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帰ってきてもファンタジー!? 作者:月見ココア

修学旅行編 第一章「彼の旅はこうなる」

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04-84-01 彼の周りに旗は立つ

今回から始まる一連の夢(という名の回想シーン)通してのタイトルが思い浮かばなかった……


 避暑地の別荘─というにはあまりに巨大な屋敷─の書斎。
大国の王族が使う事が前提の部屋にしては華美な装飾や美術品の類は皆無だ。
やや長方形の部屋の壁は窓と扉を覗けばほぼ全面が本がびっしり詰まった棚で
構成されている。その中身も様々な国の歴史書からマナー本、魔法文化などを
記した書物が大半だ。それらに囲まれた部屋の奥には大人がひとり楽に横に
なれそうな荘厳な机があり、その前には来客用かテーブルとソファが並んでいた。

そんな書斎の机に向かい、ひとり紙の上でペンを走らせているのは
アースガント第二王女その人。机の上に様々な資料や本、地図を広げながら
何かを書き出している。一心不乱に、されど時折ペンを止めて熟考しながら
彼女は頭の中の考えを幾枚にも書き留めていく。それがいくらか終わったのか。
ペンを置いた彼女は伸びをしながら息を吐く。

「ふぅ、こんなところでしょうか?」

「なにがだ?」

「え?」

されどその隙をつくかのように紙の束はあっさりと目の前から消えた。
呆気にとられて反応が遅れるが、その下手人に気付いてさらに固まる。
この屋敷で気配を絶つ手段に長けているのは姫と勇者以外全員だが、
そもそも彼女の所有物に手を付ける者は彼しかいない。紆余曲折あり
半月前から共に旅をする事になった気付けばどこにでもいる黒髪の少年。

「シン?」

「おう……で、なになに?」

「あ、ダメ! 返してください!」

あまりに軽い挨拶の後、さも当然といった風に彼はそれに目を通す。
焦って手を伸ばして奪い返そうとするが書斎机越しでは腕が届かない。
それに気付いて机を回り込んで彼の前に出るが、時すでに遅し、である。
尤も相手が相手なだけに何をしても取り返せたかは甚だ疑問だが。

「へぇ、今夜のパーティの準備もせずに何をしてるのかと思えば……」

「はうぅっ!」

そして読み進めていく内にどこか面白がっていた彼の表情が徐々に変わり、
全てを読み終えた時には何か裏があるような暖かな微笑みを浮かべていた。
書いた当人ゆえにリリーシャはそれが幼子の頑張りを見守るような微笑ましい
ものであることに耐えられなかった。端的にいえば、ただただ恥ずかしい。
無論、彼女の聡明さはそれが自分をからかう意図のものだと解っているが。

「ううぅ、ただ忘れまいとメモしていただけでしたのに!
 よりにもよって、あなたに見られるなんて!」

なにせそれに書かれていたのはこの地からアースガントの王都との間に
ある村や都市などで彼女達が仕出かした事とそれによって予想される影響。
そしてその対処法(・・・)のあれこれであったのだから。自らの浅慮で意図しない
大きな影響を残すのは彼女の望むものではなかった。そのための旅路の逆走だ。
しかし既にいくつも想定外の影響に遭遇し、リリーシャは頭と心を痛めていた。
ここまではこの少年─シンイチの知恵と助力で対処してきたが頼るだけでは
いけないと旅の休憩地点となったここで彼女は頭を捻っていたのだ。

「こ、こうなれば!
 見られてしまったものは仕方がありません……なので、その、あなたの
 目から見てそれは、率直にいって………どう、なのでしょうか?」

彼女としてはあくまで個人的な覚え書きあるいはアイディア帳。
人に、ましてやその罪を指摘してきた張本人に見せる気は無かった代物。
だが見られた以上、採点者としては彼以上の相手はいない。半ば開き直り、
あるいは自棄に近い心境でそれを問う。が。

