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帰ってきてもファンタジー!? 作者:月見ココア

波紋編 第二章「異世界な故郷」

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01-04 拒絶

運が悪かったんだ
衝撃の事実が互いに判明したことで取り調べは一時中止。
代わりに少年─ナカムラ・シンイチには身体検査や健康診断が待っていた。
これにはケガや病気がないか。異世界の菌を連れてきてはいないか。
などの検査以外にも本当に彼が『中村信一』なのかを調べる意味も含まれていた。

なにせ彼を捕えた側にとっても8年前に次元漂流した人物が
2年程度しか経過していないような姿で帰還してきたのだから。
もっと年齢が上の人物なら虚言と思えたが13歳が15歳になった変化と
13歳が21歳になった変化は嘘で誤魔化せる範囲の加齢ではなく、
少年の外見はどう穿って見ても自己申告通りの15歳程度にしか見えない。
顔も漂流当時の資料写真と比べれば長髪になった事以外大差がなかった。
その事実にあとで本人は「身長は伸びたけど体格と顔つきが成長してない」と
肩を落とすことになるが彼を“これから”襲う衝撃の連続を思えば些細な話であった。


「はい、もう起きていいわよ。
 服を着て検査が終わるまで少し待っててね」

検査の担当となった医者らしき白衣の女性に従ってそれまで寝ていた台座から下りる。
CTスキャナーのような装置が身体全体を調べあげて女医が見てる画面に映していた。
彼は結果に興味はなかったが思わず彼女の頭部を眺めて眉根を寄せてしまう。
髪色が緑だったのだ。付け毛などで見た覚えのある人工物の色とは違う緑色。
一目で根拠なく素の色なのだと分かる色合いはファランディアでは見慣れているが
黒髪の日本人の中にいるという光景はいいようのない違和感を覚える。

──まさか、別の異世界と交流してたなんて

まだ簡単な説明だけであるがそれを知らされて、
それ以前の衝撃的な事実の発覚もあって頭がそれを処理しきれていない。

「キュッ、キュウ……」

「大丈夫だ。ただの検査装置だから」

「……」

表情に出ていない困惑を感じ取って小さな生物が駆け寄る。
金色の美しい毛並と三本の尻尾を持つ狐に似た生物は少年の肩に乗った。
されど動揺の証のように鳴き声の意図を完全に読み間違える姿に言葉もない。

「…………本当に懐いているのね。あのアマリリス・フォックスが」

それを見る緑髪の女医もスタッフらしき日本人たちも少しの驚きと
かなりの怯えを混ぜた表情でありえないと口にしながら遠巻きに見据えていた。

「キュウッ!」

「ひっ!」

「よせ、おとなしくしてろ」

その視線を不快に思ってか威嚇するように鳴けば目に見えて怯える人々。
シンイチは強い口調で諌めたが同時に頭を撫でて言葉にできない感謝を伝える。
なにせ今こうして彼がろくに語らずとも話が進んだのは“彼女”のおかげだ。
実は何かあった時のためにと服の中に隠れていた彼女は衝撃の事実に
呆然自失となった主の身を案じてあの後飛び出してしまったのである。
その存在に取調室とおそらくその外は一時的にパニックに陥った。
シンイチの言葉に従い、敵意を見せなかったのですぐに収まったが。
本来、彼女はファランディアの生物で学名はテンコリウスという。
だが彼らの知る異世界にも似た種族がおり、それと勘違いされたのだ。
おかげで彼らは勝手にシンイチがいた場所を断定してくれた。

「先生、本当に大きなケガとかそういうのは無いんですか?」

もっともそのために例の女性士官には余計な心配を与えてしまったが。

「ええ、健康体そのものよ。少し肉の付きが悪いぐらいかしら。
 まあ“自然保護区”なんていう環境にいれば当然でしょうけど」

自然保護区。周囲の言葉を聞く限りでは彼らの知る異世界の危険地帯。
人を拒絶する険しい地形と広大な自然が残る秘境で凶暴な生物が多い土地。
アマリリスとはそこに住む生物たちの中で力も知性も上位にある生物。
だからこそ、こういう思い込みが成立したのだ。

「あの様子を見ればアマリリスの保護下にあったのは間違いなさそうね」

だからシンイチが彼らの知る異世界─ガレスト─を知らなくても、
ステータスが軒並み低いのに生きている事も不自然と思われなかったのだ。
よく知らない状況で誤魔化すのも難しいと彼がその話に乗ったからでもあるが。

「でなきゃ、オールD程度が保護区で生きてられるわけもないでしょうけど」

「え、オールDって、ええ!?」

くすりとどこか下に見るように笑って女医は自分の考えに納得している。
一方それに驚いたのは女性士官のほう。彼も表情には出さないが驚いていた。
ただし、その方向性についてはかなり食い違っていたが。

「驚くこと?
 ほら見てみなさい検査したステータスの結果を。
 筋力D 体力D 精神D 耐久D 敏捷DのオールD。しかも全部限界値」

「ほんと、だ……そんな……」

「それだけ?」

検査装置の結果を映し出す画面を除いたふたりは違う言葉を吐いて固まる。
女性士官はその低さに純粋に驚き、少年は一番重要な技量が無いことに驚いて。
幸いに小声だったので少年の驚きは肩の彼女以外には気づかれなかったが。

「災難ね、あなたも。
 この程度のランクの子が戻ってきても邪魔なだけでしょうに」

「………お気遣いなく。わたし地球人なので気にしません」

女医が心底そう思って自然に発した言葉に声のトーンが一気に下がる。
苛立っているのを無理矢理抑えつけて平静を装うので精一杯の声だった。
どうやら彼女は負の感情を隠すのが苦手らしい。

