Case2.灰原哀の場合
「……あ、そういや灰原。おめーはいつなんだ? ……誕生日」
「おぉ、そうじゃ! 哀君の誕生日は是非祝いたいのぉ!」
「……秘密よ」
「はぁ!?」
「誕生日なんて、意味無いもの。今まで特別に意識したこともなかったしね」
二人にそんな言葉を返しながら、私の頭の中には、遠い昔が蘇っていた。
ずっと遠い昔の、寂しくて暖かい思い出。
Case 2.灰原 哀の場合。
14年前……
アメリカのとある道筋に、可愛い小さな家があった。
当時、外に出ることが少なかった私は、決められた場所しか行った事がなかったから、
そこにある家の可愛らしい作りは、私の中で印象的で、
そこを歩くたび、視線をそちらへやった。
外に出ることが少ない、というのは、私の特殊な環境が原因で。
たった一人だけの私の肉親である姉は、日本育ち。
私は、少し前に色々な審査を経て、アメリカの組織の施設に連れてこられた。
一人で居る時に、まだ幼い私が外出など許可された事はない。
たまに、組織の許しが出て日本からやってくる姉と二人。
その時だけ、監視つきとは言え、外に出る自由が許されたのだ。
夕方遅く、もう帰りの時間だった。
「ハッピーバースデー トゥー ユー……
ハッピーバースデー トゥー ユー……」
その日も、そこを歩いていて聞こえてきた歌。
お祝いの歌だと言う事は知らず、不思議な顔で、姉を見上げた。
「お誕生日おめでとうって、歌ってるの」
尋ねる前に、姉は答えた。
「おいわい、する事なの?」
「うん、生まれた記念日にはね、家族で祝福するんだよ」
家族で祝福……
よく、意味が分からなかった。
家族というものは、記憶の中で姉ただ一人。
祝福、という言葉に触れた記憶もなかった。
「ほら、見て志保。ああやってね、ケーキを囲んで、ろうそくを消すの」
輪の中の中心にいる、同い年くらいの小さな子供が、
ろうそくにともった火を、勢いよくふ〜っと吹き消した。
ぱちぱち、と周りの人たちが嬉しそうに拍手する。
幸せそうに笑うその子供は、何か、楽しそうに大人たちと話をしていた。
「ろうそく消して、どうするの?」
「そしたら、皆でお誕生日おめでとう〜って言って、プレゼント渡すんだよ」
一人一人の手から渡されるプレゼントを、当たり前のように、嬉しそうに受け取る子供。
心の中で、羨ましい……という思いが生まれた。
「志保、覚えてないでしょ〜。1歳の時も、2歳の時も、お祝いしたんだよ。
お姉ちゃんだけだから、あんまり派手には出来なかったけど」
「ホント?」
その時は、そんな事全く覚えていなくて、姉を見上げ、聞き返した。
まだ、物心つく前の事だし、それ以上に組織と過ごした冷たい記憶が大半だったから。
悲しい記憶は残るのに、幸せな記憶は、自然に溶けてなくなってしまう。
その時の私は、思い出せない事がとても悲しかった。
お姉ちゃんは、悲しそうな顔で続けた。
「うん。去年は、志保とお姉ちゃんはなればなれになっちゃって、
お祝いしてあげられなかったけど」
お父さんと、お母さんは、私が生まれてすぐ死んだと聞かされていた。
だから、物心つくまでは、生活の殆どを、姉と一緒に暮らしていた。
日本にある組織の施設で、お姉ちゃんと一緒に。
その頃は、まだ生活自体も組織の風習に染まってはいなかった。
姉も私も、自由に外を出入りできなかったり、妙な知識を頭に詰め込まれたりはしたけれど、
そうでない時は、普通の姉妹のように、時を送っていた。
けれど、ある日突然、別れの時は来た。
どうしてそうなったのかは分からない。
やって来た黒服の男が、私に告げた。
”お前は両親の研究を引き継げ”と。
姉にはなかった、両親から受け継いだ才能を、持っていたという事らしい。
離れてしまう事になって、姉と会うことすら、殆ど許されなくなった。
許されるのはほんの僅かな時間の電話と、ごく稀にアメリカにやってくる姉との限られた時間を過ごす事だけ。
そしてそれには、当然事前に組織の許可が必要だった。
「おねえちゃんは、アメリカに来ないの?」
あの頃は、とにかくずっと一緒に居たかった。
”お姉ちゃん”という存在は、私にとって姉であり、母親代わりの様でもあった。
けれど、その質問をすると、決まって姉は悲しい顔をした。
「……うん、志保と一緒に暮らしたいけど。許してもらえないんだ」
「ごめんね」と謝る姉の顔を見ると、言わなきゃよかった、と後悔した。
お姉ちゃんを悲しませるために言っている言葉じゃなかったから。
少しの間を開けて、お姉ちゃんは微笑んだ。