「さあ?」

「へ?」

返ってきたのは興味の薄い気の抜けた声。
それに呆気にとられた彼女に、だが突き返されたのは鋭い声。

「現地を見てからじゃないと言えることはない」

「ぁ……そう、ですね……そう、でした……」

一番見落としてはいけない見落としに気付き、がっくりと肩を落とす姫。
彼女はこのために関係がありそうな資料をかき集め、一帯の歴史も調べた。
避暑地とはいえ王族が留まる地であるためかこの屋敷には様々な資料もある。
それらを参考に、と考えたものの所詮それは彼女達が旅に出る前の情報だ。
影響の予測もあくまで推測でしかない。ましてやそれはつい最近まで自らが
世間知らずだとさえ知らなかった彼女の推測だ。何の意味があるのかと
冷や水でも浴びせられたような気分でこの姫は冷静に悟っていた。
必要なのは現地が『今』『何故』『どうなって』いるかの情報。
究極的な話、その地に辿り着くまでどうするのが一番良いのかは不鮮明の一言だ。
だというのにシンイチの言葉が無ければ内心では「これならば」と会心の出来だと
思っていたのだから、リリーシャとしては顔を俯かせるしかなかった。

「また独りよがりなことをしてしまいました……ハハッ」

そしてそんな自分はあまりに滑稽だと力無く自らを嘲るように彼女は笑う。

「あたっ、え?」

けれどその頭へ丸められた紙の束がポンと音を立てて叩きつけられた。
落としていた顔をあげればそこにあったのはどの予想とも違う彼の顔。

「だから、出来るだけの準備と覚悟を整えようとした事を俺は評価するよ」

からかう色も怒る色もない、しかし「それでいい」というような満足げなそれ。
いわれずとも何をすべきか自らで考え、動こうとした姿勢こそを彼は認めた。
言葉少なに、けれどその表情が何よりも褒めてくれていた。

「───っ」

小さな行為に向けられた当然の小さな称賛は、だが不意打ちゆえの威力があった。
胸の高鳴りと頬の熱さを自覚して息を呑みながら照れ隠しに無意味に手を動かす。
成果の称賛、立案の称賛等はそれこそ世界一の魔法使いといわれるだけあって
枚挙に暇がない彼女だが、その姿勢を、心情を褒められるというのは初体験で
胸の隙間を埋めてくれるような暖かさと、こそばゆさを覚える。
それが自分達の過ちを暴いた張本人なのだから余計にだった。
尤もそれは。

「まあ、問題点は恥ずかしがって結局また一人で考えちゃった所と
 状況想定の甘さ、対処方法としての荒さがちらほらある所かな」

さらりと続けられた容赦ない指摘の前に脆くも崩れ去ったのだが。
やり直しとばかりに付き返されたメモを受け取りながら彼女は恨みがましい
視線をシンイチに向ける。が、それも頬に赤を残したままの拗ねているような
膨れっ面で迫力は無い。

「あ、あなたはいつもそうです。
 厳しいのか甘いのか狡いのかよくわかりません!」

泣きたくなるほど手厳しいくせに、時折こちらが飛び跳ねたくなる程に甘やかす。
最悪の出会い方から半月。積極的に様々な分野で彼に師事を乞うていたリリーシャは
計算か天然かそれらを使い分けるシンイチに対し“狡い”という感情を抱いている。
何せあまりにも居心地が良すぎて、一度溺れたら抜け出せそうになかったのだ。
ただそれを思う顔はあまりに素直で、幼少期から仕えていたメイド達ならずとも
理解してしまうだろう程に“恋する女の顔”だった。