「……あの、検査の結果は出たんですか?
 俺が中村信一だって、わかってもらえました?」

彼女から一方的に不穏な空気になりかけたのを察して当初の目的を促す。
自分の事で怒ってくれているのは嬉しい気もするが同時に解らなかったからだ。
この女性士官と自分との間にあるのはただの義理の関係だろう、と。

「え、ええ……DNA検査に歯の治療痕、顔のパーツの位置。
 その他もろもろ含めて、99.999999%の確率で
 8年前に行方不明になった中村信一という男の子本人よ」

彼自身のステータスについて語っているのに興味のなさそうな態度には
若干面喰いながらも検査ではじき出した結果を自信たっぷりに告げた。
安堵の声を漏らす女性士官を余所に彼は科学によるお墨付きがついた事に
多少は喜びながらも同時にここが自分のいた世界で間違いないと示されて
帰ってこれたという嬉しさより、いいようのない不安がわきあがっていた。




──────────────────────────────



ほとんど100%も同然な結果が出たことで彼の身元は証明された。
そして8年前に次元漂流した子供が2年後の姿で戻ってきたということが
事実であることも証明されて彼を逮捕(保護)したこの組織は対応に苦慮していた。

「ごめんね。あちこちの部署連れ回しちゃって。
 こっちもこんなケース初めてで……みんなてんてこ舞いになってるの」

「あ、いえ、お気になさらず」

そのため各部署をまわって細かな手続きや事情説明を行う必要があった。
シンイチ自身も驚愕の中にいるが一方で彼らの困惑や驚きも理解している。
だからこうして組織内行脚することは苦ではなく面倒とも思っていない。
むしろ同じ建物の中に彼のこの特殊ケースに対応できる部署と権限があり、
回るだけで帰還に関する様々な法的な問題がクリアされていくのだから、
シンイチはありがたいとさえ思っている。ただ。

「…………」

「さっきので戸籍が復活できたから、次は入国管理局へ行くわ。
 しょうがなかったとはいえ形の上では不法な異世界渡航だからね。
 色々と聞かれると思うけど私がフォローするから大丈夫」

任せて、と微笑みながら力強く拳を握って訴える女性士官。
ただ、その彼女の“はりきっている”姿だけがどうにも腑に落ちなかった。
案内役に自ら立候補した女性士官。その名は中村凜子。
彼の父親の“現在の”妻であるため復活した戸籍上の義母にあたる女性だ。
それを発覚させたのは彼女だったが一番激しく動揺していたのも彼女。
だからあの場にいた男性士官は立候補に対して渋い顔をしたのだが、
凜子が頑として全く譲らなかったために最終的に折れたのである。
そして宣言通り、面倒な手続きと聞き取り等に対して彼女は
組織の一員であるにも関わらず完全にシンイチ側に立って行動していた。
それが彼には少しばかり謎というか何故というか戸惑いを覚えさせる。

「…………」

「え、えっと、私じゃ頼りないかもしれないけど、
 これでもそこそこ偉いし各部署(あちこち)に知り合いも多いからなんとかなるわ。
 大丈夫よ、すぐに普通に生活できるようにしてあげるから!」

それを不安がっていると感じたのか。
励ますようにそういわれて、曖昧な表情ながら頷いてしまう。

「お、お手数をおかけします……」

そんな顔に少しばかり不満げな表情を見せた彼女だが、
苦笑気味に笑って誤魔化すと前を向いて、ついてきてと先に進む。
少しばかり残念そうな背中を眺めながらシンイチは静かに頭を振った。

──冷静になれ、戸惑っている場合か

何せこれでほぼその事実が確定したのだから。
2年ではなく8年が経過しているということが事実であると。
彼が行脚させられている施設はどう見ても冗談で作られたものではない。
設備も人もどれもが本物でドッキリなど疑うだけ馬鹿らしい真実味と技術レベル。
わずか数分で各種検査を終わらせた医療器具や検査装置もそうだったが、
空間に映像を投影しタッチモニターのように使われれば納得せざるを得ない。
そもそも彼は取り調べまで正規の手順以外で帰還してきた少年Aだった。
そんな彼を騙すための壮大な仕掛けや演者を用意する意味などない。
どう疑ったところで周囲のすべての物と人が8年の経過を教えていた。

無論、ファランディアで過ごした2年も間違いのない日数である以上。
考えられるのは互いの世界の内側での時間の流れに差がある場合か。
行きと帰りで、あるいはそのどちらかで合計6年かけてしまったか。
世界と世界の狭間にある空間には時間の概念がないという。
ならばファランディアを出たあとから狭間を通って地球に戻るまでの間に、
地球側で6年経過してしまったという現象は仮説としてあり得なくはない。

「……………アホか」

──冷静になれ。戸惑っている場合か

そこまで考えて再度彼は頭を振った。
考えてもしょうがないことをそんな必死に考えてどうする、と。
問うだけ、頭の中で考えているだけでも今は無駄な思考だ。
答えなど出ないうえにいま考えなくてはいけないことでもない。


いま考えなくては、聞かなくてはいけないのはもっと個人的なこと。


少年からすれば2年前。両親は仲の良い夫婦だった。
気の強い母と尻に敷かれた父という組み合わせだったけれど、
父はそこに不満を持っていた様子もなく家庭は平和であった。
母は明るくおおらかな人で、父は教育には厳しくも穏やかな人。
たまに言いあう事があっても子供心ながら微笑ましい痴話喧嘩が常。

