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おっさんのいない日常7

 最近のクロイサスは何かと忙しい。

 殆ど自室と化している研究室が片付いた事もあるのだが、サンジェルマン派の若き研究員候補達と共に魔法式の研究が捗っており、その研究が最近好調に進んでいる事で上機嫌であった。

 そして彼が機嫌が良い時はやはりと言って良いほど研究室に入り浸る。つまりはいつも研究室にいる訳なのだが、環境も研究もスッキリしたので彼は黙々と研究を続けていた。

 いい加減に体力づくりをしても良さそうなのだが、一つの事に集中するタイプなので余計な事に煩わされたくない。更に上機嫌な理由が兄と妹との関係であろう。


 幼い頃から魔法研究に明け暮れていたクロイサスは、次期当主として研鑽を積む活動的なツヴェイトを苦手意識を持っていた。どうせ公爵家は兄が継ぐのだろうとひきこもりになり、結果として意見が合わなくなり増々嫌厭して行く事となる。妹のセレスティーナに関しては論外で、魔法が使えないという事は魔導士にはなれないと決めつけ、結果として興味の対象外として外していた。

 だが、その妹が自分と同様の研究者肌であると知ると、これまでの自分の対応に反省する事となる。

 彼が謝るのも実に早かった。ツヴェイトの様に謝るまで何度も悩み挙動不審者にはならず、直ぐに詫びを入れる程に素直であった。

 間違っていた事にいつまでも固執せず、誤りには直ぐに修正を図る対応は研究者らしいと言えよう。しかし興味対象外と言う理由で全く相手にしなかったところは、人としてどうかと思う。


 そんな彼の兄妹関係が改善して来ており、最近では何かと話が合うのが少し楽しかったりする。

 ツヴェイト曰く、『魔法の効率的運用を考える上で、魔法の特性を研究する事は間違いじゃねぇはずだ。魔法の事を理解できねぇで、なんで戦術が組めるんだよ』との事だ。

 セレスティーナも『戦うための魔法では無く、もっと異なる魔法の運用法がある筈です。私は人の生活に役立つ様な魔法を作りたいのです! 出来れば魔道具なども作ってみたいですね』と言っている。

 方向性は異なれど、魔法に関して別方向から斬り込んで来る二人の兄妹達のとの会話は実に有意義で、刺激的でもあり、新たな発見もある。彼はどこまでも研究馬鹿であった。


「上機嫌のところ悪いけどよぉ~。来週には実戦訓練があるぞ? お前、体力作りをしなくて良いのか?」


 マカロフの一言で彼の動きが止まる。

 それまで上機嫌だったクロイサスは一旦動きがピタリと止まると、まるでロボットの様なぎこちない動きで首を彼の方向へと向けた。それはそれは、もの凄く嫌そうな顔をしていた。


「何故、今それを言うんです? 頭から忘却していたと言うのに……」

「いや、忘れちゃ駄目だろ! お前、強制参加組じゃんか!! 序にいくら忘れようとも、その日は必ず来るもんだろ」

「クロイサス君、準備は出来てるのぉ~? 学院指定の装備じゃ心許無いよぉ~?」

「イー・リン……クロイサス君が準備なんてしている訳無いでしょ? 基本的に研究以外は駄目な人なんだから……」


 酷い言われ様だが、基本的に彼等の言っている事は正しい。

 クロイサスは銀髪の長身美形で頭脳明晰。しかし、そのルックスと見た目のクールさが災いし運動関係も得意と思われている。だが、実際は運動は苦手で普段の私生活はだらしが無い。

 イー・リンが献身的に世話をしていなければ、寮にあてがわれた彼の部屋は数日でゴミ箱の様になる事だろう。周囲はその見た目から勝手に幻想を押し付けているが、実際のクロイサスは私生活はもの凄く適当であった。別の意味で他の兄妹がしっかりした性格とも言える。


 意外な事だが、ツヴェイトの方が潔癖と言えるほど身の回りを綺麗に整えており、セレスティーナは身の回りに余計な物を置かない。年頃の娘として見れば、『これはどうなんだろう?』と思う程に女の子らしくない部屋なのだ。何しろぬいぐるみ一つ置いていない。

