第二話 異母兄妹 ※挿絵
岸壁に貼り付くように続く道を数日歩き、比較的波の穏やかな港町へ一行が到着すると、そこでは白木でできた船の小団が彼らを待ち構えていた。
岩礁で船底を傷めぬよう、沖合にとめられた船までは、浜辺に用意されていた小舟で近付いて行った。
遠目にも巨大に見えた船は、近付くほどさらにその大きさが実感され、覇夜斗は思わず言葉を失った。
「船をご覧になられるのは、初めてですかな?」
眼前に壁のように立ちふさがる船体を、背を仰け反らせて見上げる覇夜斗に、髭の男はそう言って笑った。
「ふん。これほど大きなものは見慣れていないだけだ」
慌てて表情を固め直した覇夜斗は、不機嫌気味にそう言い、改めて巨大な船を見上げた。
彼が生まれ育った山あいの国でも、もちろん船はあった。
しかしそれは、川魚漁に使用するためのもので、筏に簡単な帆を立てた程度の粗末なものであった。
(それにしても……)
冷静さを取り戻した彼は、構造を目に焼き付けるように、じっくりと船の側面に視線を走らせた。
(これほど巨大な船を建造するために、いったいどれほどの木材と人員が必要になるのか)
誰に教えられた訳でもなく、いつもの癖で咄嗟にその数を弾き出した彼は、改めて出雲の国力に舌を巻いた。
そして、そのような大国の王に、自分がこれからなろうとしているのだという現実に、身震いを覚えたのだった。
左舷側に陸を眺めながら進む船の旅は、想像以上の日数を要した。
冬の北の海は波が荒れ危険なため、天候がすぐれない時は最寄りの国に船を停め、回復を待つことを余儀なくされたのだ。
停泊中、身を寄せた出雲の支配下にある北海道(日本海航路)沿岸諸国において、覇夜斗は常に丁重に迎えられた。
中には今後の出雲との関係を考え、自分の娘を差し出してくる王もあったが、彼は側女を持つつもりはないと言ってそれらをすべて断った。
とはいえ、出迎えた各国の王はいずれも、初めて彼を目にした瞬間は、あからさまに戸惑いの表情を浮かべた。
白装束に垂らし髪。
王らしからぬ姿をした自分に対し、それでも王達はひれ伏すのか。
覇夜斗には内心、それを試してみたいという算段があった。
しかし予想に反し、髭の男が彼のことを正当な後継者であると説明すると、みな床に額を付け、忠誠を誓うのだった。
だがそれは、自分へ対する敬意からではなく、王達が髭の男へ寄せる信頼の賜物であることに彼は気が付いていた。
(こいつ、何者なのだ)
深く頭を下げる王と、それを静かに見つめる髭の男の横顔を横目に見て、覇夜斗はこの男に興味を持つようになっていった。
そうして過ごすうちに、頬に当たる海風が、徐々に優しく暖かみのあるものに変わっていくのを、覇夜斗は感じていた。
「順調にいけば、明日の夕刻までには出雲に着くでしょう」
舳先で海原を眺める覇夜斗の背後から、髭の男が声を掛けてきた。
この男は名を宇志男といい、覇夜斗とは近しい親族で、出雲国軍の長を務めているらしい。
初対面での冷酷な印象とは異なり、普段は温厚でおとなしい男のようだ。
だが同時に、彼が時折見せる鋭い視線には、一度持った信念は決して曲げぬという意志の強さが感じられた。
そんな宇志男に、覇夜斗も旅を共にし言葉を交わす内に、少しずつ心を許し始めていた。
長い髪を風になびかせ、振り返った青年を見上げて、宇志男は穏やかな笑みを浮かべた。
「夕月様も、あなた様が到着されるのを心待ちにされていることでしょう」
宇志男の言葉に興味無さげに鼻息を吐き出し、覇夜斗は再び彼に背を向けて水平線を見つめた。