「…そうか? アメとムチを使い分けるのは調教の基本……ぁ」

だからだろう。
彼は半ば以上、癖となっているからかいの言葉を向けてしまっていた。
口から出した後で「しまった」という顔をするが後の祭りである。

「っ、調っ、教っ! あはあぁっ! なんて甘美で背徳な響き!!
 いつのまにかしていただいてたのですね! ありがとうございます!!」

一瞬で彼女の顔から“恋する”部分が抜け落ちる。頬を染める赤の意味が変わる。
息を荒げ、潤んだ瞳で少年を見据える姫は言外にもっとと何かを求めていた。

「…………悪かった。今のは俺が悪かったから、頼む戻ってきてくれ…」

しかしながら返ってきたのは頭を抱える彼の弱々しい声。
つい癖で気に入った相手をからかってしまう所があるシンイチと
それを─変な方向で─喜んでしまう性質を開花させてしまったリリーシャは
ある意味でお似合いといえなくもないが彼の精神的ダメージは絶大らしい。
この反応が彼のお気に召さない、というより罪悪感を強く刺激するようだ。
だからさすがの彼も衝撃が抜けないのか頭をふらつかせている。
その様子に恍惚としていた彼女も即座に表情を戻して微笑む。

「これは不作法をお見せました、ふふ…」

それだけを見れば完璧な姫君、百人中百人が見惚れるだろう美姫の笑顔。
さすがに生来から伏魔殿ともいえる王宮で生きてきた女なのだろう。
外面を取り繕うのは上手である。あるいはこれ以上はもうご褒美は
もらえないと現金な判断をしたからかもしれないが。

「はぁ………しかしよくもまあこんな所にこれだけの資料が……ん?」

その存外にあり得る可能性に溜め息を吐きながら彼は話題を変える。
強引ながら書斎机に置かれたそれらを眺めれば、目を引かれる書物があった。
正確には他の資料とは明らかに毛色の違う問題あるタイトルに、だが。

「『人造人間(ホムンクルス)の罪過論』……禁書じゃねえか」

「やはり知っておられましたか……実は昨晩地下の書庫でこもっていた時、
 たまたま隠し棚を発見したのですがその奥に埃を被ったこれが……」

「おいおい」

それは何に対しての呆れか。今晩彼女の歓迎会があるのに夜更かししたことか。
禁書などという面倒な代物を見つけてきたことか。この場合はどれも違う。
その禁書がこの王家の別荘で見つかったことだ。リリーシャもその意味が
解っているのか苦笑いを浮かべている。何せそれは王家に繋がる者が隠した
可能性が高いことを示しているのだから。厄介事の匂いしかしない。

「………この件は王都に戻ってから調べさせましょう」

「そうしてくれ」

げんなりとした声を発しながら彼は実際に手に取ってぱらぱらとページを捲る。
読んでいるのか疑わしい速さでのそれだが彼の尋常なスピードではない速読を
何度か目撃しているリリーシャにはもう見慣れたものであった。

「…いわれてる通りの内容だな」

「はい、そのようです。これは知らなければ騙されてしまいます」

「そして世に広がり解る奴の目に留まる、か」

既に一読していた彼女はその内容に冷や汗ものだ。あまりに巧みであった。
この書物自体は文章上では様々な理由から人造人間をその存在と製造法、
それぞれが持つ危険性から否定しているがよく読むと言外には推奨し、
尚且つその製造方法をさりげない形で分散して記載しているなど解る者には
伝わるような意図的な記述が目立つ。それはその技術の拡散を狙っていたとしか
思えない代物だった。

「発覚時、アースガント国内だけの出版だったのが幸いでした」

「………そう、だな…そういうことになってるな」

そも人造人間─ホムンクルスとは定義は様々だが一般的には人工的な技術で
造りだされた人型の生命体全般を指す言葉だ。無論それはヒトが命を造るという
倫理的及び宗教的な禁忌を犯すものであるためファランディア全体で厳しく
取り締まられている。冷戦染みた関係にあるリーモア教会とアースガントで
共に忌避される行為である、といえばそれがどれだけの行いかは異世界人にも
伝わるとさえいわれる。

