挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
スタイリッシュ武器屋 作者:弘松 涼
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

116/145

115 古き友

 カノンの去った伊藤の武器屋では――

 ヴェルザークは静かにじっと一点を見つめていた。
 カノンが去った戸の向こうを。

「グゥ……」

 おもむろに手を口に当てたかと思うと、青い血を吐く。
 伊藤は静かにハンカチを差し出した。

「すまぬ。伊藤……」
「いえ」


 ヴェルザークはハンカチを口元にあてた。
 その表情は先ほどまで見せていた、恐ろしいまでに口角を釣りあげて恫喝していた鬼神の姿ではなかった。まるで憑き物が落ちたかのような穏やかな表情で、カノンが消えた先を見つめていた。

「……成長したな、カノン。私が使ったのがひのきの棒タクティクスゼロでなければ、今頃……」

「ご謙遜を。確かにカノン様には秘められし力、そして才能もございますが、しかし、まだまだあなたとの実力の差は天と地。あなたが経験してきた長い時を、数日かそこらで超えられる者など、この世界中探してもどこにもおりません」

 伊藤はヴェルザークの口元をチラリと見、「ただ、その病さえなければ……」と続けた。


 ヴェルザークは隅の椅子に腰を掛けた。
 少し咳き込む。

 伊藤はテーブルの上にそっと水を置いた。
 しばらくして落ち着いたのだろうか、グラスに口をつけると、細めた目でカーテン越しに外を見つめ、遠い昔話でも思い出したかのような眼差しで語りだした。

「私には古き友がいた。彼も晩年、同じように苦しんでいた……。少し遅れて私にもやってきただけなのだろう。そう思うとこんな病ですら愛おしく思える」


 伊藤は静かにショーケースからひのきの棒を取り出すと、丁寧に磨き始めた。別に無視をしているわけでもなく、ごく普通の業務をいつもの調子で流れるように淡々とやっているだけ。
 その姿はまるで長年の友と、ゆっくりとした時を過ごすかのようだった。


「なつみは逝ったか……」
「そのようですね」


 なつみの死――
 ヴェルザークは自らの魔力で植え付けているのだから、当然の如く分かる。
 そして伊藤にも、その優れた洞察力により分かってしまう。

 盲目のカノンが自在に動ける。
 それは即ち、そういうことである。


「かつては些細な事でも涙を流せた。だが私の心は乾ききったようだ……。彼女の為に泣いてやることすらできなくなった」
「気に病むことはございません。あなたは少し泣くことに疲れただけなのですから」

「泣くことに疲れる?」
「はい。疲れたのです。泣いて気持ちが収まるのは、当の本人だけですから」

「泣いても供養にならぬと言っているのか?」
「いえ、疲れただけです。たくさんの死を真正面から立ち向かわれたのですから――」


「そうか……。
 だが、果たして彼女は幸せだったのだろうか……」

 
「あなたは少し欲張りすぎのようですね」


「欲張り? どうしてそう思う?」
「幸せという概念は、本人が感じるか否か。押し付けるものではございません」

「ふ、相変わらずだな」

「どんなに恵まれていてもいつも自分は不幸だと言い張る者もいれば、如何なる苦境に立たされても幸福を感じている者もいます。ですがそれは個人の価値観。他人がとやかく介入する範疇ではないと思います。
 あなたが世界中の苦しみを一人で背負い、天を仰いで嘆こうが、わたくしがとやかく言わないように」

「ふふ、なるほどな。だが思うのだ。もっと良い選択肢はなかったのだろうか。この選択が本当に良かったのだろうか、と」

「あなたは最善を尽くした。
 その結果が、今この瞬間。
 もし最善を尽くしていなければ、今がありませんでした。
 ただそれだけのことです」


 今――
 それは

 ヴェルザークはカノンの両親を殺し、カノンに不幸なるカルマを植え付けた。
 それだけではない。
 結果、なんとか救おうとしたなつみまで死んでしまったのだ。
 彼女はクラスのみんなに苛めらていた。
 そんな彼女は、貧しい生活を虐げられていた。
 父は失踪し、母は寝たきり。
 夜は過酷な労働環境に従事していた。
 それなのに、クラスのみんなを大切に思っていた。
 そんななつみは、カノンの手にかかって死んでしまった。

 それはすべて、自分の行った結果。

 いくら伊藤にそう言われても、気など晴れるはずもない。
 ただ、こうなる事は分かっていた。
 そしてこれから起こりうる未来も。
 いよいよこれより、最期の大詰めに出ようとしている。
 善良な心を持つ伊藤の弟子達に、殺人野球の精神を植え付けなければならない。
 そうすることにより己の目指すすべてが完結する。

 それしかない。
 もはやそうするしか……

 もし泣けたら、どれだけ楽だろう。


「なつみ様が幸せだったか、否か。
 わたくしには到底分かりかねます。
 それはなつみ様の物差しで測るしかございません。
 ただ――」

「ただ?」

「もしそれを知る者がいるとしたら、それはカノン様です。
 どういう形にしろ、結果、なつみ様の最期を看取ったのはカノン様なのですから。
 人のすべては死の姿で決まると言います。
 どういう最期を遂げたのか、それを知っているのはカノン様だけなのですから」

「……だが、カノンはなつみの事を何も知らない。だから何の感情移入すらない筈だ」

「確かにそうです。
 ですがもしカノン様がなつみ様の本心を知る時が訪れたら、あなたは……、否、あなた達と言った方が正解かもしれませんね」


 そこまで言うと、伊藤は一度眼鏡の中央に指をあて、ゆっくりと言葉を綴った。




「――もしカノン様がなつみ様の本心を知る時が訪れたら、あなた達は、すべてのしがらみから解き放たれ如何なる苦しみをも乗り越えられます」





「それはどういう意味だ?」

「深い意味はございません。
 言葉のとおりです。
 すべてが終わると申しておるのです」

「終わる?」

「その代償として、同じ志しを持つあなた方の誰かが壊れ、そして誰かが絶命します」


 ヴェルザークの目は大きく見開いた。
 伊藤の言葉には、このような意味があったからだ。
 すべてを完結させるには、誰か一人の命が必要と。


「……そうか。
 それはいい。
 すべてが終わり、皆が幸福になり、私一人が死ねば」


 ヴェルザークはまた強く咳き込んだ。
 だがそれほど苦しそうな表情はしていなかった。
 むしろ笑っていた。
 歯を見せて、笑っている。
 すべてが終わった時、消えてしまうのは私だ。私が一人消えれば……
 その前に、なつみの最期の意思をカノンに伝えてやりたい。そうすることにより、いささかの心の葛藤こそ生まれるかもしれないが、二人の心は救われるに違いない。
 そして私は死ぬ。



 もしかして、そのように思っているのだろうか。
 だから遠くを見つめ、目を細めて笑っているのだろうか。



 だが。
 伊藤が寂しそうに窓から見つめている先――それはカノンが歩き去った方角のようでもある。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