奴が死んだ。
二年三組十四番、野島 圭吾。
ここは奴ん家。葬式中。
変な感じだった。広くはないが、決して狭くない一軒家の空間に奴の関係者達が犇いている。
クラスメイト達や奴と親しかった連中などは家屋の中側に。それ以外は外で。
―――はて。
『それ以外』な連中が態々時間を割いてまで遣って来たりするのだろうか?
俺は確かめたくなって、外に出た。
口実なのは解かっているさ。
十分。
/*/
外は暑い。
夏の日差しがギラギラとコンクリートで舗装されきった地面を熱し続けている。
「…………」
それは夏休み真っ只中の出来事。
奴はグラウンドの端で倒れていた。
日蔭を求め。その足取りは覚束なく。フラフラと。辛かっただろうに。気持ち悪かっただろうに。息は絶え絶え、視界が朦朧とし、やがて歪曲に蹂躙され、世界が暗転していく。
かくして彼は、深遠の淵に落ちた。
皮肉にも、それを発見したのは、奴と交際していた我が部のマネージャー。
(………佐奈ちゃん?)
サッカー部マネージャー、若村 佐奈。
グラウンドを使用している各部部員のオアシス。皆、彼女を「佐奈ちゃん」と愛を込めて呼んでいる。そうせざるを得ない愛くるしさが彼女の全身から滲み出ているのだ。
佐奈ちゃんと奴との交際が発覚したとき、奴は部の私刑にあった。
俺も泣いたよ。
ヘッドロックを掛けられ、脳天をタコ殴りにされている奴を見て、佐奈ちゃんも半泣きになっていた。社交辞令だ、という事を皆が説明したら、彼女は困ったように、しかし幸せそうに笑った。
ま、その笑顔が役得ということで、その時の奴は仮釈放された。
「佐奈ちゃん」
それは、見たことのない彼女の表情だった。
あの時の笑顔も。今の悲愴も。
「佐奈ちゃん」
俺はもう一度呼びかけた。
家の前。そこから三十メートルほど離れた場所。角を少し曲がった電柱の蔭。長い黒髪。
そこに佐奈ちゃんが居た。三角座りで、自分の折れそうな身体を抱きしめて。
反応無し。
そうか。
俺がかける言葉は、存在し得ない。
解かりきっていたのに。
俺は自分の愚挙と浅墓さとに後悔した。
ごめんな、佐奈ちゃん。
「俺………ちょっと、出てくるわ」
そう言い残して、俺は足早に逃げる。
怖いものを見た。そんな気がした。
/*/
カラダは、いつだって求めている。こんなときだって、腹も減るし、咽喉も渇く。
コンビニで買ったアクエリを直ぐに飲み干して、俺は空を見上げた。
チカチカする太陽光を手で遮り、天に群雲を確認する。
青と白とが7:3の割合で遥か頭上にひしめいている。向こうの山の更に向こうから、入道雲がのっさりと湧いてきている。
さて、青が白に侵食されるのは、時間の問題なんだろう。
白が犯す。青春が白紙に。全てが無駄に塗り潰される。俺らの間には黒い禍根しか残らない。
「………はあ」
溜息を吐いて、俺は駐車場の車輪止めに座った。コンクリートが焼け石のように熱かったが、今は立つのも億劫だった。
20分くらい、そのままでいた。
コンビニの店員は何も言ってこなかった。涼しい店内からクソ暑い炎天下にわざわざ出てくるのがきっと面倒なのだろう。まあ、店の中で立ち読みしていないだけマシだと考えてほしい。
おかげで髪が即席カイロ顔負けに熱いし。
「………あちぃ」
あ、やっぱ店に入ろう。
何かの意地がぽっきりと折れ、ふらふらと立ち上が―――ろうとしたところで。
「ん?」
一つの人影が俺に掛かった。
中途半端に膝を曲げた格好で、俺は顔を上げた。
「あ………」
佐奈ちゃんが、そこに立っている。
「ぁ、あ」
あ、って何だよ、俺。
―――グルグルする。
何か、言わなきゃ。
―――コトバはイミをナしてくれない。
じゃあ、何をすればいいんだ。
――――――――――――。
え?
