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帰ってきてもファンタジー!? 作者:月見ココア

修学旅行編 第一章「彼の旅はこうなる」

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04-89 共に知らぬ再会

一度ある程度まで読んでから、もう一度頭から読むと冒頭シーンの意味合いが変わる。


かもしれない(汗



ナカムラ・シンイチは彼の従者が評したように激しく落ち込んでいた。
悩んでも、悔やんでも、意味のないことだという事は既に分かっている。
どう悩もうともやるべきことは変わらず、どう悔もうとも過去は変えられない。
だからといってそれで割り切って先だけを見据えられるような要領の良さか
器用さか底抜けに明るい前向きさなどこの少年には無いに等しい。
どうしようもない。ゆえに彼は落ち込んでいる。落ち込むしかない。

「………」

それでも一か所に留まらずにいるのはせめてもの抵抗か。
あるいは足を止めてしまえば本当に止まってしまいそうな恐れからか。
当人ですらよくわからないまま名前さえ分からない街を目的なく歩く。
悲憤。後悔。焦燥。無力感。様々な後ろ向きな思考に囚われている彼だが
足取りだけは迷いがなく、それなりの人並みの中ぶつかることも
ないまままるで行先は解っているように歩みを進めている。

ただ近くに人の気配が少ないのは内心の陰気さを周囲が感じとっているせいか。
何か妙な喧騒も聞こえるが街中とはそういうものであろうと意識にも乗らない。
あるいはそんなものが気にならないほど気分に引きずられてか体もどこか重い。
自らが醸し出す陰険な空気に自身がうんざりするような不快感も感じている。

「─────!」

そんな状態をいったいどれだけ続けていたのか。
どこをどう通ってどこに向かおうとしているのか。
完全にそれらが意識の外になって、冷静に考えれば危ない状態だと解っていても
無意識に任せて、頭の中ではずっと同じ事を考えて同じように懊悩としている。
どうしてこうなった。どうすれば良かった。これからどうすればいい。
結論は出ない。斬新な解決法などない。やることは変わらない。
例えそこに待つのが友との対決でも、友が出した被害を直視する事でも。
だからこそ、落ち込まなければやってられないのかもしれないが。

「───るっ! ちょ────さいっ!!」

不思議なことが起こった。
無意識ながら自分で決めていた向かう先がふいに変わった。変えられた。
引きずられているような力を感じる。どこかに呼ばれているのか。
何らかの因子に引き寄せられたか。それもまたよくあることである。
こういう時は事件に首を突っ込むに限る、とはあまりに馬鹿な理屈だ。
他のことに集中することで意識を切り替える、といえば普通の話だが
この少年がそれを行うにはそれなりに厄介な事件を必要とする。
そんな理由で企みを阻止された、そんな理由で助けられた。
ああ、なんてそれは傍迷惑な話であろうか。

「っっ!?!」

そんなことを彼が考えた時のことだった。
何かで殴られたような衝撃と共に意識がクリアになる。
させられたのか、しなければいけないと体が判断したのか。
どちらにせよ彼にとって予想だにしていない光景がそこに広がっていた。

「ねえ、誰かタオルか何か持ってきて!」

「え、あ、わかった!」

長椅子がいくつも並ぶ縦長の空間。最奥に置かれた小さな祭壇。
壁に掲げられた大きな十字架と小さな一枚だけのステンドグラス。
描かれた聖母の微笑が見守るのは清潔さと清廉さを併せ持った場所(空気)
少年はちょうどその全体が見える位置にある入口に立っていた。

「教、会?」

正確に言えばその礼拝堂であるが少年の中ではほぼイコールの存在であった。
あの事件以降、用件が無ければ意図的に他の場所以上に立ち寄らなかったため
気付いたら教会にいたというのは彼にとってはとてつもない衝撃だった。