それが、どうして。

子供が自分ひとりだったのなら子を失って関係が壊れたと想像もできる。
しかし実際は彼の下には妹と弟がおり、兄弟仲も家族仲も良かった。
父母の夫婦関係が終わってしまった原因がシンイチには解らない。
それとも自分の知らない所で家族は何か問題を抱えていたのか。

聞かなくてはいけない。答えは目の前の女性が知っているだろう。
彼女が父の今の妻だというのなら離婚した原因を知っているかもしれない。
そして知っているならば母や下の兄弟達がどうしているのかも聞きたい。

まずそこを知らなくては自分はどこに行けば(・・・・・・)いいのかも分からない。

自分をもう待っていないのではないかという想像はしたことがある。
だが、家族が別れてしまっていたことはまるで想定していなかった。
彼にとってあの家にいたあの家族は動かしようのない帰る場所だったのだ。
帰りたい。帰れないかもしれない。待ってないかもしれない。
そんなことは思えても、家族が別れている可能性は頭になかった。
今になって考えれば誰かが死んでいる可能性すら考えていなかった自分が
どれだけそれを不変であると思い込んでいたのか自覚して眩暈がする。

だから。
2年ではなくあの日からもう8年で、別の異世界との交流がある。
そんな事実も衝撃的であったが父の再婚とそれが示す母との離婚。
生まれていた異母兄弟の存在などが与えた衝撃のほうが上だった。

だからこそ彼は聞かなくてはいけない。

この8年で何が起こって、こうなってしまったのかを。
彼らの息子であり、彼らの兄である自分にはその権利と義務がある。


──聞かなくちゃ、いけない!




・・・


・・・・・・


・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・




「信一くん、眠くない?
 手続きとかだいたい終わったし仮眠室なら使えるように手配するけど」

「だ、大丈夫です。俺、あっちにいたとき朝方だったので」

様々な手続きが終わって気付けばもう“翌日の朝”である。
昼間だったファランディアから戻ってきたことや茶番劇のために
決行前日にはしっかりと睡眠をとっていたので眠気はほぼない。
朝とウソをついたのはそっちの方が説得力があるからだ。

「ああ、そっか。そういう時差も起こるんだよね。
 信一くんの場合はどこでどう時間がズレたか解らないからなぁ」

「そ、そうですね……」

何をやっているのかと思いながら力無く無難な言葉で返す。
別の異世界とは夢にも思っていないが彼女はシンイチと似た考え。
行きか帰りの際に合計6年の時間差を作ったのだと推測していた。

「あ、お腹すいたわよね。ごめん、気付かなくて。
 さすがにまだ食堂開いてないから、コンビニで何か買ってくるわ」

声に力がないのをそう解釈した彼女が腰を浮かしたのを
咄嗟に制止したシンイチだが「遠慮しないの」の一言で行ってしまう。

「………………なにやってんだ、俺」

ひとり残された彼は誰にともなく呟いて待合室の机に向かいながら項垂れた。
色々と思うことはあるが今一番言いたいのは自分への情けなさについてだ。

「何も聞けなかった………」

父とのことも母のことも離婚した原因も兄弟のことも、何も。
聞くチャンスはそれこそ一晩中行動を共にしたのだ。山ほどあった。
茶番とはいえ世界中が見ていた前で魔王に平然と奇襲をかけた男が何も聞けない。
共に残った“彼女”もそれには唖然となり励ますより開いた口が塞がってない。

「キュ、キュウ?」

──いったいどうしたのですか主様
念のため鳴き声のまま問われたことに彼は苦笑するしかない。
それだけでは何をいっているかはわからないが戸惑う表情から察している。

「らしくないっていいたいんだろ?
 悪かったな。俺だって緊張や遠慮もするし動揺も……してるんだ」

現在進行形で。
一気に連続で判明した事態に彼の精神がまだついてこれていない。
だから無意識にこれ以上の事実を知ろうとしていないのだと自己分析。
そしてそうだとわかっているのに口がいうことを聞かない。

「ああもうっ、どうすればいいんだよっ」

「なにが?」

「っ、うへっ!?」

目の前に現れた彼女の顔に驚き狼狽えイスごとひっくり返りそうになる。
慌てて踏ん張りながらなぜか急に荒くなった息を落ち着かせて彼女を見る。

「あ、ごめん。驚かせちゃった?
 入ってきたのに気付かないでぶつぶつ言ってたから何かと思って」

「いっ、いえっ。気にしないでください。でも、早かったですね」

待合室に備えられた時計を見れば5分もたっていなかった。
そのわりには彼女の手には両手一杯の食べ物と飲み物が抱えられている。

「うん、施設内に売店あるし支払いはお給料から自動で引かれるから。
 実働隊員はいつ出るか分からないからレジ通す手間を省いているのよ。
 で、はい。一応サンドイッチ系と飲み物色々程度だけど、食べて食べて」

「……あ、ありがとうございます。いただきます」

受け取っていいものかと一瞬悩んだが善意で差し出された物を拒否はできない。
正確にいえば彼女にどう接していいか解らないあまりに彼からすれば
最大限にして最高クラスの丁寧な応対になっていただけだが。
それでこの程度かとは言ってはいけないことだろう。
“彼女”の開いた口がより開かれた事で察するべきだ。

「キュゥ、キュアァ?」

何度も目元をこすりながら瞬きをして主の言動を驚きと共に見据えている。
礼儀の言葉を口にしない人ではないけれど緊張しながらというのは初見だった。
そして彼女がそう感じていることにさえ気づかずパッケージを開けている。

