ボンゴレファミリー10代目ボス、沢田綱吉は悩んでいた。
いや、彼の場合は毎日がトラブルの連続であるから、こうして自分ではどうしようもない問題や悩みに頭を抱え込むことも、そう珍しくはなかったのだけれど。でも、だからこその苦しみとか、やりきれなさとか、無力感、頭痛を伴う苦悩やもろもろ…それらは当たり前のようにあるわけで。
それなのに、ちょっとでも休みたいとか俺もう無理だよとかの弱音を吐こうものなら、例の真っ黒スーツに身を包んだ自分より一回り近く年下の家庭教師から、容赦ない蹴り、パンチ、はたまた銃弾の数々が浴びせられてくるのだから、まったく血も涙もあったもんじゃない。
人生楽ありゃ苦もあるさ、と誰かは歌っていたけれど、なんだか自分の場合は後者の「苦」ばかりが降りそそいでいるような気がする。
マフィアのボスになったことを、後悔なんかしていないけれど、でも自分にはもっと別の人生が、もっと他の歩み方があったはずなのだと思うと、ときどき目頭が熱くなるのだ。
お人好しで、ツッコミ体質で、揃いも揃って濃い奴らばかりなファミリーの中では、唯一の常識人とも言うべき存在。どれだけ平穏を愛そうとも手は届かず、逆にハプニングやらトラブルやら奇想天外大事件やらに心の底から愛されている自分のことが、綱吉は憎らしいやら情けないやらで、疲労して擦り切れまくった心はもはや諦めの領域に達している。
ああ、でも。
それでも、やはり我慢の限界というのはあるもので。
「雲雀さん…骸…」
震えた声、ついでに握った拳もふるふると震わせながら、綱吉は叫んだ。
「なんで、もっと仲良くできないんですか!」
答えは返ってこない。
2人とも、綱吉の悲痛な言葉など素知らぬ顔だ。
ボンゴレファミリー雲の守護者、雲雀恭弥。
同じくボンゴレファミリー霧の守護者、六道骸。
守護者の中でも1、2を争う実力者である彼らは、マフィアという集団の中において一種異様な存在でもあった。
雲と霧。
似て非なる者。
非なる者ながら、酷似する強さ。
同族嫌悪とでも言うのだろうか、雲雀恭弥と六道骸は、とても仲が悪かった。
2人が顔を合わせる度に乱闘騒ぎになり、それが屋敷内ならば家具やら壁やら一切合切を破壊し尽くしてしまうほどに、そりゃあもう、とんでもなく仲が悪かった。
うなる改造トンファー、舞い踊る三叉槍。
今日も今日とて、雲と霧の大乱闘は始まった。幹部会議で、2人を同時に屋敷へと呼び寄せてしまったのが、綱吉にとっての運の尽き。扉の前でばったりと鉢合わせてしまった2人はその直後にシャキンガシャンと武器を取り出し、周囲の人間が止める間もなく斬り結んだのであった。ああ、せめて2人が顔を合わせたのが会議室内だったなら良かったのに。さすがの2人も、自分以外の守護者が全員揃っている中で、あそこまで大暴れなどしなかっただろう。多分。
自分の運の悪さと間抜けさに、綱吉は心の中でだばだばと涙を流す。ボスという立場ゆえ、表だって泣き言を吐けないのは非常につらい。とにかくもう、大変どころの騒ぎじゃなかったのだ。
下っ端たちの悲鳴。逃げ遅れた者は巻き込まれ、やれ怪我人だ、やれ重傷者だと、一時期アジトは混乱した。
ただでさえ鬼のような戦闘能力を誇る2人なのに、そこへ地獄道やら畜生道で召還された蛇やら隣町ボーイズの加勢(「骸さん手伝いまふ!」)やら某ダイナマイト野郎の仲裁という名の乱入(「てめーら10代目を困らせんじゃねぇ!」)やらが追加されれば、もう辺り一帯は地獄絵図となる。窓ガラスは割れ、屋敷内はめちゃくちゃだ。
こういうときに限って家庭教師は「ボスなら何とかしろ」の一言を残して奧へ引っ込んでしまうし、仕方なく綱吉はバジルに借りた大量の死ぬ気丸を一気飲みして、山本や了平の手も借り何とかその場を収めたのだった。
それから、数日後。
