わたしはメロンソーダを少しだけ吸い取った。それからストローを噛んで、天馬の顔をまじまじと見つめる。彼は目を細めて、うっとりとした表情だった。わたしの渋面には脇目もくれず、自分の世界に入りきっているみたいだ。
「こんなつまらない物のために、わたしを連れだしたっていうの?」
わたしはテーブルの上の『モノ』を顎で指した。
「まあまあ、そうつんけんするなって」天馬は暴れる犬をたしなめるように、両手を突き出して言った。
「二時間も並ばせておいて、まさかお詫びが……これ?」
ストローを使ってグラスの氷を
弄びながら、私は彼を睨んだ。
「きみ、メロンソーダ大好物じゃん」
「ふざけるな」わたしは唇をとがらせる。
「一杯でも二杯でも、おかわりしていいから。な?」
ガキをしょうもないオモチャで釣るくらいの感覚で、天馬はわたしのご機嫌をとろうとしているのだ。
彼はわたしの性格を把握しきっている。だから、やすやすと馬鹿みたいなことが言えるのだ。目の前の小さな幸せを優先するのがわたしだから。それで、わたしの機嫌がとれると分かっているらしい。全言動、確信犯なのである。
まあ、一応、ここはご機嫌を取られたことにしておいてやる。わたしもずいぶん大人になったものだ。かわいい、かわいい幼馴染のお願いの一つや二つくらい、心を広くして聞いてあげたっていいだろう。
「むう……。第一さあ、別に天馬一人でも良かったんじゃないの?」
「いやいやー。二本欲しかったからねー。そのためには、絶対に、君が必要だったんだって」天馬は銀縁眼鏡をキラリと光らせて、何だか得意げな顔をした。誰にいばっているのだろうか。
それに、こんな場面で「君が必要だった」なんて言葉を出すなんて。恋愛ドラマの主人公だって遠慮すると思うし。
「……なんで二つも要るのよ? 一つで十分じゃんか。……あ、もしかして、あれか? 保存用とプレイ用とかいうやつ? ったく、たかがゲームなのにくだらない」
「違うよ。ほら、パッケージ見てみ」天馬はそういってピンクのビニル袋の中から、プラスティックの薄い箱を二つ取りだした。「初回版はパッケージのデザインが二種類あるわけ」
天馬にそう言われ、私は二つの箱を見比べてみた。どちらも凛々しい目をしたアニメキャラクターが、剣だか槍だか良く分からない得物を携えてポーズを決めている絵柄だ良く目を凝らして見ても、キャラクターの数や容姿が若干違う程度で、特にたいした違いは見当たらない。わたしはすぐに見飽きて、グラスの水滴をなぞる作業に没頭した。
「よく分かんないし……。てか、別にネット注文でよかったんじゃない? わざわざ並んでまで買った意味が分かんない」
「これだけは並んで買いたかったんだよ。苦労を味わって、苦難を乗り越えて……その上で手に入れたかったのさ。それでこそ、気持ちよくプレイ出来るってものだよ。なにせ、無印からのファンだからね」
「あ、そう」わたしは溜息を吐いて、メロンソーダを啜った。
天馬の趣味には、昔から付き合わされ続けている。
彼はいわゆる、オタクだった。その独特のオタク文化に、気取っていえば精通、悪くいえば陥没している。彼は独自の世界に没頭して、自分の殻にこもるタイプではないため、どちらかというとアグレッシブでフレッシュなオタクと言えそうだけれど。わたしと二人きりでいるときだとか、仲間の前だとかでは本性むき出しで、サブカル談議に興じ出すし、何だか知らないけどハイテンションになったりする。だから、わたしは度ごとに困っているし、恥ずかしい思いをしなければならない。それに、
他人の目が怖い、というのも少々。
「天馬のこだわり……ついてけねぇ!」わたしは酔っぱらいみたいにグラスをテーブルに叩きつけた。
「はっはー。じゃ、もう一杯いっとく?」苦笑を混じらせて、天馬は言う。
「当たり前じゃん。後、三杯はいくよ」
わたしはグラスをかかげた。
今日はとことん天馬にたかってやろう。今日は午後の講義もなかったから、だらだらとフリータイムを満喫しようと思っていたのに、朝っぱらに彼がメールしてきたのだ。
『八時はんまてに準備! むかえにいいく!』
切羽詰まった感じが文面に表れていた。わたしは寝起きにも関わらす、思わず吹き出してしまった。
「……あ、そうだ。この後、二丁目に新しく出来たルーニーズに寄ってくれない?」
ふと思いついたことを言ってみる。
ルーニーズとは最近海外から進出してきたセレクトショップである。若者向けのショップで、お客のニーズに合わせたリーズナブルな品ぞろえのお店だ。値段もかなりお手頃……じゃないけれど、まあ、羽振りのいい天馬なら容易い値段だろうと思う。
「寄ってね?」