 あまりにも寂しい部屋なので、見かねたミスカが花を活けて飾るほどに何も無いのである。

 余談になるが、そんな寂しかった部屋は最近になって薬草や鉱物などが収められた瓶が増えて来ており、近い内に研究者らしい部屋へと様変わりする事であろう。それでもクロイサス程のゴミ屋敷のような部屋では無い事は断言できる。


「お前、今月に入って使用人が何人逃げ出したんだ? 何で掃除した次の日にはゴミがたまってんだよ。おかしいだろ!!」

「そうは言われましてもねぇ……。確か、試してみたい薬草などの配合を徹夜で繰り返していた気がします。研究者なのですから、それくらいは許容範囲だと思いますが?」

「お前の場合は限度を超えてんだよ!! 隣の部屋にいる俺のところにも悪臭が漂って来たぞ? 目が覚めたら医務室で寝かされていたし、お前はいったい何をしたんだ!!」

「私も覚えていませんね。気が付いたら寮の中庭で倒れていましたし、本当に何があったのか……」

「調合は研究室でやれぇえええええええええええっ!!」


 敢えて言うのであれば、クロイサスは精神系魔法に対する回復ポーションの試作品を製作していたのだが、その結果悪臭が充満して本人は中庭へと退去した所で気を失った。

 その薬品からあやしい色の煙が寮内に充満し、隣室にいたマカロフはそのまま気絶したのだが、汚染地区から僅かに離れた場所では学院生が奇行に走り、カオスの場と化したのである。

 馬鹿みたいに陽気に笑い続けたり、その場で全裸になるのはまだマシな方で、中には口にするのも悍ましい真似をしたり、ホモとゲイは似ている様で違うと熱く語りだしたりと、個人によって様々な効果を発揮した。


 彼ら被害者の救護に当たった者達はこう語る。「アレは地獄だ……。恐ろしい……人はあそこまで狂えるものなのか………出来る事なら記憶から消し去りたい。頭がおかしくなりそうだ……」と……。

 詳しくは語る事はなかったが、彼等が突入した時に見た物は、全てにモザイクが掛かるほどの危険な光景であるとだけ記しておく。正気の人間が知るべき事では無い内容なのであった。


「どうしても試したくて、我慢できなかった事は覚えているのですが……。どんな効果があったのか興味はありますね」

「俺も気になって聞いたけどよ……。救護に当たった奴等はその場で発狂したぞ? 間違いなく、ヤバい物を作ったのは確かだな……」

「その内、興味本位で国を滅ぼしそうよね……クロイサス君」

「セリナぁ~、いくらクロイサス君でもそんな事は……あるかも…………」


 彼らの仲間内では、クロイサスの認識は完全なトラブルメーカーであった。

 下手に優秀なだけに何をしでかすか分からず、何かをやらかした時は周囲に多大な被害を被る。

 本人に悪意が無いだけにタチが悪く、どういう訳か被害者も記憶が飛んで全く記憶していない事が多かった。愉快犯だったら法に処する事も出来るのだが、全ては事故で片づけられているのが現状である。

 何しろ、生み出して充満した薬品の効力はどうあれ、次の日には痕跡すら残らず消滅しているのだから証拠が残らない。いったい何を作り出したかは未だに謎であった。


「仕方が無い……兄上から予備の装備を借りますか」

「お前、それを本気で言ってんのか? 以前に貸した俺の装備も一ヶ月後には錆びやカビが浮いてたぞ? 俺だったから良かったものの、お前の兄貴だったら容赦なく殴られんぞ」

「確かにそうかも。クロイサス君と血を分けた兄弟だし、遠慮はしないと思うわ」

「クロイサス君……身の回りもきちんと整理した方が良いよぉ~?」


 身に覚えがあるだけに、彼は何も言えない。

 借りた物はしばらく返却せず、場合によっては酷く傷んだ状態で持ち主の元に戻って来る。

 思い出すのもかなり遅く、気づいた時には色んな意味で手遅れになっている状態で発見され、物によっては永久に消失する。

 おっさんやイリスが彼の部屋を見たら、間違いなく『腐海の森だ……』と言うだろう。

 一度、キャロスティーが彼の部屋を訪ねた事があったが、扉を開けた瞬間に絶叫し、その場で気を失ったと言う。彼女が何を見たのかは謎のままで、その時の記憶を忘れ去っていた。