「シン?」

とはいえ、ファランディア人特有の感覚なのか。複雑、というより苦虫を
噛み潰したような顔で禁書を眺めるシンイチに訝しげな声を向けるリリーシャ。

「これが巡り巡って、かと思うと……ああ、いや、なんでもない」

「そうですか…」

独り言が地味に多い彼だが、語る気がないためだろう。
意識的に聞き取ろうと集中していても聞きもらすほどの呟きだ。
そういった時はどうやら関連した重大な事実を吐露しているらしいので
聞かない方がいいとシンイチ本人が主張していたため彼女も流した。

「それより確か聞いた話だと原本も写本も全部燃やしたって……あ、いや、
 一冊だけ見つからなかったけどそういうことにした、だったか」

「あはは……あなたは相変わらず国家機密を平然と語りますね」

その事実を知る者など回収の矢面に立ったアースガントの、それも
直系王族かそれに近い者しか閲覧できない記録にのみ記載された情報だというのに。
どこでどうやって知ったのか推測するだけで恐ろしい話であり苦笑するしかない姫だ。
だが、その不手際が起こった理由は笑って語れることではないと表情を引き締める。

「当時はアースガント全体が曾おじい様が急死した事による衝撃と混乱の中だったと聞きます」

「お前の曽祖父ということは……ヨハン=シュバル・アースガント。
 低迷していた魔導錬金術の技術を編纂し、その地位向上をなした魔導の王か。
 愛娘を失って塞ぎこんでいた時に病魔に襲われてそのまま、という話だが…」

「はい、曾おばあさまと大伯母さまをとても愛していたと。だから再婚もせず
 側室も作らず、大伯母さまに婚約者を故意に用意しなかったとか、ふふ」

王族としてはどうかと思う判断だが単純に身内として、人としては好ましい
逸話に思わずリリーシャも顔を綻ばす。だがそれゆえに王の急死とその後の
混乱を招いたのかと考えると切ないものも感じたのか笑みはすぐに消えた。

「…ともかく。
 曽祖父は民や臣下に慕われ、功績も多い優秀な方だったので突然の訃報に
 国中が動揺してしまったのですよ。大伯母さまの死に続いて、でしたから。
 玉座は曾祖叔父が継ぐことになりましたがすぐには治めることができず……」

「そのどさくさに出版され人の目に触れることになった、か」

「しかも著者がどこの誰だったかのさえ不明で、それが禁書相当だと
 気付いたのも教会からの指摘で、でしたから当時の王宮は紛糾したと聞いてます」

「ああ、よりにもよって、という奴か」

「はい」

自国で出版された本が禁書相当の代物だとリーモア教会から指摘されたのだ。
国王の急死という事態があったとはいえ、さぞ苦々しい想いだったろう。
しかも禁書指定はともかく著者を捕えるどころか正体さえ掴めず、回収にも
手間取って一冊とはいえ今日まで未発見だった。幸か不幸かこの地に実質的に
死蔵されていたが結果論でしかない。

「この件はあまり表沙汰になりませんでしたが教会関係者は知ってますし、
 アースガントの初動の遅れとその後の失態は明らかでしたから、その後
 祖父が即位するまでの十年間は彼らに強くは出れなかったらしいです。
 まあ、その時にどうにかしたようですが…」

そう、アースガントとてその十年を耐え忍んでいたわけではない。
教会の失態(弱み)を探し出して互いにその一件を隠す事で黙らせた。
ただそれが成るまでの関係者達の心労を慮って溜息を吐くリリーシャだ。
対立構造の始まりは宗教と魔法の対立から来るものであったが現代のそれは
この一件が原因だったのではないかとさえ思える影の歴史であった。

「ある意味、ヒトらしい歴史の真実だな」

「……それで片づけられるあなたが羨ましいです」

発言に内心では頷きながらも関係者(王族)としては苦笑するしかないリリーシャだった。
それからふたりは件の禁書に厳重な封印を施し、本国に持ち帰って調査する事を
彼女が姫として約束した。尤もかなり昔の話であるため判明するかは微妙な
ところではあり、それを思えば彼女は再度の溜め息を止められなかった。
それに一瞬目を細めた彼は、だがなんでもないように素朴な疑問を口にする。

