おっさん、クロイサスと実験す。
大図書館にあるレンタル実験室。
散乱する実験器具と、爆発に巻き込まれながらも幸いな事に五体満足でいる学院生達の姿があった。
天井に広がる黄色い染みと、周囲に漂う柑橘系の香りが惨状とミスマッチである。
「兄様、大丈夫ですか? お怪我は……」
「セレスティーナですか……? 大丈夫ですよ、いつもの事です。障壁を展開していたので傷一つありません」
「なら良いのですが、いったい何が起きたのですか?」
「謎の増強剤を複数製作して実験しようとしたら、傍の素材が偶然落ちて……」
「そして爆発……ですか? 何が混入したのです? こんな事になるだなんて……」
「確か、【成長促進剤】だったと思いますね。マカロフが制作していた植物用の……」
おっさんは少し納得した。
混入した物が【成長促進剤】なら、【超強力豊胸薬】になった理由も分かる。問題は謎の増強剤だが、恐らくは完成品に付随する効果を持つ薬品である事に間違いない。
「酷い目に遭いましたわ……。まさか、爆発するなんて……」
「あっ、キャロちゃんもいたんだ。もしかして、ティーナちゃんのお兄さんと同じ派閥なの?」
「……キャロちゃんは止めて下さらない? 元よりサンジェルマン派は、私の曽祖父が設立した派閥ですわ。その血族である私がいるのは当然ですわよ」
「ふぅ~ん。由緒正しい一族なんだね、キャロちゃん」
「そ、そんな事ありませんわ……。まぁ、先祖の名に恥じない事を常に心がけておりますけど……」
「頑張ってるんだね。私も早くダンジョンに行ける位ランクを上げたい。頑張らないと」
「当たり前の事をしているだけですわ。褒められるような事はしていません」
褒め慣れていないのか、キャロスティーの頬が若干赤い。
どうやら彼女は微ツンデレの様である。
「にしても……クロイサス君。君は何を作るつもりだったんですか? 非常識な物が出来上がっていますがねぇ……」
「これから実験しようとしただけで、何が出来るのかなんてわかりませんよ。まさか……ゼロス殿、今でき上がった魔法薬が何なのか知っているのですか?」
「厄介な物が出来上がっていますね。【超強力豊胸薬】……胸を大きくする薬ですよ。それも、恐ろしく効果が高い。ある意味で危険な薬ですねぇ」
「「「「なんじゃそりゃ――――――――――――――――――っ!!」」」」
―――ギュピィ―――――――――――――――――――ン!!
男子学院生が全員叫ぶ。
対する女子学院生の目の色が異様に輝いた。
「あ、アレを飲めば……私の胸も……」
「なんて素晴らしい……女の子の夢の秘薬。欲しい……」
「胸……魅惑のバストアップ……。さよなら、ツルペタの日々よ……私はシャンバラを目指す……」
「これでお母様の様に……。何が何でも飲まなくては……」
「ア、アレさえあれば、貧乳呼ばわりしたアイツを悩殺できる……」
「「「「「 欲しい!! 」」」」」
女子学院生はゾンビの如く起き上がり、鍋の中にある【超強力豊胸薬】を目指し、フラフラと誘引されるが如く近づいて行く。
まるで危険なウィルスに感染した重篤患者のように、その目には異様な輝きを湛えて己の願望を果たすべく動きだした。そこに【正気】という言葉は存在しない。
【豊胸】という名の魅惑の言葉に感染し、バイオハザード状態に突入したのだ。
「い、いかん! 男子、女子達を抑えてください!! 今、あの魔法薬を飲めば、彼女達は一生後悔する事になりますよ!!」
「「「「「 えっ!? えぇ~~~っ? 」」」」」