笑顔で困った顔をつくる天馬。わたしは笑顔で要求する。
「寄ってね?」
「わ、分かった、よ……」
若干ぎこちない返事のような気がするが、天馬はこっくりと頷いてみせた。
イエス、とわたしは軽く両手を挙げてばんざい。
「少しはおれの財布も気にしてくれよ?」
「分かってる、分かってる」
わたしは笑いながら適当に相槌を打った。それからメロンソーダを一気飲み。びりびりとしみるような炭酸が喉で踊る。
「――あ、ちょっと、待って」
氷の冷たい触感が口の中で弾けたとき、同時に頭の中で何かが弾けた。
「何? まだ何かあんの?」天馬は口をへの字に曲げて、私の顔を凝視する。
「忘れもの」
「え?」
「サークル室に。レポート忘れてきちゃった……」
わたしは外人みたくおおげさに肩をすくめてみせた。
「何でそれを今更思い出してんの?」
「ごめん。ちょっと、ルーニーズ行く前に大学寄ってくれない? レポート、期限明後日までなのよ。今晩徹夜で仕上げようと思ってたところでさ」
「そんな……家で出来るようなものじゃないだろう」眼鏡をくいっと薬指で上げる天馬。
「
他人の写すだけだから平気」
「きみは試験前に友達にノートをせびる高校生か」
まったくその通りだった。
「うるせぇ」わたしは天馬の顎を指で弾いた。「黙って寄ってけ」
天馬は渋々ながらも「はいはい」と頷いた。わたしはその返事に満足しながら、席を立った。
「そうと決まれば、さっさと取りに行こう。……ええと、今何時だっけ?」
「三時半過ぎ」
腕に巻きつけた黄緑色の、趣味が良いんだか悪いんだか良く分からないスポーツウォッチにちらりと目をやって、天馬は言った。
「あ、まだそんな時間なの? ぜんぜん、余裕じゃん。買い物の後でもいいような気がしてきた」
「いいや、おれらの場合は危ないぞ。楽しいことについ気を奪われて、頭の隅にちょこっとメモしたことをすっかり忘れてしまう」
天馬もゆっくりと立ちあがって、テーブルの上の伝票を拾った。
「そのせいで、皆に置いてきぼりをくらったんだろう?」
「……確かに、そうね」
天馬の言う通り、ささいな物忘れでわたし達はサークルの合宿に行きそびれた。本当にささいな物忘れ一つだけで……。というか、サークル長はわたしだって言うのに、なんて薄情な仲間達なのだろうか。今となっては、「仲間」と呼んで良いような連中だったかどうなのかさえ……怪しいところだ。とにかく、連中が帰って来たときにはとことんシボリまくってやろうと考えている。
「じゃあ、車回してよ。大学に」
「オッケー」
「その後、ルーニーズね」
「……オーケー」
二秒ほど返事が鈍っていたように思えるが、わたしはにこやかな笑顔、軽やかな足取りでレジカウンターへと向かった。
あれ? 何でそんなにわたしと距離を取るのかな? 天馬君。
天馬の運転する車に揺られ、だいたい二十分くらい。ファミレスから、わたしらの通う
日馬大学まではさほどの距離はない。わたしの本日の目的であるルーニーズへの道程にはなんら影響のない、小さな寄り道だった。
赤いレンガ造りの校舎棟が印象的な我がキャンパスが前方に見えてきた。
ここら一帯は比較的背の低い建物が密集している。住宅街というよりは、小洒落たレストランや洋服屋、コンビニなどが軒を連ねるエリアだ。街の中心に通った太いメインストリートをつき進めば、高いビルが並ぶ大都会が広がっているので、まあ言うなれば、ここは華やかながらも落ち着いた雰囲気を持ったミドルな市街地と言ったところだろうか。中心市街地へ流れ込む人間達を、少しでも引っかけようとしているのかもしれない。
「けど、ここら夕方あたりから混み始めるからなあ。はたして、日が昇っているうちにルーニーズへと辿り着けるかどうか」
舌打ちを打つ天馬。
「別にいいじゃん、時間なんてさ」
「えー。だって、早くプレイしたいのに。今日買ったやつ」
「……それなら、あたしんとこでやればいいじゃない? うちのゲーム機でもちゃんと点くでしょ? ……それに、明日は学校も、バイトも休みだし」
わたしはこれから上手いこと話の舵を取って、晩ご飯まで天馬に奢らせようかなどとも密かに考えていた。けれど勢い余って、つい飛び越えて、大胆な誘いをしてしまった……。
「そうだね。確かにきみの家の方が近いし」
「うん」
「それに今日は、二時間も立たせっぱなしで、きみには悪いことしたと思うしね」
「うんうん」
「まあ、きみが、どうしても、おれと一緒にいたいって言うならいいけ――おごっ、あふっ!や、やめろっ。今運転中だっての!」
「図に乗るなっての! このキモオタが!」
わたしは天馬の鳩尾に裏拳を入れてから、さらに追撃として、頬をつねってやった。
