのですね」


 眉間を寄せて辛そうにつぶやく夕月ゆづきの腕を、突然、覇夜斗はやとの手が掴み上げた。

 同時に、また王が乱暴を働くのではないかと、室内にいる者達の間に緊張が走った。

 驚いて見開かれた夕月ゆづきの目は、覇夜斗はやとの顔に向けられていたが、彼の目は、彼女の手首を凝視していた。

 そこには、昨日彼が押さえ付けたことでできた手形が、赤黒く残っていた。

 しばしその跡を見つめていた覇夜斗はやとだったが、やがて唇をきつく噛み締めると、突き返すように彼女の手を離した。


「お前の母はどのような人であったのだ」


 目を逸らし、王が口にした問いに、夕月ゆづきは戸惑いの表情を見せた。


「私は母を幼い頃亡くしましたので、あまり覚えていないのです」


 憂いのある瞳をそっと伏せる夕月ゆづきを、覇夜斗はやとは垂らし髪の間からそっと見つめた。


「でも、朧げながら、よく抱きしめてもらった記憶があります」


 そう言ってせつな気に微笑む夕月ゆづきに、覇夜斗はやとは膝の上で固めた拳に力を込めた。

 父には捨てられたが、最近まで母と暮らしていた彼には、良くも悪くもたくさんの思い出がある。

 だが、幼い頃に母を失った彼女には、それが殆ど無いのだ。

 しかも彼女はこの先も、実の父親が誰なのか、知る事のないまま生きていくのだろう。

 この時初めて覇夜斗はやとは、彼女より自分の方が恵まれた境遇であったのかもしれないと思った。


「……お前から、父まで奪うことにならなくてよかった。今はそう思っている」


 意外な言葉を耳にして、視線を上げた夕月ゆづきの前で、覇夜斗はやとはすっくと立ち上がった。

 そのまま背を向け、部屋を後にする王の後ろ姿を、夕月ゆづきは呆然と見送っていた。




 あの日以来、宇志男うしおは何事もなかったかのように、以前通り覇夜斗はやとらと接していた。

 だが、話を聞く前と後では、覇夜斗はやとの彼を見る目が大きく変わった。

 男女の情からくるものと思われていた夕月ゆづきに向けられた熱い視線は、父として娘を見守るそれであったのだ。

 そばにいながら父と名乗ることもできず、忠実な従者として娘にかしずく姿は、哀れにさえ思えた。

 おそらく、寝る間を惜しんでまつりごとに尽力するのも、忠誠心からというより、亡き兄王へ対する償いの想いが強いのだろう。


 のちにある大臣から聞いた話では、覇夜斗はやとの存在が知られる前には、夕月ゆづきを次期王にと推す声が大きかったそうだ。

 倭国最大の国、邪馬台国では卑弥呼という皇女ひめみこ大王おおきみを長く務めている。

 そのため、女の王を立てることに、周囲もさして抵抗がなかったらしい。

 だが、それに宇志男うしおが強く反発し、噂にあった王の落しだねである覇夜斗はやとを探し出してきたというのだ。

 例え女であっても、側女そばめの子である覇夜斗はやとより、王族出身の妃を母に持つ夕月ゆづきを王にとの声があがるのは当然だ。

 だが、宇志男うしおとしては何があっても、禁忌を犯して授かった偽りの王女を王位に就かせる訳にはいかなかったのであろう。




 そんなある夜、寝所で眠りについていた覇夜斗はやとは、外のざわつく気配に目を覚ました。


「なにごとだ」


 枕元に置いていた剣を手に取り、しとねから立ち上がった彼は、戸口に立つ見張りの兵に声をかけた。


「神殿で何か起きたようです」


 まだ事態が把握できていないらしく、兵は自信なげに答えた。


「神殿で?」


 胸騒ぎを覚えた覇夜斗はやとは、兵を押しのけ、裸足のまま神殿に向かって走り出した。




 覇夜斗はやとが神殿に駆けつけると、鉄剣がぶつかり合う鋭い金属音と、男女の入り交じった叫び声が辺りに響いていた。

 彼が支柱部分から社殿へ続く階段を昇りかけた時、上から血まみれの護衛兵が転がり落ちてきた。

 咄嗟に身をかわし、階上を見上げると、闇の中に武装した男の姿が見えた。

 頭頂部で小さくまとめた髪と、鎧に描かれた文様から見て、それは新羅しらぎの男のようだった。

 がむしゃらに剣先を突きつけてくる男の攻撃を、覇夜斗はやとは巧みに払い、一段ずつ足を進めて追いつめていった。

 そして、男が何かにつまずき、足元がぐらついた瞬間、その喉元を切り裂いて階下へ突き落とした。


夕月ゆづき!」


 階上に上がった覇夜斗はやとは、声を張り上げながら、回廊を駆け抜けた。

 途中、襲いかかってくる敵と刃を絡め、味方の兵が敵と交わっていれば、その相手を斬り捨てた。

 新羅しらぎの男達は、戦いには不慣れな様子であったが、鉄の鎧で全身をかためているため、致命傷を負わせることが困難だった。

 それに対し、突然の襲撃に、簡易的な防備しかしていなかった神殿の護衛兵らは、多くが傷を負い、苦戦を強いられていた。

 無防備な寝衣姿の覇夜斗はやとあなどり、次々と敵が挑んできたが、彼は素早くそれらから身をかわし、鎧の隙間を狙って剣先を差し込んだ。

 人を相手に戦った経験はなかったが、幼い頃から自然の中で培われた彼の動体視力と運動神経は、戦闘にも役立った。


夕月ゆづき!」


 再び夕月ゆづきの名を呼びながら、覇夜斗はやとは甲高い女の叫び声が漏れ聞こえる部屋に飛び込んで行った。

 夕月ゆづきの寝所であるそこには、無数の男女の屍が転がっていた。

 奥に張られた天幕の隙間からは、侍女や巫女に取り囲まれ、震える夕月ゆづきの姿が見えた。

 味方の兵らは傷を負いながらも、敵をそこへ近付けまいと必死に戦っており、その中には宇志男うしおの姿もあった。

 彼も寝所から駆けつけてきたらしく軽装で、白い寝衣はあちこち切り裂かれ、鮮血で染まっていた。


「王! 夕月ゆづき様を!」


 覇夜斗はやとの姿に気が付いた宇志男うしおは、敵と剣を交えながらそう叫んだ。

 頷いて駆出そうとした覇夜斗はやとを、数人の敵が取り囲んだ。


「ちっ」


 忌々し気に舌を鳴らせて敵と刃を合わせた瞬間、尋常ではない女の叫び声が室内に響き渡った。

 天幕の方へ目を向けると、味方の防衛をすり抜け、一人の敵が夕月ゆづきのすぐそばまで迫っていた。


挿絵(By みてみん)