「早くしろぉ、一口でも飲んだら手遅れになる!! 何が何でも死守するんだぁ!!」
「「「「「 い、イエッサー!! 」」」」」
おっさんの剣幕に押され、男子は戸惑いながらも全員が女子を取り押さえるために動く。
だが、欲望に捉われた彼女達の力は凄まじく、力で勝る筈の男子が力尽くで強引に押し切られようとしていた。
さながら身体のリミッターが外されたかのように、彼女達の力は普段以上に強靭に発揮されたのだ。
バリケードとして立塞がった男子全員が次第に押し戻されて行く。
「……何で邪魔をするんですのぉ? 女の子は……誰しもω(オメガ)の覚醒を求めているものですわぁ……」
「胸が大きくなるのなら、女の子同士でビビットなチュウをして……パイなるフュージョンをする覚悟も出来てるのよぉ……。立塞がるならおじさんでもデストロイ……」
「邪魔するなら蹴散らします……。胸を……豊かなバストを……ウフフフ……」
「そ、そんな、セレスティーナまで……。そこまで胸を大きくしたいものなのですか!? 女子の美への欲求がこれほどとは……恐ろしい」
「だ、駄目だ……女子の力じゃねぇ……。噂の【白い悪魔】みたいじゃねぇか……」
「押し切られる……。何だこの力は……うおっ!?」
「こ、これが……ωパワーか……。どこかの迷宮に隠された力じゃなかったのか!?」
「聞いた事ねぇよ! うおぉ!?」
「「「「「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁ!!」」」」」
男子で抑える事は出来なかった。
生まれて初めて女子に戦慄するクロイサスと男子達。
胸に対する異常な執着と、理想とする美への渇望が彼女達を魔物へと変える。
だが、そんな人間バリケードの男子達の上を飛び越え、おっさんは鍋の前で立塞がった。
「ふぅ……そこまで、胸を大きくしたいんですか?」
「「「「「 無論!! 」」」」」
「決して……後悔しませんね? 飲んだ結果が自分の望むものでなかったとしても……絶対に」
「「「「「 こ、後悔? なぜに? 」」」」」
「この魔法薬……効果が絶大過ぎるんですよ。AカップがZ×10乗カップになるほどにねぇ……それでも飲みますか?」
「「「「「 Z×10乗カップ!? 何それぇ!? 」」」」」
「多分、飲んだら胸が大きくなり過ぎて、身動きできなくなるんじゃないかなぁ~。最悪、自分の胸の重みで死ぬかも……被験者になりますか? 選ぶのは自由ですがねぇ」
女子達の動きが止まる。
目の前には魅惑の秘薬が存在するが、同時に危険なリスクが存在した。
一時の感情的な暴走で、一生後悔し続ける事になり兼ねない。飲むか止めるか、それが問題だった。
「「「「「・・・・・・・・・・・・・」」」」」
「まぁ、効力を弱めれば使えるかもしれませんが、どうも妙な反応が出そうな気がしますねぇ。いったい何の増強剤だったんです?」
「あぁ、最初に出来た増強剤ならここに在りますよ? コレがそうです」
クロイサスが手にした増強剤。おっさんはそれを直ぐに鑑定する。
=================================
【女性ホルモン増強剤】
これを飲めば、いつまでも若々しく美しい美魔女に!
錠剤に加工する事も可能。栄養剤とも相性が高く、サプリメントもできるよ?
成長過程の少女は、使用上の注意書きを確かめてからご利用してください。
濃度が高いから希釈して使ってね。間違っても男性は飲んじゃいけないよ?