「……覚えてるものなんですね、開け方」

するとその感覚に少しばかりの懐かしさを感じた。
書いてある矢印を順番通りに引いているだけだが手の動きはよどみない。
この2年こういったものに全く触れていなかったとは思えない動きに
彼自身が静かな驚きと帰還の小さな実感を覚えて、微笑をうかべる。

「あ……」

「はむ………っ!?
 パンが、柔らかい! タマゴが、甘い!
 ああっ、サンドイッチってそうだよ。こうだったっ、うん!」

わずかに興奮気味にタマゴサンドを無我夢中で食していくシンイチ。
メニューとしてはファランディアでも食べていたものなのだが、
あちらとでは素材の状態に差があり何より懐かしい味に目を潤ませる。
コンビニの大量生産品でまさか泣くことになるなんてと思うが止まらない。

「………そんなに慌てなくても、たくさんあるから。飲み物はどれがいい?」

彼女はそのことに対して何もいわずに何本かのペットボトルを指し示した。
それに目の色を変えた少年は緑色のパッケージのそれを手に取って、震えた。

「これはっ………日本茶! ああっ、なんて懐かしい!」

「………キュイィ?」

慣れた手つきで蓋を開けて口を付けて茶色の液体を喉に流し込んでいく。
それだけで目元から小さな滴が流れ落ちていくのを彼女は優しく見守っている。
職業柄ゆえ長期間戻ってこれなかった人々がこちらの食べ物で感動する姿は
見慣れており、一部勘違いとはいえ彼のいた境遇を思えば彼女も泣きそうだった。
一方で机の上の彼女は唖然呆然な顔で顎が外れそうになっている。
旅生活だったので常にまともな食事とはいかず街での食事に喜ぶ事は多かった。
しかし泣く程のそれを見たのは初めてであり地味に彼女も動揺させられている。

「ぷはぁ……この味なんだよ。お茶といったら!
 ん、あ、悪い。俺ばっか飲み食いしてたな。ほら、お前も」

ようやく存在を失念していたと気付いた彼が謝罪するようにパンを差し出す。
戸惑いはまだあったが基本的に彼が与えるモノを拒否しない彼女は食した。

「え…キュッ、キュイ!?」

これまで食べていたそれらと違う柔らかさと味に思わず喋りかけるほど驚く。

「気に入ったか。
 お前の好みならこっちのツナサンドかな、食べる?」

「キュイ!」

一口で虜になった彼女の嬉しそうな鳴き声にシンイチも凜子も微笑む。
夢中になって貪って主が泣いた理由を察する似非キツネであった。
“これほどの味を常に味わっていたのなら納得です!”と。

「仲良いのね。人には懐かない生き物だって聞いてたんだけど」

「ははは………ありがとうございます。こいつの滞在許可までとってくれて」

仲良くなった過程を全く話せないので笑いで誤魔化しながら頭を下げた。
人々に広く認知され、恐れられている生物だったので引き離される事を
いくらか危惧したが彼女があっさりと許可を取ってきたので驚いた信一だ。

「え、あ、頭あげてよ。別に私がなにかしたってわけでもないから!
 アマリリスほどの知性が高い保護動物はその意志を尊重しないといけないの。
 まあ、邪険にして敵だと思われた方が厄介だからって理由だけどね」

そんな苦笑交じりの真相にかえってシンイチはなるほどと頷く。
どこまでテンコリウスとアマリリスが同じかはわからないが、
少なくともこの“彼女”の戦闘能力はかなり高い。
何せ彼自身が仕込んだのだ。その実力は誰よりも知っている。
争うより友好関係を結びたいという判断はじつに正しい。
一匹で国を滅ぼすといわれるこの種族に手を出すのは愚かな対応である。
ツナサンドを食べ終え、別のサンドも狙う仕草にその恐ろしさは皆無だが。

「……食べていいぞ」
「キュイ!」

“では遠慮なく”とでもいっているのか。
見よう見まねで苦戦しながら前足で器用にパッケージを開けると再び夢中となる。
それを微笑ましく見ている彼の横顔に凜子もまたふんわりとした笑みを浮かべた。
柔らかで温かい見守る視線。それは彼女がよく知るものとそっくりだった。

「そうしてるとホント“信彦さん”にそっくりなのね。
 あ、そうだ。信一くん、後ろ向いてくれる?」

一瞬、父の名を出されて僅かに反応したそれをあえて見逃して促す。
よくわからないままいう通りにすると背後から長く伸びた髪を触られた。

「あ、あの、えっとなにを?」

「ちょっとね。さすがにここで切るのはどうかと思ったから。
 食べ物と一緒に髪留めも買ってきたんだ……これでよしっと!」

彼女自身はショートであったがさすがに女性。
手慣れた様子で無造作に伸ばしていた髪の毛を整えひとまとめにする。

「うん、これでさっきより顔がよく見える。
 髪をあげないと分かり辛かったけど、これならみんなすぐにわかるよ」

彼が髪の毛を伸ばしていたのは単純に切るのが面倒だったのと、
顔の印象を変えたり造形を覚え辛くするカモフラージュの一環だった。
目元を隠したり髪型を変えると人は案外気付かないものなのである。

「え、あっ、ありがとうございます」

しかしそれは同時に家族にすら判別できないレベルにもなっていた。
ましてやあちらからすれば8年前の記憶でこちらは2年しか経っていない。
本当に8年経過したよりは分かり易くともその時間差は戸惑いを呼ぶ。
それらを気遣って用意してくれたことに素直に感謝する信一だ。

