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二度目の勇者は復讐の道を嗤い歩む 作者:木塚ネロ

閑章

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第11話 嗤う喜悦の復讐者

 
「ふぅ、ひどい目にあったのじゃ」

 赤頭はその真紅の濡れた髪と服を風の魔法で一瞬で乾かした。
 ファサッ、と広がる珠玉の髪を靡かせながら赤頭は一つため息を吐いた。

 そのやれやれと言った様子に少しイラッとして俺は突っかかった。

「おいこら、何をサラッと自分は関係ないみたいな顔してるんだ。お前が考えなしにあのデカブツぶっ飛ばしたせいだろ、もう少し俺に対して謝るとかしてもいいんじゃないんですかねぇ?」

「あー、はいはい、悪かったの、すまなかったの、ごめんなさいなのじゃ」

「ほ、ほほうっ、これだけの惨事を招いておいて全く誠意のない謝罪とは、いい性格してるじゃねぇか」

 あれから、俺たちは一つ前の部屋に戻って水場で徹底的に汚物を洗い流した。
 それはもう本当に大惨事だった。
 これまでも罠にハマって油みたいな粘液まみれたことは何度もあったが、アレは体に纏わりついてはいたもののその質感は案外サラッとしていたし、においもツバキ油みたいなものなのか、花のようないいにおいもしていた。
 おかげで髪がつやつやになったし、赤頭がそれを狙ってか知らないが何度かワザと罠にはまっていたのも知っている。

 だが、今回のあれは別物だった。そんなたちのいいものではない。

 あれはまさしくゲロだ、吐瀉物だ、酔っ払いの特殊スキルであるエクトプラズムだ。

 胃酸のような酸っぱいにおいの濃度を10倍にして一月発酵させたような強烈な刺激臭。
 大粒の砂利の混じった水あめのような、あのダイオウグソクムシもどきが消化中だったのだろう虫達のかけら交じりのネトネトとした肌を伝う感触。
 ショッキングピンクと黄土色と青紫がマーブル模様に交じった、硬直反応なのかビクビクと纏わりついたまま痙攣する肉片の色。

 どこかの法廷の弁護士も『異○なしっ!!』とでかい文字を背負いながら有罪判決に賛同してくれるだろう。

「おー、嫌じゃ嫌じゃ、ずぶ濡れになった美少女に無理やり謝らせて悦に浸ろうとは、もう犯罪者予備軍確定じゃの」

「人を巻き込んで汚物まみれにさせたお前は既に犯罪者だけどな」

 というか、俺だけ濡れたままなのが地味にイラつく。

「だから謝ったじゃろうが、まったく女々しい男じゃのぉ。ほら、乾かしてやるからいい加減機嫌を直すのじゃ」

 ブォッ、と吹き上がる風が俺の体を包む。
 ドライヤーに似た温度の熱風は、体から水分を蒸発させた。

「む、はぁ、もういいか」

 なんか釈然としないが、何時までもグチグチ言い続けるのがアレなのも確かなので黙ることにする。
 なんにしろようやくダンジョンをクリアしたのだ。守護者の間の奥には扉があったし、それを潜れば今度こそ外に出られるはず、……出られるよね? いい加減。
 まさかその扉を潜った先が本当の守護者の間とか言わないよね?

「と、とにかく早くここから出るとするか」

「そ、そうじゃな。行くとするかの」

 立ち上がり、再び守護者の前の扉に向かう俺の脳裏に一瞬浮かんだ嫌な想像を、同じように赤頭も抱いたようだった。

 そうだよな、疑いすぎだよな。いくらなんでもそれはない。しつこすぎるのは本当に嫌われるんだよ? うん。
 いや、まったく疑念を捨て切れてない時点で立派に調教されまくってる気もするが……。

 だが、そんな俺たちの疑念を、このダンジョンはいつでも予想外の方向に裏切ってきた。
 それも予想の斜め上の方向に。

 そして、それはまた今度も同じことだった。
 守護者の間の中、部屋の奥にあった扉を開けることなく、

『ギシャギシャギシャ』『グジジァ』『ゴジュルルル』
『ガササッ、ガサッ』

 その前の守護者の間に入る観音開きの鋼鉄の戸を静かに占めることになった。

「ナンデダァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「ナンデジャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 ダンジョンコアを破壊しない限り、守護者の間のボスが復活するのは分かっている。だが、こんなに早く復活するわけがない。というか、よく考えたらダンジョンコアが見当たらなかったのだけれど、どういうことなのか。