荒らされた屋敷内もきれいに片付き、一息ついたドン・ボンゴレこと綱吉は、この騒ぎを起こした張本人である守護者2名を呼び出した。ただし、また前回の二の舞になっては堪らないから、勿論それぞれ別々に。
「いらっしゃい、雲雀さん」
最初に綱吉の部屋へやってきたのは、孤高の浮き雲こと雲雀恭弥であった。
学生時代よりは大分ましになったとはいえ、彼の纏っている威圧的なオーラや他人を寄せ付けない鋭い目には、いまだに順応できない綱吉である。
とりあえず向かいのソファに座ってもらい、彼の好むストレートの紅茶に一滴ほどブランデーを垂らして差し出した。2人とも、暫く無言でその味と香りを楽しむ。
内心は緊張と僅かな恐怖でガチガチになっていたのだが、自分はボスであるというなけなしの自信が背を押した。あくまでも何気ない会話を装い、綱吉は切り出す。
「ねえ、雲雀さん。わかってますよね」
「何をだい?」
「俺が、あなたを呼んだ理由です」
沈黙。
かちゃん、とティーカップを置いて、雲雀は無表情のまま相手を見つめ返した。
怒らせたかな、と綱吉が思わず身構えると、予想に反して雲雀はぷいっと顔を背けてしまう。威圧的な笑みを見せるでもなく、トンファーを取り出すでもなく、ただ不機嫌そうに綱吉から目をそらしたのだ。表情そのものにはあまり変化が無くて、長年ファミリーとして彼と行動を共にした綱吉だからこそ見分けられる、彼の感情の揺らめきだった。
「雲雀…さん?」
意外な反応に綱吉がきょとんとしていると、やがて雲雀は普段の無機質で冷たい表情を取り戻し、非常に淡々とした声音でこう告げた。
「僕は群れるのが嫌いだ」
「…」
ええ、存じ上げておりますとも。
綱吉は溜め息を吐き出し、がっくりと肩を落とした。謝罪など期待していなかったし、今更されても困るだけだが、こうもきっぱり言い切られると溜め息のひとつやふたつ零したくなる。
雲雀の一匹狼気質は、重々承知の上だ。マフィアやら裏社会やらの世界に彼を引き込んでしまった原因は自分なのだし、なんだかんだで守護者として戦ってくれる彼(本人にその気があるかどうかはまた別の話だけれど)に、綱吉は心から感謝している。
けれど、だからといって毎回の乱闘騒ぎに目を瞑れるのかと言われると、それはそれでまた別の問題で。
確かに骸が過去に行ったことは許し難い事実だし、それについて雲雀が怒っているのも非常によく理解できる。侮辱されたと、ひどい屈辱を受けたのだと、根に持つのも道理だった。高潔というか、とにかくプライドの高い人なのだ、雲雀恭弥という男は。
「群れてほしいなんて、言ってません。ただ、もう少し穏便に事を運ぶ方法とか…他にないんでしょうか」
「穏便?」
「…無理ですか、やっぱり」
「解ってるなら訊かないでよ」
それきり黙り込む雲雀の表情は、ひどく冷ややかだった。
これ以上は何を言っても無駄だなと、半ば予想していたこととはいえ、綱吉は重い溜め息を吐かずにはいられない。ああ、今日で何回目だ、これ。
「でも、せめて、屋敷内を破壊することだけは勘弁してください」
「…」
「雲雀さん…」
がたん。無表情のまま立ち上がった彼は、「紅茶ごちそうさま」の一言を残して、さっさと部屋を出て行こうとする。綱吉の都合など知ったことかと、呼び止める声さえ無視して、彼はスタスタと歩いていった。
「頼みますから、今度は骸と会ってもケンカしないでくださいね!」
最後に叫んだ言葉は届いたであろうか。無情にも、ばたんと扉は閉められる。
紅茶のカップを置いて、あーあと綱吉は額を押さえた。
骸を許せとは言わない。でも、自分たちは一応ファミリーなのだから、せめて乱闘騒ぎだけでも控えるようにしてほしかった。出来ることならば山本や了平のように―――…いや、あそこまでフレンドリーになられても逆に不気味だが、とにかく今のような状態では綱吉の身が保たないのである。
「胃薬…」
がさごそと取り出した白い錠剤を、綱吉は口に放り込んで飲み込む。