父王には妃との間に、夕月という名の娘があると宇志男から聞いていた。
その者は、自分より数ヶ月のちに生まれたという。
つまり、母は異なるとはいえ、同じ父の血をひく彼にとっては唯一の兄妹だ。
だが、その事実を初めて知った時、彼はまだ見ぬ妹へ対する愛しさよりも、心の底から沸き上がる憎しみを覚えた。
(必ず迎えに来ると母に誓っておきながら、日を置かずに別の女を孕ませるとは)
やはり、母と自分は父に捨てられ、忘れ去られていたのだ。
そして、同じ父を持ちながら、自分たちが雪に閉ざされたあの国で、寒さと貧しさに耐えながら暮らしている間、その女が媛君としてなんの苦労も知らずに生きてきたのかと思うと、どうしようもなく恨めしかった。
海原を見つめたまま、黙り込んだ覇夜斗の背中を、宇志男は胸騒ぎを覚えながら見つめ続けていた。
宇志男が予想した通り、翌日の午後一行は出雲へ到着した。
沖に停めた船から小舟を使って岸まで移動し、覇夜斗は砂浜に降り立った。
海を背にして陸を眺めると、砂浜の向こうにうっそうと木々が茂る森が見えた。
「あの森の中に宮殿がございます。夕月様もそちらに……」
森を指差して言う宇志男の言葉を、覇夜斗は鼻を鳴らしてかわした。
そんな覇夜斗の様子をしばらく見ていた宇志男は、思い直したように深くため息をつき、今度は森の右側の空が開けた場所を示した。
「お疲れかとは思いますが、陽が沈む前に、あなた様に出雲の町を見ていただきましょう」
そう言って宇志男は、隊に先に兵舎へ戻るよう指示し、数人の兵だけを引き連れて、覇夜斗と共に町へ向かった。
兵に囲まれて歩く白装束姿の男に、道ゆく人々は驚き、足を止めた。
だが、まさかこのようないでたちをした者が、次期王であるなどと思うはずもなく、しばらくすると、みな首を傾げながらも自分の目的地へ向かって再び歩み出した。
そうして出雲の町へ足を踏み入れた覇夜斗は、思わずその場に立ち尽くした。
彼はまず、そこに立ち並ぶ家々の外観に驚かされたのだ。
彼の故郷では、縦穴に藁の屋根を被せた家屋が多く、彼の暮らしていた社も、床は高く上げられ規模はそれなりに大きかったものの、質素な白木造りだった。
ところがここでは、石でできた基礎の上に、朱や黒に塗られた柱と漆喰の壁、黒い瓦を屋根に葺いた家が立ち並んでいたのだ。
驚きを隠せないまま、町の喧騒に耳を傾ければ、聞き慣れない数種類の言葉が飛び交っていた。
威勢の良い声を発する商人らしき男達の髪を見れば、見慣れた美豆良の者もあるが、頭頂部で丸めて布でくるんだ者もいる。
身につけた着物も、麻や綿だけでなく、高価な絹製のものもあるようだ。
続いてそぞろ歩きする女達に目を向けると、色鮮やかな大陸風の衣装を身に纏い、美しく結い上げた髪に金や銀の簪を挿している者もあった。
その後、町から少し離れ、田畑を耕す者を見れば、その手には金属製の農具が握られていた。
その鈍色の輝きから、それが鉄で作られていることを知り、覇夜斗は目を疑った。
彼の生まれ故郷では、鍬や鋤といった農具はすべて木製だった。
固い土も掘り起こせる鉄製の道具があれば、農作業も飛躍的にはかどるだろう。
しかし、彼の国では兵士が持つ武器でさえ銅製しか見当たらず、貴重な鉄を農具に使うなど、考えられないことだったのだ。
「ここは新羅から近いこともあり、大陸から商人や移住者が次々とやってきます。そして、彼らが持ち込んだ技術によって、この国はこれまで繁栄してきたのです」