 考えても答えが出るはずもなく、俺たちは再び虫たちを殲滅する作業に従事することになった。

「「死ねぇええええっ、こうめえぇえええええええっ!!」」

 ……全く関係のない、偉人への罵声と共に、怒り狂った俺たちによって、虫たちの殲滅速度が倍になったことをここに記して置く。


                ☆


「「次はどんな罠じゃゴラァアアアアアアッ!!」」

 半ば発狂気味に飛び込んだ部屋は静寂に静まり返っていた。

 怒りでいろんなものを振り切った俺たちはそれこそどこぞの無双ゲームのような勢いで虫を駆逐して守護者の間を文字通り沈黙させた。
 うるさく騒ぐ虫を全て潰し、卵は孵化すらさせずに一刀両断した。

 そして俺たちはなんでもこいやの精神のまま、部屋の奥の扉を蹴り開けてその次の部屋に入り込む。
 そこは今まで何度も見てきた殺風景な四角い立方体の部屋。

「やっぱり出口じゃねぇっ!!」 

「今度はなんじゃっ!! 落とし穴かっ、吊り天井かっ!!」

「どこだっ、どこに罠があるっ!!」

 俺たちは血走った目で部屋の中を見回す。
 長いこと訓練をされてきた俺たちに、もう死角はない。

 と、背後の扉が静かにしまったかと思うとふわりと浮かび上がるようにして床に魔法陣が現れた。
 緑色の光の粒子が部屋の中を漂い、部屋の中を照らし出す。

「なっ!?」

「ぬっ!?」

 だがその変化は一瞬で俺たちの視界から消え去った。
 まるで周囲の世界が、白波が打ち寄せるように白く染まる。

「転移に似た力を感じたのじゃが、なんじゃここは」

「なんだこりゃ、罠、なのか?」

 そこは何もない、ただ白に埋め尽くされた場所だった。どこを見ても印になるものは何もなく、ただ延々と白が続く先は見ているだけで遠近感が狂ってくる。

『罠じゃないですよ』

 その声はどこからともなく聞こえてきた。

「お、おい、今の声なんだ?」

「妾の気のせいではなかったみたいじゃの」

 互いに顔を見合わせると確認を取り合う。

『どもどもどもー、最短記録でのクリア、おめでとうございますー』

「「……」」

『グッジョブですっ、今までで一番笑わせていただきました。いやほんとマジで今回のは出来がいいですよぉー』

「「……」」

『特に私が仕込んだわけでもない最初の決闘劇は最高でしたね。何度見返しても息ができなくて死にそうになりますし、ブフッ!! 思い出しただけで笑いが……』

 唖然とする俺たちに、嬉々とした笑顔を浮かべて現れたのは、二十四、五才ぐらいの女性だった。肩口にかかる程度の長さの髪は毛先には強く癖がついていて、パーマでもかけているかのようにクリンクリンとしている。
 ルーナリア教の物と似た修道服に身を包んだその女性は、悪戯っ気の強さがにじみ出るような表情でケラケラと笑っている。

 しかし、明らかに普通と違う点が三つあった。

 一つはふわふわと少し離れた場所で宙に浮いていること。
 魔法を使っている気配もないのに、完全に地から足が離れている。まぁ、この真っ白な空間で地面がどこかなんて曖昧っぽいが。

 一つはこうして目の前にいるのにもかかわらず、まるで気配を感じないこと。
 声を聴き、表情豊かに目の前で笑っているにも関わらず、気配を全く探れない。気配を隠蔽するスキルを使っているとしてもこうして姿を晒しているのに分からないほどとなるとかなり強力な固有スキルでも使っていなければありえない。

