暗い夜の戸張の中に妖しく光る双眸の群れ。
それら一つ一つを蔑む様な視線で見下した晴明は懐から呪符を取り出す。
「舐めるな……餓鬼」
指に挟んだ一枚の呪符。それだけを手に持って、晴明は単身、小鬼の群れに飛込んでいく。
「………」
無言のままに、晴明は呪符を振るう。
鬼達の双眸の妖しさに勝るとも劣らぬ妖しき蒼白い炎を呪符は放ち、輝く。
闇夜を切り裂く蒼き一閃。
それは鬼の強靭な筋肉に包まれた肉体をいとも容易く断ち切ってしまう。
「………」
倒れる死体を目にする事もなく、晴明は鬼より恐ろしく、冷たく、そして危うい双眸を残りの鬼へとむける。
その眼光に恐れを成したか、鬼達は一歩後ろへと下がる。
その怯みが鬼達の命取りだった。
怯みに乗じた晴明は呪符を片手に一足飛びで身近の鬼へと斬り掛る。
傷口を炎で焼かれ、呪力により切り裂かれ、鬼は肉片へと成り果てた。
顔や服、全身に血を浴びても、晴明は顔色一つ変えずに歩を進める。
「くっくっ………」
歩が進む事に晴明の口の端が持ち上がる。目は狂気を宿した人ではない瞳。
「ははぁ……はっ……ははっ………」
闇夜に響く途切れ途切れの笑い声。
それは何かに歓喜するかの様な……それでいて、人在らざる者の……人外の猛る声のようでもあった。
懐に手を入れ、呪符を両手に持てるだけ持つ。
眼前にいる鬼共は晴明の殺気に当てられたかのごとく、たった一歩の距離を詰められずにいる。
その鬼共を嘲笑うかの様に呪符に呪を込め、塵でも払うがごとく呪符を投げつける。
呪符はもはや紙等ではなかった。鋼の如く……太刀の切っ先の如く鋭い斬撃となって、鬼達の体を切り裂いていく。
たった一瞬。一秒にも充たない僅かな時間で晴明はその場全ての鬼を調伏した。
地面に染み入るのはドロリとした、僅かに粘りけのある液体。
ゆっくりと……沈々と染み入っていく液体は、地面に全て吸い込まれる事なく、その場で血の池を形成した。
血の池に、夜空に輝く煌々と輝く月が、元は太陽の光を……つまりは“死んだ光”を静かに振り撒いている。
身の内に入り込んでくる死の気配。
ふと、晴明はその池に映った月を何気無く眺めた。
煌々とした月明かりの下、揺れている漆黒の髪――。
「くそっ!!」
脳裏を過ぎる偶像を振り払う様に晴明は池に映る月を踏み消した。
ジワジワと染み込んでくる鬼の血。
その不快感に耐えるように眉を潜め、晴明は歩き出した。
不機嫌な様子は変わりなく、だが、一度も血の池を見ることなく。更には、空に輝く月でさえも見ることなく、それらに背を向けて歩き出した。
……一度も振り返る事はないまま。
権力をいいように扱う者共の集まる陰陽寮。
漆黒の闇が周りを包み込み、月のヴェールだけが周りを彩る役を買って出ている様な夜も更けいった時刻。
本来なら誰もいない時間帯。そんな時刻に晴明は、陰陽頭に件の詳細を報告していく。
だが陰陽頭は不機嫌極まりない表情をしている。
その表情の理由を晴明は知ってか知らずか何も言わずにうつ向いたまま、じっとしている。
「汚らわしき妖かしの分際で、なぜこの神聖なる陰陽寮にいることが出来ると思うか、わかるか晴明よ」
微かな怒気を孕んだ声色。空気の振動を変えるその声は、陰陽頭の持つ感情通りに晴明へと伝わる。
「我は、都……世に仇成す怪異を討ち祓うべく存在する身……」
「ならばなぜ、あの女狐を逃したっ!!」
晴明の言葉は陰陽頭の怒声によって掻き消される。
「貴様ともあろう者が妖狐を逃す訳がなかろう!! しかも、相手は白面金毛九尾の狐。挑んだのであれば貴様とて無事なはずが無いっ!!」
怒りを表すかの様に陰陽頭の眼は見開かれる。
「……陰陽頭様、私は……」
なにと闘えばいい?