「他に何に見えるっていうの?」

そしてまるでその隙を襲うかのように間近から女性の声が届く。
声自体は澄んだ音色を奏でている美しいものだが感情にあるのは呆れだ。
シンイチは何故か掴まれていた自らの腕から続くようにいた女性を見る。
二十代前半らしき風貌で、シンイチより頭一つほど身長が高い。
衣服はカジュアルなジャケットを羽織ったパンツスタイル。
深々と被った帽子に隠された髪色はその人種を表すものかピンク色。
肌色も日焼けなどとは全く違うエキゾチックな色香を持つ褐色のそれ。
胡乱げにこちらを見るエメラルドの瞳を持った相貌はナチュラルメイク
ながら一般的な感性で見て、誰もが美人と評するほどの代物であり
それらが組み合わさり高め合った美貌は充分人目を引くものだ。

尤もシンイチの第一評価は、
『室内なのに傘を差している(・・・・・・・)点を除けばおかしな所はない』
である辺り良くも悪くも外見の美醜に関する感性が薄いのか鈍いのか。
どこかのメイドにいわせれば意識する優先度が低いだけとのことだが
彼の標的になりやすい女性陣にとっては厄介な話である。
解ってはいる、ということなのだから。

とはいえそれを刹那に判断した彼は、だからこそ戸惑いの中にいた。
じつはこの時シンイチは心臓が飛び出るかと思うほどに驚愕している。
自らに染み込ませた癖としてそれは全く表情には出ていなかったが
その胸中は穏やかではない。なにせ、彼女は彼の腕を掴んでいる。
そんなことが何か、と思うかもしれないがこの言葉を付け加えると
異常さがわかるだろう。

──その事実をこの瞬間に至るまで気付かなかった

いくらまともな精神状態でなかったにせよ体に触れられて
気付かないのはあり得ない。それも状況的にここに連れてきたのは
彼女であるのは明白で、ならばそれは触れられただけでなく腕を
引っ張られたという事だ。余計にあり得ないはずの出来事だった。

「………あんた誰?」

そのうえ本当に知らない相手であり、知らず温度の無い声が出た。
どこかで見たような気もしているのだが内心動揺していた彼はそれを
思い出すという事も出来ないでいた。そんな中で出た拒絶的な声色。
初対面─らしき─女性にしていい態度ではない知識はあるがそれが残念ながら
染みついていないシンイチは動揺は隠せているくせに警戒心は丸出しであった。
それとて気付かない内に腕を掴まれていた、という事実があってこそであり
無ければこの状況でも声さえかけようとしなかっただろう。ゆえにもし、
ここに幼馴染のどちらかがいれば『人見知りが攻撃的な方向に悪化した!』
と笑うか呆れるところだ。あるいは声をかけたとどちらも驚くか。

「なっ、この私をっ! 知らないですって!?」

ただ彼の問いかけに女性はこれ以上はないほどの驚きを見せた。
それが本気の反応であるとわかるだけにシンイチは妙な不快感に顔をしかめる。
だがそんな反応自体がおかしいと自らで思いながらも胸中の奥がざわりと蠢く
感覚に本能が敵意を覚える。理由のわからない経験がこれは敵だと訴える。
何を馬鹿な、と内心では一蹴しながらも必要以上の警戒が解けない。

「…………」

「な、なによその目は!」

知らず鋭く睨む目つきになっていた彼に対して、彼女は張り合うように
向き直ると正面から負けじと睨み返す。火花散る視線の激突といえば
これを差すのだろうという睨み合いはどちらにも折れる気が皆無であり
下手をすれば千日手になりかねない雰囲気であった。が。

「ほら、お姉ちゃん男の人と見つめあってるでしょ!」

「ほんとだぁ」

「あついしせんってやつだ!」

「すっげぇ、姉ちゃんがオトコ連れてきたぁ!」

「ねえシスター、お姉ちゃんケッコンするのぉ?」

「でもなんかフツーのやつだぜこいつ?」

何か予想外の方向から、予想外の言葉達を一斉に投げかけられて突如終焉を迎えた。
よくわからないまま声の方に視線を向けたシンイチと違って明らかに“しまった”
という顔で腕を離しながら振り向いた女性。二人の視線の先にはどう見ても5、6歳
ほどの少年少女たちの集団が修道女の服を着込む高齢の女性の手を引いていた。

「あらあら本当ねぇ、ついに春が来たのかしら?」

その修道女は皺のある顔を朗らかなに緩ませて祝福の意思を見せた。
見るからにアジア系統ではなく欧米のそれらしき相貌は積み重ねた年月を
思わせる穏やかな表情を浮かべているが、その青目が大いに笑っていた。