「どういたしまして」

にっこりと彼の言葉を受け取った凜子は嬉しそうに微笑む。
それがあまりにも眩しくて、暖かなそれで思わず視線をそらしてしまう。
しかしすぐにそれではいけないと彼女に真っ直ぐ顔を向けて口を開く。

「………お聞きしたいことが、あります」

「はい、私が答えられることなら」

その真剣な表情と声色に彼女もまた居住まいを正す。
凜子もまたいつソレを聞かれるのかと色々と落ち着かなかった。
だからといって自分から切り出すのも違うと思い、口にしなかったのだ。

「色々なことがあって、色々とびっくりしてるのですが、
 そのなかでも一番驚いたのが、ですね……えっとその……」

聞かなくてはいけないことは決まっている。
彼女と父との結婚。連想される離婚の原因と母たちの現状。
まずはそこからだ。そこから知らなくてはいけない。
意を決した彼は言い淀みながら、口を開いた。


「…………異世界といつから交流してたんですかね?」


「…………………うん………気になる、わよね、そこは」


限りなくそれを言うことも聞かれることも両者は覚悟したが、
シンイチの口は本人が思っている以上に臆病者でありヘタレであった。
聞きづらいのであろうと察して流してくれた凜子の優しさが痛い。
サンドイッチに夢中になっていた“彼女”ですらまたも唖然としている。

「最初の接触は38年前。
 世界各国の政府高官たちとあちらの外交官が交渉に入った。
 以後秘密裏に準備が進んで世間に発表されたのは8年前よ。
 その……信一くんがガレストに次元漂流した翌日の話になるわ」

「翌日!?
 あれ、じゃあもしかして俺がいなくなった理由って……」

「ええ、発表と同時にあちらに漂流した人物たちを帰還させた事もあって
 当時疑わしいと判断された行方不明者や失踪者の事案は調査されたの。
 信一くんの場合は直後だったからすぐに次元の穴に落ちたのが判明して
 特殊行方不明者に認定されてガレストで捜索が開始された。けど」

「見つからなかった」

「………ごめんなさい」

「あ、いえっただの確認で別に責めているわけでは!」

なにせ当然の話だ。彼がいたのは別の異世界なのだから。
ガレストという世界を捜索したところで見つかるわけがない。
無駄な捜索をさせてしまったと少し気後れさえ少年は感じている。
そこにいらぬ罪悪感など背負われてはこちらがたまらない。

「変な所にいた俺が悪いんですから気にしないでください!」

「………ありがとう。
 聞いてた通りの優しくて良い子ね、信一くんって」

しかしそんな自分本位な理由でフォローしたのに褒められてしまい戸惑う。
いったい父は自分をどんな子として話していたというのか。切に今すぐ知りたい。
だが何か言いようのない謎の不安を感じてしまっている自分もいた。
別の異世界の存在が想定外なら行方不明になった原因を知っているのも想定外。
そこにどうしてか嫌な予感と懸念を覚えてしまうが今は流して耳を傾け続ける。

「でもあなたがいた自然保護区はまるで捜索されなかったの。
 出来なかった、が正しいかな。知ってるでしょうけど前人未到の秘境で、
 凶暴な生物も多いからあちらの技術でも対応できない生物や環境だったから」

「………いるかもと思われても、生存は絶望的ですよね」

日本にいるただの中学生が迷い込んだとなれば余計に。
誰かがそれを思っても、両親が頼んでも、捜索されることはない。
するだけ無駄であると判断されるのが目に見えている場所のようだった。
そんな彼の言葉に凜子はただ黙っていたがそれが返答だったのだろう。
彼としては無駄で危険なことに人員が割かれなくて安堵しているが、
顔を伏せたそれは彼女には諦められていた事実に悲哀した姿に見えた。
だから思わず凜子は声を上げた。

「でも!
 信彦さんはあなたの生存を信じていた! ずっと待ってた!」

イスから身を乗り出すようにして前屈みになって詰め寄る。
突然の叫びに驚く彼を見据えながら必死にそれだけは信じてと口にする。

「だから、ほんとうによかったっ。
 信一くんが生きててっ、ほんとうにっ、う、ぁぁっ、ごめんなさいっ」

そうして覗き込んだ顔が何度も見た写真のそれと変わらなくて、
様々な感情がない交ぜになり、目頭が熱くなって嗚咽がもれてしまう。
本当に帰ってきたのだと強い実感がこみ上げてきてしまったのだ。

「ぁ、いえ……」

けれど少年はただ戸惑う。彼女がなぜそこまで帰還を喜んでくれるのか。
一方的に知られて一方的に嬉し泣きされて、どうすればいいのか解らない。

「ぐす、ううっ、実は、ね。
 ひと月ぐらい前に未帰還者の一斉捜索が行われたの。
 新しく開発されたガレスト全域をもスキャンできる装置でね。
 大々的にそれで捜索と回収を行うって宣伝されちゃって……」

どこか悔しげに、憎々しげに彼女はそれを語る。
彼女にとって余計なことをされた気持ちが大きかったのだ。
結果的にはこれまで発見されたなかった未帰還者が幾人か発見された。
ガレストには保護区以外でも人が少ない地域がありそこに入れば見つからない。
この一斉捜索はそんな人達を見つけるために考えられた計画だった。
そして彼の父・信彦はそれに最後の希望を託したのだが。

