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帰ってきてもファンタジー!? 作者:月見ココア

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04-43 青と赤の宣戦布告(後編)

連続投稿しております。最新話で来た人は一度、前話へ戻ってください。




「お会いになるそうです。こちらでお待ちください」

某都市の郊外にある良く言えば自然が溢れる風光明媚な土地。
悪く言えば泥臭く緑しかない古臭い土地にその屋敷は存在していた。
いかにもな歴史をもっていそうな古来から存在している日本家屋。
開かれた敷地にある開かれた縁側を通ってその突然の来客は客間に通され、
壮年の女性使用人─場所を思えば女中とでもいうべきか─にそういわれた。

その白髪と白髭通りの年齢を重ねている老人はされどその年齢をまるで
感じさせない曲がってない腰と衣服の上からでも分かる重厚な筋肉を持っていた。
それによる力強さを感じさせる動きを見せながら彼は静かに下座に腰を下ろす。
顔立ちから明らかに日本人ではないがその正座は慣れた感が見て取れた。

「おぬしがワシを訪ねてくるとは珍しいのう」

そうしていくらか待っていた客間の襖が開くと屋敷の主人は姿を見せた。
年の頃はどれほどか。髪の色は同程度なれど杖をつき、腰が曲がった姿は
比べてしまうと彼の方が年老いているように見えるが眼光は鋭い。
表情は好々爺然としたものだが心底歓迎している様子はない。
理由を理解できるがゆえに老客人は黙って頭を下げた。
それは挨拶とも謝罪とも取れる動きであるが老主人は動かない。

「合わす顔もない身なのは重々承知しております。
 しかし恥を忍んででもあなたの判断を仰ぎたいモノがあるのです」

異邦の老人は巷で話題の翻訳機を使う事もなく、
頭を深く下げたままで流暢な日本語を用いて老主人に語る。
その様子をしばし眺めた老主人は溜め息一つ吐いて上座に腰掛けた。

「表を歩けぬおぬしが直々に来たのだ。余程のことか。いうてみよ」

許しを得た客人は頭をあげると懐から寒色の布に包まれたナニカを取り出す。

「それは……封じの布か?」

「はい、得体の知れないモノはこれで覆えと生前の彼女に」

「なるほど、厄介な代物のようじゃな」

短くも互いには深い意味のある言葉の応酬で事態を理解した老主人は
その鋭い目を彼からその包みへと変えると意識を常から別のものに変えた。
客人はそれを感じ取り、包みを畳の上で滑らすように前に出して結びを解く。
あらわになったのは手の平ほどの大きさの赤い金属片だった。
元の物体からこぼれ落ちた欠片でしかないただの鉄屑は、しかし。

「───────っっ!?!?」

瞬間、老主人の意識と体を座ったままぐらつかせるほどの衝撃をもたらす。
封じられていた強烈なナニカが解き放たれて客間の空間を歪めてしまう。
彼には見慣れた屋敷の光景が捻じれ、日常の色が異常な色に変質して見えた。
まるで包まれていたのは『闇』そのものだといわんばかりの変貌。
濃い“黒”があらゆるモノを染め上げて我が物顔で浸食してくる。
否、特殊な目を持つ彼にだけそういう風に感じられているのだ。

「……どうなされた?」

突然様子が変わったその態度に不安げな視線を送る客人。
だが老主人の目には彼も黒く歪んだ風に見えて表情の判別ができていない。

「早く包みを戻せ! 貴様、この屋敷を吹き飛ばす気か!!」

悲鳴にも似た叱責にさしもの豪傑そうな相貌な老人も慌てて包みを直す。
するとその布の効果か老主人の視界はいつもの客間を映すようになる。
いくらかの残滓は残っているがあの濃さを思えばあまりに薄いといえた。
どうやらその凶悪な濃さに反して伝搬性は低いらしいと老主人は推測した。

「…………いったいどこで手に入れたなんなのじゃ?」

だが僅かにソレを見ただけで彼は疲れ切った顔を見せる。
息も荒くまるで残りの寿命を使い果たしたといわんばかりの憔悴加減。
布に包まれ、あの気配も抑え込まれているというのにソレを見る眼には
あり得ない程の畏怖と何故か敬うような視線を混ざり合わせていた。

「この時代にそんな“気”を発するモノが存在するなど、
 どこぞの遺跡から御神体でも掘り返したのかおぬしらは?」

それは彼にとっても荒唐無稽に過ぎる例えであったのと同時に、
そうでもなければあり得るわけがないという叫びにも近い驚愕。
されどその真相は彼の驚きを無視する形で上回ってきた。

「い、いえ、これは私の部下の外骨格の一部です」

「…………詳しく話せ」

僅かに絶句した老主人はしかしすぐさま落ち着き、続きを求めた。
尤もそれは表面上の話でありその胸中は幾多の疑問と驚愕の中にある。

「およそ一月半ほど前のことです。
 謎の相手から不可思議な攻撃を受けてこれの内部機能がほぼ停止。
 装着していた部下は謎の幻影を目撃して一時狂乱状態に陥りました。
 そちらはなんとか落ち着かせられたのですがその後原因の調査や修理等を
 担当していた者達が幻覚や不調を次々と訴えだしたもので……」

「こちらの領域のモノではないかと思ったわけか。
 間違ってはおらぬが………これはワシの手でも余る」

「あなたでも、ですか?」

その弱気な反応に彼をよく知っている客人は目を見開いて驚いた。
しかし老主人は気落ちした様子もなく当然だといわんばかりに答えた。
そこには若干の呆れも滲んでいたが。

「当たり前じゃ、人の身で神に勝てるわけがない。
 おぬしら世界どころかついには神と敵対したか。命知らずな」

「………神、ですか。いやしかしあれは……」

それは異能を持つ老主人を頼った彼ですら想定していなかった単語。
なにより、アレを見て『神』を連想する者などいるわけがなかった。
だが。

「何を見たかは知らぬ。が、今のは間違いなく“神気”。
 神の気配などと軽んじるなよ。人とは存在する階位が違うのだ。
 攻撃的な意志が混ざれば殺気だけで人間など簡単に消し飛ぶぞ」

決して脅しでも冗談でもない口調での言葉に彼はただ息を呑んだ。
ただ老主人はすぐさまその真剣な顔を崩して皮肉げに笑ったが。

「尤もそれだけに干渉できる限界や制約などもあるらしいが、
 まあどの道そんなことができる神などもはや全て去っておるがな」

「い、いないのですか?
 地球にはあちこちに様々な神がおり、それを信仰している者がいるのに?」

異邦人、否この場合は異世界人と記すべきか。
異世界の老人は知識でそれらを知るだけにひどく驚いていた。
それでは世界中の者達は何を信仰して日々祈っているのか、と。
異文化への率直な疑問にこの世界の老人は僅かに自論を混ぜて答えた。