「シスター! 分かってて言ってるでしょ!」

知己なのだろう。彼女は怒ってこそいるがその態度には気安さと共にこの
程度では相手が不快に思わないという信頼が見える。実際、修道女は
笑いながらごめんなさいと嘯いて近くの女の子に何かを促した。
トコトコと走り寄ってくるその子の足取りが自分を目指してのものだと
気付いたシンイチは半ば以上反射的に屈んでいた。それに女性二名から
感心したような声と視線が注がれるが、彼は気付かなかったふりをする。
他者からの視線や意識への感知能力が高すぎるためそれにいちいち
反応しないように自然と覚えたスルー技能であった。

「はい、お兄さんタオル!」

そうやって意図的に目の前の少女だけに注目すると元気いっぱいな
笑顔と共に言葉通りにタオルを差し出された。ただ見るからにサイズが
大きく、またそのふわふわとした毛並は手拭きや汗拭き用ではなく
風呂上がりの人間に渡すようなもの、つまりはバスタオルとしか
いいようがない代物であった。

「え、なんで?」

受け取りつつも首を傾げた彼だが、その視界には落ちる水滴が映る。

「ぬ」

そんな馬鹿なとタオルを受け取った両手をよく見てみればずぶ濡れの袖が
腕に張り付いていた。視線を巡らせればそれが全身どこも変わらずである事は
すぐに見て取れた。つまり全身びしょ濡れ。海にでも落ちたかと錯覚するほどに。

「…ほわい?」

なぜだ。予想外の状態にさしもの彼も表情には出さないが軽く混乱する。
いつのまに自分は海を遊泳でもしたのだろうかとわりと真剣に考えた。
それ自体が彼の混乱具合を表しているともいえた。

「この雨の中で傘も差さずに歩いてればそうなるに決まってるでしょう」

そこへまた呆れた声を向けながら自らの傘を閉じた女性。
しかしシンイチからすればその発言は驚天動地な話であった。

「雨? いったいいつ降ったんだ?」

「はぁぁ?」

何か信じられない、あるいは可哀そうなものでも見るような目で見られたあと
彼女は黙って窓を指差す。素直にそこに目を向けたシンイチはもはやどう
見間違えればいいのかという具合に雨が叩き付けられている光景に絶句する。
現在進行形で豪雨だった。

「……………いつのまに」

「いつって、12時過ぎたぐらいだったからもうだいたい2時間ぐら、ってまさかあんたずっと?」

「……道理でなんかずっとじめじめ、びちゃびちゃしてて気持ち悪いと…」

納得だとばかりに大仰に頷いてみせた彼に女性もシスターも呆れるのを
通り越して絶句していたのだが、子供らは違う感想を抱いたらしい。

「このにいちゃんバカなの?」

「あはは、バカだぁ!」

「ダメだよねえちゃんバカにひっかかっちゃ…」

「バーカバーカ、きゃははっ!」

正直に告げられたそれらは子供ゆえの純真さからくる残酷な馬鹿宣告だった。

「こ、こらあんたたち!」

それをさすがに女性が嗜めようとしたのを遮って立ち上がった彼は誰に対してか
何に対してか─本人もよく分からないまま─どこかを指差しながら大声で一言。

「そう、その通り!」

「は?」

「何を隠そう! このお兄さんはすんごくバカなのだぁっ!!」

のだぁ、のだぁ、とセルフエコーをかけながら続けてその指を無意味に天に向ける。
その顔は言葉の内容とは裏腹に言ってやったぜといわんばかりに満足げ。
さらに両手を腰にあてながらどうだとばかりに自慢げに胸を張る始末。

「ぷ、ぷぷっ!」

「じぶんでいってるよ!」

「あははっ、へんなのー!」

目が点となった大人たちと違い、子供たちはあまりに突拍子もない言葉と
ポーズがウケてか大笑い。さっきと似たような言葉を繰り返して文字通り
馬鹿にする子達もいたがそれはどこか肯定的な意味を持った物に変わっていた。