私みたいに戻れなくなるからねぇん。うふっ♡
=================================
「飲まねぇよ!! つーか、誰っ!?」
「……か、【鑑定】で何が見えたんですか? 飲んではいけないような効果がこの増強剤に……」
「まぁ……男が飲んだら危険ですねぇ。君達は、効果を確かめるためにオネェになる覚悟はあるかい?」
「「「「「 オネェ? 何で!? 」」」」」
とんでもない物を作り出していたクロイサス。
ある意味で戦争が起こる危険な代物だった。迂闊に生産して良い物ではない。
何しろ、既に手遅れの方々もいるのだ。段階を踏まずにいきなり販売などをすれば、間違いなくこの増強剤を求めて戦争を仕掛ける者がいるかもしれない。
有史以来、美を求める者は大勢いるのだ。クレオパトラ然り、楊貴妃然り。
そして、妻がいつまでも美しく在って欲しいと願う権力者も多い。ソレは時にとんでもない暴挙に出る事もある。それを踏まえて効能を説明するおっさん。
「「「「「 女にとっては夢の秘薬 」」」」」
「「「「「 男にとってはヤバイ魔薬 」」」」」
結果はこうなった。
女子にとっては夢のような効果で、男にとっては最悪の効果を齎す代物である。
この手の魔法薬は効能を確かめるため、学院生が自ら飲む事が稀にある。だが、それが男子であった場合は取り返しのつかない事になってしまう。
飲んだら最後、男は女性化してしまうのだから、これほど恐ろしい物はないだろう。
しかも元には戻らない。
「……あ、危なかったな」
「あぁ……効能が分からなければ、試しに飲んでみるという話だったからな。あの人がいなければ……」
「俺達はオネェの道に……恐ろしい。俺達は首の皮一枚で助かった」
「神はいた……。灰色ローブの胡散臭い神が……」
男子学院生は危うくオネェになるところを救われ、おっさんに深く感謝していた。
だが、おっさんとクロイサスは別である。
「中々に面白い効果ですねぇ……少し分けてもらえますか? 試してみたい物がありまして」
「ほう、ゼロス殿が試してみたいと? 実に興味深いですね。で、何に使うのですか?」
「実は……(ゴニョゴニョ)……なんて魔法薬が在りましてねぇ。これを混ぜたらどうなるか興味が湧きまして……」
「それは面白い。実に興味深いですよ。試してみる価値はあります。フフフ……」
出会ってはならない二人が動き出してしまった。
ガッチリと力強く手を握りあうゼロスとクロイサス。完全に意気投合してしまったようである。
そして、困った事にどちらもマッドであった。
「では、さっそく試してみましょう。増強剤を薄める事から始めた方が良いですねぇ」
「了解しました。ククク……面白い結果が出そうです。実に興味深いですよ、こんな事はいつの日以来か……」
「「ヌフフフフフフフフ……」」
そして、周りの学院生達を無視して実験を開始する二人。
一度動き出したら止まらないのは生産職の性であった。危険物は混ぜてはいけない。
「どうでも良いけど、食事はどうするの? おじさん……。お腹がすいたんだけど……」
イリスの言葉が届かないほどに、おっさんは実験に没頭したのである。
クロイサスと共に実に良い顔をしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「出来た……遂に完成した。男も一度は夢見た幻の秘薬」
「まさか……本当に作れるとは………。ゼロス殿、実に良い経験が出来ましたよ」
「まだまだ。今度は実証して見なければ効果は分かりませんがねぇ。さて、効果を薄めましたが、どの様な結果に……【鑑定】と」
おっさんとクロイサスが作り出した物。それは……。
=================================
【短時間性別変換薬(女性化限定劣化版)】
これを飲むと、一時的に男性は女性に姿を変える事が出来る。
効果時間は約一時間ほど、ただし服用すれば効果時間が延びる。