「………ところでお前さ、これ読んだんだよな?」

「え、はい。確認のために読みましたが……なにか?」

当然の対応と考えた姫は素直に頷きで返す。
が、少年はぽつりと─聞こえるように─それをこぼした。

「そうか……まさか異世界人召喚の次は人造人間(ホムンクルス)創造か、手広いなぁ」

「うえっ!?」

さもそれが決定事項であるかのように言われて姫は素っ頓狂な声をあげる。

「いっ、いくらなんでもそれはひどい冤罪です! 単なる知識欲ですわ!
 私、確かに世間知らずですが世界的な禁忌に手を出すほどひどくはありません!」

完全に意表を突いた物言いに慌てて弁明するが、知識欲(ホンネ)が漏れている以上
どこか説得力が欠けており、後半には完全に疑いの眼差しを向けるシンイチだ。

「ええ? 異世界(チキュウ)から少年(カイト)を誘拐した奴にいわれても……」

「だから誘拐じゃありませんって!
 ちゃんと生命の危機、意思確認、現地世界との縁故の薄さ等々!
 様々な条件を魔法陣に設定したうえでカイトさまを呼んだのです!」

説明しましたよね。
実際に魔法陣見せましたよね。
問題ないってその時言いましたよね。
本人からも聴取して納得してましたよね。
まさかの蒸し返しに狼狽える彼女の姿に、シンイチは一瞬の笑みが浮かべた。
決して、そうそうこれが見たかったんだ、などとは考えていない────はずだ。

「うむ、そうだったな」

「ええ、そうです! いきなりなに、を…」

ある意味彼女の望み通りにシンイチに責められているような状況だが、
彼女の良心をちくちくと責めるような言葉は琴線に触れないらしい。
どんな内容(コト)でも悦ぶようではなかったと分かったのは朗報か余談か。
シンイチのこれはその境界線を見極めているわけではない────はずだ。

「ぁ…もうっ、まったく! あなたという人は……」

しかし彼女は元来聡い。そしてシンイチの性格も概ね把握し始めている。
これが自分の反応を見て楽しもうというものだけならば頬を膨らませるが
問題が増えた自分への気分転換(気遣い)も兼ねているのを察して口許が緩んでしまう。
だから狡い、と胸に広がる暖かさに浸りながらリリーシャは、しかしかだからか。
不意に彼に問いかけてみたい事柄がわきあがった。

「……シン、あなたはホムンクルスをどう思いますか?」

それは本人が思っていた以上に硬く、緊張を孕んだ声となってしまった。
一瞬きょとんとした顔を見せた彼は不思議そうにしながらも口を開く。
が。

「え、どうも何も」
「リリーシャさま、よろしいでしょうか?」

ほぼノックと同時に書斎に入ってきたメイド長の姿に二人は目を丸くする。
いつもとまるで違わない装いと表情で何でもないように立っているが
彼女のそれはあり得ない行動だった。メイドとして完璧な作法を
身に付ける彼女が緊急時でもないのに許可も得ないまま入室するなど。

「ステラ?」

訝しむ主人の声が聞こえてないかのように無視して淡々と彼女は告げる。

「ご歓談中失礼します。
 ですがそろそろ準備を始めなくては今夜の歓迎会に間に合いません」

「え、あら、やだ。もうそんな時間?」

備え付けの時計に視線を向けて彼女の来訪を理解したリリーシャだが、
その表情は途端に胸中の嫌悪を隠そうともしないものになっていく。

「まだ、いいでしょう?」

「そんな顔をしてもダメです。姫さま、早く部屋へ参りましょう。
 現在でもかなりギリギリの時間なのですよ」

「あなたたちの手にかかれば支度なんて殆ど一瞬で済むじゃない」

「こうと決まれば長くお待たせしない自信はありますが、せめて装いの
 方向性は姫さまご自身に決めていただかなくては準備も何もありません」

こうやって駄々をこねるように嫌がるのは予見していたのか。
ステラは彼女の反論を澱みの無い淡々とした物言いで封じる。
彼女らはメイド─侍女だ。主人の装いの準備や助言は出来るが決定はできない。