たまに平気で臭いセリフを吐く天馬だ。賞味期限切れの牛乳の中に溺れるよりもおぞましく、気持ちが悪い。天馬のそういうセリフの度ごとにわたしの鉄拳が冴えるわけだけど、痛覚まで鈍い天馬は、外面の態度だけが大袈裟だ。実際のところ、身体にダメージを与えられているかは怪しいものだ。
天馬の悲鳴が車内に響き渡りつつ、車は順調に大学内へと入っていった。おそるべし、運転テクニック。さすがは器用な天馬君だ。罰を受けながらも、やるべきことはちゃんと現在進行形ってね。そこだけが、褒めどころか。
「じゃあ、わたし取りに行ってくるから、車で待ってて」
「はいよ」
車を適当なスペースに停めて、わたしは助手席のドアを開いた。
「逃げたりしないから、安心してくれ」
何てことを天馬は言うので、わたしは眉をひそめて「うるさい」と思いっきりドアを閉めてやった。
わたしの記憶に間違いがなければ、件のレポートはサークルの部室に置き忘れているはずだった。昨日、携帯ゲーム機に夢中の天馬の傍らで、せかせかとレポートと睨めっこに興じていた覚えがある。
「レポート、レポート」
鼻歌を混じらせつつ、わたしは部屋があるクリーム色の外壁をした、一見安物件のアパートのようなサークル棟へと急いだ。他の大体の建物が赤レンガ造りだというのに、サークル棟だけ異色だ。とは言っても、アパートもどきに詰め込まれているのは我がサークルを筆頭に、サブカルチャ研究サークル、マケドニア料理研究会、バックギャモン同好会、プロハンドボール観戦同好会、UMA愛好会、などなど。マイナーもマイナーな、一風吹けばそのサークルの存在が枯れ葉と一緒に吹き飛んでしまうようなサークルばかり。高尚なサークル連中はちゃんとした赤レンガの棟に入っているのだ。
だから、わたしらはこのサークル棟を「隔離施設」と呼んでいる。もちろん、皮肉で。
正直、何を基準に、高尚か下賤かを判断しているのか分からないし、差別としか言いようがないのだけれど。
「……あー、またやってるよ」
隔離施設に近づくと、鳥肌が立つような低音ヴォイスで、何やら念仏らしき文言を唱えている五人組を目視してしまった。
彼らは隔離施設の二階入り口へ上る階段のすぐ下で、手を繋いで輪を作っていた。うようよと抜き足さし足で回っている。
UMA愛好会の方々だ。
きっと、UMAを呼んでいるのだろうと思うのだけれど。
わたしは気配を殺して階段へと歩く。念のために、呼吸も止めておく。
「――あ! ユーコ様だ!」
「本当だ。ユーコ様」
「女神……。降臨なされた……」
「ユーコ様~。ユーコ様~」
「我らに厚きご加護を!」
――わたしは早歩きを保ちつつ、階段を上りきった。
……ふう。
何とか、気づかれずに上り終えたようだ。
後ろから、ブ男どもの陰なるオーラがほとばしっているような気もするが、多分、気のせいだろう。いや、絶対の絶対に気のせいだ。わたしは何も見ていないし、聞いていない。何も見ていないし、聞いていない……。
「広大なるコスモに咲く一輪のダンデライオン……。ああ。何と、何と神々しいのだろう。かぐわしいのだろう……。僕の人生など、とてつもなく卑しくちっぽけに思えてくる。ああ。ユーコ様、ぜひわが会にご参加をねがぃ――うぼへっ」
「あー。わたしは今、何を蹴り飛ばしたのかしら? うーん。おかしいな。何も見えないし、何も聞こえないのに」
そう言いながらわたしは踊り場と廊下との扉を閉めた。どさり、と人が階段を転げ落ちるような音が聞こえたり、聞こえなかったり。
「――ヘンテコなお方たちですね……もしかして、先輩の信者さんたちなんですか?」
「え?」
長くて太い溜息でもつこうかと胸に空気を取り込もうとしたら、傍で女の子の声がした。
「あ、ど、どうも。はじめましてぇ」
声と身体を震わせながら、彼女はわたしに歩み寄って来た。
「二年、人文学科の尾鳥りこといいます……」
バービィ人形が可愛らしくお辞儀するみたいに、彼女はぺこりと頭を下げた。わたしは「よろしく」と頭を下げ返すが、正直たじろいでいた。
「あ、あの……ミステリィ研究会の、
壇上原優子先輩、ですよね……?」
「そう、だけど……」
「よ、よ、よ、よ、よ、よろしくおねがいしますっ!」
急に大声を出されてわたしは半歩飛び退きつつ軽く悲鳴をあげた。それから冷静に無理やり取り直して、突然の来客者を一瞥する。
「えっと……何かの依頼?」
聞きながら、わたしは自分の胸へ手をやっていた。それから、目の前の彼女に飴玉を選別するかのような、とにかく渇望的な眼差しを送りつつ「この子を天馬に会せてはダメだ」とか考えたりした。