見るものすべてに目を奪われている様子の覇夜斗に、宇志男は少し得意げに言った。
だが、町の様子から目を離すことなく、覇夜斗は小さくつぶやいた。
「ここは本当に倭国なのか?」
確かに、ここには、他の国には無い文化や技術がある。
そして、この国に暮らす人々は、みなこの恵まれた環境を喜んでいるようにも見える。
しかし、異国の建物が立ち並び、渡来人が横行する町を見て、覇夜斗は何とも言えない危うさを感じていた。
眉を寄せて黙り込んだ覇夜斗を見上げ、宇志男は少し表情を曇らせた。
「巫女がいる限り、ここは倭国です」
「巫女……?」
問い返す彼の言葉を聞き流し、宇志男は踵を返して逆方向に歩き始めた。
「そろそろ宮殿に参りましょう。夕月様がお待ちです」
言い捨てるようにそう言って早足で歩く男の背中を、覇夜斗は首を傾げながら追って行った。
彼らが宮殿がある森の前まで来た時、すでに辺りは薄闇に包まれていた。
視線を上げると、群青の空に、漆黒の森が貼り付いているように見えた。
武装した兵が両脇を固める森の入口をくぐり、覇夜斗は宇志男に続いて暗い小道を歩いて行った。
木々によって隔たれたこの森は、先ほど訪れた町の喧騒が嘘のように、静かな空間だった。
微かにふくろうのむせぶ声が聞こえるだけで、あとは兵達の地面を踏みしめる音と、鎧がこすれ合う音しかしない。
それでいて、小道を取り囲むように立つ木々や、足元に生える草の間からは、何者かが息を殺してこちらをじっと見つめているような、不思議な感覚を覇夜斗は感じていた。
それは、社を司る者として育てられた彼だからこそ感じられる、神聖な空間にだけ宿る神の気配だった。
木々に覆われ、夕暮れと共に闇が深くなった小道に、先頭を歩く兵の持つ松明の灯火だけがゆらゆらと揺れている。
そんな炎を追って森の最深部までやってくると、そこには開けた場所があり、床の高い巨大な宮殿がそびえ立っていた。
その想像を上回る建物の大きさに、覇夜斗は息をのんだ。
建物の周囲を取り囲むように置かれた松明に照らし出され、宮殿はより壮麗に見えた。
町で見たような大陸風の華やかな彩色はなかったが、時を経て色合いに深みを増した白木の壁が、重厚で神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「ようこそ、お越し下さいました」
ふと、澄んだ女の声がして、覇夜斗は宮殿に向けていた顔を声の主の方へ動かした。
するとそこには、自分と同じ年頃のすらりと背の高い女が立っていた。
裾の長い白い衣を纏い、額に純白の帯を巻いたその女の顔を見た瞬間、彼は息が止まりそうになった。
切れ長で、長い睫毛に縁取られた漆黒の瞳。
滑らかな白い頬にはらりとかかる、どこまでもまっすぐな艶やかな髪。
覇夜斗はこれまで、女に対して心から美しいと思ったことはなかった。
だが、今目の前にいるこの女の美しさは、そんな使い古された表現だけでは足りないと彼に思わせるほど、心を激しく揺さぶっていた。
「覇夜斗様、こちらが出雲国王の第一王女にして、この国の巫女、夕月様です」
彼女を紹介する宇志男の声も、覇夜斗にはどこか遠くから聞こえてくるように感じられた。
(こいつが……この国の巫女?)
自分を見つめる熱い視線に、夕月も少し戸惑うような表情を見せて、わずかに視線を逸らした。
その仕草に、覇夜斗の胸は一層熱くなった。
(そして……こいつが俺の妹……)
憎しみを抱いていたはずの女を目の前にして、覇夜斗の中で得体の知れない感情が激しく渦巻いていた。