 そして何より決定的な相違点。
 体の向こうが透けて見える、青白い半透明なクリアボディ。いや、透けた向こう側も真っ白なんですけども。

 だがまぁ、そんな普通じゃない点は今はどうでもいい。

「のぉ、黒頭」

「ああ、赤頭」

 俺たちは再び顔を向かい合わせると頷いた。

「「死に晒せ、こうめぇぇぇえええええっ!!」」

『ブププーッ、わたしは孔明じゃないですよぉー、ケラケラ』

 それは直前にぶっ飛ばしたあのダイオウグソクムシモドキ以上の勢いだった。

 俺は丸袋の中身を空にする勢いでとにかく投げつけられそうなものを取り出してはただ猛スピードで投げつけることのみに注力した。

 赤頭は炎弾、水弾、風弾、石弾、煙弾、植弾、雷弾など、どれでもいいからとばかりに節操なく魔法を放つことに注力した。

 ガキバコギジャガリドゴッ、と数多の種類の鈍い音を響かせた幾つもの攻撃を、しかしまるで木の葉が風に揺れるようにひらひらと避け続ける。

「くっ、ちょこまかすんなっ!!」

『ほっ、はっ、よっ、うんうん、もっと狙えー、まだまだこんなんじゃ当たってあげられないかなぁ』

「ば、馬鹿にしおってぇ!! 大人しく、ク・タ・バ・レっ!!」

『いやだよーんっ、ケラケラッ』

 くるんくるんと宙を舞いながらワザとらしい笑い声とを上げて、そいつはニヤニヤとこちらを見て笑っている。

『さぁ、私のダンジョンのクリアボーナスの時間だ。とはいえ、今回のご褒美は何にしよっかなー』

「だったらテメェの顔を一発ぶん殴らせろっ!!」

「だったら全身こんがり焼いてやかせるのじゃっ!!」

『それは、い・や♪』

「「なっ!?」」

 弾丸の雨あられを嘲笑うようにそう言った女は唐突に姿を消した。

『君達にはこれでいいかな? はい、プレゼント♪』

「ぬうぇっ!?」
「ひゃうゎ!?」

 と、気配もなく後ろに現れた女が突き出した半透明の腕が俺たちの体の中へと入ってきた。

 ゾワリと、何か大切なものを撫で上げられるような感覚が体を駆ける。なにかをその表面に塗りつけられるような感触。

【システムメッセージ・心火の霊剣が解放されました】

「え、は?」

「ぬっ、そう言う理屈で、あぁ……」

 よくわからない理論と感覚を無理やり体得させられたのと同時に、俺たちの攻撃が魂のみの存在にほとんど効果がないことも理解させられた。

『それから君、あんまりファジー草に頼り過ぎない方がいいよ? もうわかってると思うけど、睡眠を取らないと肉体は大丈夫でも魂に疲労が溜まってかえって逆効果になるからね。頑張り過ぎな子へのお姉さんからの優しいアドバイスは、素直に聞くべきですよん』

 クスクスと笑いながら諭すような言い方でそいつは言う。

『じゃあねっ、楽しかったよぉ』

 そう言葉を残してバックステップで女は俺たちから遠のいた。

「「待っ、こらっ……!!」」

 バッ、と振り返ろうとした先、再び世界に色が塗られていくのが見える。ほとんど効果がないと知りつつ、それでも最後に一矢報いてやろうと振り向いた。
 立ち位置的にギリギリ間に合いそうなのは俺だけだった。

「っ!!」

 けれど、最後の一瞬だけギリギリ視界に収められた女性の顔が、寂し気に見えた気がしてその手が止まり。

『べぇっ』

「なっ、またっ!!」

 俺は最後の最後まで騙されぬかれ、俺たちはダンジョンの外へと飛ばされることになった。

 
            ☆

 
 気が付くと、星と月が輝く空の下、周りを深い森に囲まれ、少しだけ開けた場所に腰を下ろしていた。

「あ、あのやろぅおおおおっ!! 次あったら絶対一発ぶん殴るっ!!」

「怒って誤魔化すな阿呆がッ!! せっかくのチャンスを棒に振り追ってこの戯けぇっ!!」

「うるせぇっ!! んなのは俺が一番分かってるわっ!!」

 圧倒的敗北感に俺は顔を片手で覆いながら言い返した。

 と、雰囲気を放り投げるように互いの腹の音が響く。

「い、いかん、飯じゃ、飯が先じゃ。はよう飯にするのじゃ」

「そうだな。俺も腹減った」

 もう疲れて気力のかけらも残っていない。
 力を入れて料理を作るのも面倒で仕方がないので、鍋に水と塩と早摘みリコルの果実酒と、前にまとめて処理したグレートフルボアのブロック肉をぶち込んで火にかける。