「くくくっ、そしてこの馬鹿なお兄さんの水滴を浴びた者は同じように
 バカになってしまうのだ! アハハっ、子供達よ、食らうがいい!」

「わぁ逃げろー、バカになるぞ!」

「やだー、キャー!」

「へへん、誰が食らうか!」

そしてどこのヒーロー番組の悪役かという声を突如出すと子供達を
追いかけ出した。悲鳴をあげている子もいるがそれは楽しそうな声色で
急遽始まった水滴飛ばしバカお兄さん怪人との鬼ごっこを面白がっていた。

「あらあら、元気な子ねぇ……悪いものではなさそうね」

急展開に一瞬目を見開いたシスターだが、すぐに笑みをこぼす。
後半に呟かれた意味深な言葉は幸か不幸か誰の耳にも届かなかったが。
一方で呆気に取られていた女性は若いゆえにそこまで達観できないのか。
こめかみを震わせながら彼女ももらっていたタオルを握りしめる。

「あ、あんたたちぃっ! 礼拝堂ではっ、静かにっ、しなさいっ!!」

そして大きく振りかぶって、投げた。

「ふぶっ!?」

「わー姉ちゃんがキレた! マジで逃げろー!!」

「キャーっ!!」

蜘蛛の子を散らす一声か。
こっちは本気で怖がる悲鳴をあげた子供達は礼拝堂から逃げ出した。
投げ付けられたタオルが顔面に直撃したシンイチ以外は、だが。

「……馬鹿な……反応できなかった、だと?」

タオルに隠れた顔では一瞬前までふざけていた当人と思えぬほどに彼は
その事実に愕然としていた。他の事に完全に意識を取られていて雨に
すぶ濡れにされた事に気付かなかったのとは訳が違う。何も特別なことを
彼女はしていないはずなのになぜか投げ付けられたタオルに対処出来なかった。
腕を掴まれていたことと合わさって彼の経験上あり得ない事態であった。
気を抜けば誰よりも弱い自分が触れてきた相手に反応しないなど。
自分に向かって飛んでくる物体に意識を向ける事もできなかったなど。

「そしてあんたはいいかげんにっ──」

その驚きかそれともその二つと同じ原因なのか。
大股歩きで近づいてくる彼女にまたもシンイチは反応が遅れた。
誰かの経験とは違う、彼自身の本能的な恐怖心が呼び起される。
理屈は分からずともこの女性は自分の意識をすり抜けて近寄れてしまう。
それは極端なことをいえば彼女はシンイチを易々と殺せる存在だという事。
腕を掴まれた時に彼女が凶器を持っていたら。
投げ付けられたのが爆弾であったのなら。
痛い被害妄想だと彼も自覚しているが表でも裏でもその身を狙われている者
としては当然といってもいい臆病さでもあった。彼の場合は生来であるが。

「──体をちゃんと拭きなさい! 風邪ひいても知らないわよ!」

「わっ、ちょ、まっ!?」

尤もその怯えですらまともに彼女に反応できていない。
ろくな抵抗もできずにタオルで頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように拭かれる。
しかしそれは若干乱暴な動作であることを除けば、慣れた手つきであり
真実雨の滴る男となっている彼の頭部をしっかりと拭いていた。
奇しくもどこか彼の幼き日の風呂上りの光景を連想させるような扱いに
妙な安堵感を覚えたおかげか恐怖心は落ち着かせることができた。

「うーん、これやっぱり拭いた程度でどうにかなるものじゃないわね」

尤も全身ずぶ濡れ男の頭だけを拭いても焼け石に水に近い話であるが。

「スキルの『ドライヤー』だと渇くの衣服だけだし……
 ねえシスター、この子をお風呂入れてもらってもいい?」

「いいわよ、洗濯機を使ってもかまわないから。
 さすがに最新機器のように瞬時に洗濯乾燥とはいかないけれど」

「充分よ、ありがとシスター……で、あなたもいうことあるでしょ?」

「え、えっと……お、お世話になります」

なぜこうなった。意見を挟む余地のないまま決まってしまった展開に
そう思いながらも手間をかけさせるのも事実ゆえ彼は素直に頭を下げる。
尤も『一緒に入るか?』などという発言が頭に浮かんでもいない事が彼の
調子の悪さを示していることなどこの場の誰にも分からない話であった。