「さてのう、もしや最初に戻っただけかもしれぬが、
 どのみち力ある神は、もういないといえるじゃろう。
 真の信仰が薄れて久しいうえに殆どの者が異能の力さえ信じておらぬのだ。
 神の力は信仰の力といっても過言ではない以上、もはや現代に神はおらぬ」

いたとしても存在しているかさえ怪しい希薄な神モドキだけ。
そうであるはずなのだが、と包みを鋭く見詰めながら言外に語る老主人。

「長らく人と人ならざるモノの境目で生きるワシも本物を見たことはないが
 気配ならばそれらしきものを一、二度感じたことはある。じゃがこれは濃過ぎる。
 そしてあの禍々しさは神話に聞く悪神、邪神の類────いや、違う?」

少し首を傾げるようにして老主人は自らの言葉に疑問を持った。
積み重ねた経験によるものと生来の勘が合わさったそれが否という。

「……攻撃を受けた者は幻覚を見て狂乱したがすぐに落ち着いた。
 長らく触れていた者も体調を崩す程度であったとおぬしいうたか?」

どうしてかそれが引っかかるのか確認するように問えば頷きが返る。
老主人は難しい顔で包みを貸すように訴え、彼は逡巡しながらも渡した。
包みを慎重に解いて、微かにできた隙間から中を覗くようにソレを“視”る。
どこか探るような視線なれど表情は徐々に怪訝のそれを深めていく。
その時、若干の振動音が客人の衣服から響いた。
誰も反応はしなかったが老主人は許しを出す。

「出るがよい、こちらはまだしばし“視”ている」

「……失礼します────どうした?」

懐から小型の端末を取り出した彼はそれを耳に当てて通信に出た。
霊視による鑑定作業を邪魔しないようにと気遣い音声のみのそれだ。
だが相手から告げられた何らかの報告に彼の表情はすぐに強張ってしまう。

「────わかった。すぐに戻る。それまで誰にも勝手はさせるな、よいな!」

強い語気でそう言い含めると端末を外して懐に仕舞うと即座に腰を上げた。

「なにやらトラブルか?」

ソレを霊視し続けながら向けられた老主人の問いに彼は簡潔に答える。
必要が無ければ無言で退席し屋敷を出るが今回はソレと関係があった。

「その神気の持ち主が私の部下を捕えたと直々に通信を入れてきたようです」

「……は?」

老主人は一瞬呆けた顔をするとしかしどうしたことか吹き出すように笑った。

日下部(・・・)殿?」

「面倒なのに目をつけられたなオルティス(・・・・・)
 だが、そやつはこうもいわなかったか?
 手出しせぬなら安全は保障するとかなんとか」

客人─オルティスはまるで聞いていたかのようなその言葉に目を見開く。
それに日下部の老人はやはりかとおかしそうに笑って、包みを返した。

「先程は突然だったゆえ驚いたが、よく視るとおかしな神気じゃ。
 禍々しいのに淀みがない。かといって純粋というわけでもない。
 しかし清濁併せ呑むのともまた違う、間違いなく邪悪な気であるのに
 害意が極力抑えられた妙さと矛盾はなんとも人間臭いというか青臭い」

カッカッと笑いながら先程までと違うどこか安堵した顔でオルティスを見る。
彼は彼でその妙な評価と表情に訝しみながら立ったままその続きを待った。

「このような奴がいきなり出てきたということは
 世界を揺るがしかねないナニカが起こったか起こりかけたか」

「…………………」

「図星か、おぬしらが無事なのは直接関わってはないからであろう」

「………これを見ただけでそこまで分かったのですか?」

「さあのう、なんとなくの勘じゃがな。
 属性は邪だというのに性質は甘く、柔らかく、気遣い過ぎる」

オルティスは相変わらずこの一族の勘は恐ろしいとは感じながらも
それで表現された内容はアレを表すには少しばかり違和感がある。
あくまで“少し”と彼自身が感じている時点で近いともいえる。
これは特殊な一族が行ったいわば気配の質によるプロファイリング。
彼の的中率を知るオルティスは顔に疑問を出しながらも内心受け入れていた。

「まあ当らずとも遠からずだろうが、
 聖人、いや魔人君子か。これは高潔といっていい守護者の色がある。
 自身に返る欲が薄く、世の安定を望む人を守る邪神とはな、くかかっ」

日下部の老人は己の表現が気に入ったのか心底から面白そうに笑う。
その理由の一つにはオルティスが苦々しい顔をしているのもあるだろう。

「……こちらは攻撃を受けた側なのですが」

「ここまで加減してもらっておいて攻撃とは片腹痛い。
 本気なら受けた者は廃人、近寄った者達も未来永劫呪われておる」

それだけのことが簡単にできる相手だと言外に老人は告げる。
後半のみ笑いを消したその言葉にオルティスの顔から余計な感情が消えた。

「今日はこれで失礼させていただきます。
 突然の訪問のお詫びはいずれ、また……」

焦りもあるのか慌てたように退室するその背に日下部の老人は呟きを返す。

「構わぬよ、存外いい土産だった─────触らぬ神に祟りなし、じゃぞ」

「………ご助言感謝します」

最後に忠告のような言葉を添えるも彼は助言として受け取って去った。
それを黙って見送った老人は一度頭を振ると溜息を吐いて呆れ顔を見せる。

「難儀な男よ、まあ今更あの歳ではやめられぬであろうが」

歳は取りたくないものだのう、などといかにも年寄りくさいことを呟き、
客間に残った黒い残滓を柏手を打って祓うが一部は根強くこびりついたまま。
これはもう時間経過で流れていくのを待つしかないと苦笑を浮かべた。

「うむ、これでもワシけっこうな術者なんじゃがな。ちとショックじゃ。
 しかしこの世にこれほどまでに疑いようのない本物がいようとは。
 いやはや、てっきり神など人間が想像し創造した道具と思うていたよ」

同門の誰かが。
あるいはあらゆる宗教家を敵に回しそうな問題発言をしながらも
それに心底驚いた老人はまだまだ死ねぬなと一人声を出して笑うのだった。








一人の老人が緊迫感を募らせ、もう一人の老人が笑っていた頃。
海上都市クトリア・ガレスト学園区画の一角で問題の少年(かみさま)はご満悦だ。
テーブルに所狭しと並べられている『輪』を次々と放り込んでいく。口に。

「んく、はむ、あむ、もぐ、ああぁ、やっぱ4時のおやつにはこれだよ」

「あれだけクレープ食べてよく入るよねぇ、ボクビックリ。
 あとそれをいうなら3時でしょ………確かにいま4時だけど、はぁ」

机を挟んだ向かい側に腰を下ろす狐耳の少女(ミューヒ)は呆れ顔である。
頭の上の獣耳は力尽きたように倒れ、腰かけたイスから垂れる尾は微動だにしない。
それでも細かく突っ込んでいるのはそうでもしないとやってられない気分だからだ。