「それでも俺は……見つからなかった」

「ええ、見てられなかったわ。
 私達の前では元気に振る舞ってくれたけどずっと辛そうで。
 この前も夜中にひとりであなたの写真を見て泣いてて、だからっ。
 だからっ………良かったっ、信一くん(あなた)が生きててくれてっ!」

涙目になりながら良かったという言葉を連呼する彼女。
そこで、ああ、とやっと彼女のこれまでのすべての態度に納得する。
この人は本気で帰還を喜んでくれている。父を本気で想ってくれていると。
父を本当に愛しているからシンイチの生存を本気で喜んでくれているのだと。
同時に8年の間その生存と帰還を信じてくれた父を思うと胸が痛い。
そして、それを慮って泣いてくれる彼女は信じるに値する人だった。
これまでの親切に疑心を持って接してた自分を恥じてしまうほどには。

「さっきようやく信彦さんに連絡がついてね。
 あの人もすごく喜んでたわ、もうすぐこっちにつく頃よ」

「え」

涙を拭いながら嬉しそうに語られたが緊張感が復活してしまう。
待っていてくれたという話を聞いてもいきなり会うのには怖さがある。
それは6年の時差と家庭関係の違いという予想してなかった変化のせいだ。
敏感にその恐れを見抜いた凜子は意を決して自ら話そうと口を開く。

「あの……本当はこういうこと私から話すのおかしいと思うんだけど。
 やっぱり前もって知っておいた方が───」

「───信一っ!!!」

だがそれはよりにもよってな人物によって遮られた。
激しい物音をたてて待合室の扉を開けたのはスーツ姿の男性。
四十代前半と思わしき彼は汗だくになりながら転がるように飛び込んできた。

「信彦さん!?」

「父、さん?」

予想より早い彼の登場にふたりは驚きつつ立ち上がる。
肩で息をしながらこちらを見詰める姿は少年の記憶よりわずかに老けている。
だが、見間違いようもなくそこにいる男性は父・中村信彦だった。

「あ、ああっ、信一!」

そして彼もまた髪の長さこそ違うが息子の顔を見間違うことはなかった。
声にならない百万言の想いで名前を呼んで棒立ちの息子を抱きしめる。

「う、ああっ、良かった!
 やっぱりお前生きてたんだな! 信一、信一っ、信一ぃっ!!」

「と、父さん、ちょっ……」

生まれて初めて聞いたような父の弱々しい泣き声と力強い抱擁に戸惑う。
明らかに慣れていない乱暴なそれだったが父の嗚咽の前では振り払えない。
むしろどこか胸の奥が安堵するような暖かさがあって、されるがままだ。

「……大丈夫だったみたいだな」

「加山一尉」

その姿に再び感極まっていた彼女に入り口から小声で呼びかけた上官。
家族が来た場合はまず凜子に報告が来るようにしておいたのだが、
それよりも早くに信彦が突き進んでいってしまったのだ。

「悪かった。心の準備が必要だといったんだが、
 お前の旦那がここまで強引な奴とは思ってなくてな」

いえ、と父子の横で小さく首を振って息子を抱く夫を眺めている。
この瞬間をどれほど待ち望んでいたか知っているだけに彼女の顔は明るい。

「おっと、あ、悪いがいま使用中で……」

しかしその顔は長くは続かなかった。
扉の前に立っていた加山を押しのけるように入室した女性と二人の子供。
彼女等が誰なのか一番先に気付いた凜子の顔は一瞬で凍りついた。

「うそ、まだ知らせないでって頼んでたのにっ」

彼女の知らない話であったが戸籍の復活などの手続きをする過程で
各所への確認作業の途中で手違いか巡り合いの悪さか情報が届いてしまった。
結果だけを見れば日付がまだ昨日だった時点で帰還の第一報が彼女等にも。

「あっ、母さ……っ」

遅れたが入室者の気配に気付いたシンイチは抱かれたまま視線を向ける。
この時ほど彼は自らが身に着けた洞察力というものを呪ったことはない。
どうしてさっきまでのように鈍っていてくれなかったのかと。
見当違いの恨み言を自分にいいたくなってしまうほど、
“母”と呼びかけた言葉が続かずに固まってしまう。

「え、あ、お前たちも来たのか!
 ほらっ見ろ、信一だ! やっぱり生きてたんだよ!」 

だが舞い上がっていた彼は息子と妻の動揺が伝わっていなかった。
喜色満面な顔で抱きしめていた息子を彼女等の前に押し出した。

「っ」

シンイチの息が詰まる。
目の前にいるのは間違いなく自分の母と兄弟達だ。
だが父と同い年であったはずの母の顔にはそれ以上の疲れと老いが見え、
妹と弟がこちらに向ける視線はとても重く鋭い“敵意”に満ちていた。

そう、母の顔にも兄弟たちの顔にも喜びという感情を彼は見いだせない。

父の抱擁で暖かみが増したはずの胸中に一気に冷めた風が吹く。
先に何かこっちが口にしなくてはいけない気がするが声がでない。
母の顔には父と同じモノがない。入室時にはあった冷静な顔に熱が宿っている。
それは決して良いものとは思えない熱で、何の感情なのか唇を震わせている。