なにを殺せばいい?
口からでかかった言葉を晴明は無理矢理呑み込む。 自己の存在理由。
それすらわからなくなった。
途中で口を止めた晴明の言葉を謝罪か言い訳の言葉と取ったのか、陰陽頭は一度溜め息を吐くと、首を数度横に振る。
「晴明……次は無いと思え」
「御意」
じっと、うつ向き、板の目を漠然と眺めていた晴明は小さく返事を返し陰陽頭に背を向けた。
広い様で狭い様な薄暗い部屋。
その部屋の大部分を占めるのはあらゆる場所に積み上げられた本の山。
「…………」
床に座り込み、本を読む。その目が追っているのはつらつらと書かれた文字の羅列。
「俺の……存在……」
だが、文字はただの紋様としてしか認識されず、頭では別の思考が働いていく。
「母への……復讐」
昔、陰陽頭から聞いた自分の生い立ち。
それは、自分の母は狐の妖かしだと言う事。そして、その母は父を殺し、自分を棄て、そして、消え去ったのだと言う事。
それが、初めに抱いた妖怪に対する嫌悪感。
「それとも……使命」
幼子の頃から何度も何度も繰り返し言われてきた言葉。
それが、使命。
身体中を喰い散らかされた人々の骸。
醜悪で、嫌悪の念を抱かずにはいられない餓鬼共。
そして、繰り返し、繰り返し、陰陽頭の口から発せられた、一種の呪の言葉。
『人と妖かしとの間に生まれた忌まわしき仔。存在自体が厳悪なる罪。罪を背負うた者は罪を償わねばならん。わかるか、晴明』
耳を塞ごうと聞こえ続け、未だに夢に出てくる幼き日の言葉。
それは一種の洗脳のように、自分の中に浸透し、未だに縛り付けている。
「俺は……俺の……存在?」
『罪を背負うた禁忌の仔。貴様に自由などありはしない。貴様は人に非ず、妖かしに非ず。意志など持たぬただの人形――』
存在など、無かった。
自分はただの殺戮者。それで良かった。
摘むべきモノは人外の……自分の復讐の相手。
護るべきモノは……何も無い。
ただ、殺すだけの存在。
「俺は……人? 違う……。そうじゃない」
乱れる思考を抑えて、晴明は眼を閉じる。
段々と削がれて行く精神力と体力が、自分を追い詰めていく。
「俺は人形。俺は――」
疲れが一気に身体に来たのか、晴明は本を落とし、壁に背中をつけ、眼を閉じた。
「晴明、起きろ」
「ぅっ………」
誰かに揺り動かされる心地の良い振動。まどろみの中で晴明はゆっくりとその閉じた双眸を開いた。
「京蓮? どうして貴様が此処に……」
晴明は自分の眼の前に立つ自分と同じ陰陽師の衣を纏った男を不思議そうに見上げる。京蓮と呼ばれた男は神経質そうに頬をピクリと動かすと、口を開いた。
「陰陽頭様からの言伝だ。明日の日が沈む時刻までにある鬼を調伏して欲しいとのことだ。餓鬼などの小物の怪異ではない。今までのものより強大な……お前が取り逃がした狐同様の力を持つと謳われる妖かしだ」
詳細は陰陽寮にて陰陽頭がいつものように話すと言う事だった。それを聞いて晴明は何も言わずに立ち上がる。その目は何を思っているのか探ろうとした京蓮だったが、その瞳からは何も推し量る事など出来なかった。
日の光を浴び、輝くようにその姿を周りに知らしめる陰陽寮。その夜とは違う景色に晴明は思わず光と言うものの偉大さを身に感じた。
だが、その感動もすぐに忘れ、なぜこの場に来たのかを晴明は思い出す。それを思い出した晴明はすぐに使命を果たすべく、その歩を進めていく。
庭では、散り掛けの桜の花が、ひとひら舞い落ちた。
「―――と、言う事が貴様が討たねばならぬ怪異の詳細だ」
陰陽頭が口を開く。晴明は何も言わずにただその言葉に耳を傾ける。内容は最近都に起こる不可解な地震の原因を突き止めよということだった。
――楽な仕事だ。
晴明は心の中で呟く。だが、全く持って反応を見せない晴明をみて、陰陽頭は口を開く。
「失敗を許すは、一度まで。二度目はないぞ」
「御意――」
晴明はなぜか渇ききった心で返事をした。その声はどこか歯切れの悪い韻となって吐き出された。
陽は未だに高いのに、人の声がやみ、蟲が鳴きやみ、風さえも吹き止み、全ての生命が動きを止め、眠ってしまったかのような不思議な沈黙に包まれていた。
――……ん……あさん……お母さん………
子供の泣き声が、道に響き渡る。その子供の周りには四〜五人の子供達が輪を作って取り囲んでいる。
――お前なんて、どっかいっちまえ!