「え、クレープとドーナツは別腹だろ?」

「そのさも常識だよ、みたいな言い分ボクは認めないよ!
 はあ、まったくイッチーってば信じられないぐらい食欲魔人なんだから。
 おいしそうにたくさん食べちゃってさ……そういう意味でも女の子の敵だよね」

自分も許されるなら、と並ぶ各種ドーナツの山を羨ましげに見詰める。
既に食べてもいいと彼から勧められているのだが彼女は拒否していた。
女の子にとって不倶戴天の敵である体重計という存在もあるが、
本人曰く「賄賂は受け取らない、買収もされない!」だそうである。
こんな砕けた空気になっているが彼らの関係は本来なら相容れない。
片やテロ支援組織『無銘』の戦闘員と片や幾つものテロ組織を潰した仮面。
そして彼女は以前にこの仮面(カレ)に徹底的に叩きのめされてもいた。
非公式非合法という括りは同じでも彼らは敵同士である。

「はむはむ、外と中とで違う食感にほんのりとした甘さにきな粉……あぁ、幸せだ」

だがその片方はきな粉のドーナツを食して至福の笑みを浮かべていた。
自分から正体を明かして脅しておいて、彼の態度は今までと何も変わらない。

「……色々聞きたいけどその顔見てるとどうでもよくなってきちゃう」

だからこそミューヒは投げやり気味にそう呟いて溜息だ。
真面目(シリアス)な悩みや不安、疑問が馬鹿らしく思えてきて彼女は頭が痛い。

「うんうん、人間諦めが肝心だぞ」

そんな言葉を原因そのものが向けてくるのだから余計に、だ。
心なしか狐耳も辛そうにより深く倒れこんでいるように見える。
あれから、本当にデートだといわんばかりに連れ回されたミューヒは
最終的に話題のドーナツ店に誘われ、この状況に陥っていた。
女性同士かカップルの客が目立つ店内ゆえに違和感はないが、
彼女の顔に常にあった笑みの仮面はとっくにはがれ落ちている。

「そもそもさ、その切り替えの早さはどうなのよ。
 ボクが近付くまでは一応アリちゃんのことで悩んでる風だったのに」

寄った途端にあれで現状はこれなので彼女は大いにその変化に呆れてしまう。
尤もそれに対する答えはミューヒの斜め下な代物で机に突っ伏す羽目になったが。

「残念だが違う。俺は切り替えが早いんじゃなくて棚上げが早いんだ!」

「………それ絶対にドヤ顔でいうことじゃないよ」

なぜそんな自信満々な顔で問題から逃げただけだとはっきり言えるのか。
先程からずっとこの調子であり、互いの正体に関する緊張もあってか。
まだほんの2、30分街を歩いただけなのに彼女はもう疲れ切っていた。

「ああーっ、もういいや! 店員さーん!
 ボクにも彼と同じもの、同じ数で、別会計でお願いしまーす!」

それゆえかもう知るかという心境で自棄になって注文する。
まず最初に届いた彼と同じドリンク─アイスミルク─で喉を潤すと
次々と運ばれているくるドーナツに目を輝かせながら彼女も食らい付く。
傍から見るとたった二人でドーナツの大食い大会をしてるかのような量と勢い。
しかし彼女もまた女の子であったのか菓子の甘味に徐々に頬が緩んでいく。

「ふふっ」

「っ、な、なによイッチー?」

それを見詰められていると知った彼女は慌てたように真顔になる。
尤も口許に食べかすとミルクの白髭があるので威厳も迫力は全くない上に
狐耳は先程までが嘘のようにピコピコとせわしなく嬉しさを表現していた。

「いや、美味しそうに食べるなぁって……拭いてやろうか?」

何でもないような口ぶりで自らの口許を指差すようにしてそれを指摘する。
慌てて結構だといってふき取った彼女だがその反応が面白かったのか。
彼はじつに楽しげな笑みを浮かべてミューヒを見詰めていた。

「う……そんな風に受け入れる気もないのにからかってばかりだから
 アリちゃんのことでイッチー困ってるんじゃないの、この女の敵め!」

照れからくる誤魔化しもあるが、
ほぼほぼ本音で、全ては自業自得だとミューヒは彼に指摘する。
気がないのなら最初から粉をかけるなと本気の半眼で睨む。
ただ彼には彼の主張があるらしく、渋い顔を見せた。

「失敬な。
 それではまるで全ての女の敵だといわんばかりだ。
 いいか、自慢じゃないが俺は俺が気に入った女たちの敵だ」

先程と似た自慢げな顔でそう断言する彼にミューヒは眩暈さえ覚えた。
痛くもない頭がまた痛くなったような気がして、まさに“頭痛が痛い”。
狐耳も驚いたように立ち上がっていた。正直な耳である。

「うっわぁ、本当に自慢じゃないし微妙に話ずらしたよこいつ。
 人目が無ければ全力で殴り飛ばしてやりたいところだよ!」

「うんうん、やっぱ女の子は素直じゃないと……子って年齢でもないか」

苛立って拳を握る彼女に対しても楽しげな笑みを崩さないシンイチだ。
尤も最後にぼそりと呟かれた一言はかなり余計で毒まみれだったが。

「……前々からバレてるなぁ、とは思ってたけど、いつから?」

とはいえもはやその程度で慌てふためく余力はミューヒにはない。
それでもそういう素振りで軽く探りを入れてもくる彼女である。
尤も答えはあっさりと、そして何故か仏頂面で返ってきたのだが。

「学園で初めて会った時からだ。見ればなんとなくわかるんだよ。
 だいたい……フリーレと同年代ぐらいじゃないのか?」

ほんの一瞬全ての色がない無機質な目が彼女を射抜き、歳を言い当てる。

「ははっ、正解。
 うちで一番若いのでもここの学生は無理があったからねぇ。
 ……でもどうしてそれは自慢げじゃないのかなぁ?」

自慢じゃないとしながら言い放った頭の痛い言葉の方がポーズとはいえ
自信満々だったのに対してその常識外れの眼力はつまらなさそうに語る。

「だって別に俺の力でも性格でも気質でも趣味でもないし」

「そうかぁ、女の子からかって弄んじゃうのは
 イッチーの力で性格で気質で趣味なんだぁ…………最低だね!」

ノリツッコミ風ながら相手の心を抉るほどにそれは満面の笑みだった。
万人が可愛らしいと思うそれゆえに言葉のトゲはナイフに化ける。
余程特殊な趣味でもなければたいていの男は黙ってしまうだろう。

「ふふ、わかってくれて嬉しいよヒナ」

だが、残念ながら例外がここにいる。
彼の名誉のために記すが無論シンイチは特殊な方ではない。
ただ自分の言葉の“正確な”意味を理解してくれたのが嬉しかったのだ。
尤も反撃のつもりだったミューヒは嬉しそうに笑われてしまったので
激しく困惑しながら叫ぶしかなかったが。

