その刃、蒼く。-Living Bible-(4/37)PDFで表示縦書き表示RDF


その刃、蒼く。-Living Bible-
作:D



第三話 ホーリー・ベル




 その歌は福音となり得るのだろうか。

 聞こえてくるのは、魂を震わすような――それでいて穏やかな聖歌隊の歌。

 そこは小さな民家なら二つほどまるまる入ってしまいそうな広さを持つ講堂。窓は一番奥の天井に近く高い位置にある巨大なステンドグラスのみで、それには翼を持つ女神ファーティマが描かれている。陽光が差し込むと女神が輝きを放ち神々しさを演出していた。入り口から奥まで列席が続き、満席とはいかないまでも多くの信徒たちが手を合わせ静かに祈っている。

 偉大なるファーティマ教の総本山たる、神聖王国スクラドの首都ジールが誇る大聖堂――<太陽の祈り>の時間は厳かに過ぎていく。

 今日は<天の日>というファーティマ教では大事な日だった。天は女神ファーティマそのものであり、いつもより念入りな祈りを捧げなければならない。昼と夜の二回に分けて長時間の集会が行われる。

(しかし悪い予感がする……これは神の啓示か? まさか、それはない)

 大司祭ウィズベルは、信徒に悟られまいと心中で皮肉気に呟く。

 位の高い聖職者の証たる白い外套に身を包み、初老というのにはまだ少し早い程度の皺を顔に刻んでいる。肉が垂れて瞳が見えない柔和な表情は怒っていても悲しんでいてもあまり変化はない。

 それでも、と彼は思う。

 それでも列席を前にする教壇で祈る彼は信徒の代表なのだ。自分が歓べばみな歓ぶし、悲しめばみな悲しむ。だから易々と心を出してはいけないのだ。

「司祭様」

 不意に呼びかけられ、ウィズベルは顔を上げた。

 そこには二十歳にもまだ満たない少女が立っていた。身を纏っている青い外套は彼女が尼であることを教えた。

「今は神聖な太陽の祈りの最中だぞ、シスター」

 ウィズベルは声を荒げたりしないものの、叱るように言った。

 例え、祈りが"形式的"なものであっても、信者である以上それを冒涜してはいけない。ましてや尼や僧なら尚更のことである。

「お許しください……しかし、どうしても今、お話すべきだと思ったのです。いえ……そう感じたのです」

 少女は一瞬、申し訳なさそうに目を伏せたものの、すぐに真っ直ぐな瞳で言った。

 信者は強い――こんな幼い少女でも迷いのない眼差しを向けてくる。

 彼女の真摯な言葉にウィズベルは耳を傾けた。

「……わかった。して、何を話したいのだね?」

「危険が迫っています。声が……声が聞こえたのです。ここから逃げなさい、と」

(悪い予感が、当たったな)

 信仰深い者は時折、その強い信仰から"神の奇跡"を作り出すことがある。

 天使を見る者、血が葡萄酒に変わったと言う者、神の言葉を聞く者……これらは強すぎる信仰故に一種の催眠状態から幻覚や幻聴が引き起こされるのではないかと、ウィズベルはそう考えていた。

 少女の言葉を聞いた信徒たちがざわざわとどよめき始める。不安が伝播したのだろう。それとも、不安はみな最初から感じていたのかも知れないが。

「落ち着きなさい、シスター。そして神の子たちよ。案ずることはない。全ては神のご意思。神は我らを見守っていて下さる。そのために毎日祈ってきたのではないか」

 ひとつ、嘘をついていた。神が我らを見守っている――これは嘘だった。

(神が世界を創造して人間や動物を創ったとしても、ひとつひとつ見守っているなどということはない)

 彼の心は続ける。

(生きるのも、死ぬのも、全てそれぞれの運命。神が本当に見守っているのなら戦争も飢餓も災害もあるはずがない。しかし、それを知ってどうなる?)

 それは苦しみ。
 民は先の見えない日々に不安を覚え無駄に苦しむだけだろう、ウィズベルは確信していた。

(ならば例え欺瞞だろうと言ってしまおう。民が安心して生きられるならば。それが使命なのだから)

「さあ、祈ろう、神の子たちよ!」

 いつの間にか止まっていた聖歌が再び歌われる。

 信徒たちはみな手を合わせて祈った。この祈りが巨大な力となり、世界が平和になるならどんなに良いことか。

(神がいないのなら創ってしまえばいいのだ――彼らはそう言っていたな)

 彼がまだ少女と同じ年の頃、彼らに出会ったときのことを思い出す。

 あの時から、ウィズベルは信じるのを止めてしまった。初めから信じていなければ、迷うことさえない。しかしその振りならいくらでもできる。それを一番うまくできるのは自分だと信じていた。だからこそ、いまの地位に就くことができたのだろう。

(全ては神のご意思。そう、ある意味ではそうだ。全て予定通りに進んでいる。良い、悪いは私には判断できんが。世界が平和であれば、それでよい――)

 大勢の敬虔なる信徒たちの前で、大司祭の声のない懺悔はいつまでも続いていた。 












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