「ううぅ」

「まったく、仮にも大国の姫がおめかしを嫌がってんじゃねえよ。
 そういうことはもうほとんど義務だろうが」

「で、ですけどその間なんにもできなくなるから暇なんですもの。
 新しい術式を閃いてもメモもとれませんし口述筆記では限界が…」

「…ある意味アースガントらしい姫だよ、お前は……けどな」

心底「だから嫌だ」という彼女に呆れと感心の笑みを見せた彼は、しかし。
恐ろしく自然な所作で、いつのまにかリリーシャの頬に手を添えていた。
しかも彼女自身が気付いた時にはもう自らの方へ向けさせた状態で。

「ぇ、っ!?」

驚く当人のそれを無視しているのか気付いていないのか。
翡翠の瞳を覗き込む濃褐色の瞳には姫の相貌がしっかりと映る。
それを僅かな─彼女には数十分にも似た─時間じっくり眺めた彼は
不思議そうな声色を混ぜながらその言葉を紡ぐ。

「折角こんなきれいな顔して生まれてきたんだ、着飾ればいいのに。
 きっと誰もがお前の評判を忘れるほど魅了されちまうと思うが…」

じつに惜しい。そういって彼はその『美』が磨かれないことをただただ
純粋に残念がる声を漏らす。そこには常のからかいの意図も下卑た男の欲も
媚びへつらう意思も皆無で、言葉通りの感情しかなかった。だからこそ
真摯に彼女の美貌を賛辞しさらに磨いた姿を望んでいるのを感じさせた。

「────」

余分な感情が無い分それはあまりに真っ直ぐで、美辞麗句には慣れた彼女を
して硬直させた。照れ、よりも言葉を理解するのに手間取って呆けている。
表情も声色も内容そのものにも偽も虚も皆無で、逆に彼女の脳は四苦八苦。
それよりも何か触れられている頬が熱いんですけどどうしましょう、と
異性との接触経験が少なさからくる免疫不足もあったが。

「───っ、そ、それで言われた通りにしたら何か簡単な女のようで嫌です!」

それでも持ち前の、あるいは今日まで鍛え上げた魔力運用や術式操作のための
思考能力を最大限─無駄─に活用して我に返るが口から出たのはそんな子供の理屈(天邪鬼)
自らでも他にいいようはなかったのかと呆れてしまうがシンイチはそれに
楽しげな、それでいてこちらを挑発するような笑みを浮かべて問うた。

「へえ、ならどうする?」

しなくてはいけないが夜会の支度は嫌だ。
今の言葉を聞いたあとに行うのは乗せられたようでもっと嫌だ。
なら、どうするのか。自分と俺を納得させられる答え(言い訳)を出してみろ。
その笑みの形はそういっているのだとリリーシャは理解し、思考した。

「………取引しましょう」

「どんな?」

「今回は間に合いませんが、今度このような機会があれば私は
 最大限に自分を着飾ってみせましょう、あなたがご期待するよう……いいえ。
 あなたの言葉を奪うほどに、です。その際は、そうですね………そんな私と一曲お付き合いくださいな」

「それはっ………随分と大きく出たな」

「はい」

思わぬ要求にぴしりと音を立てて固まった彼は顔を引き攣らせていた。
それを見た姫は満足げでしてやったりな笑みを浮かべて明るく声を返す。
行う内容だけを考えればそれはむしろ安い要求か一種の褒美にすら思える。が。
シンイチが何を億劫に感じ、嫌がるのかはこの半月で彼女も把握してきている。
必要性もないのに大勢の前に出て目立つ行動を取る、のを彼はとても嫌がる。
対外的には一般人の彼が大国の姫が呼ばれるような会に共に出席して踊るなど
衆目しか集めないのにそれをやる必要性は今の所微塵もない。それを想像
しているのか額に深い皺を作って唸る彼だがどこか折り合いをつけたのか頷く。