さあ、頑張れ俺。もう1人。
気合いを入れた彼の耳に、コンコン、と丁寧なノック音が届いた。
「お呼びで? ボス」
「…いらっしゃい、骸」
扉を開いて現れたのは、まやかしの幻影こと六道骸。
相も変わらぬ穏やかな声音、まるで彫像のように整った笑顔。そして、その裏に潜んだ背中合わせの狂気と野心。
出会ったばかりの頃は綱吉も彼を恐れていたが、仲間となった今はそうでもない。もちろん完全に信じたわけではなかったし、骸自身もマフィアから信頼されることなど望んじゃいなかったけれど、でもそんな関係も悪くはないかなと達観した考えが持てるようになった。自分も図太くなったものだと綱吉は少し感心する。もちろん虚しさもあったけれど。
「髑髏たちは?」
「今日は1人で来ましたよ」
「そう」
「だって、用があるのは僕だけなんでしょう?」
「…わかってるんじゃないか」
一部の、否、大半のファミリーから畏怖される彼は、今日もまた胡散臭さ全開で綱吉の傍へやってきた。あれだけの騒ぎを起こしておきながら、そりゃあもう、憎らしくなるくらい涼しい顔をしている。綱吉は殴り飛ばしたい感情を必死で抑えた。どうせ、殴ろうとしたって当たりゃしないのだ。この男なら鼻で笑って、軽く避けてしまうに違いなかった。
「ミルクと砂糖、いれるよね」
「ありがとうございます」
雲雀のときと同じく向かいのソファに座らせ紅茶を勧めた。彼は甘党だから、砂糖はたっぷりと用意する。しかし、なぜか骸はそれに手を付けず、いぶかしがる綱吉に向かって優雅に目を細め、こう言った。
「僕は謝りませんよ」
「…」
先手必勝。
にっこり笑顔で言い放たれたその言葉に、綱吉はこめかみを押さえて低く呻いた。ああ、頭痛がする。胃痛に頭痛におまけの心痛。いつかストレス障害で入院なんてことになったら入院費は全てこいつらの給料から差し引いてやろうと綱吉は心に決める。ああもう本当に誰かお願いだからどうにかして。倒れる日は多分もうそんなに遠くない。そう確信できてしまう自分に涙が出そうだ。なにが超直感だよこんなときには全然役に立ちゃしないじゃないか。むしろ分かりたくないことまで分かってしまうこの能力にいいかげん嫌気が差してくるよ全くもうブラッド・オブ・ボンゴレのくそったれ。
ご先祖様に対する許し難い悪口雑言を、ぶつくさと心の中で呟く。
そんな綱吉を見て口元の笑みをいっそう深くすると、骸はさも面白そうな口調で続けた。
「先にケンカを売ってきたのは彼です。僕は、それに応じたまでのこと。責められるのは筋違いだと思うのですが」
「お前らの勝手なケンカで俺や他ファミリーが被害を受けるのも筋違いだけどな!」
相手と同じように大量の砂糖を放り込んだミルクティーを、綱吉はイライラしながらかき混ぜ、悔しまぎれに一気飲みした。雲雀のときも飲んだからもう2杯目だとかカフェインの取りすぎは体に良くないだとか思ったけれど、そんなことよりも今は目の前のこの男が憎らしくてたまらない。
「とにかく、雲雀さんもお前も減給処分!」
「痛くも痒くもありません」
いけしゃあしゃあと答える相手を見て、綱吉は今ここに死ぬ気丸がなくて良かったと心から思う。
もしあったら、この部屋は戦場と化していたに違いないのだから。
霧と雲は似て非なる者。
非なる者ながら酷似する、その強さとその残虐性。
ゆらゆら揺らめき変化し続ける彼らは、ある意味、同族と呼べるのかもしれない。
だからこそ、互いを忌み嫌うのだ。
「ドン・ボンゴレ! 大変です、雲と霧がまた乱闘を始めました!」
「…またかよ…」
今日もまた、大混乱に陥るアジトを綱吉が収める。
頑張れ綱吉。
負けるな綱吉。
大空があるからこそ、雲と霧は漂うことが出来るのだから。
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