「そのそこはかとない上から目線がなんかむかつく!」

「ええ?
 そんなこといわれてもな………俺って実際、上、の立場だよ」

くすくすと笑いながら皿の上のドーナツを二つ手に取る。
その穴に指を通すと二つとも同時にクルクルと回しだして、だって、と続けた。

「だって、世界の命運はいま俺の手の中にあるじゃないか」

───ほら、すごく偉そうだろ?
おどけた様子で語るそれに彼女は一瞬で背筋が凍り、毛が逆立った。
何せその通りだったからだ。全てはこの男の心次第で何もかもが終わる。
あの力を何の遠慮なく振るうだけで壊滅的な被害を世界は受けるだろう。
あの情報収集能力であらゆることが暴露されては世の中は混乱に陥るだろう。
あの転移と認識阻害があっては彼から逃げることさえ難しいだろう。
彼女はつい今までの感覚で喋っていたが本来そんな相手ではない。
直接の戦闘力も世界に及ばす影響力も何もかも自分達より上なのだ。
彼の指先で弄ばれる二個のドーナツは二つの世界の比喩に思えてならず、
知らずミューヒは息を呑んで体を強張らせた。しかし、そこへ。

「お客様、当店のドーナツで遊ぶのはご遠慮ください」

丁寧ながら有無を言わせない迫力で店員らしき男性が笑顔で迫った。
音を立てて固まったシンイチは慌てて指の動きを止めて口に放り込む。

「て、店長!? はむあむ、ごくっ!
 ………す、すいません。いつも通りおいしいです! はい!」

ぴしっと音を立てるように背筋を伸ばした彼にミューヒは思わず目をこする。
自分がいま見ている光景が現実か幻か一瞬だが真剣に悩んでしまった。

「そうですか。
 こちらこそいつもご贔屓していただいてありがとうございます」

ではごゆっくり、と言葉こそ客に対する柔らかなそれだが、その目には
“うちのドーナツで遊ぶなら追い出すぞごらぁっ”という気配がある。
決して強面ではない温和な顔つきなのが逆にその圧力を強く見せている。
シンイチは完全にそれに気圧されて先程までと一転して小さくなっていた。
そしてそれは店長がその場から去るまで続き、彼女は開いた口が塞がらない。

「え、ええぇ………まーじーでー?
 世界の脅迫者さんよりドーナツ屋の店長さんが上とかなにそれ?」

“あの”シンイチが丁寧な対応をしているだけでもかなり驚きなのに
たった数日で世界の裏を引っ掻き回した男がドーナツ屋店長に弱腰。
その事実に何か激しい理不尽さを感じてしまうミューヒだ。
尤も彼からすると当然の話だったらしい。

「だってそれはその通りなんだから仕方ないだろう。
 壊す事しかできん奴より何かを作り出せるヒトの方がずっと偉い」

そういって店舗奥に視線を送ったのを見た彼女もつられるように覗く。
客から見えるガラス張りの調理場で店長が次なるドーナツをもう作っていた。
それを見守り、敬うようなシンイチの視線は優しげながら羨ましさも見える。
まるで自分もそうありたかったとあり得ない未来を望むようでもあった。

「っ─────」

ミューヒはそれに絶句させられた。純粋な驚きは勿論あった。
それを尊きモノだといわんばかりに眺める視線は穏やかで柔らか。
世界に単独で立ち向かった男にとっては菓子を作れる方が偉大だという。
日本人の文化や思考に比較的詳しい彼女だが戦士への敬いが根底にある
ガレスト人としては少し理解しにくい考え方といえるだろう。
ただそれ以上に諦観しきってもいた目にどうしてか胸が痛かった。
先程とは種類の違ういいようのない理不尽さを感じてしまう。
だから彼女の言葉はどこかナニカに対して攻撃的になった。

「────だから、あんなメチャクチャな方法で守ったの?」

自分より偉い誰かたちのために偉くない自分が無茶をしてでも。
彼女が声にはしなかったそんな言葉もシンイチは概ね聞き届けていた。
だからだろう。その表情には先程と意味は同じながら苦笑が浮かんでいる。

「フドゥネっちにもいってたよね。
 むかつくから何を使ってでも台無しにしてやるって」

それを知ってか知らずかミューヒの視線は店内を、その外さえも見回した。
談笑する女子グループに、仲睦まじいカップル、せわしなく働く店員たち。
外では先を急ぐ会社員らしき人がいて、幼子の手を引く母親もいた。
あんなことが自分達のそばで起きた事を夢にも思っていない人達が
その前から続く日々を今日もまた当たり前に続けていた。

「あなたはそういう人達のこういう光景の為なら自分を浪費できるんだね」

まるでそれは悪だといわんばかりの強い語調と視線で彼女はいう。
その刺々しい言葉に一瞬驚いたように目を見開いた彼はされどすぐに
ミューヒにとっては予想外でしかない言葉をしかし朗らかに口にした。

「お前は優しいな」

「う、へ?」

少し苦笑気味ながらもその目はミューヒを優しく見詰め返した。
彼が誰かを褒める時の視線は向けられる側が困るほど真剣で真っ直ぐだ。
それもあって余計に戸惑う彼女を余所に彼は語る。

「嫌いなんだろ、お前。
 誰が、どうやって、その平穏を守っているか知りもしないで、
 この日常の裏でどれだけ危険なことが起こったか気付きもしないで、
 当たり前のように平和を甘受して我が物顔で過ごしやがって、てな感じで」

普通の人々が。
その主語をあえて抜かした言葉ながら彼女はそれを察せられてしまう。
ほぼほぼ図星であったからだ。ただよくない考えだという自覚こそある。
それでも彼女は戦う者だ。そして過去には虐げられていた側だった。
そうではない人達を本質的に理解し無邪気に受け入れるのは難しい。

そんなもの(・・・・・)を俺があんな方法で守ったのが気に入らないか?」

「………だとしてもそれのどこが優しいの?
 ようは平和ボケしやがって、って戦えない一般人に敵意向けてるわけだし」

「え、そうか?
 だってそれは命懸けで頑張ってる奴の努力が認められて欲しい。
 その成果にもっと報いて欲しい、ってことじゃないか」

それは優しいといわないのか。
今もどこかで平和のために戦っている戦士たちにとっては。

「…………」

ミューヒはその言葉には返答に困ってしまい、思わず沈黙してしまう。
図星であったというよりはそんな考えが自分にあったか判断がつかないから。
だが世界の平穏のために心も体も砕いているような者達がいるのを知っている。
彼らの全てがそれに見合った報酬や賞賛を受けてはいないということも。
何かそれらしき言葉で誤魔化されたようにも思えるのは彼女の被害妄想か。
自分がわずかに攻撃的に、苛立ったのは果たしてそれだったのか。
湧いてきた疑問に対する答えもでないまま彼はそういう事で話を進めた。