 ただ、何故かその日以来、クロイサスの部屋を訪れる事はなくなったらしい。


「キャロの奴は何を見たんだ? お前の部屋だろ、何を置いていたのか覚えてねぇのか?」

「・・・・・・・正直、あの時はここに寝泊まりしていましたし、暫くは寮に戻っていませんでしたから」

「キャロちゃん、クロイサス君を迎えに行こうとすると、何故か震えだして最後には泣いちゃうんだよ? よほど怖い物を見たんだろうねぇ~」

「クロイサス君……ホムンクルスは作ってないわよね? それもとびっきり危険な生物……。私が聞いた話だと、『早く人間になりたぁ~い!』て声が君の部屋から聞こえたらしいわよ?」

「「何それぇ?! て言うか、もう手遅れ!?」」

「記憶にありませんね。……そんな不可解な生物など作っただろうか?」


 クロイサス・ヴァン・ソリステア。17歳。

 父親とは別の方向で謎な人物である。そして、無自覚な危険人物でもある。

 彼の寝泊まりする部屋は、まさに腐海。何だか分からない怪生物が生まれるデンジャールームであった。

 因みに、命の創造は国家間で禁止されている。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

 二ヶ月ほど時間は戻り、夏季休暇に入った学院生寮――ある日の深夜。

 この部屋の主であるクロイサスは、この日も研究室に寝泊まりをして戻る事はなかった。


 カーテンを閉めきり、光の入らない寮の一室で、今日もまた得体の知れない何かの生物が胎動を始めた。

 粘液状のソレは闇の中で蠢き、自由を求め瓶からスライムの様に這出て行動を開始した。不定形で不気味な体を揺らし、やがて粘液は次第に体を構築して行く。

 まるで、蛹の中身があるべき形へ変化するかのように。見かたによれば生命の進化の過程を高速で見ているかのようだった。単細胞生物から、複数の体細胞で構築された生物へと……。

 やがてソレは、人型の生物へと姿を変えるが、その容姿はあまりにも醜い。

 三本の指が生えた両腕で窓を開けると、その生物は宵闇に包まれた外へ出て、何処となく消え去っていった。その姿を唯一目撃した者は長い尻尾だけが印象に残った。


 この生物が何なのかは誰も知らない。……知る事すら無い。

 ただ、どこかの街の片隅で都市伝説となって僅かに語られるのみであった……。

 そして……


 ―――キシャァァァァァアァァッ!!


 ……現在――誰も近付く事はない地下の下水路で、正体不明の生物が咆哮を上げる。


 創造主はこの存在が生まれた経緯を全く知らず、同時にその過程を綺麗さっぱり忘れている。

 真実は全て忘却の彼方へ……と言うより、むしろ偶発的に発生した生物なのだが、何にしても全て闇に消えたのである。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 話しを戻そう。

 研究室で駄目出しをされていたクロイサスだが、結局ツヴェイトの元へと向かう事になる。お供をするのはマカロフだ。

 二人は何とかツヴェイトを発見し、事の経緯を彼に伝えてみる。のだが……


「…と、言う訳で、出来れば装備をお借りして欲しいのですが……」

「断る!! そんな話を聞かされて、マジで貸せると思ってんのか? どんな神経してんだよ、お前はぁ!!」


 クロイサスは僅かな望みをかけて、ツヴェイトに装備を借りるために頭を下げて――は、いないが頼み込んだ。

 最近は二人の仲が改善したように思われ、もしかしたらと思い頼み込んだのだが、やはり断られたようである。これはクロイサスの自業自得であろう。

 因みに今いる所は大図書館内で、ツヴェイトの友人のディーオもこの場にいる。

 ディーオの目的は言わなくても分かるだろうが、初恋の君であるセレスティーナとの友人関係を築く事である。しかし、あの凶悪な恋の病が発動する事を考慮してはいない。

 絶叫プロポーズをしたらどうなるのであろうか?


