はしのした
あんたは、あの橋の下で拾ってきたんだよ。
いつの頃からか、母はそう、私に言うようになった。
その言葉を紡ぐ時の母の顔は、何故だか今はもう思い出せない。
覚えているのは、抑揚のない冷たい母の声。
唐突にその言葉は、投げつけられる。
食事の時。
学校の宿題をしている時。
おやすみなさいを言おうとしている時。
でも、言われ続けてやっと気がついたことがあった。
あんたは、あの橋の下で拾ってきたんだよ。
この言葉を吐く時は、母は父に対して、酷く苛立っている時だった。
出張と言って、帰りが遅い時。
稼ぎが少ないのに、決して酒や煙草を控えようとしない時。
仕事を突然やめて、好き勝手にふらふらしている時。
暴君のような父に対して、逆らうという言葉を知らない母は、その苛立ちの全てを私にぶつけてきた。
そして最後に言うのだ。
あんたは、あの橋の下で拾ってきたんだよ。
その言葉の外側には、母親からのメッセージが込められている。
小さくてもわかる。
『あんたさえ、いなかったら』
『あんたなんて、いらないのに』
そう、お母さんは言いたいのだって。
あるとき、ふと気がついた。
橋の下で拾ってきたのなら、私はお父さんとお母さんの子供じゃないのに。
それなのに、どうして言うことをきかなくちゃいけないんだろう?
そうだ、拾われてきた子なら、私は、よその子だ。
『本当の』お父さんとお母さんがいるんだ。
探そう。
『本当の』お父さんとお母さん。
わたしは、静かに家を出た。
リュックと手提げとに、着替えとおかしと、やっと貯めたお年玉をいれて。
苛々しているときのお母さんは、私に構うことはない。
黙っていれば、いい子だから、何をしていても構うことはない。
だから、私が家を出たことに、お母さんは気がつかなかった。
暗くなりかけた夕暮れどきの街を、わたしは歩いた。
友達のお母さんとすれ違った時、変な顔をされた。
こういう時、先にニコニコしていれば、怪しまれない。
声をかけられる前に、にっこりと笑って、頭を下げた。
慌てたように、友達のお母さんも、にっこりと笑い頭を下げてくる。
横を通り過ぎて、わたしは真っ直ぐに歩いていった。
急に肩を掴まれて、引きずって行かれた先に、お巡りさんと一緒に立っている、お父さんとお母さんがいた。
その周りには、カメラを構えた男の人が沢山いる。
もう、この子は!心配させて!
そう言って、お母さんが駆け寄ってくる。
何をやってたんだ!迷惑かけて!
そう言って、お父さんが泣いている。
わたしは、お父さんとお母さんに向かって叫んだ。
この人たちを、捕まえて。
わたしを、橋の下から拾ってきたの。
『本当の』お父さんとお母さんのところに、私をかえして。
そのあと、お父さんとお母さんが、どうしたのか。
なぜか、まったく、きおくにない。
ただ。
私は、お父さんとお母さんと一緒に暮らさなくなった。
私は、『施設』というところへいって、そこから、『里親』という人のところに行けたから。
『里親』というお父さんとお母さんは、いつも私を抱きしめて言ってくれる。
あなたは、私たちが欲しいと思ったから、この家の子供になったのよ。
幸せだ。
しあわせだ。
欲しいと思われる子供。
わたしは。
とってもシアワセになった。
大人になり、恋をした。
結婚をし、可愛い娘を授かった。
愛おしい娘を胸に抱き、墓参りに帰郷した折に、実家の前に立つ、わたし。
家の前の川は、前面に伏せ越し道路が施されて、もう、あの橋はない。
子供を拾う、橋はない。
まーま?
娘の、甘い声がする。
わたしは、娘を抱きしめた。
あなたは、私が産んだ子よ。
わたしが、欲しいと思った、わたしの子よ。
大切な、大切な。
わたしの、わたしの子よ。