その刃、蒼く。-Living Bible-(32/37)PDFで表示縦書き表示RDF


その刃、蒼く。-Living Bible-
作:D



第三一話 ホワイト・アウト


 仰げば、厚く垂れ込めた黒雲。

 見渡せば、疎らな人並み。

 大通りは普通、活気があって然るべきだ。都市というのは巨大な人体にも例えられる。縦横に伸びる街路は毛細血管。中央を貫く大通りは大動脈。血の代わりに人が流れているはずだが、それは少なかった。

 街並みは整然としていて美しいとも言える。

 しかしそこに人々の活気がなければどうしても寂しく見えてしまうのだ。

「外にいれば凍えてしまうものね」

 シェラは呟きと共に白い吐息を漏らした。

 大陸の北方に位置する帝国首都ティルナノーグ。街は白い雪化粧に包まれていた。こうしてる間にも粉雪が落ちてきて、いっそう気温を下げている。

(結局、戻ってきてしまった)

 自分の選択が正しいのか自信はない。

 何もかも絶望していた自分は、消えることを望んだ。帝国も弟も忘れてどこかでひっそりと過ごすつもりだった。もう、戦争も殺人も裏切りも懲り懲りだったから。

 ざく、ざくと降り積もった雪道を踏みしめる。

 見上げると大通りの向こうに皇帝宮殿が聳えていた。雪に覆われて白く輝いているようにも見える。いっそ、凍り付いて皇帝もろとも封じてしまえばいいのに。シェラはそんなことを考える。

「皇帝……」

 考えて見れば、全て皇帝のせいだ。

 戦争が起こったのも、人が死んだのも――弟が裏切ったのも。

 皇帝ザラスシュトラさえ存在しなければ、何も起きなかったに違いない。そうだ。本当なら自分は暗殺者にはならなかったし、魔法使いは排他されていたし、家族みんな一緒に街で平和に過ごしていたはずだ。

「皇帝が憎いかね?」

「っ!?」

 思わず身構える。

 いつの間にか男が目の前に立っていた。全く気配を感じることはできなかった。

 思い耽っていたのは事実だが、進行方向に人がいるのも気付かないほど間抜けではない。それに、魔術師を倒すために訓練してきた自分に気取られないように近づいたこの男は只者ではないと、そう直感した。

「まさか皇帝を討とうなどと考えていたのかね?」

 男はさらに問いかける。

(この男、見覚えがある。どこかで会っていたはず)

 初老には少し早い皺を顔に刻んだ壮年の男。肉が垂れて瞳が見えないほど柔和な表情を浮かべた顔。雪景色に混じるような白い外套は位の高い聖職者の証。

「自信はあるのかね?」

「あなたは……ジールの司祭?」

 新しい問いに問い返す。

 男はあのジールの襲撃戦で聖堂にいた司祭だ。どこか異質な雰囲気を漂わせているが、見かけだけなら間違いない。脅え切って聖堂に一人閉じこもっていたあの司祭。

「かつてはそうだったな。名前はもはや意味を持たないが、ウィズベルと呼ばれていた」

「……?」

 司祭――ウィズベルは疑問に素直に答えた。

 だがその言葉は謎を余計に深めた。いまの自分は別の何かだとでも言うのだろうか。

「私は敵でもないし、味方でもない。だが君の邪魔はするつもりはない。ただの興味だよ」

 ウィズベルは柔和な顔をさらに潰して微笑む。

 それは質問の意図を説明したのだろう。だがシェラは彼を信用するつもりはなかった。

「もう騙されるのはたくさん。何を企んでるの?」

 そう言いながら、短刀を引き抜く。

 しんしんと粉雪の舞う中、青く光る武器を手にする少女と微笑む司祭。その姿は些か異様であっただろうが、誰も気に留める様子はなかった。皇帝と魔術師の監視下にある街で生きる民は賢明だった。そう、厄介ごとに関わるのは愚か者だけなのだ。でも、愚かなのが悪いこととは限らない。

「神はいると思うかね?」

 ウィズベルは差し向けられた刃を気にせず問う。

 馬鹿にしているのか? この司祭は。しかし、そんな様子は微塵もないと知っていた。嘲りも哀れみも怒りも脅えも存在しない。この司祭はそれらをまるで忘れてしまったかのようだ。

 人間ではない――シェラは咄嗟にそんな考えを過ぎらせる。

「あなたが神だとでも言うの?」

 シェラは試すつもりで問い返す。

 まさか本当に人間ではないと思ったわけではないが、その質問で答えがわかるような気がした。何故かはわからない。

「私は神の代弁者」

 その瞬間、シェラは飛び掛った。

 戯言を繰り返す司祭を黙らせるためで、殺すつもりはなかった。そして普通なら、相手は反射的に身構えたりするだろう。それは身を守るということ。つまり殺す方法があるということ。人間だろうと怪物だろうと、殺せるのなら問題ない。恐れる必要はないのだ。

「恐れる必要はない」

 蒼い斬撃が粉雪を切り裂いた。

 ウィズベルは消えた。そう言い残して忽然と消えてしまっていた。

 そして、その最後の言葉はまるでシェラの思考を読み取ったような台詞だった。偶然にしてはタイミングが良すぎる。

「幻でも、見てたのかしら」

 そう思いたかった。

 辺りには足跡ひとつない。

 彼が立っていた場所すら綺麗に雪が積もっている。後ろに点々と、自分が辿って来た軌跡があるだけだった。

「恐れる必要ない……そうね、そのとおりだわ」

 シェラは短刀の蒼い光に語るようにして呟いた。

 その研ぎ澄まされた刃に宮殿の姿を映して。












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