性別は変わるが人格に変化はない。一定時間のネタアイテム。
ハァ……最初からこれが出来ていれば、アタシも……。もう手遅れよねぇ~、取っちゃったし……。
=================================
「だから、誰だよ、あんたぁ――――――――っ!!」
【鑑定】スキルがアヤシイ。明らかに第三者が介入していた。
普段は脳裏で効能などが浮かんでくるのだが、今回は野太い音声付きである。
アンニュイに溜息なんかを吐いているのが無駄に腹立たしい。
「それにしても、まさか20倍に希釈しなくてはならないとは……どんだけ濃度が濃かったんですかねぇ」
「一度調合レシピを一から調べた方が良いでしょう。それより、本当に完成するとは思えませんでしたよ。実は前から興味はあったんです。自分が異性に生まれていればどんな姿だったのか」
「「「「「 何ぃ―――――――――――――――――――っ!? 」」」」」
「まぁ、女性化するだけですから、女子が飲んでも効果はないですがねぇ。濃度を上げれば最悪、女性化して戻れなくなりますからかなり薄めてありますが……。こっちは危険なので回収しておきますかねぇ」
「原液は完全に女性化してしまいますか、間違っても飲まない方が良いですね。必要な人になら譲っても構いませんが……。誰か完璧な女性になりませんか? マカロフ……」
「お、俺を期待の満ちた目で見るんじゃねぇ―――――――っ!!」
効果を確かめるためなら、クロイサスは友すら実験に使うようだ。
彼は爽やかな外見とは裏腹に研究の鬼であった。
「本当に女性になりたいと願う人は後から募集すれば良いでしょう。それより、【短時間性別変換薬】を誰が使うんですか? クロイサス君、君が自分で効能を確かめるんですかねぇ?」
「ゼロス殿はなぜ、この魔法薬を作ろうと思ったのですか? もしもの自分に興味があったのでは?」
「僕は単に面白い素材が在りましたので、『もしかしたら作れるのでは?』と思っただけなんですけどねぇ。完成してしまえば興味はありませんよ」
「ふむ、結果に興味はないと……過程を楽しむ研究者でしたか。しかし、この量はどうするべきか……希釈したら随分と増えましたね」
「う~ん……僕も流石にこれほどの量は要りませんよ。それに、効果時間が一時間だからなぁ~。この場にいる全員で飲んでみますかねぇ? 女子を除いてですが……」
卓上に並べられた魔法薬は有に50本は越えていた。
効果を薄めた結果が倍に増えてしまい、面白半分に使うネタアイテムが出来るまでに幾つかの試作品が出来てしまう。中には本当に女性になったまま戻れない【性転換薬】もあるほどだ。
幸い本数は少ないが、ラベルを張りながら分別を図り、別のテーブルに置かれている。
男子全員が飲んでも半分は余る。ついでに原液はおっさんが回収した。
いくつか効果を薄めた分も失敬しているが……。ゼロスは面白アイテムをコレクションしていたりする。
「誰か、試してみたい人はいますか? 私も飲みますので、興味のある人は参加してください」
「「「「「 まかせろ、女性化した自分を見てみたい! 元に戻れるなら俺達は挑戦する!! 」」」」」
「サンジェルマン派は研究者の派閥だと聞いていましたが、まさかここまでとは……ほとんど全員なんじゃないですかねぇ? 間違いない、彼等は勇者だ」
研究者は未知なる物に対しての好奇心が強い。
そして、この場にいる男子学院生は挙って参加した。実験室を利用していた他の学院生まで参加し、その数は32名にまで及ぶ。
彼等はどこまでも研究馬鹿であった。
そして、彼等の手に試験管に入れられた【短時間性別変換薬】が行き渡ると、クロイサスが音頭を取る。
「全員に行き渡りましたね? ……おや? マカロフも参加するので?」
「何か、この空気で参加しないのは嫌だろ。仲間外れみたいでさ……」
「そうですか……。では、気を取り直して。魔法薬の新たなる歴史に、乾杯!」