「─────なんか納得いかない」

「ふふ、むくれないの」

目の前の光景に不満げなのは若い女性。
笑みを含みながら窘めたのは真に大人なシスター。
彼女達は幼い子供向けの小さな机を挟んで向かい合うように床に腰を下ろしていた。
シスターの方にはクッションが敷いてあるが若い女性の方はそのままだ。
とはいっても彼女が不機嫌であるのは別段その扱いについてではない。
これはいつもの事であるし、もっというならシスターの方はきちんと
した椅子に腰掛けるか奥で休んでいてほしい気持ちすら彼女にはある。
だがさすがに部外者だけが子供達を見ているわけにもいかないのだろう。

「くらえ、いつつのやいば!」

「ファイブレイドフィニッシュ!」

「ぐああぁっ、やぁらぁれぇたぁっ」

「せいぎはかーーつ!」

だからこそ彼女らはホールのような空間で遊び回る子供達を見ているのだ。
正確にいえばほぼ全員から玩具のように弄ばれている少年を、だが。

「むぅぅ…」

子供らに振り回されているようで、楽しんでいるのが透けて見える表情。
何より子供達自身も新たな遊び相手の登場に喜んでいるのが分かって
しまうだけに唸り声が漏れる。気に入らない。

「うふふ、そんなあなたを見れるのが私ぐらいかと思うと役得かしら」

「シスターまたそんなこと…」

「だって次元の歌姫(・・・・・)モニカ(・・・)のむくれ顔なんてみんな見れないわよ?」

いつもはかっこいい歌姫さんですものね、とシスターが茶化せば
その歌姫モニカとしては眉根を寄せながらもただ黙るしかない。
長年世話になっている彼女相手では口で勝てる気がしないのだ。

「そうよ、シスターだけなんだから…」

「ふふ、それもいつまでの話かしら……本当に彼はそういう相手じゃないのね?」

それで不承不承ながら素直にそうだと認めればこれである。
好々爺然とした雰囲気ながら娘の恋愛事情に首を突っ込もうとする母親のよう。
親代わりという点において否定する気のないモニカだが、彼が入浴中から
ずっとこの話題を振られていた彼女としては辟易としてしまう。

「だから違うって。
 何度もいうけど、あの子とはついさっき初めて会ったのよ…………多分」

「多分?」

「さっき気付いたんだけど声だけはどこかで聞いた覚えがして…」

でも思い出せない。
そういうと、あら珍しい、とシスターに驚かれ彼女自身もそう思った。
仕事柄か生来のものか音の判別や記憶力には自信があったが何か靄が
かかったようにピンとくる記憶が引っかからない。しかしそれは
シスターの悪戯心を刺激するだけだったらしい。

「声しか知らない相手と雨の中出会うなんてドラマチックねぇ。
 おばあちゃん年甲斐もなくドキドキするわぁ」

「シスター! あんな失礼な奴ないから!」

「えぇ、さっきはそんな感じしなかったけど?」

あのあと長風呂という程でも烏の行水という程でもない適切な入浴時間を
過ごして出てきた彼は、ここに来た直後に見せた警戒心が行き過ぎた無礼な
態度が嘘のように、その謝罪と保護してくれた感謝を丁寧に述べた。

──見ず知らずの他人にここまでの厚意、ありがとうございます

──このお礼はいつか必ず

──それとあなたには失礼な態度をして申し訳ありません
  土砂降りの中傘もさしてなかった怪しい自分を保護してくれた相手
  への態度ではありませんでした。深く謝罪し、そしてその気遣いに感謝します

──え、あ、うん、べつに

ここまでいわれてしまうと出てきたら文句の一つでも言ってやろうと
思っていたモニカも気が削がれてしまうどころか完全に出鼻をくじかれる。
もしこの感謝と謝罪に多少の演技臭さでもあれば揶揄してやれたのだろうが
彼女の目から見てそれは本気であり、真剣なものであった。茶化すことさえ
できないほどで彼女は何も言えなくなってしまう。シスターはその様子に
おかしそうに笑っているだけだった。そしてその後はすぐに帰ろうとした彼を
戻ってきた子供達が捕まえてこの状態である。おかげで互いに自己紹介も
ろくにできないままであった。