「ま、まだかの? もうそろそろ出来たのではないか?」

「腹が減ってるのは俺もだが、もう少し待て。さすがにまだ早い」

「うぅ~、じれったいのぉ」

 丸袋から出して置いた木の器を手にそわそわとする赤頭に、待てをされている犬を重ねて見ながら俺は鍋をかき回す。
 そのあとももう少し煮込んで、料理は出来上がった。

「よし、でき……」

「貸すのじゃ!!」

「あっ、おいっ、少しは落ち着けよ」

「嫌じゃっ!!」

 俺からお玉を奪い取った赤頭は並々と器に盛りつけたスープを猛烈な勢いで食べ始めた。
 ここまでの勢いは初日にこの料理を振る舞った時以来だ。

「ったく、のどに詰まらせてもしら……」

「んぐっ!? ごふっ、げほっ!!」

「最速のフラグ回収ありがとうございます」

「おかわりじゃっ!!」

「はいはい、いいから好きに食べろ」

 そして一度むせながらもすぐに回復して二杯目を要求する赤頭に、匙を投げる呆れの溜息をついた。

 俺は自分の器によそったスープを胃に収めながら、吸い込まれるように消えていく鍋の中を見ていた。

「ぷは~っ、上手かったのじゃ」

「本当によく食ったな、お前。でも喰ってすぐに寝ると牛になるぞ」

「なんじゃその法螺は。そんな話は一度も聞いたことが無いのじゃ」

 最終的に鍋2つ分料理を追加することになってやっと食事の時間は終わった。
 そしてそれだけの料理を平らげた張本人は満足気に腹に手を置きながらごろんと横になっていた。

 俺はというと料理に使った火をたき火にして木の幹に背を預けて座っていた。

「……ここがどこだか分かんねぇけど、とりあえず全部明日にするか。疲れたわ」

 植生などを見る限り、俺がダンジョンに落ちた帝国北部と獣国の国境付近の森のように思える。正確な位置は分からないが、日が昇れば方角は分かる。魂の知識を得た影響か、気配を感じる能力が格段に向上したようで、ぼんやりとだが人が多くいる方向もなんとなくわかるし、その方向に歩き続ければそのうち街道か町かにたどり着けるだろう。

「のぉ、本当にどうやったらあのクソ不味いグレートフルボアの肉がここまでうまくなるんじゃ?」

「だ……」

 誰がおしえてやるかっ、といつもの調子で返そうとした俺は口をつぐんだ。

「……早摘みのリコルの果実酒と、骨ごと一緒に煮込むんだよ」

「む? 何がじゃ」

「グレートフルボアの肉を美味く仕上げる秘密だよ。知りたかったんだろ」

「あの酒精は果実酒じゃったのかっ!! これはいい、姉上と合流したらまた作ってもらおうかのっ。聞け黒頭、妾の姉上が作る料理はとても美味いんじゃ。妾に魔法を教えてくれた才媛で、しかも、世界で一番の美人でのぉ。妾は超絶美少女じゃが、姉様はそれ以上の超絶美人で……」

「あー、はいはい、そうだな。美人で料理と魔法が上手いんだよな、何度も聞いたっての。」

 ダンジョンの中にいる間に何度も聞かされた自慢話に肩をすくめる。

「それより、俺も教えたんだからお前も教えろよ」

「む、なんじゃ、妾のスリーサイズを聞きたいのか? 全く変態じゃのぉ」

「んなもん聞くまでもなく60・60・60の大絶壁だろうが」

「とりあえず死ぬがいいわっ」

 ひょいっ、と体を傾けて飛んできた石弾をさける。背後の木の幹にゴンッとめり込んだ石はパラパラと木くずを散らして地面に落ちた。

 もう何度も行ったやり取りは考えるよりも先に体が動くくらいになってしまった。

「お前が旅してる理由。どっちがダンジョンから先に脱出するかで勝負してただろ。同時で引き分けだから、お前もしゃべれよ」

「そう言えばそんな勝負もしておったな」

 さも今思い出したというように赤頭は返事を返した。

「さて、どうするかのぉ。前も言った通り教えてやってもいいんじゃが……」

「んだよ、もったいぶるなぁ。……もし、さ、俺が手伝えることがあるなら手を貸してやってもいいぞ? 代わりに大きく貸しつけてやるけどな」

 明日になれば、俺たちはそれぞれの旅に戻る。
 元の、ただ力を求めるだけの日々に。

 それは何か、惜しい気がした。コイツの旅に目的があるなら少し位なら付き合ってやろうかと思った。
 こんなバカなやり取りが、まるで元の世界で友達と交わしていたような時間が、まだ、もう少しと。