「…わかった。その時が来るのを楽しみにしてる」

それは彼の中でどういう考えを経たあとの発言だったか。
しかしながら声にも表情にも嫌がっている気配は無くなり、再び挑発的に
やれるものならやってみろといわんばかりの顔で笑っていた

「私もです……それではこれから準備をするので失礼します」

それで言い訳にはなったのか。
満足げに淑女の礼をとって退室するリリーシャに続こうとするステラ。
見送る立場の彼はしかし、先に進む姫に気付かれぬようにメイドに接近する。
物音も風も立てずに驚異的な速さのそれにぎょっとした彼女の耳元に、
足りない距離を背伸びで誤魔化しながら、囁く。

「頼む、その時はダンスを教えてくれ」

それまでとは比べ物にならないほど気弱で切実さを感じる声で。
目を瞬かせたステラはそのまま意外そうな視線を向けてそれだけで問うていた。
あんな顔しておいて出来ないのですか、と。そして即座の頷きという答え。
見上げてくる顔は渇いた笑みの形で、だが目元は不安で大いに揺れている。
ステラは聞こえもしない彼の「どうしよう!?」という叫びを聞いた気分だった。
なんと情けない姿か。

「──っ………かしこまりました」

だからか。
今すぐにでも最高の紅茶と好みの菓子を準備して振る舞いたくなるという
訳の分からない衝動にかられた彼女だが、それが外に出る前に押さえ込むと
小さく呟くように返事をしてそのまま姫に追従した。さして時間差も
無かったおかげでこのやり取りにリリーシャが気付いた様子はなかったが
主従揃って何故か背中が嬉しそうな様子にシンイチは小首を傾げていた。




今度こそ見送った少年は安堵の息をもらすと扉を閉めて室内を振り返る。

「────」

途端にまるで火が消えたように直前まであった歳相応の少年の顔が消えた。
厳しい顔で彼が見詰めているのは先程姫と共同で封印した禁書である。

「ここでお前の名が出たかヨハン王……嫌な予感が悪化していくよ。
 優先順位の低い奴がたまにやらかしてくるから、困る…」

面倒臭くて、と呟きながら倒れるように近くのソファに座り込む。
柔らかなクッションに身を沈ませた彼は視線を禁書から少しずらして
なにもないはずの空間を不機嫌そうに睨んだ。

「ああ、まさかお前の導きだとでもいうのか────アイシス」

行儀悪く机に腰掛ける美しいブロンドのシスター────を幻に見る。
その憮然とした顔で見下ろしてくる姿はあまりに“らしく”て、
だからこそ逆に嘘っぽい。再会したという気分には浸れない。
どのみち幻なのだから同じことだが、というのが彼の正直な感想だ。

「冗談じゃない。例えあんたでも俺がどうするかを決めるのは俺だ」

幻の中のアイシスはその言葉に唇を吊り上げたように笑って、消えた。
まるでその答えに満足したかのよう。あるいは彼自身がそう思いたい願望か。
どちらにしろ、とばかりに疲れような息を吐く。彼の視界にたまに現れる
この幻はあまりいい兆しとはいえないのだ。

「…………最近、見なくなっていたんだがな……今夜は長くなりそうだ」

窓越しに長閑な避暑地の空を見上げる。
雲一つない晴天の、穏やかな空。だが嵐の前の静けさという言葉がある。
その予感を覚えながらもそれは裏を返せば、嵐が来るまでは平和だ、
ということでもある。来るのが解っているのならそれまで休むのも手。
だからいつもより半分の26層の結界を周囲に張って目を瞑る。
リリーシャの準備が終わるまで仮眠を取ろうというのだ。しかし。



──これ見たあとって俺いっつもろくでもない事になる(・・・・)んだよなぁ



そう彼は力無く笑って、浅い眠りの中に落ちた。


さて、なんの旗が、どれだけ立ったのやら……
+注意+
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