 話を戻すが、クロイサスの結果はこの通りである。元からだらしのないクロイサスに何かを貸せば、それがいつ手元に戻って来るか分かったものでは無い。むしろ戻って来ない可能性の方が高い。

 そんな話を聞かされて、『OK、良いよ!』と言う者がいたとしたら余程の聖人君子であろう。

 何しろクロイサスは借りた物は返さない・紛失する・破損した・捨てちゃった・得体の知れない生物が持ち去ったの三拍子どころか、五拍子も揃っている逸材だ。

 貸し出すという事は、彼に贈呈するという事と同義だった。


「お前……自分の装備はどうしたんだよ? 俺の奴と同時期に作った筈だが……」

「発掘したのですが、装備は全て腐敗していましたよ。見るも無残に錆び付いて、革の部分は何かに喰われたような跡が……」

「発掘!? それと喰われたって、この学院全体はネズミなどの小動物は寄せ付けない措置が取られていた筈だぞ!? 何が食い荒らすんだよ!」

「さぁ? 鋭利な牙で噛み千切られた跡や、高濃度の酸性液で溶かされた痕跡がありましたね?」

「お前……寮で何を育成してんだ? 明らかに小動物の仕業じゃねぇよな?」


 昔からあまり関わり合わなかった二人は、ここ最近で幾度と無く話し合う機会が増えたのは良いが、クロイサスの事を知れば知るほどにミステリーである。

 そして、それ以上にデンジャーでもある。多くの学院生が共に生活する寮内で、得体の知れない実験を繰り返していたなど初耳だった。

 ツヴェイトはそれを聞き、頭を抱えたくなる。いや、既に抱え込んでいた。


「だから言ったろ? 無理だって……」

「マカロン……こいつを良く監視しておいてくれよ。何をしでかすか分からん」

「誰がマカロンだよ!! それと、この問題児を監督するのは兄貴のお前の役割だろうが!!」

「無理だ……俺の手には負えん」

「そんな厄介な弟を、俺に押し付けんじゃねぇ!!」


 ツヴェイトとマカロフが揉める横で、クロイサスは涼しい顔で『おや? 装備が無いともなれば、この野外講義を遣らないで済むのでは?』などと、暢気に都合の良い事を考えていた。

 だが、学院行事はそんな甘いものでは無く、装備が無ければ後方支援に廻されるのでどの道参加しなくては為らない。旨い話などそうそう無いのだ。


「相変わらずだね、クロイサス……。けど、実戦訓練は出ないと駄目だよ? 成績の上位者は強制参加だから」

「……そうですか。儘ならないものですね。ところで……ウォーリーでしたか?」

「違うからね!? ディーオだから、中等部で同期だったのを忘れたのかい!?」

「あぁ……そんな名前でしたね。失礼な真似をしたお詫びに、石の仮面を差し上げましょう。少しの血を掛けたら変な棘が生えて来る、実に珍しい仮面なのですが……」

「いらないから! 何なの、その怪しげな仮面!?」

「たまたま骨董市で購入したのですが、何に使うか分からなかったんですよ。試しに装着してみませんか?」

「人を人体実験に使おうとしてるぅ!?」


 クロイサスは収集癖があるようで、偶に街に出ては変な物を購入して来る事がある。

 中でも魔導具の類が多く、いずれ研究してみる積もりで大量に購入するのだが、結局研究される事なく寮の一室で山積みにされて行く事になる。

 結果として腐海の基盤が作られ、そんな物置同然に部屋で魔法薬などの実験を積み重ねる事により、デンジャールームが完成するのだ。

 そんな部屋に寝泊まりしていても、クロイサス自身は何とも思わないのが不思議である。例え思ったとしても、『やれやれ、少し散らかってきましたね』とスタイリッシュに感想を述べるだけで、片づけようとは思わない。そんなゴミ捨て場のような部屋にあやしい魔導具が眠り続けていた。