夕月ゆづき!」


 咄嗟に駆け寄ろうとする覇夜斗はやとの行く手を、敵の男達が再び阻んだ。

 女達は恐怖に震えながらも、夕月ゆづきを身を呈して守ろうと、両手を広げて彼女を取り囲んだ。

 天幕を捲り上げ、中へ足を踏み入れた男は、正面であるじを庇う侍女の肩から脇腹にかけて、斜めに剣を振り下ろした。

 再び女達の叫び声が響き、天幕を血しぶきが赤く染めるのが見えた。

 斬られた侍女が倒れ、その背で隠されていた夕月ゆづきの姿があらわになった。

 再び剣を高く振り掲げる男を前に、夕月ゆづきは覚悟を決めてかたく目を閉じた。

 誰もが最悪の事態を思い浮かべたその瞬間、背中から血を噴き出し、男の体が前のめりに倒れた。

 震えながらそっと夕月ゆづきが目を開けると、そこには血で染まった剣を手にした宇志男うしおがいた。

 寸でのところで彼女のもとへ駆けつけた彼は、敵を背中から斬り捨てたのだ。

 夕月ゆづきの無事に、安堵の表情を浮かべた宇志男うしおだったが、次の瞬間、その目が大きく見開いた。

 直後、彼の体は左右に揺れ、どさりと大きな音を立てて倒れた。


宇志男うしお!」


 宇志男うしお夕月ゆづきを守ろうと、無防備な背中を晒し、背後から迫っていた敵に斬られたのだ。

 最後の敵を片付けた覇夜斗はやとは、すぐさま天幕へ駆け寄り、宇志男うしおを手に掛けた男の首筋を背後から掻っ切った。

 そしてすぐさま、うつ伏せに倒れている宇志男うしおの体を抱き起こした。


「しっかりしろ! 宇志男うしお!」


 覇夜斗はやとがそう呼びかけると、宇志男うしおは苦し気に咳き込み、赤黒い血を吐いた。


「……王……」


 弱々しく差し伸べられた血まみれの手を、覇夜斗はやとは力強く握りしめた。


夕月ゆづき様を……どうか……」


 死を覚悟し、娘を彼に委ねようとする宇志男うしおの言葉に、覇夜斗はやとは首を激しく左右に振った。

 彼はこの時、娘に真実を語れぬまま、この男を死なせたくないと思った。

 そんな覇夜斗はやとの背後から、夕月ゆづきが這うように近付き、宇志男うしおの体にすがりついてきた。


宇志男うしお、死なないで!」


 男の首筋に顔を埋め、夕月ゆづきは叫ぶような声をあげた。

 泣きじゃくる夕月ゆづきの髪に頬を寄せ、宇志男うしおは微かに笑った。

 そんな男の頬にも涙が伝っていた。


「……どうか……お幸せに……」


 そう言った直後、再び激しく咳き込んだ彼は、苦し気に大量の血を吐き出した。

 慌てて夕月ゆづきが背中を摩ろうと手を伸ばした瞬間、首ががくりと落ち、その体は二度と動かなくなった。


宇志男うしお!」


 泣きながら宇志男うしおの体を激しく揺さぶる夕月ゆづきの肩を、覇夜斗はやとは掴んで引き寄せた。


「はなして!」


 泣き叫ぶ夕月ゆづきの顔を、覇夜斗はやとは自分の胸に押し当て、そのまま強く抱きしめた。


「……もう、休ませてやれ」


 突然抱きしめられた驚きと、懇願するように口にした彼の言葉に、夕月ゆづきの動きが一瞬止まった。

 だが次の瞬間、悲しみが甦ってきた彼女は、彼の胸にしがみついて泣きだした。



 しばらくして、落ち着きを取り戻した夕月ゆづきは、覇夜斗はやとの胸から体を離した。

 そして、横たわる宇志男うしおの傍らに腰を降ろし、冷たくなりつつある頬にそっと手を添えた。


「……父上……」


 消え入るような小さな声であったが、覇夜斗はやとの耳には確かにそう聞こえた。





 今回、神殿を襲ってきた男達は、やはり新羅からの移住者だった。


『巨大な製鉄所と、そこで働く者達と家族が住まう村を作りたい』


 その要望を、神託を理由に退けられた彼らは、巫女である夕月ゆづきを亡き者にし、この国のまつりごとの仕組みを根底から崩そうとしたのだ。