なにかがおかしい。それが解っているのに喋れない。
最大の困惑と動揺と恐れに襲われて、自在に動くはずの自分が動かない。

「う、うそよ」

「え?」

驚きの声は信彦のものだ。シンイチは何も発せられていない。
だから、致命的な言葉を棒立ちで聞くことになった。


「その子が信一のはずがないっ! あの子は死んだのよっ!!
 信一が、私のあの子が生きているわけがないじゃないっ!!!」


どこか狂気すら孕んだ光を失っている暗い瞳で母は叫んだ。
妹弟はそれに反応せず誰よりも早く噛み付いたのは彼女のかつての夫。

「なっ!? お前は“まだ”そんなことを!!
 ここにいるんだぞ、信一が! 俺たちの子がっ、やっと帰ってきたんだぞ!!」

「あなたに何が解るのよ! 信一のことを“何も知らない”くせに!!
 あの子が異世界なんて行って、何年も生きられるわけがないじゃない!!」

「顔をちゃんと見ろ! DNAだって一致したんだぞ!
 信一以外の誰だっていうんだ! お前それでも母親か!!」

「でもオールDだっていうじゃない! 何よそれ!
 そんな弱い子が生きていける場所じゃないのよガレストは!
 ふざけたこといってそんなに私たちをバカにしたいのあなたは!?」

息子だと認めさせようとする父と決して認めようとしない母は
かつて夫婦だった面影を微塵も感じさせずに口論をヒートアップさせていく。

「どうしてだ!?
 お前も親なら自分の子が生きててなぜ喜べない!!」

「あなたこそ!
 親ならあの子が生きてられるわけがないってどうしてわからないの!?」

「沙織さんやめっ、っ!?」

当初こうなってしまった事情を知るだけに口をはさめなかった凜子は
されど本人の前では語るにはあんまりな内容だと止めに入ろうとして、止められた。
自分の上着の裾を背後から掴む腕が誰のものか理解して、思わず息を呑む。

「しんいち、くん?」

「……………」

もはや罵り合いに近い言い合いになっている父母の様子を静かに見据えながら。
彼は取り調べ中のそれに近い無表情で黙ったまま小さく首を振った。
見ればもう一方の腕で今にも襲い掛からんとする生物を抱えて抑えていた。
その姿を見ただけで先程までと違う理由で凜子は目頭が一気に熱くなる。
けれどもその胸中を思えば、自分が泣くわけにはいかない。
それはあまりにも順番が違う。

「………双方、自分たちの主張があるでしょうが子供たちの前です。
 色々と手続きもありますので話はあちらでお聞きしましょう。後は頼むぞ」

そんな少年の態度に気付いたのは加山も同じだった。
だから彼ら元夫婦をうまく言いくるめて別室につれていく。
第三者の言葉に少しは冷静になったのか黙って従い移動していくが、
その目には否定しようがない相手への不信感で満ち満ちていた。

「……………」

「……………」

「……………」

「……………」

残された四人と一匹。
“彼女”は口許から抑えられて鳴き声さえあげられないが、
それとは別に不思議と誰も口を開かず一瞬の静寂が場を支配する。
8年という月日で成長した妹弟は面影こそ残っているが一端の少年少女。
彼の記憶にある後ろをひょこひょことついてきていた幼さはもう残っていない。
何より少女(いもうと)の顔にあるのは激しい怒りの感情だった。

「あんたのせいよ」

「っ」

地の底から這い出てくるような低く呪詛じみた声。
怒りと怨嗟に満ちたそれはただでさえ動けないシンイチを雁字搦めにする。
そして一度溢れ出した感情は堰を切ったように溢れて出てきてしまう。

「どうしてくれるのよ! 折角元の母さんに戻ってたのに!
 やっと、やっと昔みたいに笑ってくれるようになったのに!
 あんたが今更戻ってくるから! どうして帰ってきたのよ!!」

「なっ、なんてこと、っ!?」

喚き散らす言葉にあるトゲはもはや白刃だ。痛いどころではない。
肉をえぐられるように胸の中に何かが深く突き刺さって息もできない。
けれども止めようとした凜子を再度止めながら、正面から彼はそれを受ける。

「そんなに私達を苦しめたいの!?
 家族がバラバラになったのもっ、母さんが苦しんだのもっ、
 全部あんたのせいじゃない! そのうえDランクですって!?
 私たちの苦労も知らないでよくもそんな恥ずかしいランクで帰ってきたわね!!」

殺意すら込められた怒りの視線は今まで受けたどれよりも心を乱す。
されどそれを必死で抑え込む彼の表情は“無”のままで変わらない。
その均衡を崩せば自分がどうなってしまうか分からなかったからだが、
向かい合っている少女からすればそれは平然としているようにさえ見えた。

「………ちょっと、なんとか言いなさいよ! なんなのよ、その顔は!?
 ふざけないでよ!! 散々こっちを苦しめておいてシカト!?
 あんたなんか、あんたなんかっ……ホントに死んでれば良かったのよ!!」

強く吐き捨てた言葉で少女は無防備な兄を突き刺した。
それでも何の反応もない─反応もできない─姿に少女は逃げるように飛び出す。
目許から煌めく何かが見えたのは誰かの気のせいだったろうか。

「あっ待って、姉ちゃん!」

思わず追いかけようとした少年(おとうと)はしかし入り口付近で立ち止まり、
微動だにしない兄を振り返って、言葉を選びながらも長年の想いを吐き出した。

「……にい………あんたに落ち度がないのは、本当はみんな分かってる。
 でも、でもさっ、あの日から……俺達家族は終わっちゃったんだよ!」

それを誰かのせいにしなくてはやっていけなかった。
シンイチを死んだことにしなくては壊れてしまう何かがあった。
そんな想いが込められた独白のような言葉を残して彼は姉を追いかけていく。

「あ、ちょっと待って!」

どうしていいか解らず彼に無言で止められていた凜子が漸く叫ぶが届かない。
少女は勢いのまま飛び出し少年は追いかけるように部屋を飛び出している。
少年の方は比較的冷静だったが少女は激しく感情的になっていた。
そんな状態で独りにするのは経験則上危険であり、また心情的にも出来ない。
けれど。