「「何でお前は、他人事みたいなツラァしてんだよ!!」」

「いえ、後方で待機しているだけなら、別に装備は要らないのではと思いまして……」

「そんな訳無いだろ!! 後方でも魔物に襲われる事があんだぞ!!」

「クロイサス……何でお前は自分の都合の良い様に考えるんだ? ワ○チコが苦労するだろ、少しは気を使え」

「俺は、マカロフだぁあああああああああああっ!! 一文字も合ってねぇだろ!!」

「小さい事は気にすんな」

「小さくねぇよ!? 同級生だったろ!! 同じ班だったろ、なぁ!?」

「人の名前を憶えない兄弟だよなぁ~……ホント…」


 ディーオは深い溜息を吐いた。

 この兄弟は、どうでも良い存在の名前を覚える気が無い。必要なら覚えるが、しばらく顔を合わせないと直ぐに忘れるのである。

 サムトロールですら、いずれ派閥内での決着が付けば完全に忘れ去られるだろうと思っている。

 ある意味ではサッパリした性格の兄弟であった。


 図書館内は幸い人はいないが、司書官たちは迷惑そうに睨みつけている。

 かなり迷惑な連中が揃ってしまい、更にこのカオス的な口論はしばらく続くのである。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 ソリステア兄弟がちょうど揉めている頃、セレスティーナはウルナに修練場で魔法を教えていた。と言っても、獣人族の潜在意識内に刻める魔法式の数は限られており、効率良く使うには彼女の適正にあった物を選ばなければならない。だが実戦訓練や今までの見学経験から格闘戦を重視した。


「色々考えてみた結果、ウルナには【シールド】【エア・フィールド】【ホークアイ】の魔法を覚えてもらおうと思います」

「何でその三つなの? 格闘主体だよね?」

「シールド魔法は腕や足に掛ける事により体を武器に変える事が出来ます。エア・フィールドは矢などの遠距離攻撃から身を守るため、ホークアイは逸早く敵を確認するためです」

「シールド魔法が武器になるの?」

「やってみましょうか?」


 セレスティーナは修練場に立てられた魔法の標的にする案山子に向けて、腕に【白銀の神壁】を展開させ鋭い剣状にすると、それを垂直に振り下ろす。

 案山子は綺麗に両断され、そこに取り付けられた古いフルプレートの鎧が音を立てて落ちた。周りにいた学院生は何が起きたのか分からず呆然とする。

 シールド魔法は使い様によっては剣にも盾にも、それこそハンマーの様な打撃武器にもなる。実に使い勝手の良い魔法であった。

 攻撃は最大の防御とも言うが、ただの防御魔法を収束させて腕に集めるだけで、その威力は名剣とも勝るとも劣らない切れ味を発揮させる事が出来る。

 発想の転換とも言うべき光景に対し、周りにいた者達はただ言葉を無くした。


「これがシールド魔法の可能性です。これを腕に纏わせれば、強力な打撃武器になると思います。ただ、私が使った魔法は教える事は出来ませんが、普通の防御魔法でも似たような事は出来るでしょう」

「凄い! 障壁の魔法を利用すると、こんな事ができるんだぁ!」

「獣人特有の身体強化に、障壁魔法を利用した打撃。更に武器を持てば大抵の魔物は倒せるはずですが、過信は禁物ですね。複数の魔物に囲まれたら危険です」

「あ~…なんだかんだで格闘戦なんてやった事ないからねぇ。せいぜい喧嘩した程度じゃ魔物は倒せないかぁ」


 そして始まる魔法訓練。野外実戦訓練までそれ程日は無く、今からウルナを訓練してどれほど魔法を使いこなせる様になるかは分からないが、それでもやらないよりはマシであろう。

 魔法式はおっさんが最適した物では無く、セレスティーナが研究目的で自ら最適化した魔法式を使う事にする。ゼロスが手を加えた魔法は実家で販売しているために迂闊に広める訳には行かず、この学院で使用している魔法は獣人族では発動させること事態が難しい。

 以前の魔法が使えなかったセレスティーナと同じ状態なのだが、それでも初歩の魔法が使えるウルナは当時のセレスティーナよりも魔力がある事になるだろう。


 ウルナは魔法式を潜在意識領域に刻み込むとさっそく魔法を使用してみる。


「えと……魔力よ。敵を防ぐ盾となれ【マナ・シールド】」


 魔法を展開すると、ウルナの周囲に魔力の障壁が生み出される。

 以前はこの魔法を使っても発動する事はなかったが、セレスティーナが改良した魔法はウルナが使用できるほどに効率化され、負担も無く簡単に発動する事が出来た。

 これはおっさんが改良した魔法を参考にし、既存の魔法式をより簡単にした言わば劣化版の魔法式だが、それでも学院の教本に在る魔法よりは遥かに使い易い。

 

