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透明な壁

作者: 聖 聖冬

全てが純白に囲まれた部屋。透明な壁の向こうに、この世界に見捨てられた彼女は居た。


透明な壁に手を付いて彼女を見ていると、何も出来ない自分の胸が何処かに飛んで行きそうになる。


「おかしいな……この手は届かないんだな、先輩は悪くないのに」


透明な壁に阻まれた手は、それ以上進むこと無く、これ以上この空間に何も生む事も無い。それ故何も始まる事が無い。


彼女が未知の病と診断されてから二日後、まるで猛獣でも閉じ込める為に作られた様なこの檻には、青が広がる硝子の向こうと、自分が今立っている透明な壁の向こうの二つだにけしか世界が無い。


それ以外は全てが空虚、空白で虚無。


対照的な彼女には似合わない世界。いわゆる不思議な国に迷い込んだ訪問者。


僕の姿を見て笑顔を浮かべた彼女は、体を起こしてすがるように硝子に張り付いている僕の手と自分の白い手を重ねる。

彼女が動く度に揺れる綺麗な白い髪に、何故だか君が消えてしまう気がした。



相変わらず変わらない切り離された世界の中に、今にも溶け込んでしまいそうな程儚い彼女は居た。

突然奪われた栄光は彼女と共にこの部屋に詰め込まれ、何も出来ないまま容易く忘れ去られる。


優秀な研究者だった彼女は、何も出来なくて軍人になるしかなかった自分とは違う。

どんな病にも効く薬を作る為に、若いながらにして人の為に人生を捧げて生きてきた。


そんな彼女が作り出した多くの薬で、助けられた子どもたちが部屋に居た。

その子どもたちと透明な壁を隔てて話している彼女は、一度も笑顔を絶やした事が無い。


「すみません先輩、今日は帰ります」


子どもたちにこんな姿の人間を見せるのは良くないと思い帰ろうとすると、彼女に呼び止められる。


「待って、せっかく来てくれたんだからもう少しここに居て。出来れば私の代わりにこの子たちと遊んでほしいかな」


そんなお願いをされたら、緊急招集があっても断れる筈が無い。

同情なんて無しに、この人の願いは全て叶えてあげたい、例え壁の向こうに居なくても。


「お兄さん変な格好してるね、変な色だし。ダサい服ー!」


そう言って群がる子どもたちを見て彼女が叱ろうとしたが、それを手で制して子どもたちと目線を合わせる。


「最高にダサいだろ、だから君たちが大人になる時にはこんな服は無いと良いな。本当は僕みたいな人間は居たら駄目なんだ、だから今頑張ってるんだ」


迷彩柄の軍服を出来る限り貶して、この子たちに僕みたいな存在を嫌悪させておかないといけない。

それがある事が当たり前だと、世の中の大人みたいになってしまうからだ。



子どもたちをひとりひとり親に送り届けた後部屋に戻ると、いつも笑顔の彼女が珍しく落ち込んでいた。

壁の前に座る彼女の前に立って、いつも通り手を付ける。


「自分の事を悪く言わないで、海桜みおは何も悪くないのに」


「そうかな、少しでも先輩の役に……」


「もう学生じゃないんだから、先輩じゃなくて薫子かおるこか渾名で呼んでよ」


「それ中学校の時から言ってますよね、先輩は先輩なんですから諦めたらどうですか」


膨れっ面になる彼女を見て笑うと、それに釣られて彼女も笑ってみせる。

その笑顔を見ると、違う種類の笑顔になって幸福感が溢れて来る。


「みーちゃんが来てくれるから、私も気持ちが楽になるな。こんな部屋にずっと居たらおかしくなっちゃうし、すごく暇だし」


「助けられているのは僕ですよ、戦場の垢が洗い流される様な気がします。まだ生きてるのが奇跡なくらいに汚れてるのに」


「なら、まだ死んだらいけないって事じゃないの? 救われた分誰かを救った時、人は初めて死を許されるの」


「なら僕は当分生き残れるな……すみません時間みたいです」


上官からの呼び出しに会話を遮られて、その日は病院を後にする。



海外の支援だった為、三ヶ月程の任期を終えて日本に戻る。

一人暮らしの家にも帰らずに病院に向かい、面会許可を受付に申し込む。


「久し振りに来たね海桜さん、いつもの部屋に居るから行ってあげて」


「ありがとうございます」


殆ど毎日来ていたせいか、すっかり受付の人と親しくなってしまった為、笑顔で見送られるようになった。

いつも通り階段を駆け上がって病室に向かい、高ぶった気持ちを病室の前で落ち着けて入る。


病室の内装は相変わらず無垢で、いつも別世界に飛んだ気分になる。

その別世界の主は、この世界に不適当な程美しい女神の様な人。


彼女は持っていた時計を投げて、僕の方を見て笑顔で迎えてくれる。


「やっぱり時間通り来るね、任期お疲れ様」


「待ってたんですか? 僕が来るのを時計を見て」


「悪い? 楽しみなんだから仕方が無いでしょ」


「悪いなんて思いませんよ、ただ先輩にしては珍しいなって」


強気な態度を見せていたが、今になって恥ずかしくなってきたのか、元は僕の部屋に居たカエルの人形を抱きしめて顔を隠す。


「別に子どもたちが来てくれてたから寂しくはなかったけど」


「そうですか、なら明日から子どもたちに任せます」