「って、だからあいつはどうでもいいのっ、それよりみんなよ!
 せっかくこの私が来たのにあっちに懐いちゃって、もうっ!」

「取られちゃってお姉ちゃん悔しい?」

「なによ、なによっ。玩具も兄弟も結局新しいのがいいわけ?」

「ふふ、拗ねないの……それに、あれはあの子が上手過ぎるからだと思うわ」

「うううぅ」

唸るもその点に関して否定できない。出来ないゆえに腹立たしい。
先程から彼はままごとのお父さん役から退治される怪人役まで大活躍である。
少年は彼女に最初に見せた鋭い眼差しなど無かったかのような柔らかな目で
周囲を見ながら慣れた職員でも辟易とする子供たちの構って攻撃をうまく
さばいていた上に、そういった輪に入り難い子供も誘い込んでいたりする。
それでいて一人遊びが好きな子には一度声をかけたあとは見守るだけに。
また勝手にホールから出ようとする子や乱暴な行動に出た子には
しっかり注意しつつも頭ごなしに否定しない口調をとっていた。
どう見ても十代後半になったばかりのような少年なのだが、
ベテランの保育士かと錯覚する。

「……このままここで働いてくれないかしら?」

わりと本気の声色で呟くシスターに唸り声さえ出ない彼女である。
ここのいわゆる卒業生の彼女をして彼の対応に文句をつけられなかった。
そして常に人手不足だと職員たちが嘆いているのを知る身としては
反対意見など出せるわけがない。

「やっぱり、まだまだ大変?」

「どこかの足長お姉さんがいるからお金の問題は少ないけど、
 人が足りないのと……子供達が増えていくのは老体には堪えるわ」

「いつの時代も、ろくでもない親の数は減らないのね」

ここは何らかの事情で親がいないか親許で育てられないと判断された
子供達が集まる児童養護施設であった。彼女自身もここの出身者であるため
無責任な親というものには根っこの部分で敵意がある。大人と呼べる年齢に
なってからはいくらか仕方ないと思えても、感情的な部分では許せないという
意志が強い。それが実質的な育ての親であるシスターが苦労している理由
となれば余計にであった。

「そのろくでもない親の一人としては耳が痛いわ」

「あ、べ、別にシスターのことを言ったわけじゃ!」

しまった、と思った時にはもう言葉は口から出たあとだった。
シスターは分かっているといって笑うだけだがそれがどこか
物悲しいものであるように見えるのは失言による罪悪感の錯覚か。

──私はね、実の娘を見捨てたのよ

彼女は通常とはかなり異なる特殊な過程を経て修道女になったという。
その後、ここの教会と施設の責任者となったのだが本来なら兼任も含め
どちらもあり得ない人事であり、何かしらの事情があってこの場所に
押し込められたのだと以前に当人が語っていたが詳しいことは彼女も知らない。
ただ自身は「都合がいいから快く受け取った」らしくここに来たことは
微塵も後悔していないとのことだが結局ここの者たちが知ってるのはその程度。
シスターの過去、家族については誰もよく知らないがモニカはある日
そのいくらかを知ってしまったのだ。

5年前のある日のことだ。
シスターは昔から他県の新聞をわざわざ取り寄せて購読していた。
その日もモニカはここに訪れており、だからその場面に遭遇する。
他県の新聞を読んでいたシスターが突如悲鳴をあげて気を失ったのである。
高齢ながら病気一つしたことがない彼女が倒れたことで施設は上を下への
大騒ぎとなってモニカが彼女の看病に名乗り出たのだがそこでシスターが
譫言のようにこぼした内容を繋げていくと彼女の一つの過去が見えたのだ。

互いに家の事情で結婚して子供を作ったが、その後また家と仕事の事情で
離婚して、生まれた娘を相手の家に置いていかなくてはいけなくなった。
それがその娘にとって辛い道を歩かせることになると知っていたのに。
やろうと思えば娘を連れて生きることもできたはずなのに。
自分はそれをしなかったのだと。

その話を聞いたうえで開かれたままだった新聞をよく読めば
ある記事が目に留まった。地方の、ある悲惨な交通事故の記事。
家族三人、父母娘が暴走車の巻き添えで揃って死亡したという内容。
書かれていた被害者の苗字がシスターの語った相手側の家の名前だった。
状況と年齢を考えればこの一家の母親が娘であったのだろう。