「周囲に展開された魔力障壁を腕に集めるようにしてください。出来なければ魔力操作の訓練から始めましょう」

「うん、やってみるよ……おっ? これはちょっと……難しいかな?」

「えっ? 『ちょっと』……?」


 ウルナの腕に魔法障壁が次第に集まりだし、覆い隠すかのように凝縮して行く。初めて行う操作であるのに恐ろしく速い。

 セレスティーナも同じ事は出来るが、それを可能とするのは二か月間の猛特訓と、学院に戻って来てもなお続けている魔力操作の練習のおかげである。それでもこれほど早くは無いのだ。


 しかし、ウルナは予備知識も無く簡単に行い、その操作も異常に精密で速かった。

 これは種族特性と云う物で、元より少ない魔力を効率的に使う獣人族は、魔力消費を抑えるために本能レベルで操作を行う。ましてや魔力消費の少なくなった魔法式は彼女に掛かる負担を極力抑え、更に外界魔力を利用するのでその効果も大きい。

 つまり、保有魔力は人間よりも少ないが、魔力操作はどの種族よりも遥かに凌ぐ能力を生まれながらに持っている事になる。

 もし保有魔力が人間と同等であれば、獣人族は人間を遥かに凌ぐ種族となったであろう。必死に魔力操作の練習をする身としては羨ましい能力である。


 ウルナの腕には半透明な魔力の手甲が形成され、その手を開いたり握り絞めたりしてその感触を確かめていた。どんな凄い事をしたのか当の本人は分かっていない。

 少々困惑しながらも、修練場にある案山子でその威力を確かめて見る必要があった。


「そ、それでは、威力を確かめて見ましょう」

「うん♪ アレを殴ればいいんだよね?」

「はい。出来れば一度、身体強化も使って見ると効果も分かるのですが「じゃぁ、やってみる!」えっ?」


 言うが早いか、いきなり身体強化をしてウルナは猛然と案山子に走り、魔力障壁を纏わせた腕で思いっきり殴りつけた。獣人の身体能力は凄まじく、案山子は無残にも粉々に砕け散る事になった。

 見ている者達は口が開きっぱなしになり、あまりの衝撃に言葉が無い。

 ウルナもまた落ち零れとして有名で、学院生からはあまり良い目では見られていないのだが、その落ち零れのイメージは一蹴される事となる。


「凄いよ、セレスティーナ様♪ まさか、こんなに威力があるなんて思わなかった!」

「えっ? えぇ……まさか私も、こんなにも早く使いこなすとは思いませんでした……」

「これなら、どんな魔物も一撃だね」

「魔力を常に消費する状態ですから、切り札として使った方が良いですね。こうしている間にも魔力は消費されている筈です」

「あっ、ホントだ……なんだか、頭がクラクラしてきた……」

「早く、魔法を解除してください! 倒れてしまいますよ!!」


 シールド魔法と身体強化はかなり負担が大きい様である。

 訓練して魔法の使い方を覚えるのは良いが、使いこなすには格が低かっ様で、魔力消費が早い。

 二つの魔法を同時併用するには、どうしてもレベル上げが必要となるようである。

 