―――ナニも―――――――。
あ………そうか。
―――何も、しなくていい。
「あっついねー、しかし」
そんな言葉を吐いた。そのまま立ち上がる振りをして、彼女の顔を見ないようにした。馬鹿か、俺は。
「俺は、ほら、コレ。咽喉が渇いてさ」
と言いながら、アクエリの空になったペットボトルをアピールする。これも馬鹿だ。八つ当たりでそれをゴミ箱に投げ込んだ。
そして、手持ち無沙汰になる。ついでに言葉もなくなる。ここぞとばかりに蝉共が自己主張してくる。
みんみんみんと、奴らが鳴く。
意味のない音。自身の存在証明。最後の時まで、せめてもの証を。
あいつは、何かを残せたのだろうか。
あいつは、もっと他にやりたいことがあったのではないだろうか。
あいつは。あいつは。あいつは。
―――俺の何かを抱えてくれていただろうか。
思考がぐるぐると巡る。一周して、二周して、三周して。それでも答えには至らない。当然だ。答える者は、もう居ないのだから。
「―――の、――――って」
感じたのは、不快な違和感。
歯車が異物を咬んでしまったかのように、循環する思考が停止する。
何だって?
今、佐奈ちゃんが何か言わなかったか?
ありえない言葉を、彼女は今、発しなかっただろうか?
そう、それはまるで―――
「私の、恋人になって」
若村佐奈は再び言った。
そうだ。そんな感じに聞こえたんだ。
音を聞く。脳でその意味を租借し、解釈する。
いや、間違いだ。ありえない。理解できない。
再試行する。
繰り返して繰り返して、いくら繰り返しても―――
若村佐奈が言った言葉は、一つの意味にしか辿り着かない。
「私の、恋人になってください」
彼女は三度そう言って、頭を下げた。いつもの艶を失ってしまった髪の毛が地面へと垂れる。
どうして。
「ど、どうしたんだよ佐奈ちゃん」
思いがけず、問いかける。
しかし、彼女から返ってくる言葉はない。
戻る気配が一向にない姿勢が、無言で、欲しい言葉はそれではない、と語っている。
どうして。
「なんで、そんなことが言えるんだよ………」
徐々に、俺の中で感情が込み上げてくる。
それはとても複雑で、自分の許容範囲内で処理できるようなものじゃない。
感情を消化しきれずに、とうとう俺はそれを吐き出した。
「―――気持ち悪い」
「どうしてっっ」
弾けるようにして顔を上げる若村佐奈。
それは、見たことのない彼女の表情だった。
歪んでいる。
「あなた、いつも私のことを見ていたじゃないっ」
人は、ここまで心情を顔に出せるものなんだな。
そう思った。
「嘗め回すようにして、見ていたじゃないのよぉっっ」
特異的に同情できる。だけれども、その悲しみには応えることはできない。自信もない。それ以前に―――
生理的に、受け付けない。
駄目だ。ここには居られない。
胃の辺りからこみ上げて来るものを抑えながら。
俺は、その場から走り去った。
/*/
部の監督とコーチは解雇された。関係ある教職員一同は、メディアへの対応と奴の親族への謝罪に追われているらしい。
全校生徒には運動中の安全管理に関する講習会が行われた。あと、無闇にメディアへのインタビューなどに答えないように、とのお達しもあった。
何人かのチームメイトが部を去った。逆に何人かは、奴の死を乗り越えて頑張ろう、と思い定めたらしい。俺は惰性で後者に属した。
若村佐奈は―――我が部のマネージャーを続けている。
皆、彼女を「佐奈ちゃん」と愛を込めて呼んでいる。そうせざるを得ない愛くるしさが彼女の全身から滲み出ているのだ。
グラウンドに立って、空を見上げる。入道雲がのっさりと湧いてきている。
さて、青が白に侵食されるのは、時間の問題なんだろう。
白が犯す。青春が白紙に。全てが無駄に塗り潰される。俺らの間には黒い禍根しか残らない。
|