「同意したい所もあるが今回は隠した方がいいと思った。
 知るべき、伝えるべき脅威は確かに存在するが秘密裏に処理出来たのなら
 わざわざ教えて無駄に不安を煽って平穏をかき乱す必要などないだろ」

それじゃその誰か達が何のために必死に戦ってるのか解らなくなる。
この平和のために戦っているのに知らせて不安定になっては本末転倒だ。
そういってカップを傾けて喉を潤すと途端に意味ありげな笑みを浮かべる。

「まあ乱している側の人間にこれは釈迦に説法、いや馬の耳に念仏か?
 うむ、困ったぞ。うまい表現がこれといって見当たらないな」

「…………」

耳が痛い、というべきだろうとはさすがに口にできないミューヒだ。
困ったと嘯く顔に意地悪さを見るが否定できないので彼女は沈黙を選ぶ。
いくら大義があってもやっている事は悪であり罪な事は分かっている。
だから、その言葉は本当に彼女にとって耳が痛かった。

「……こんな平穏(モノ)はすぐに壊れるよ。
 クトリアの平和なんて薄氷の上、あって無きものじゃないか」

そんな罪悪感の誤魔化しか意地悪さへの意趣返しか。
彼女には珍しい若干拗ねたような物言いでその不安定さを指摘する。
尤もなんて子供じみた主張だと言ったあとで彼女自身も呆れていた。
しかし。

「バーカ、どこだろうとそれは元々そういうものだろうに」

だがそれをシンイチは当然の考えであるかのように肯定していた。
むしろこの都市のみで考えていたミューヒよりももっと広い範囲で。

「ステータスも武器の有無も異世界も関係がない。
 ちょっとした悪意があるだけで壊すのはいとも簡単だし、
 悪意すらなくとも平和や平穏はいつだって簡単に崩れ落ちる」

例えば、と前置きしてシンイチはいくつかの具体例を言葉に乗せた。
店の外を走る車を指差して誰かが悪意を持ってハンドルを切って
アクセルを踏み込んでここに突っ込んでくればここの平穏は終わる。
スキルを使わずとも火種を用意することは例え子供でも出来る。
隙をついて一気に調理場に踏み込んで油に引火させれば大参事。
即座に鎮火できてもこの日の営業は止まり小さな平穏は台無し。
いま強盗が踏み込んでくる可能性も義勇軍の残党が出る可能性もある。
事件終結後の隙を狙った別組織の活動が始まることさえ起こりえる。

そんな不吉なことを次から次へと見たかのように彼はいくつも語る。
一般の者なら悪い想像のし過ぎか行き過ぎた懸念だと笑う話だ。
されどミューヒは背筋が凍る。何せそれは起こる。人々が思うより簡単に。
一般的にはテロリストで起こす側の彼女にそれはあまりに身近な話で
どこで起こってもおかしくない出来事の話でもあった。そして。

「他にも、そうだな────今ここで次元の穴に落ちて異世界に行く、かもね」

「っ!」

彼は最後にまるでこれもあったと─本当に─忘れていたかのように付け加えた。
誰かの悪意による意図的な犯罪ではなく、超自然的な災害もまた平穏を崩す。
あれは簡単に日常が終わるよ、と笑いながら最も実感のこもった声でいう。
彼以上にその言葉に説得力のある人物は少なくともミューヒは知らない。
そしてその事実を失念して彼と話していた自分を彼女は恥じた。
日常が薄氷の上などという事実は彼には当たり前の話だ。
彼自身がそこから一度落ちたのだから。

「薄氷の上にある砂上の楼閣。
 そんな脆くて、儚くて、けどそこにあって欲しいモノ。
 それに気付いちゃったんだ。なら頑張って守るしかないじゃないか、はむあむ」

簡単にいってシンイチは呑気に日常(ドーナツ)の味を堪能して頬を緩める。
ただそれをミューヒはもう呆れた目などで見ることなどできない。
これは彼が8年前(2年前)に失ったモノだ。そしてまだろくに取り戻せてもいないモノ。
シンイチには誰よりもその中にいていい権利があるとさえ彼女は思った。
だがそれは。

「……わからない。
 そう思っているならどうして()を放っておくの?」

いま自分以上にその邪魔者はいないはずだろうと本気で不思議がる。
あんな脅しをした以上少なくとも“今”体制側に突き出すつもりも
倒すつもりもないのは分かっていただけに余計に解らなかったのだ。
普段通り過ぎて気付けなかったがミューヒを見逃す道理など彼にはない。

「うむ、話の流れ上しかたなかったがもう気付かれたか」

そしてどうやらそれはシンイチが意図してやっていた事らしい。
参ったな、と味を楽しんでいた顔を苦笑いにして、すぐに引き締めた。

「ふざけた理由と真面目な理由があるが、どっちから聞きたい?」

そしてそんな妙な二択を突きつけてきた。彼女は怪訝そうに眉根を寄せる。
表情は真顔になっていたがどうやら喋り方はまだふざけ側のようだ、と。

「真面目な方から、この流れでまたふざけられると疲れちゃうよ」

「なるほど、そりゃそうか。
 出来れば笑って話をスタートさせたかったが、まあいいか」

残念だと嘯いてアイスミルクを飲み干すと今度こそ真剣に話し始める。
余談だがひげがつかなかったのをミューヒは若干悔しげに睨んでいた。

「前のデパートの時、協力関係にならないかとお前は言ったな」

「うん、けなされまくって断られてフルボッコされたけど」

「根に持つ奴だな、お前……戦闘中のことだ。勘弁してくれ。
 けど………いまあれを保留に戻したいといったら信じてくれるか?」

「は?」

ミューヒは驚きから目を見開いて、尻尾を逆立てた。
彼女はいくらか真面目な理由とやらを考えいたがそれは予想外だった。
あの際の言い合いは今でもはっきりとミューヒは記憶している。
あれはどう考えても互いの致命的な亀裂であり根幹の信念の違い。
それを振り出しに戻そうという意図が彼女には解らなかった。

「それはどういうこと?
 私達と手を組む余地や理由が出てきたということ?」

思わず机に身を乗り出すようにして怪訝な顔でシンイチを窺う。
もしかしてという期待は意外なほど彼女にはなく、疑問が大多数だ。
そんな戸惑いを彼は意に介さないなれどしっかりと彼女を見据えて続ける。

「俺はあの時、お前の言葉を切って捨てた。
 だがお前の叫び(・・)だけはずっと気になってはいたんだ。
 これでも嘘や演技と本気の悲鳴(・・・・・)を聞き間違える耳は持ってなくてな」