「しばらくは魔力操作の訓練を続けて、実戦訓練の時に格を上げた方が良いですね。このままでは魔力を消費して倒れるだけですし……」

「これが魔力切れ……経験したの初めて。アハハハハ」

「楽しいお話の最中失礼します」

「「ふひょあぁ!?」」


 唐突に現れたメガネのクールビューティーメイド。

 やはり気配を一片たりとも漏らさず、まるでどこかの必殺な方々の様に背後に立ち、何やら得意気に骨格がおかしくなるようなポーズを取っていた。

 今にも背後から何かを出しそうな、そんな気配が漂う。


「み、ミスカ……驚かさないでください」

「また……気配を感じなかった。……匂いも」

「毎日デオドラント商品を使用していますから。それよりもお嬢様、大旦那様からお手紙が届いています」

「御爺様から?」


 ミスカから手紙を受け取ると、どうやらすでに封を切られている様で簡単に手紙を出す事が出来た。

 手紙を開き読もうとした瞬間、少し疑問が芽生えミスカを見た。


「ミスカ……まさか、この手紙を読んではいませんよね?」

「モチロンです。どうせ、お嬢様宛に『儂ゃ寂しいよぉ~、死んじゃう』とか、気持ちの悪い事を書いているのでしょう。いつもの事でしょうし、今更な気がしますね」

「ミスカ……本当は御爺様の事が嫌いなのでは?」

「心より愛していますが? 世界中の誰より……きっと?」

「何故に疑問形?!」


 色々と思うところがあるが、取り敢えず手紙を読んでみると、ミスカが言った事が現実の物となっていた。良い歳した老人の書く文面では無い内容が三枚にも及び、最後に申し訳ていどに重要な事が書かれていた。むしろ、その一行分がメインであろうと思うのに、詳しい内容が全く書かれていない。

 その文面は、『最後に、ゼロス殿が実戦訓練の護衛に行くってさぁ~……儂が行きたいのに、クスン(涙)』だった。それ以外は本当にどうでも良い内容である。

 思わずセレスティーナは地面に突っ伏す。


「お嬢様、はしたないですよ?」

「御爺様……こちらが最も重要でしょう……。こうしてはいられません。兄様に知らせないと……」

「ツヴェイト様は図書館にいますよ。ウルナ様は私が責任を持ってモフ……いえ、介抱いたしますので、早くお知らせに行った方が良いでしょう」

「お願い。善は急げです!」

「ま、待って、セレスティーナ様……この人、何か怖い……」


 セレスティーナが全力疾走して大図書館へ走り出したのを確認すると、ミスカはアヤシイ笑みを浮かべた。眼鏡の輝きが恐怖を誘う。


「ちょ、何か……怖いんですけどぉ……」

「大丈夫、怖くありませんよ? 直ぐに済みますからね……うふふふふ」


 程なくして、修練場から悲鳴が上がった事は言うまでもない。

 ウルナは黒いフサフサ尻尾を思う存分にモフモフされたのだった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「・・・・・・そろそろ結論を出そう。俺が素材を持つから、クロイサスは装備を直せ。今ならまだ間に合う筈だ」