「なんじゃ、寂しいのか? まるでウサギみたいなやつじゃのぉ」

「て、てめぇ、人の好意をなんだと思ってやがる!」

 揶揄うようにニヤニヤとしながら口元に手をやる赤頭。
 全く違うとも言えない言葉に顔に熱がこもるのを感じた。

(くそっ、昇ってくるな血液!!)

 気付くんじゃないと思いながらも、こういう人の弱みを全く見逃さないのは重々承知している。

「くくくっ、顔が赤くなっておるではないか。図星じゃったんじゃろー。ウリウリ」

「だぁあああっっ、もうっ、誤魔化してはぐらかそうとすんなっ!! いいから答えろよっ」

 けど―――。

「っ!!」

 ゾクッ、と足元から頭のてっぺんまで冷たい何かが登り上がる。

「のぉ、そう言えばまだ名前も聞いておらんかったな。これだけ一緒にいて間抜けな話じゃが、名前は何というんじゃ?」

「海人……、俺の名前は、海人だよ」

 ゆらりと立ち上がった赤頭が、空を見上げている。
 別に、変な動きをしたわけでもない。
 敵意をみなぎらせていたわけでも、殺気をみなぎらせていたわけでもない、赤頭に。

 だが、俺は確かに赤頭に恐怖を抱いていた。
 いや、恐怖ともまた違う、見てはいけないものを覗いてしまった後悔のような、そんな苦い感情。

「そうか、海人か。いい名前じゃの」

 普段とどこがどう違うというわけではない。
 ……なのに、自分の目を疑うような、ここ数日見てきたものが幻だったかのような印象を、俺は赤頭の中に見た。

 暗く、暗く、暗く。
 光がないことを闇というのなら、そんな浅いものではない、光を飲み込むような常闇。

「お前にどんな手助けができるのかは分からぬ。それでも、ダメじゃな。お前には手伝うのは無理じゃ、海人」

「……なん、でだよ。これでもそこそこの伝手もあるし、いくらでも」

「そうじゃない、そうじゃないのじゃ。海人、お前ではここ(・・)には届かない。もし、届いているなら、そんな軽々しく手伝うなど、そんな言葉は絶対に出たりはしないじゃろ」

 こちらを向いたその少女は、確かに笑っていた。
 けれど、そこにあるのは確かに笑顔なのに、笑顔ではなかった。
 なぜ、そんなものを感じたのかは分からない。だが、それでも直感的にたった一つだけ理解させられた。

 どれだけ手を伸ばしても、今の俺には触れるどころか、近くに行くことことすらできない。
 その、届かないという感覚だけを。

「知らないじゃろ? 腹の底が焼けるような感情も、手足が千切れそうになるほど疼く感覚も、泣き叫んでも喚いても何ひとつ取り戻せない暗闇も」

「……」

 そう言って、こちらに顔を向けた赤頭は、まるで泣いているような形だけの優しい笑みを赤頭は浮かべた。

 悲し気で、苦し気で、何より、――……底冷えさせられるほど怒りの感情を湛えて。

 

「妾の旅の目的は、復讐じゃ。どうしても殺したい相手がおる。どうしても許せない相手がおる。絶対に、何があっても、妾がこの手で八つ裂きにしてやる相手がの」

 

「復、讐……?」

 思わず聞いたまま零した言葉の意味が、ゆっくりと脳裏に染み渡る。

「その通りじゃ、ただ殺すだけではない。妾が妾のためだけに、すべてを踏みにじって地獄の底へとのたうち回らせると決めておる。生きたまま目玉を引きずり出し、少しずつ皮を剥ぎ、手足を端から切り刻んで、その背を焼けた鉄で焼き、痛みと屈辱と苦痛のすべてを舐るように刻み込んで。……悲痛の叫び声を聞きながらその心の臓を握りつぶすその瞬間が恋しくて恋しくて、たまらないのじゃ。それこそ、恋い焦がれるほどにの、クククッ、アハッ、アハハッ」