 覇夜斗はやとは関係者らを全て処刑し、再び結束できないように、移民達を強制的に各地に分散させた。

 そしてそれらの処置を終え、落ち着いたところで、ささやかながら心尽くしの式を行い、宇志男うしおを弔った。




「お前は、宇志男うしおが父であることを知っていたのか?」


 葬儀を終えた夜、神殿を訪れた覇夜斗はやとは、夕月ゆづきを話があると回廊に誘い出し、単刀直入にたずねてみた。

 少し離れた場所では、侍女達が心配そうに二人を見守っていたが、足元を流れる小川のせせらぎにかき消され、彼らの会話は彼女らの耳までは届いていなかった。


「……はい」


 覇夜斗はやとに背を向け、欄干に手を掛けた夕月ゆづきは、夜空を見上げて小さく答えた。


「一体誰が」


 夕月ゆづきの出生の秘密を知る者は、今は自分達以外に誰もいないと、宇志男うしおからは聞いていた。

 だが、彼女に真実を語った者がいるとすれば、その者が外部にも吹聴する可能性がある。

 このことが民に知られれば、彼女の立場が危うい。

 そのような事態を招かぬよう、情報元を確認をしておく必要があったのだ。


「……母です」


 だが、彼女が口にしたのは意外な人物だった。

 息を呑む覇夜斗はやとに背を向けたまま、夕月ゆづきは話を続けた。


「最近になって母が枕元に立つようになりました。そして、私に教えてくれたのです」


「……」


「許されない人を愛してはいけないと……」 


 そう言って振り返った瞬間、覇夜斗はやとと目が合った夕月ゆづきは、固まって動けなくなってしまった。

 宇志男うしおを亡くしたあの日、抱き寄せられた腕の感触がにわかに甦ってきたのだ。

 冷酷だと思っていた男の手は意外にあたたかく、頬に押当てられた胸は父王に似て逞しかった。

 しばらくして、我に返った彼女は、赤くなった顔を隠すように再び身を翻し、夜空を見上げた。


「その言葉から、母が愛した人が宇志男あのひとであると悟ったのです」


 死者から聞いたなど、普通では信じられない話だった。

 だが以前、祈りを捧げる彼女から感じた尋常ではない霊力を思いだし、覇夜斗はやとはこのことが真実であると確信を持った。


「私の体には、禁忌を犯した両親の穢らわしい血が流れている。本来ならば、今のような立場にいることは許されない人間なのです」


 欄干を握りしめる夕月ゆづきの手は震え、その瞳からは涙がこぼれ落ちた。

 覇夜斗はやとは、そんな細い背中をじっと見つめていた。


「でも、この国を守るために、今しばらく巫女でいさせてください」


 欄干に寄りかかって泣く夕月ゆづきの隣に並び、覇夜斗はやとも星空を見上げた。

 巫女として、ただ一心にこの国を支えてきた彼女が、自分の出生の秘密を知った時の衝撃は、計り知れないものであっただろう。

 己の体に流れる血を忌み、巫女である資格がないと自分を責めながらも、後継者のいない状態では、真実を公表して身を引く事も許されない。

 そんな堪え難い苦しみと悲しみを、人知れず抱えていたのだと思うと、目の前にいる女が愛しくて仕方がなかった。


「愛し合う両親から生まれた。それは恥ずべきことではない。他人はどう言うか知らぬが、俺はそう思う」


 覇夜斗はやとの言葉に、夕月ゆづきはその場に一気に泣き崩れた。

 普段の凛とした彼女からは想像できない、弱々しい姿に愛しさが増し、思わず手を伸ばしかけたが、彼は拳に力を込めてそれを思いとどまった。

 今、触れてしまえば、彼女を妹として、巫女として、二度と見ることができなくなるような気がしたのだ。


『やはり、俺はお前を責められない』


 覇夜斗はやとは、星空のどこかにいるであろう宇志男うしおに向かい、心の中でそうつぶやいた。

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