「そうは言ってない。寂しくはないけど話し相手は欲しいの」


「随分とわがままになりましたね」


「私は元々こんなだから」


「それもそうですね」


彼女の色々な表情を見れて、久し振りに日本に帰って来たと実感出来た。

戦場では見られない表情が多い為、本当にこの人と居ると心も助かる。


面会終了の時間が放送されて、名残惜しいと思いながらも帰らないといけない。

戦場と流れる時間の速度の差を感じて、余計に名残惜しさが増す。


病院から出て二分程車で走ると、病院から電話が掛かって来る。

嫌な予感と共にコンビニの駐車場でUターンをして、速度を上げて病院に向かう。


スピーカーにして助手席にスマホを投げて、覚悟しながら言葉を待つ。


「は、早く戻って来て下さい! 薫子さんの容態が急変して、取り敢えず早く来て下さい!」


「分かりました、向かいます」


緊迫した様子から良くない事が分かる。

恐らく長くて明日、短くて今日には会えなくなるだろう。


病院に到着して受付に駆け込むと、受付の女性が手招きをして先に廊下を駆けていく。

エレベーターに乗った受付の女性を無視して、階段を駆け上がって病室まで急ぐ。


焦りで足首を捻るが、そんな痛みよりも胸の痛みが勝ってスピードを落とさない。

滲む涙を唇を噛んで抑えて、受付の女性よりも先に病室に入る。


中には医者と看護師が立っていて、彼女は辛うじて生きている状態だった。


「薫子はどうなんだ、助けられるんだろ! それ以外の答えは聞いてない、助けられるんだろ!」


医者の肩を掴んでそう迫るが、医者は俯いたまま首を横に振る。


「落ち着いて下さい海桜さん!」


後から来た男の看護師三人に引き剥がされて、取り押さえられる。


「残念ながら間に合いませんでした、余命の日ぴったりです」


「余命? そんなの聞いてない! 聞いてねえぞ!」


「薫子さんには伝えました、彼女は私から伝えたいと私たちに言わないでくれと、口止めされていました」


「嘘だろ……何で言わなかったんだ薫子!」


今度は壁に体をぶつけて薫子に問うが、彼女にはもう笑う気力すら残っていなかった。


「開けろ……この硝子を開けろ!」


「ですが、それでは海桜さんにも感染……」


「それを承知で言ってんだろ! 開けろよ!」


「分かりました……」


そう言って全員白い部屋から出て行き、暫くして透明な壁が天井に吸い込まれていく。

ゆっくりと上がっていくのを待ちきれず、床に体を付けて隙間から潜る。


彼女に駆け寄って抱きしめると、服の下は予想以上に細かった。

その細い腕に抱かれたカエルの人形が少し強く握られる。


「薫子!」


呼び掛けに答えた薫子は、ゆっくりと瞼を開けて目を合わせる。

彼女を少し強く抱きしめて、抑えきれなくなった涙を零す。


「本物のみーちゃんだ……カエルの人形に付いた匂いじゃなくて……本物のみーちゃんの匂いだ」


「あぁ、本物だ」


「大丈夫なの? 感染っちゃうから外……」


「嫌だ、置いてくなよ……もう嫌なんだよひとりは。寝た切りでも良いから居てくれよ……いつもみたいに毎日来てやるから、仕事なんて辞めてずっと傍に居るから、面倒なら全部見るから、頼むよ……」


「私ね……行ってみたい所や、見てみたい景色が沢山あったの……それでね、私、研究者だから、本当はこんな非論理的な事を……言ったら駄目だけど……人は死んだら……百年後に戻って、来るって信じ……てるの」


「あぁ……何処へだって連れてくから、おい、なんか言葉返せよ!」


右胸に感じていた鼓動が止まり、もう何も喋らなくなる。

病院から出て家に帰ったらしいが、その後の記憶は無かった。



いつの間にか戦場で自分から流れる血を眺めて倒れていた。

最後に医者から受け取った小さな宝箱に、自分のドッグタグを入れる。


「ごめん薫子、怖くて、苦しかったよな……俺ももう許された、みたいだ……今から行くから……土産話を楽しみに、して、ろ……」



二千百三十七年、生年月日二千百十七年と書いてある免許証を財布に仕舞って、何故か分からないが僕は東京の街を歩いていた。

初めて来る街に戸惑いながらも地図を使って頑張っていたが、人に聞かないと辿り着けない気がしてきた。


「あの、ここに行くにはどうしたら良いのでしょうか」


通りすがりの綺麗な白い髪の女性に道を尋ねると、その人は僕が指さす場所を見て頷く。


「ここ少し難しいからなー。一緒に行ってあげる、私は薫子って名前なんだけど、貴方は?」


「僕は海桜みおです。海に桜と書いて」


「綺麗な名前なんだね」


「先輩のも美しい名前です。あれ……すみません先輩だなんて、僕どうしてしまったのでしょうか」


ふふふっ、と可愛らしいく笑う彼女の仕草に、何故か懐かしさを感じていた。


「みーちゃんは何でここに行こうとしたの?」


「すみません、よく分からないんです」


「ふーん。私も時々あるなー」


暫く無言が続いて、ふと気になったことを聞いてみる。


「どこかでお会いしたことありますか?」


「どこかで会ったことある?」


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