「「「「「 乾杯!! 」」」」」
「……別にめでたい物でもないと思がねぇ。まぁ、良いか」
研究者にとって、新たなる薬品を発見し完成する事は喜びであり、彼等は進んで自分の身を実験に使う。
安全が保障されているから良いが、何かの間違いで取り返しのつかない事態になる事もあり得る。
幸い高レベル者の【鑑定】のおかげで完全に安全だと判明しているが、普通に考えて彼等の行動は異常であった。
一斉に試験管を煽り、中の緑色の液体を一気に飲み干す。
だが、ここで大きな誤算がある。そもそも男性と女性とでは身体構造も骨格も異なる訳で、性別を変換させるような効果が現れれば、身体には強烈な痛みを味わう事になる。つまり……。
「「「「「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」」」
激痛に耐えられず絶叫する事になる。
急速に骨格が変化する音や、何かが裂けるような痛みにのたうち回り、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図となる。
急速な体の変化に耐えられず、彼等は地獄を味わっていた。
「うん。何となく、こうなる気はした……。変身て、身体構造を作り変える訳ですからねぇ」
「おじさん、分かっていながら飲まなかったの?」
「まさか、ただ我が家のコッコ達みたいな能力があるわけではありませんし、もしかしたらとは思っていましたよ……」
「予測は出来てたんだ。酷いね……おじさん。はい、お茶」
「これはどうも……ん?」
イリスに手渡されたお茶を飲んだが、良く見れば、それは緑色の液体の入ったビーカー。
つまり、この中に入っている液体は……。
「イリスさん……謀った……な……うぐぉおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
「ごめん、おじさん……。私ね、どうしてもおじさんが女性になった姿が見た――い♪」
「うぐ……ぎぃいいいっ、女性……て、ぐおぉ! ただの……おばさんになる……だけ…ぐあぁああああああっ!!」
「先生が女性に? ……想像がつきません。少し、ワクワクします」
「私は、イリスさんの方が酷いと思いますわ……」
「「「「「ニョホンホヒンロヘヒレヒハヘ――――――――――――――――ッ!!」」」」」」
何だか良く分からない叫びが実験室にこだまする。
そして彼等は変身を遂げた。
「……く、クロイサス……お前、クロイサスなのか!?」
「ふむ、マカロフですか……随分と可愛らしくなって」
クロイサスはストレートブロンドの涼しげな目元をした美少女に変身し、マカロフは短髪の少し日に焼けたスポ-ツ女子といった感じの元気少女風。どちらも魅力的な変身を遂げていた。
「お、兄様……いえ、この場合はお姉さま……? 綺麗……」
「ちくしょ―――――――ぉ! 何でお前は男に生まれたんだ! めっちゃ美人じゃないかぁ!! ホレてまうやろぉ!!」
「マカロフ、その姿でそのセリフはアヤシイですよ? 今の自分の姿を見てから考えて話した方が良いと思いますが? 少しは自覚して言葉を選ぶべきです」
「その言動が既にお姉様じゃねぇか!」
女性化した男子達はそれぞれが女子から鏡を借り、廻しながら自分の姿を確認した。
中には普通に可愛い者達から、『流石にこれはないだろう』といった姿に変貌した者達と、実にバラエティーに溢れた変身である。
「あっ、おじさんは?」
「そうでした。先生は……」
「まったく、酷い目に遭いまし……何じゃこりゃぁ――――――――――っ!?」
胸元に豊かに実った二つの果実。
異性としてなら大好きだが、自分が女になるとこれほど恐ろしい物はなかった。
そしてその姿だが、無造作に伸ばした髪に、垂れた細目が妙に色っぽい。
アラフォー女性とは思えない程に若く、何よりも無駄に美人だった。誰もが言葉をなくしている。