――親なしっ、家なしっ!!
子供達はその一人の子供を囃し立てている。子供達の中には石を持っている子供すらいる。だが、大人たちは何もしない。ただ、見ているだけ。
――ほら、あの仔が……
――あぁ、あの。
――気持ち悪いわぁ。ほら、だって親が■■ですもの。
――だから、捨てられた時殺せばよかったのよ。ほら、見てみなよ。アレは人の子じゃないわ……
大人達は遠巻きに子供を見てはひそひそと言葉を交わしている。
――アレは人の子じゃないわ……
バケモノノコヨ――
「ハッ……ハッ……ハッ………」
前のようにまた、本を読みながら寝てしまったのか晴明は座り込み、壁に寄りかかった体勢で目を覚ました。
「夢……か?」
久しく見る、昔の、陰陽頭に出会う前の晴明の記憶だった。思えば、昔は良く泣いていた。なぜ、嫌われるのかがわからず、なんとかして、人に認めてもらおうと躍起になった。今思えば、人としての優しさを欲していたのかもしれない。
「……我は安倍晴明。意志を持たぬ唯の人形」
晴明は呟く。自身の心の揺れを押さえるために。幼き頃から身体に打ち込まれ、束縛している陰陽頭の鎖の如き呪詛の言之葉を――……。
「優しさなど……いらぬ……」
忌々し気に呟くその脳裏に浮かぶのは果たして……。
まだ見ぬ母の幻か、それとも未だに心の中を揺さぶり続ける者の見えぬ影か……。
開け広げていた戸から、音も立てずに夜の気配が広がり始める。そこから差し込むは漆黒の夜に浮かぶ三日月の月明り。
脳裏に浮かぶ幻影を払拭するかのように頭を二、三度振って立ち上がる。
晴明の足取りは覚束ない。未だに決心は決まらぬまま。揺さぶられた心のまま、晴明は歩き出した。
草木も眠る丑三つ時。その名に相応しき時間帯には、全ての物が眠りについたかのような静けさが辺りを支配している。
何者も破る事が赦されぬ絶対の静寂。聴こえるのは微弱に流れ続ける空気の……大気の音だけである。
「丑三つ時に、牛に会うとはな」
だが、その何者も破る事が赦されない絶対の静寂を一人の若者が破る。その眼前に立ちはだかるのは牛の頭を持つ鬼。地獄の門を護ると言われる牛頭と言う鬼だった。
「地獄の門番が何用かは知らぬが、此処は生きとし生けるモノの住む場所。貴様の居るべき場所ではない。さっさと失せろ」
薄く口元に笑みを浮かべる晴明は眼の前の見上げる様な巨躯を持つ鬼に問い掛ける。だが、それは問い掛けと呼べるに相応しい物かは知らないが。牛頭は知能があるのか、晴明の吐いた言葉を聞き、牛頭はその顔を晴明へと向ける。
『貴様ガ? オ、俺ノゴドヲ呼ンダ奴ハ?』
「知らぬ。貴様など呼んだ覚えなどない」
耳を塞ぎたくなるような、聞くだけで背筋に悪寒が走るような声で牛頭は語り掛けてくる。その声色の気持ちの悪さに思わず晴明は僅かに眉根を寄せて、拳を強く握り締めてしまう。
『俺ノ、主人……ドコ?』
「知らん。貴様に聞きたいことがある。貴様が最近の地震の原因か?」
『ゾ……ゾウ。俺ガヤッタ。ソレガ命令。ソレガ使命』
「誰に頼まれた」
『ソ、ソデハ言エナイ』