それだけは間違いなく本当だと思ったと彼は言った。
あれは掛け値なしでミューヒ・ルオーナという人間の悲鳴であったと。

「そ、そう」

気のない声を発しながら腰を下ろす彼女だが無駄にグラスの氷を回した。
シンイチからは見えない位置にある尻尾は何気に左右に揺れている。
ミューヒにとってあれは確かに真実だが言葉だけではそれは伝わらない。
そもそもあの時彼女はかなり感情的になっていて思わず叫んでいただけ。
その悲鳴(コトバ)が目の前の彼に届いていた事は何故か気恥ずかしかった。
とはいえシンイチは、だが、と首を振る。

「それだけで仮面の大鉈を振るうことはできない。
 知っての通り簡単にあんなことができるんでね。
 間違えたりより事態を悪化させたら、ごめんなさいじゃすまない」

そう語る顔にはミューヒに対する遠慮も気遣いもないまま、
お前の言葉は信じるがそれだけでは俺は動けないとはっきり告げていた。

「ふふ、容赦ないよねぇ。それ普通本人を前にしていう?」

だが笑ってそう返す彼女はその表情通り欠片もショックを受けてはいない。
むしろあの規格外の力とこの数日間の騒動を知った後では納得である。
件の事件の際は激昂したがあんなものを見せられてはかえって冷静になる。
そうなれば一個人の訴えだけでアレほどの力を振るわれる方が恐ろしい。
何より、ミューヒ自身が彼らしくないと思うのだ。

「……話の腰を折るな。真面目に話せといったからには真面目に聞け。
 だいたいお前はそれぐらいの考えが読めない女じゃないだろうに」

そうはいいながらどこか申し訳なさそうな表情を見せるシンイチだ。
そんな顔と共に自らの能力への信頼を見せられては頬が緩むだけ。

「は~い、わかりました。
 それでそれがどうあの話を保留することに繋がるの?」

本人にとって重大な話題を軽く流す態度に訝しむ顔を見せるが
掘り返すより自分も流した方がいいと思ったのか溜め息一つで続けた。

「知っての通り、俺はガレストについて知ってることは少ない。
 学園で教えている範囲のことも満足に覚えているか怪しいしな」

「イッチーって本当に勉強苦手っぽいしねぇ」

シンイチの境遇を考えると半分は中学の基礎がないためであるのだが、
独学で方々に手を出して知識に偏りがあるのが残りだと彼女は分析している。

「っぽいじゃない。苦手なんだ」

あるいはその気落ちしきった表情からも伝わる強烈な苦手意識のせいか。
熱意はそれなりにあるのだがそれなりなので一度くじけると再挑戦しない。
転入してかなり早期に捨てられた教科の数を見ているだけに彼女は苦笑いだ。

「断言しちゃうのもどうかと思うけど、で?」

「それが表面的な話やあるいは実状というものならただ行けばいい。
 その国や土地、街を知りたいというならそれが一番確実だ」

テキストやネットにあるデータだけではわからない部分は当然ある。
実際に足を運び、その目で見て、耳で聞き、肌で感じるのがやはり一番だ。
彼が欲しいのは画面越し、データ越しに見えるものだけではないのだから。

「学園にいれば近いうちに行くことにはなる。
 だが、ただ行くだけじゃそれでもまだ足りない」

そこまで話されればミューヒにも彼の言いたいことが分かってきた。
ある種当然で、でもとんでもない要求だと思いながら確認する。

「なるほどね、それだけじゃ解らない部分()知りたいのね。
 有り体にいえば私達がいる社会の暗部の話ってわけ、欲張りよそれ?」

つまりは表も裏も全部知りたいといってるも同然だ。
言外にそれをわかってるのかという言葉に彼は平然と頷く。
不思議なもので彼の表情には気負いもなければ虚勢も見えず、
むしろそれぐらいならできるという当然の空気さえあった。

「……なんか全部把握できちゃいそうなのがイッチーの怖い所だよ」

「あのな、何もガレスト人全員の細かなデータが欲しいわけじゃない。
 俺が色々と判断するに足る情報を集め、現状や実像を知りたいだけだ」

表裏関係なくと彼は簡単に言い切るが、一瞬迷う素振りを見せた。
口調を若干穏やかなそれに整えて言葉を選ぶように静かに続ける。

「俺はテロリストというのが本当に嫌いだ。
 でも、それが生まれてしまう背景は好き嫌いの話で語れないし、
 その方法が認められなくても、どれだけ平穏を与える統治でも、
 未来のために潰さなくてはいけないモノは世の中確かにある」

「私の言葉にそれを、いえその可能性を見た、と思っていいの?」

「まあそんなところだ。
 別にお前ら(・・・)と組みたくなったわけじゃないが、
 お前(・・)とは交渉窓口ぐらいは開けておくべきだと思ったんだ」

それだけの価値があの叫びにはあったのだとその目が如実に語っていた。
あるいは学園にいるヒナと呼ばれる少女は信用していいと思ったのか。

「あら、巷で話題の仮面さまに見初められるなんて光栄だわ」

僅かな照れもあってか。
わざとらしくかしこまったような言葉を使って持ち上げれば、
案の定シンイチの顔は渋面に満ちたものとなって彼女は笑みをこぼす。

「茶化すな、だいたい栄誉もなにもないだろう。
 裏とはいえ世間一般からすれば俺もお前らも分類では大差ない」

「…………」

どっちも立派な罪人(テロリスト)でしかないのだ、と。
嫌いだという存在になっているのに存外に軽い物言いであるが
彼女は内心違うように考えている。大別すれば確かに近くとも
マスカレイドは徹底的なまでに無辜の民を傷つけてはいない。
あの誰の目も引き付けた海を一部蒸発させるほどの一撃でさえ、だ。
規模を考えれば巻き込まれた船や航空機がいてもおかしくはないが皆無。
件の潜水艦共々別の地域に転移させられたともう調査で判明している。
もっといえばあれだけのことをしてあの海域の生態系すら壊れていない。
それに気付いた者達はその破壊力以上の恐怖を仮面に感じている。
だが死の商人でもある自分達とはそこで天と地ほどに差がある。
直接的・間接的であろうと彼女らは今も誰かを殺し続けている。
どれだけ恐ろしくても殺さない者より良い存在のわけがない。
同類にして、いいわけがない。

「……話は分かったわ」

だがそんな差もこの少年には無いも同然なのだろうとは察する。
そんな無駄話をするよりこの先の話の方が重要といえば重要だろう、と。
何せ、結局のところ相手がこちらに何をさせたいか、の話だ。

「ようは今は見逃す代わりにいくらかあちらの社会の裏の情報と
 学園やクトリアでの活動停止、いえ、あの脅迫に従え、かしら?」

「概ねそうだ。降りかかった火の粉は払う。目に余る行為は潰す。
 だがそれ以外は積極的に排除することはしないでおいてやろう」

ミューヒはなんて偉そうだと思いながらも胸を撫でおろしてもいた。
普通なら釣り合いの取れていない取り引きだが仮面相手なら安い条件といえる。
それだけであの仮面といくらか敵対する道が狭まるのはありがたい話だった。