「行ってください。今のあいつらは放っておく方が怖い」

「なにを!?」

よりにもよって君がそれをいうのかと。
凜子は詰め寄るように正面から肩を掴んでシンイチの顔を覗き込む。
いっそ泣き崩れてしまえば、感情に任せて喚き散らした方が楽だろうに。
そこには何の感情もなければ動揺さえ欠片も見当たらない仮面のような無表情(かお)
それが余計に痛々しい姿に見えて仕方が無く、彼女が泣きそうになる。
だが自分以外に彼ら─かつての─家族の事情を知る隊員や職員はいない。
施設内もかなり入り組んだ造りになっており少年だけでは不安だ。
どちらもよく知る自分が探すのが適切だというのはわかっている。
いま目の前にいる彼が一番危ないと思っていなければ。

「あれで二人とも根っ子は思い詰めて暴走するタイプなんだ。
 早く見つけて、二人一緒にさせれば落ち着くと思うからさ」

「待って、待ってよ信一くん!
 違うのよ! この8年で色んなことが大きく変わっちゃって、
 みんなそれを受け入れたり慣れるのに必死で、だから!」

だから、君のせいではないのだと。
あの少女の言葉は決して本心のそれではないと必死に訴える。
ただあまりに巡りあわせが悪かった。彼が落ちた日も、落ちた先も。
戻ってきた日も、その場所も、あまりに組み合わせが悪かった。

「わかってます。
 …………すいません、実はちょっと『一人』にしてほしかったんです」

「……わかったわ。でもすぐ戻ってくるから!
 だから絶対にここから動いちゃダメだからね!」

そんな仄かに笑うように一人にしてくれといわれては引き下がるしかない。
けれども強く釘を刺すようにして、慌てて彼女も飛び出していく。
そして誰一人いなくなった待合室で無言の少年が立ち尽くしている。
されど即座に崩れ落ちるようにイスに座りこんで背もたれに寄りかかった。
表情は変わらずの無であったけれども手足からは完全に力が抜けている。

「………どこに行く」

だからこそ解放された“彼女”を呼び止める声が重く響く。
気付かれまいと足音さえ立てずにいた彼女はびくりと身体を震わせる。
背もたれの先に頭を預けて天井を眺めているような彼だが動きは把握していた。

「気持ちはありがたいがな、自重してくれ」

「っ、しかしっ、あのような物言いは許せません!
 主様がいったいどれほどご家族を想っていられたのか知りもしないで!」

静かに制止する声に、されど今まで彼に抑えられていた感情が爆発した。
この場で声を張り上げたことに彼女の強い想いを感じ取って微かに微笑む。
そして卑怯だとは思いながらも彼女を確実に止められる言葉を使った。

「ありがとう、でも………頼む、いま『独り』にしないでくれ」

「っ!」

そう乞われては離れるわけにはいかなかった。
駆け寄って肩に跳び乗ると自らの体温を伝えるように頬を寄せた。
柔らかな毛並とその暖かさを肌で感じ取って表情が柔和になる。
そして優しくその頭を撫でながら───こうなった経緯に想いを馳せた。

シンイチが彼女等の言葉をあえて聞いた理由の半分(・・)はその想いを聞くため。
生の感情をむき出しにした言葉にこそ真実が宿っていると考えたからである。
それによって得られた情報から概ねこうなった原因に察しがついていた。
誰からも明確な説明は無かったが職員たちの態度。自分の捜索の過程。
父母の言い争い。母の変化。妹弟からの言葉。異世界との交流と変化。
断片的な情報なれど繋ぎ合わせてしまえばその流れは推察できる。
できるようになってしまった自分の豊かな想像力が恨めしい。
あるいはそれを考えようとしなかった自分の愚かさが嘆かわしい。


───結局、俺のせいじゃねえか


すべての原因(ハジマリ)は彼が次元の穴に落ちた時点で終わっていた。
シンイチが望んでいた“家”に帰りたかったのなら即座に戻るしかなかったのだ。
異世界へ落ちた事。見つからなかった事。彼に対する父母の理解度の違い。
そして新しく流れ込んできた異世界ガレストの知識と常識。
これらの歯車がどれも噛み合わなかったからこその現在(イマ)
かつてのシンイチの家族にとってあまりにも巡りあわせが悪かった。

黙って聞いた残り半分の理由はそれを無意識ながらに察していたから。
自分があの激情を受け入れてしまったほうが母たちのためだと思えたのだ。
そうしなければおそらく本当に壊れていたのは果たしてどちらだったのか。

何の皮肉だというのか。
彼女(ははおや)は我が子を深く愛し理解していたからこそ、
異世界の過酷さにその生存を信じることができなかったのだ。
そしてその考えを父は理解できず、我が子を失った夫婦は支えあう事も無く、
逆に罵り合っていたであろうことは先程の光景を見れば想像がつく。
それらが原因で離婚し母の精神の均衡を崩していったのだろうことも。
長い時間をかけてそれを妹弟が必死の想いで立ち直らせたのは言うまでもない。
そして、いま自分が帰ってきた事でフリダシ(ハジマリ)に戻してしまったのだ。



────ああ、ほんと、俺って余計なことばっかりする
フォローするならば。
母親側も一報を聞いてすぐに駆けつけているんですよねぇ。
そっちのほうが本音でしょう。
本文のようになった原因は弟くんのセリフが真相。
+注意+
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