目覚めたシスターにおずおずと問えば、あの言葉が返ってきて、
ここで育った一人としてモニカは複雑な心境とはなったがそれ以上に
愛情深く育てもらったことが彼女にとっては全てであって妙な感情が
生まれることはなかった。だがそれ以上は何も聞けずに二人の間で
自然と話題にしないのが暗黙の了解のようになっていたのだ。

「あ、あのシスター私…」

「そういえば、ふふ、あなたは相変わらずなんでも拾ってくるわね」

なんといえばいいのかと慌てふためくモニカを見かねてか。
シスターはいつもの笑みをこぼしながら言う。その視線の先にいるのは
子供達にもみくちゃにされて押し潰されている少年の姿である。
言いたいことを察した彼女はその気遣いに乗りながら若干の苦笑いを浮かべた。

「そ、そんなに拾ってきたかな?」

「犬猫はもちろん、すずめ、ざりがに、ハムスター、亀、カブトムシとかもあったわね」

「あううっ」

あの頃はいつ熊や狐を拾ってくるかと気が気ではなかったと嘯けば
見るからにモニカは顔を赤くして轟沈してしまう。自らが放置された側で
あったからか捨てられた、見捨てられた生き物を放っておけない性分を
抱えた彼女はそれをどの生物に対しても発揮してしまっていたのだ。
幼少期は特にそれが強く、いま思い返すとあまりに恥ずかしい思い出である。

「たまーに親と逸れた子供や道に迷った子供もいたからダメとも
 言い難かったのだけど……だから、あの男の子も拾ってきちゃったのよね?」

「え」

「だってあの子、あなたが気になってしょうがないタイプの迷子(・・)でしょ?」

その指摘に一瞬の逡巡を見せたが育ての親の目は誤魔化せないと悟ってか。
小さく頷くようにそれを認めた。

「…………うん」

街中で少年を見たモニカは確かにびっくりはした。
豪雨の中、傘もささずに慌てた様子もなくただ街を歩いているのだから。
即座に何かの撮影かと疑ったがそのような様子もなく、周囲も驚きながら
気味の悪いモノでも見るように遠巻きであった。彼女も不思議には思ったが
見ず知らずの他人であり、今は立場もある大人。かつて子供だった時の
ように教会にまで有無を言わせず引っ張ってっていいわけがないと判断した。
ずぶ濡れとなって感情が抜け落ちたその顔を見るまでは。
そこにある目がどこに行けばいいのか解らない子供のようで、
迷いなく進む足が止まるほうが怖いと怯える子供のようで、
そう思ってしまった時には怒るように声をかけて有無を言わせずに
腕を掴んでこの教会まで引っ張ってきてしまったのである。

「うまく子供たちの相手をしているけれど、ふいに目が迷ってる。
 器用なんだか不器用なんだか、子供達相手にして気を紛らわすなんて」

おかしな子と笑ったシスターだがその笑みには切なさも見える。
ここで多くの子供達を見守ってきた彼女の目にはきっとモニカが
感じ取ったこと以上のナニカが見えているのだろう。

「ごめんねシスター。毎回面倒事ばっかりで」

今回に限っていえばこことは何の縁もゆかりもないのに何か訳ありの少年を
いきなり連れ込んだため申し訳ないという感情が素直に顔に出ていた。
しかし。

「あら、そう思うならもっと来てくれればいいのに。
 何かある時にしか来ないからそういうことになるのよ?」

即座に出てきたまさかの回数(分母)を増やせ発言に彼女は目が点である。

「は、はは、あはは……」

シスターはすぐにこれだ、と。
まったくもってまだまだ敵わないと内心で白旗を振る。
その裏にあるいくらでも迷惑かけなさいという言葉に泣きそうになる。
そんな気持ちを察してか。子供たちの意識が少年に集中しているからか。
シスターの声がそこで幾分下がって、小さく問いかけてきた。

「……それで、今回のあなたの面倒事はなにかしら?」

あるんでしょ、という言外の指摘に少し黙った彼女だが意を決して、
されど周囲を駆け回る子供達には聞こえないようにぽつりと告げる。

「私ね、明日─────────殺されるかもしれない」




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