「あとお前個人に一つ要求がある」

ただそこに付け加えられたその言葉に、彼女は少し我慢ができなかった。
真面目な彼を前にするととこうしなければならない使命感がわいたのだ。
その点だけを取れば彼らは同類ともいえたが。

「私個人? はっ、まさか!?
 トモトモ、フドゥネっち、アリちゃんに続いてボクまで手籠めに!?」

体をくねらせながら軽い調子で「あん、襲われるー!」と甘えた声でいう。
ただし、これまでの会話で(・・・・・・・・)使っていた隣の席にすら聞こえない声量ではなく、
一般的なそれだったため周囲から怪訝な視線が集まるが問題視はされなかった。
誰が聞いてもふざけているとわかる声色と態度のおかげである。
誰の発言でそうなったのかを考えれば“せい”ともいえるが。

「おいっ、俺がいつそいつらに手を出した!?
 ………いや、確かに触れはしたが貞操には触れてない」

「あ、その三人なのは否定しないんだね。
 しかもトモトモはボク初めて使ったのに誰かわかったんだ!」

「……………」

ハメられたと彼が絶句し、彼女は笑う。
ミューヒがその三人をあげたのは、これはもうそういう事だろ、
という気配の視線をシンイチに向けているのを見ているからだ。
トモエたちとの会話だけは彼女は何故か見失ったものの話が終わった後で
認識できた時にはシンイチを見る目には決して低くない好意のそれがあった。
彼を監視し続けている彼女からすれば自覚の有無関係なく、アウトだ。

「…………いまここでさっきの取引、反故していいか?」

「ごめんなさい」

周囲がカップルの悪ふざけと認識して注意が反れたタイミングで彼は
額に青筋を立てながら笑顔で威圧すると彼女は即座に頭を下げて謝罪する。
尤も内心ではこれから彼をからかうのは命懸けだと面白そうに考えているが。
それを見抜いているのかいないのか渋面を浮かべた彼だが話を進めるためか。
それとも意趣返しなのかその要求をただストレートにぶつけてきた。

「お前への要求は一つだ。
 これ以上、千羽姉弟を調べるのはやめろ。あれは一般人だ」

そう告げられて発生した一瞬の視線の交差と沈黙のあと彼女は息を吐く。

「ああ、やっぱり何かそういう関係だったわけか。
 そして先手はうたれてた。どうりでいくら調べても何も出てこない」

「初日の騒動の場にいたからなお前。やばいと思って急いで
 そう簡単には実際の関係が解らないようにしたんだよ、あのあと。
 何も出てこなければ諦めると思ってたら延々と調べやがって、しつこい」

おかげで直接脅す以外に方法がなくなってしまったと肩を落とす。
彼がそうなっているのはそうすれば確実に調査は止まるだろうが
逆に彼からすればそうまでして守りたい相手だと告白するも同然だから。
無論あんな現場の目撃者となればナニカあるのは隠しようもなかったが。
しかしミューヒからすればむしろそんな直後に手を打たれた事が衝撃だ。

「後学のために聞きたいんだけど、私の正体厳密にはいつ気付いたの?」

「最初から監視・調査役だとは思っていた。正式な所属がどこにあるかは
 そのインカムを使ってたのを堂々と見てた……仮面被って、目の前で。
 確か俺の盗撮写真を見ながらにやにやしてた時だな」

「……………思ってた以上にずるいよねその仮面」

内心「あの時か!!??」と叫びたいのを全力で抑えながら顔を引きつらせる。
仕返し成功だと一度にんまりとした顔を見せた彼だがすぐにそれを引き締めた。

「別に関係性を変えろとまではいわん。今まで通りしていろ。
 だがあいつらの身に何かしたら、俺と関係あるのを利用して
 何かの企みに利用しようというなら即座に潰す……何があっても、だ」

そして平坦に過ぎる抑揚のない声でそうはっきりと真顔で告げた。
こちらを見る目には鋭さと圧力はあってもいつものおふざけはない。
ミューヒはこれまでで一番本気の脅しだと感じて思わず体を震わせた。

「それで世界的に何かの事態が悪化しても?」

けれどそれだけは確かめたく、彼が先程懸念していた言葉を借りた。
されど彼女がどんな返答がくるかと考える時間もなく彼は答えた。

「責任は取る」

「っ!」

あまりにも短く簡潔過ぎる言葉はひねりもない単純なもの。
だが力強い断言による即答に、ミューヒは一瞬度肝を抜かれる。
この場合の責任は命や職を担保にした“首をかける”のとは意味が違う。
起こした事象に対する良くない事態は必ずや収めるという意思表示だ。
これでも『無銘』はガレストの暗部において影響力の強い組織である。
それを潰して起こる波紋や混乱をひとりで背負ってみせると彼はいう。

「出来そうだからこそ通じる脅しだよねぇ、ホントにずるい」

迷いのない即答を鼻で笑えない力があるだけに苦笑いをするしかない彼女だ。
一方でシンイチの顔に浮かぶのは一転して悔しげで情けない表情であった。

「そういうことしかできないんだよ」

それは果たして何に対する嘆きと無力感か。
踏み込むことはどうも調べるなと言明してきた事柄に触れそうだ。
と、そこまで考えてこれがまだ提案レベルの話だと思い出す。が。

「で、結局この休戦協定にサインはしてくれるのか?」

気付いた時には遅く、真顔に戻っていた彼から答えを催促されていた。
内心舌打ちしつつその表現には非常に文句を言いたいミューヒである。

「これって休戦っていうか脅迫っていうか新手の宣戦布告じゃない?」

極端にまで要約すれば従わなければ潰すと彼は言っている。
単純明快な話だがそれゆえに絶対に勝てない相手、もしくは勝てたとしても
甚大な被害を出すと分かっている相手の場合は断りようがない要求である。
文句があるならかかってこい、とさえ言われている気分のミューヒだ。

「解釈は任せる、だから赤いの(クリムゾン)、返答はいかに?」

「…………」

しかし要求の中身は決して難しくなく、簡単な話ともいえる。
行動に制限はかかるがコレと正面切って敵対する愚を犯すよりはいい。
自分が話を持っていけば受け入れさせることもできるという目算もある。
何か問題があるとすれば、それは。

「私としては色々聞きたい事はまだあるんだけど、時間はなさそうだね」

「ん、俺は寮の門限までなら空いているぞ?」

「その前にうちの人たちがそろそろ救出部隊編成し終えちゃうよ」

早々にこの話を上に届けてその動きを止めなくてはいけない事だろう。
よしんば救出部隊は行き過ぎでも最低でも先程の通信の真偽を探る人員が
送り込まれるのだけはミューヒにはもはや決定的だと思えていた。