 まるで見えない鈍器で殴られたような気分だった。
何かに酔うように告げた少女の表情は今まで一番艶やかに濡れ、口の端が波打った飢えるように緩んだ恍惚の表情は、見ているだけで冷たい水の底へと押し沈められていくような気がした。

そして赤頭は再びあのすべてを覆い隠す笑みの仮面をかぶり直した。

「やっ、……」

『やめろ、復讐なんて幸せになれない』。
 反射的に、そんなどこかで誰かに聞いたような言葉が口を突きそうになった。

 けれど、そんな俺の口から出そうになった安っぽい言葉を押し止めるように、唇にあたったのは赤頭の人差し指の感触。
 やけに冷たいその指の感触が、何故か何より鮮明に感じて。

「お前といたこの数日は、存外楽しかったぞ? だからな、海人」

 俺の目の前に立って、ゾッとするような弧月の笑みを動かさない。
 全てを覆い隠そうとするようなその仮面を張り付け、それでも抑えきれないとばかりに見え隠れする荒れ狂う黒い炎のような感情の切れ端。

 それは他人を魅了する妖艶さにも似ていて。

「妾に触れるな、妾に近づくな、妾を知ろうとするな。この距離間でいいのじゃ、この距離間でなければだめなのじゃ。知らずにいた方が幸せに暮らせる出来事も確かにこの世には存在するのじゃから」

 そう言って赤頭は目を閉じ、ゆっくりと首を振る。

 俺はまるで金縛りにあったかのように何も言うことができなかった。
 ハッキリと向けられた拒絶に意思に口を閉ざすしかなかった。

 
           ☆


 あれから、すぐに寝てしまった赤頭に、俺は声をかけることも出来ずに目を瞑るしかなかった。
 結局なかなか寝付くことも出来ず、浅い眠りで空が白じみ始める頃にうとうとしながら目を覚ますことになった。

「ふぅ、朝は軽くこの程度で終わりにしておくかの」

「どこが軽くだ。サラッと鍋一つ空にしといて」

 赤頭は昨日のことなど何もなかったかのようにいつもと何も変わらない様子を見せていた。
 だから、おかげで俺も普段通りに振る舞うことができている。

 そして、別れを告げるべき時が訪れたのもすぐだった。

『ギャァオオオオオオオオッ!!』

「見つけたわよっ!! どこに行ってたのっ!!」

 バザアァアアアアッと、圧倒的な威圧とともに現れたのは、鮮やかな赤い色の鱗を持った一匹のドラゴンと、その背に乗る一人の女性。

「なっ、火炎竜ッ!?」

 ドラゴン、龍種。
 この世界でその威容と共に生態系の主として君臨する者たちの一種。

「大丈夫じゃ。数日ぶりじゃのぉ!! グレン、姉上!!」

 警戒レベルを引き上げようとした俺を制し、赤頭が前に出る。

「姉上じゃありませんっ、この子はまったくっ、心配ばかりかけてッ!!」

 少し高い位置から、その火炎竜の背に乗った女性が飛び降りて来る。
 金色の髪を高い位置でまとめた大人っぽいその女性は、地面に降り立つといかにも怒っていますと言った様子で目を吊り上げている。

『ギャルウゥ♪』

「っ、うええっ!?」

 突然の出来事に唖然としていた俺をさらに驚かせる光景が目の前で起こる。

 直前まで威容を見せつけていた火炎竜が、小さく響くボンッ、という音と共にその姿を変える。
 大きな成龍の姿から、育つ前のドラゴンパピーへと姿を変えて、突撃するように赤頭に向かって飛び込んでいった。

「おおっとっ、よしよし。全く甘えん坊じゃの」

『ルゥ♪』

 ペロリとドラゴンパピーに頬を舐められた赤頭が少しくすぐったそうにしている。
 基本的に孤高の種族のはずであるドラゴンがここまで誰かに懐いているというのにもまた度肝を抜かれる。