薄汚れた灰色ローブが逆に手練れな魔導士という印象を与え、いかにも流浪の高位女性魔導士風。しかもセクシーな姿に大人の色気がムンムンと漂っていた。
女性化した男子が思わず息を吞むほどに……。完全な熟美魔女である。
「おじさん……スゲー美人だよ? はい、鏡……」
「凄く……お綺麗です! 先生……」
「別人ですわね……。考え様によっては恐ろしい薬なのではないかしら?」
「・・・・・・・・・・・・」
鏡を手渡され自分の姿を見たゼロス。
しかし、その表情は蒼褪め、なぜか体が震えていた。
「くっ……殺せ!」
「「「なんでぇ―――――――――っ!?」」」
ハスキーな女声から出てきた言葉は、捕らえられたどこかの諜報員か軍人のようなセリフだった。
「まさか、女性化したら奴と瓜二つとは……コレは僕の精神が耐えられない!! 記憶から消し去りたい悪夢だ!! こんな記憶が残り続けるなら、死んだ方がマシです!!」
「お姉さん、そんなに美人なの!? それより、どんだけお姉さんが嫌いなの!?」
「殺してミンチにした後に、核融合炉に放り込んで、核廃棄物としてブラックホールに捨てたいくらいに嫌いですね。徹底的の絶望を味わせて……何て悪夢だ……」
ゼロスにとって、女性化は悪夢以外の何物でもなかった。
早い話、おっさん……いや、おばさんは、シャランラをこの世から消し去りたいほどに嫌いなのである。
そして、その姿に自分が変わっていること自体が許せない。
「……死のう。誰か、介錯をしてください……絶望しました」
「ちょ、切腹を覚悟するくらい嫌いなのぉ!? そこまでするほどに嫌だったのぉ!?」
「この様な屈辱に、拙者は耐える事は出来ぬでござる。潔く腹を切り、己が生き様を示す所存……」
死を覚悟する程に屈辱だった。
「でも先生、とってもお綺麗ですよ……ポッ♡」
「!? もはや、これまでか……」
なぜか扇子を取り出すおっさん、そして歌い出す。
「人間~~~五十年~~、下天の内にぃ~~~くらぶればぁ~~ぁ~。夢ぇ~~~~幻の~如くなりぃ~~~ぃ~。一度~~生を得て~~~~~~~滅せぬ者の~~あるべきか~~~……」
「敦盛!? 敦盛を歌い舞うほどに嫌だったのぉ!? ここは本能寺じゃないよぉ!?」
「滅せぬぅ~~~者のぉ~~あるべきかぁ~~~~ぁ…………いざっ!」
「『いざっ!』じゃないよぉ~~~~っ!? やめて、ナイフに紙を撒いて切腹する準備を始めるのはやめてぇ――――――――っ!?」
「怨敵と似た姿など、拙者には耐えきれぬで候……。武士の情けでござる。誰か、介錯をぉ!」
介錯をする者など誰もいない。
そもそもこの国にそんな自害の儀礼などないのだ。周りはただ困惑するだけである。
「ならば……御免!」
「ちょ、剣を抜いてどうする……まさか、自分で首を落す気!? とめて、誰か止めるのを手伝ってぇ!!」
「離せぇ―――――――っ!! 死なせろぉ――――――――――――っ!!」
「殿中でござる!! ゼロス殿ぉ、殿中でござるぅ!!」
周りで見ていた者達が事態をようやく把握し、慌てて動き出す。
その後、学院生達に強制的に拘束され、おっさんは薬の効果が切れるまで縛りつけられる事となる。
途切れることのない慟哭は、おっさんの姉嫌いを如実に語っていた。
どこまでも仲の悪い姉弟であると、イリスはこの時ハッキリと理解した。
イリスがほんの悪戯心で起こした事は、おっさんにとって死を望むほど最悪の出来事であったのだ。
この世には、してはならない事があると経験し悟るのである……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「クソッ、クソォ! クソオォッ!! ツヴェイトの奴めぇ……」
ラーマフの森から戻る途中から、サムトロールの周囲から人が消えた。
元より彼の周囲にいた者達は旧時代からその身に受け継ぐ魔法を誇りとし、その血統に甘んじている血統主義者と、ブレマイトの洗脳魔法で操られた者達しかいなかった。