「………身内に優しい組織なようで」

「うちの閣下はそういう人で、私はその人の懐()だから」

にっこりと自慢げに彼女が語ると徐々に彼は渋い顔になっていく。

「ちょっと順番間違えた?」

「かーなーり間違えてるよね」

間を置かない返答にがっくりと肩を落としてしまうシンイチである。
そして黙って指先を店の出入り口に向けると「早く行け」と短く告げた。
誰もいない所で事情説明してこいということである。

「もう来ちゃってても反故にしないでよ?」

「追い返せば、こちらのミスとしよう」

言質は取ったと諸々やり返せたような気分になった彼女は席を立つ。
まずは会計だとレジに向かおうとしたミューヒはしかし顔だけ振り返る。

「そういえばふざけてる方の理由って結局なんだったの?」

真面目な理由はまとめればミューヒを通しての『無銘』との取引だ。
あるいは積極的な脅迫ともいうが窓口が開かれただけプラスと考えられる。
では、彼がふざけていると評した方の理由はどんなものだったのか。
きっとおかしなものなのだろうなと彼女は想像しながら答えを待った。

「……ここでそれを聞くか」

彼は困ったように頬をかきながら若干渋って見せたが余分な時間はない。
仕方ないといわんばかりの溜め息を吐くとそっぽを向きながら答えた。

「友達とケンカするのがイヤなんだよ」

「………ほえ?」

僅かな不機嫌さと子供の我が儘のような色を含ませながら。
何度か目を瞬かせた彼女は言葉を理解すると自然と笑みを浮かべていた。

「ふ、ふふ……イッチーってさ。
 相手がどこの誰でどういう立場なのか、よりも
 自分が相手を気に入っているかどうかで判断してるよね?」

正体を知っていても彼なりにミューヒを受け入れていたばかりか。
知っている事を明かしても変わらず友と呼ぶあり方に彼女は呆れつつ笑う。
悪いか、と返した彼に、別に、とさらに返してその笑みはより深まった。

「って、危ない、危ない!」

が、すぐに慌てたように首を振ってその笑みを消すと愕然とした顔を浮かべる。

「こうやって一人ずつ籠絡してくんだからホント怖いよこの男!」

「色々言いたいが、友達扱いで籠絡されかけた自分にまずツッコミをいれろ」

おかしいだろそれは、と半眼で訴えるが彼女は右から左に聞き流している。
そして、でも、と口にしながら体も向き直るとふざけた理由への返事をした。

「とりあえずイッチーはそれでいいよ。
 ボクはフドゥネっちみたいに誓う事はできないけど、
 出来る限りボクも友達と戦うことがないようにする」

あくまで出来る限りだけど、と強調しながら無邪気に笑う。
きっと遠くない未来どこかでぶつかるだろう予感はあったが、
嫌だという取引相手の心情を慮ってミューヒはそういうことにした。
代わりに交換条件のようなことを、誰でもない彼女で語る。

「だから───()に勝った戦士として、無様を晒すのは許さない。
 どんな覚悟を決めたか知らないけど、決めた以上は自分を張りなさい」

破天荒な女子生徒でも無銘の戦闘員でもないただの年上の大人として。
危うい生き方をしている年下の少年へお節介な叱咤を口にする。

「でも、それでも疲れちゃったら膝枕ぐらい貸してあげるよ!」

ただそれは一瞬で彼がヒナと呼ぶ少女に戻るとそうおどけて走り去る。
逃げたのではないと強く自分に主張しながらもミューヒはただ思った。
自分から本気で誘うのは考えてたよりずっと恥ずかしい、と。




どこか嬉しそうというよりは楽しそうに尻尾を振る後姿を見せながら
去って行った友人を見送った彼は背もたれに体重を預けてそっと息を吐く。
彼女が最後に残していった言葉は存外シンイチに衝撃を与えていた。
残っているドーナツを処理し続けてはいたがその顔には苦笑がある。

「さすが俺のストーカー予備軍、よく見ているな。
 もう何もかも見抜かれてしまいそうだよ……参ったな」

油断すると彼女の言う無様を晒してしまいそうになっている。
そして一度そうなれば自分は容易く崩れ落ちるだろう予感もある。
それが読めていたからだろう。彼は故意に順番を間違えてみせたのだ。
おそらくその点もなんとなく彼女には勘付かれていたようにも思える。
ならば、あのまま会話を続けていれば想定外の部分まで見抜かれ、
ナカムラ・シンイチはいとも簡単に丸裸にされていただろう。
現時点でそれはかなり致命傷に近い事態となる。

「……ほんと、毎回一段落してからがダメな奴」

自嘲じみた笑みを浮かべて相変わらずな自分をなじる。
一気に押し寄せてくる目の前の問題は次々と平気で処理ができるのに
終えたあとの後悔とこれからに見えている問題には心が折れそうになる。
こういう面倒なぐらいに脆い所は一生変わりそうにないと彼自身が呆れている。

「なーにが、ケンカはイヤ、だよ」

だからだろうか。
どこか自らの発言を貶めるかのように吐き捨てていた。
それは嘘ではない。むしろ紛れもない真実としかいえない言葉。
むしろだからこそ鬱屈とした気分が彼の胸の中で時間と共に沈殿していく。

「お前はきっとそうは思ってないんだろうなぁ」

どことなくここにはいない誰かに向けたような声。
落とした視線の先にはテーブルに置かれたフォスタの画面がある。
この程度の距離ならば直接触れずとも操作するぐらいはもう朝飯前。

「ふん、相変わらず胡散くさい笑顔してやがって」

表示されたのは工学関連の情報を専門に公開しているニュースサイト。
その中にある一つの記事。注目の若手工学者として紹介されている誰かの写真。
弱冠21歳の若さで地球側のガレスト工学ではトップレベルという存在。
若手のホープゆえかもっと実績を踏むまではあまり表舞台に出たくないと
しながらも個人的な護衛さえ持っている地球工学界の要人にも等しい人物。
間違いなく日本人で、面影のある顔で、よく知ってる名前だった。

「お前さ、気付いたんだろ?
 だから指紋べったりのあのブレードを回収させた。
 それで音沙汰なしとかまさかお前、本当に───」

友人には丸わかりの営業スマイルを映す画像。
その背後では専属SPだという金髪男性の後ろ姿が見切れていた。
一般的な金髪とは毛色の違うその輝きは彼には見慣れたものであり、
画像に映る顔は8年程度で見間違うわけのない幼馴染のそれだった。

「───本気で俺とケンカするつもりか、武史」

シンイチはその偽りの笑みをただ苦々しく見詰めることしかできない。
現在の日付はまだ6月6日。あのモニター向こうの科学者(ドクター)に一方的な
約束をした日まであと8日。それは短いように思えて彼にとっては
地獄のように長い日数でしかなかった。
一応これでこの無駄に長引いた試験編は終了。
次からは、次章への下準備的な話を少し、して、次章の予定。

ただもしかしたら、俺自身がキャラを把握するために登場人物紹介書くかもしれん(汗
+注意+
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