「そうか」
『ア、後一ツ言ワレテイタ』
牛頭はゆっくりと拳を引き上げる。その拳はまるで一つの岩盤の様な堅さを持っていそうであるモノだ。だが、それを見ても晴明は動き一つ見せない。それ所か、足元で小さくステップを踏んでいる。
――左方に“青龍”、右方に“白虎”、前方に“朱雀”、後方に“玄武”……
小さく足でリズムを取り、ステップを踏むと、晴明は振り下ろされるであろう拳を不敵に見つめ続ける。
『邪魔者ハ、壊セト言ワレテイタ!!!』
全力で振り下ろされる巨岩の様な拳。
「護身隠形法“身固式”において――」
その拳は空気を切り裂き、晴明へと迫る。
「我を、守りたまえ」
その時、牛頭の拳が空中で停止する。それを見て晴明はクックと喉を振るわせる。そんな晴明を見て驚愕するのか、牛頭は開いた口が塞がらない。
『ナ、ナンデ?』
「ふん、貴様如きにコレを使うのは遣り過ぎたと思うたが。おい、牛。貴様は結界と言う物を知っているか?」
鬼の拳を止めながらも、全く動じない結界を張りながら、晴明は喉の奥底で嗤い牛頭を見やる。
「この結界は陰陽師の力を現す秘術中の秘術。四聖を使役し魔より身を護り祓う呪法。それがどう言う事かわかるか? 牛」
『?』
いまいち晴明の言う言葉を理解できない牛頭はただ首を傾げるような仕草をするしか出来ずにいた。その牛頭を晴明は蔑むような視線で射抜く。
「わからぬか。ならばその身で意味を体験するんだな」
晴明はゆっくりと眼を閉じるとその手で印をくむ。その瞬間、一度牛頭の拳を結界が押し返したかと思うと、その拳はゆっくりと霞が掛かるかのように薄く存在が希薄なモノに変わっていく。牛頭は驚き、その拳を結界から離そうとする。だが、身体はその場に凍りついたかのように動くことはない。それどころかその身体が結界に吸い込まれるかのように自分の意思とは関係なく近づいていく。
『カッ、カラダガァァアアァァァァアアアッッッ!!!』
「言っただろう。魔より身を護り、祓う呪法だと」
晴明の言葉など牛頭は最早聞いてはいない。なぜならその身は既に半分以上が消えかかっているからだ。その身はどんどん結界に吸い込まれ、身体は光の粒子となり、闇の彼方を仄かに照らす。その光景はまるで蛍……いや、光る雪と形容すればいいだろうか。頼りなさげな儚い光。それが闇の中に薄く灯り、すぐに漆黒の中に埋没していく。牛頭は最期の叫びとばかりに口を開くが、その断末魔さえ赦さないとばかりに声が発せられると言う事はない。
静寂の中にこそ存在できる絶対的な唯一の美しさ。それを下衆な叫びで邪魔をするな。と言わんばかりである。
牛頭の全てが光の粒子に変わり、残っている粒子が一掴み程度になったとき、晴明は口を開く。風はないのに粒子は風に煽られるかのように舞い踊る。
「苦しまずに逝け。それが俺に出来るせめてもの慈悲――」
――貴方は優しい人ですね。
晴明は自身の発した言葉に驚いたのか口を手で覆う。まる口から出た言葉が信じられないと言っているかのようであった。
――俺は今、何と言った?