「何を呑気な顔をしているんです。あとでお説教ですからね、今度という今度は許しませんから覚悟しておきなさい」

「あ、姉上ッ!? 待ってほしいのじゃっ、今回は妾だけのせいじゃないのじゃっ!!」

「言い訳は聞きません。お説教が終わるまではご飯を作る気はないですからね」

 のぉおおおおっ、と赤頭が苦痛の唸り声をあげた。

 そして盛大にため息をついて頭を振ると、体を擦り付けて甘えていたドラゴンパピーの体を撫でる。

「さて、それじゃあ行くとするかの。グレン、頼むぞ」

『ギャルゥ』

 赤頭のセリフに返事をするように一つ吠えたドラゴンパピーが再び巨大な火炎竜の姿を取り戻す。

「っ、と。さぁ、行きますよ」

 金髪の女性がまずドラゴンの背に乗り、赤頭へと声をかけた。

「ではの、妾は行く。縁があればまたどこかで出会うこともあるじゃろ」

「っ!!」

 そう言った赤頭に、思わず息をのむ。
 こうなることは分かっていたはずなのに、理由も分からない焦燥の念がチリチリと心の隅を焼く。

「まっ、待てっ!!」

 気が付けば、俺は叫んでいた。

「む? なんじゃ?」

 振り向く赤頭に、俺はとっさに言葉を返せなかった。
 思わず上げた声に意味などなく、話の先をと空回り気味に思考が回る。

「名前、名前を教えろ赤頭。俺だけに名乗らせておいて自分は黙ったままでいる気か?」

 何故か思い出したのは『わ、妾の名は下賎の輩に告げられるようなものではないのじゃ』とそっぽを向いたこいつの姿。
 だが、今回はその時とはまた違った反応が返ってきた。 

「む、……まぁ、お前になら教えてもよいか」

 一瞬ためらった後、赤頭はそう言った。

「ちょっ、待ちなさい。そんな危険は」

「いいのじゃ姉上。借りっぱなしは妾の主義に反する。それに、名前くらいでどうなることもないのじゃ」

 止めようとする金髪の女性を抑え、赤頭は堂々たる表情でこちらを向く。

「レティシアじゃ。妾の名はレティシア。超絶プリチーな名前じゃろ?」

 そう言った少女は、レティシアはカラカラと笑う。
 それは、この数日間で見慣れた快活とした悪戯っぽい笑顔。

「ではの、海人、ハゲないように気を付けるんじゃぞ」

「だからハゲねぇっつってんだろ!!」

「くくっ、さらばじゃ、この大戯けめっ!!」

「とっとと失せろっ、この大マヌケがッ!!」

 いつもと同じように言い返して、口げんかして笑ったレティシアはドラゴンの背に飛び乗った。
 そしてそのまま振り返ることもせずに空へと旅立っていく。

「……レティシア、か」

 一人残ったその場所で、この数日間を反芻する。

『ど、同情するでないっ!! わ、妾だって必死に頑張ったのじゃっ! 頑張ったのじゃっ!!』

『ぷぷっ、あれだけの啖呵を切って出ていったあげくに即帰還とは随分と大物じゃの、いやぁ、妾には到底真似できぬわ。ブプフッ』

『いやぁ、過去に類を見ないドヤ顔じゃったの。妾の生きてきた中で確実に五本の指に入るレベルじゃった。もう冒険者なんぞ引退して大道芸人にでもなった方がいいと妾は思うぞ?』

 ああ、くそっ、正直に認めよう。

 楽しかったんだ。

 ムカついて口げんかして叫んで。
 子供みたいな馬鹿やって、性格の悪いダンジョンに文句をつけあって。
 驚いて、喜んで、悪戯し合って、罵り合って、笑い合って。

 ずっと忘れてたんだ。食事が楽しいものだって。
 誰かと話すのが、こんなにも気持ちが楽になるものだって。
 だから、本当に美味そうに料理を平らげるアイツとの食事は、楽しかった。
 ……本当に、楽しかったんだ。

「なんで、復讐なんだよ。復讐なんてしなくても、お前、笑えてたじゃねぇか」

 その言葉は誰に届くこともなく、宙に浮かんだシャボン玉のように弾けて消えた。
次の話で3章の前半はおしまいです。
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