「それしか手は無いよなぁ~。ただ、クロイサスに素材を預けて大丈夫か?」

「俺の予想だと、間違いなく装備を修復しようとはせずに着服すると思う。だって、クロイサスだよ?」

「「ありえるな・・・・・・」」

「三人が私をどう云った目で見ているのかが分かりましたよ。全く……そんな事する訳が――無いじゃないですか」

「「「嘘だぁ、今の間は何だよ!!」」」


 魔物の素材となるとクロイサスは目の色を変える可能性が高い。

 何しろツヴェイトが提供する素材は、ファーフランの大深緑地帯に生息する魔物の物なのだ。間違いなく装備を直すどころか魔法薬の調合材として使用する事であろう。

 魔法に係る事に関しては見境が無いのがクロイサスである。


「信用が無いのですね……。私にも理性はありますよ? 切羽詰まっている状況で、そんな事をする筈が無いじゃないですか」

「ホントか? 例えばキマイラの毒針なんかも持っているが?」

「お金は出します。売ってください!! 今直ぐ、さぁ!!」

「「即行じゃねぇか、何処に理性があるんだよ!!」」

「こうなると思ったよ。だって、クロイサスだし……」


 クロイサスの物欲は止まる事を知らない。


「お前、ゴミだらけの部屋に毒針を放置して、うっかり踏みつけでもしたら、マジで死ぬぞ?」

「それで死ねるなら本望! 研究者として納得いく死に方です。何しろキマイラの毒の効果を確かめられるのですからね」

「駄目だ……クロイサスは病気だ」

「見た目はクールなのに……中身が残念過ぎる」


 こんな駄目な人間なのに、何故かモテるのだから三人は複雑であった。

 世界の不条理さを感じるほどに……。


「兄様……ハァ…ハァ……」


 全力疾走してきたセレスティーナは、息絶え絶えでツヴェイトに声を掛けた。

 別に慌てる必要など無いのだが、尊敬する師の事になると行動的になるようである。


「セレスティーナ?! どうしたよ、息を切らせて」

「セ、先生が……来ます……」

「「「「はい?」」」」

「先生が、実戦訓練の護衛に参加するそうです」


 空気が止まる。

 セレスティーナの言う先生とは、要するにおっさんの事だが教え子二人以外はその為人ひととなりを知る者はいない。話だけなら聞いた事はあるが、高位の魔導士としか知らないのが現状である。


「先生? お前等の師匠だよな? 魔法式の解読方法や妹さんに魔法を教えた……」

「あぁ……時には拳で戦う魔導士だ」

「どんな魔導士ですか……。規格外にも程がある」

「あ……あぁ……セレスティーナさん……これは夢かな?」


 一人恋の病に落ちた者がいるが、クロイサスとマカロフはツヴェイトやセレスティーナを鍛えた魔導士の事はある程度は聞いていた。その魔導士が学院の行事に参加する。


「……手配したのは親父か? て事は……キナ臭い事になりそうだな」

「何故そう思うのです? 生活苦になって、傭兵仕事で稼ぎに来たかも知れないじゃないですか」

「師匠なら稼ぐ手段はいくらでもある。わざわざ、こんなショボい仕事をしなくても良いほどにな。お前はワイヴァ―ンを七頭、倒せるか?」

「無理ですね。死にに行くようなものです」

「だろ? となると、答えは限られてんだろ。おそらくは俺の警護じゃねぇか? 血統主義の馬鹿共が動いたか?」

 

 先程とは異なり、ツヴェイトの目は険しい物になる。

 ウィースラー派の約半数を牛耳るサムトロールは、裏組織の人間と繋がりがあると噂されていた。

 ツヴェイトの父親でもあるデルサシスも裏で何をしているか詳しい事は分からないが、危険な組織を幾度と無く潰した事もあり情報源は恐ろしく広い。その情報網に引っかかったのだろうと判断する。


「抜き打ちで、私達の様子を見に来るという事はないでしょうか?」

「それもあり得るな……良い性格をしてるからなぁ~」

「コホン! つ、ツヴェイト……」

「あっ……」


 何やら挙動不審なディーオの様子に、ツヴェイトは彼が何を求めているのか察した。

 めんどくさいと思いながらも、仕方なくセレスティーナに友人を紹介する事にする。でないと毎日しつこく催促して来るので鬱陶しいからだ。


「セレスティーナ、こいつが以前に話した俺の友人だ。そっちの角刈りはクロイサスのダチだがな」

「あっ、失礼しました。お話は両兄から聞いています、確か名前が……ディ○イドさんとマイ○フィックさんでしたね」

「「この子も名前を間違えているぅ!?」」


 異なる道を行く三兄妹だが、どうでも良い人の名前は覚えない所は似ていた。

 この時点でディーオは彼女にとって、どうでも良い人であると認識されていた事を知る。

 二人は妹だけはマシだろうと思っていたが、血は争えない……。


 その後、何とか名前を憶えて貰ったディーオ君。

 たったそれだけの事でも、彼はかなり舞い上がっていたと言う。

 ツヴェイトが呆れるほどに……。


 

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「そうか、ついに虫がティーナの下に……ククク…」

「いかが致します?」

「グフフ……決まっておろう? こんがり焼いてやるのよ。そう、上手にのぅ……」

「ハァ……私を巻き込まないでくださいよ? 責任は御自分で取ってください」

「なに、バレなければ良いのじゃよ。ダンディス……そう、バレなければな……」


 ついにイカレタ老人が準備を始めた。

 孫馬鹿老人は何故かナイフを丹念に砥石で研いでいる。

 それも凶悪なまでに愉快そうな笑みを浮かべて……。


 ディーオの運命がどうなるのかは、まだ誰にも分らない。

 彼は、生き延びる事が出来るか。


 

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