自身に対する問い掛け。それほどまで自分が発した言葉が信じられないようだ。
「慈悲――だと?」
――異形相手に何を言っているのだ。慈悲など……掛けるものではない。
自身が発した言之葉により、今まで平静を装っていた心の波が激しくなる。頭の中に響くは唯一情けを掛けた異形の言葉。その言葉は何度も何度も心の中を揺り動かし、いつまでも心を穏やかにする事などできはしなかった。
拳を握り締め、何かを耐えるように晴明はその場に佇んだ。
天では散りばめられた星空の中に、青白い三日月が苦しむ晴明を嘲笑うがごとく、煌々と光を振りまいていた。
「そうか、今回の怪異は裏で暗躍する陰が居るか」
陰陽頭は唸るように声を上げた。それを聞き、晴明は小さく頷く。その頷きを見て陰陽頭は溜め息を吐く。だが、一時思案すると晴明を下げさせた。
「暗躍とは大層な者だ。その愚か者は」
老いてはいるがその細い眼の奥の瞳はいつまでも変わらない力を秘めている。その眼差しが見やる方向は一体何処か。それを推し量れる者は誰一人としていない。
ただわかっている事。それはこの老人がこの時代猛威を振るう陰陽師を束ねる陰陽寮の長であり、その権力は朝廷にさえも、国の政にさえも影響を及ぼすと言うこと。つまりは全ての物事がこの老人の手の平の上なのだ。
「牛頭……か、殺すには惜しい逸材だ。その陰陽師は」
魔を使役するその力。それも餓鬼などの低級な異形ではない。地獄を護る鬼。それを使役するには一体どれほどの精神力と魔力を要するか。その逸材の存在。それを陰陽頭は喜んでいる。まるで、新たな玩具を手に入れた子供のように。
「さて、この駒、どの様に使うか。なぁ京蓮?」
陰陽頭の呟き。それはこの場にいない者に対しての呟きだった。それは一体どういう意味なのか。それを知る者は本人以外いない。
わかる事は、自身を狙う者がいても、陰陽頭は全く動じてはいないと言う事だ。
陰陽頭は笑う。酷く楽しそうに。
自身が描いた歌物語通りに、駒が動くことを望みながら。
「どうすればよい」
全く持ってわからぬ不可思議な心の揺れ。それが晴明にはわからないでいた。どう動けばよいかも、どう対処すればよいかも。
「………」
一時の間、晴明は眼を閉じて、物思いに耽る。そして、行き着いたのはなぜ、この様になったのかと言うこと。全ての元凶、全ての始まりはあの時に自分が迷ってしまったから。
「………」
ならば、どうすれば良いかは決まっている。あの時の迷いを棄てればいいのである。あの時の迷いの元凶と共に。
晴明は何も言わずに立ち上がる。その瞳はどこか虚ろな光を宿していた。だが、それは一瞬の事ですぐにいつもの鋭い光を宿した瞳に戻る。して、その足は動き出す。ゆっくりと、一人の男の下へと――。
「はい。できたよお婆ちゃん。一応手当てはしたけど大人しく家で安静にしておいてくださいね。散歩ぐらいはいいですけどくれぐれも農作業なんかしないように」
「あぁ、ありがとうね若藻ちゃん。でも、大丈夫だよこのぐらい」
家……と言うより小屋とでも形容しようか。だが、それなりの広さを持っているのでやはり家と形容した方がいいのかもしれない。その建物の中に二人の女性がいた。
一人は腕に怪我をした老女。もう一人はそれを見ている二十歳を過ぎた女性。
「んじゃ、ありがとうね。このお礼にこんどなにか採れたらお裾分けしに来るよ」
「ありがとうございます。けど、無理はしないで下さいね」
老婆が家を出て行くと入れ替わりに子供達が家の中に入ってくる。
「お姉ちゃん遊ぼう?」
「今日はもう暇だろ?」
四から五人の子供たちが若藻に集まっていく。その子供たちを一人ひとり愛おし気に眺めてから若藻は口を開いた。
「そうだね。よし、お姉ちゃんと遊ぼうか?」
微笑みながら若藻は家から出て行く。その家の外には他の待っていた子供達が。その子供たちを見て、若藻は笑う。それにつられて、子供たちも笑っている。そこには鳥羽上皇の寵愛を受けていた玉藻を知る者はいない。それでも若藻は微笑み、ゆっくりと子供たちの手を引いて歩き出した。
まだ陽は高い。夕刻まで、へとへとになるまで遊べるだろう。
その平和な時を壊せる者は誰一人としていない。
そして、その事を晴明は知らない――。
忌み嫌われ怨む事しか知らない無の人間と、全てを包み込む優しさを持つ有の妖かしの邂逅の時は、もう、すぐその場まで迫っている。
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