俗に言う血統主義派の者達がサムトロールに近付いたのは、ただ彼の一族の権威に利用価値があると思われたからで、彼自身を求めた訳ではない。
また、洗脳魔法の被害者達はブレマイトがいない事で洗脳に綻びが生じ、結果自我を取り戻してしまう事になった。
それも、自分達と同年代で範囲魔法【エクスプロード】を使いこなす、少女魔導士を目撃したからだ。
しかもその少女は傭兵で、自分達がいかに努力をしてこなかった事を突きつける結果となる。
まぁ、イリス自身にそんな気はなくとも、洗脳された学院生達には衝撃であった。
確かに傭兵にも魔導士はいるが、【エクスプロード】のような戦略魔法を使える者などいない。
だが、その当たり前と思っていた現実が崩れた時、洗脳効果に大きな衝撃が与えられ魔法効果が打ち消されてしまったのである。
元より洗脳魔法は精神や感情の起伏によって綻びが生じやすい。感情の急激な変化によって簡単に解けるほどに繊細で扱いの難しい魔法なのだ。
何度も魔法を掛け直さないと効果が表れ難く、少しの事で簡単に効果が消えてしまう。再び洗脳するの事が難しい魔法でもあった。そして、ブレマイトもまた姿を消した。
彼にとってブレマイトは腹心のはずであったが、その彼がいなくなった事で数日で彼の立場は急速に落ちぶれてゆく。自業自得とも言えるのだが。
そんな彼は現在、路地裏チンピラに喧嘩を売り、逆に叩きのめされてゴミの中に倒れていた。
「力が……力があればあんな奴等に……」
「さっきから見てたぜぇ? 貴族の坊ちゃんが随分とボコボコじゃねぇか、どうせ他人の力を当てにしてハブられたんだろ? ざまぁ~ないな」
「なんだ、貴様は……うせろ!」
「粋がるなよ、余計に無様だぜぇ? それに、俺はお前の願望を叶えてやれるブツを持っている。どうする、買うかい?」
明らかに胡散臭い身なりの男だ。
それがヘラヘラと笑みを浮かべながら、こちらの様子を窺っている。
「……望みを……叶える物だと?」
「そうさ、使えば忽ち力が溢れるが、使い過ぎるとヤベェな。まぁ、それはお前次第だ」
「危険物だろ、そんな物が使えるかっ!」
「魔法薬だからな、使いすぎれば危険さ。だがよ、リスクなしで強くなれると思ってんのか? どんだけ甘ちゃんだよ」
サムトロールが一人ラーマフの森から帰還すると、そこには実家であるウィースラー侯爵家から絶縁状が届いていた。女給達も寮から引き揚げ、広い部屋に一人だけ残されたのである。
絶縁状の中に書かれていた事は、『学院を卒院するまでは学費は払うが、それ以降は好きに生きろ。ウィースラー家の権威や家督を使う事は許さない。本来なら処刑されるところを公爵家の慈悲で生かされたのだから、ありがたく思え』と、要約するとこんな内容であった。
暗殺の話を実家が知っているとなるとブレマイトが裏切ったとみるのが妥当で、同時に自分が何もかも失った事を知る。それでもツヴェイトを逆恨みするのだからどうしようもない。
その大きな理由がツヴェイトが王族と親戚筋の血統であると同じ様に、サムトロールにも王族の血が流れている。彼の母親が王族の縁戚にあったのだ。
だが、その母親が最近妊娠し弟か妹が生まれる事になる。どちらに生まれたとしても家督を継ぐ予備のとして育てられるのは間違いなく、同時に血統や実家の権威を使い好き勝手にしていたサムトロールが邪魔になった。だが、両親はそれを表に出す事はなかったので、サムトロールは気づく事もなかったようである。
自分は次男坊だが王族の血統、それなのに侯爵家を継ぐ事が出来ない。そんな思いが同じ王族の血統を持つツヴェイトに敵愾心を過剰に増大させた。
何しろツヴェイトは公爵家の跡取りだ。それだけに嫉妬も加わり敵意は膨れ上がる。そしてブレマイトを使い派閥の乗っ取りに動き出した。
洗脳して言いなりになったツヴェイトを見ていた時は実に愉快だったが、夏季休暇が終わり戻ってきた時には洗脳は解け、それどころか今まで掌握していた派閥を根こそぎ奪い尽す勢力となってゆく。
焦ると同時にツヴェイトの才覚が妬ましくなり、とうとう一線を越えてしまったのである。その結果が今の彼であった。サムトロールにはもう何も残されていない。
「……いいだろう。その魔法薬、俺が買う」
「へへへ……まいど。あぁ、こいつを使う時は【格上げ】の時にしてくれよ? ヤバイ薬だからな」
「俺が買った以上、どう使おうが俺の勝手だ!」
「そうかい? まぁ、忠告はしたぜ。じゃぁな……」
用は済んだとばかりに、男はさっさとその場から姿を消した。
一人その場に残されたサムトロールは、男から受け取った魔法薬の包みを開け、その粉末を口の中に入れる。その効果は驚くべきものであった。
「ひ、ヒハハハハハハ!! 何だコレは、スゲェ……力が、力が漲って来る。最高の気分だ。ヒヘへへへへ……先ずは手始めにさっきの奴等を……」
サムトロールは走り出し、やがて自分を叩きのめしたチンピラ達を見つけ出す。
そして彼は、そのチンピラ達を重傷に追い込む程に殴り続けたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サムトロールの様子を遠くから見ている者達がいた。
人数は三人、一人は男性で黒尽くめの魔導士。残る二人は女性だが魔導士と魔剣士のようである。
「あの馬鹿、さっそく使ったわね。あの薬……。何で直ぐに使うのよ、使用上の注意は聞かなかったのかな?」
「知らん。まぁ、これであの薬の有効性を調べられるな。馬鹿が一人消えるかもしれないんだ、この国にとってはありがたい筈だろ? 俺達は良い事をした。にしても、あのバイヤー……良い仕事をする」
「リサ……私達の目的はこんなくだらない事じゃないわよ? 本当に倒すべき相手は……」
「奴等だな。そして、標的はあの国……。【イサラス王国】の連中には、少し踊ってもらう。良心が痛むが、手段を選んでいる余裕はないからな。利用しているのはお互い様だし」
「普通に考えて、小国が大国相手に勝てるわけないもんねぇ~。まぁ、貧しい国だから土地を奪わないとやっていけないのは分かるけどさ。にしても、アドさんは悪党だね」
彼等が手を貸している【イサラス王国】は、元は統一国家を築いた王族達の末裔が暮らす国だった。
一度は大規模な土地を得る事に成功し、復権して一大帝国を築く事に成功したのだが、結局は国を維持できずに崩壊し再び弱小国家に成り下がった。
最近は大深緑地帯からも魔物が頻繁に現れ、貧しい暮らしの民達の生活も危険に曝されている。
それだけに安全な暮らしの出来る土地の確保が急務となり、各地に間者を送り地形や軍事的な情報を集めるようになった。
生き延びるために戦争を仕掛けねばならない状況に陥ったのである。
「この国への侵攻は無理だろ。オーラス大河の上流に、あんな柱を建てられてはなぁ~」
「でも、あの柱の上にあった彫刻、どう見てもアニメキャラやロボットよね? まさか……」
「恐らくは、この国にもいるんだろうな。転生者が……。それよりも、少しレベルを上げておいた方が良くないか? あの国は高レベル者が多い、戦争は個人だけでは出来ないからな」
「時間がないから無理よ。それと私、同郷の人と戦いたくはないなぁ~……。同じ犠牲者だし」
「少なくとも、この国にいる奴は愉快にやっているんだろう。敵対しなければいいさ。そんな事より、先ずは獣人達だ……彼等の自由を取り戻す。そして信頼を勝ち得る」
彼等の目的のためには戦力が必要であり、その目的を果たすための材料も揃えなくてはならない。
幸にも【ソリステア魔法王国】は彼等の標的ではないようだが、彼等はこの国に最大の戦力がいるなど知る事はなかった。
サムトロールを観察するために移動を開始した彼等だが、その最大の戦力が今、少女連れで傍を通り過ぎていたなど彼等には夢にも思わないだろう。
同じ転生者が実は意外に近くにいた事など、彼等は全く気付かなかった。