「いつか、また一緒に住めるようになるといいね。
それまで、頑張ろう。お姉ちゃんも、認めてもらえるように頑張るから!」
「うん」
返事をした私の手をとって、「行こ!」と歩き出す姉の後を、
小さな私がちょこちょこと付いて行った記憶が、今でもまだ残っている。
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お姉ちゃんが帰ってしまってから、私はまた組織に一人。
施設の中で、子供もいるには居たけれど、はしゃいで遊ぶような友達は居なかった。
皆、この組織の中で、将来役に立つ立場になるべく、訓練を積む為にそこに居るのだ。
私にあてがわれた部屋には、一台のパソコンが置いてあった。
その他には、化学や薬関係の本が並べられていて。
味気ない部屋の中で、その施設での生活を過ごしていた。
パソコンの使い方は、その時にはほぼマスターしていた。
さすがに、早く打つ事は出来なかったけれど、ファイルを開いたり書き換えたりするのに支障は無かった。
だから、ほぼ毎日パソコンに向かって、お父さんやお母さんがやっていた研究の内容を、勉強していた。
その日も、そうやってパソコンに座っていると、突然、戸がノックされた。
「Hi、志保」
扉を開けて入ってきた女の人は、そう呟いて、口元に笑みを浮かべた。
初めて見る顔だったけれど、微笑んでいたけれど、威圧感があって怖かった。
「おねえちゃん、だれ?」
尋ねると、その人は笑みを崩さないまま答えた。
「ベルモット。組織ではそう呼ばれているわ」
「ベルモット? それも、お酒の名前?」
彼らが呼び合うコードネームがお酒の名前だという事は、その時既に知っていた。
だから、彼女の名乗った名前が本名じゃなく、お酒の名前という事も、すぐに分かった。
「そうよ。ベルモットはお酒の名前。あなたにもいずれ付くんじゃないかしら? コードネームが」
「私にも?」
「ええ。あなたの両親の研究は、組織にとって必要なものよ。
それを引き継いだあなたに、何のコードネームも付かないわけはないわ」
組織にとって必要なもの、と言いながら、その言葉はどこか冷たかった。
彼女は、さらに言葉を続けた。
「あなたも、可哀相な子ね。もうすぐ誕生日なんでしょ?
両親の研究なんか受け継がなければ、ずっとお姉さんと一緒に暮らせていたでしょうに」
彼女は皮肉げにそう言った。
誕生日……
先日、姉と見た誕生日パーティーを思い出した。
家族に祝ってもらっている、幸せいっぱいな顔を浮かべた、子供。
思い出したら、何だか切なくなった。
「おねえちゃん、お母さんとお父さんの事知ってるの?」
「ええ、よく知っているわ」
「……嫌いなの?」
その問に、彼女は明確な答えを返さなかった。
ただ、口元の笑みを一層深めて、人差し指を一本、その口の前に立てた。
「A secret makes a woman woman...」
サラリとそれだけ呟いた。
やけに耳に残るその台詞に、ただ呆然と立ち尽くしていると、
目の前の彼女はすっと立ち上がった。
「ジンが呼んでいるわ。来なさい」
そう言って、彼女は再び、私の部屋の戸を開けた。
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ジンとの話を終えて部屋に戻って、先程の言葉を頭の中で反復しながら、
指でその日付を指しながら、1、2、3…と数えた。
「しほのお誕生日まで、あと5日だ」
そう考えたら、無性に姉に会いたくなった。
最後に会ったのがまだほんの数日前だから、会えるわけないのだけれど。
あの、幸せそうな家族を見ていたら、無性に。
お姉ちゃんと二人、ケーキを囲んで、暗い部屋にろうそくを灯して。
それをふ〜っと吹き消して、お祝いしてもらえたら……
どんな歌だっけ……
「はっぴ、ばーすでー……ゆー……」
ぷつりぷつりと記憶の中で飛び飛びになっている歌詞を、口ずさんだ。
ろうそくを消して、電気がついた後の、あの暖かい拍手の中にいるのって、
どんな気持ちなんだろうって、思った。
考えれば考えるほど、寂しくなった。
あんな幸せそうな誕生日を見た後に過ごす、一人ぼっちの誕生日。
いつも通り、組織の人たちに”研究”をさせられて、
それをこなして、夜には今のように、部屋で一人ぼっちになって過ごす、誕生日。
窓の前に行って、夜空を見上げた。
星が綺麗な夜は、お母さんやお父さんに見守られている気がする。
死んだら、お星様になるんだって、前にお姉ちゃんが教えてくれた事を、覚えているから。
「おねえちゃん……」
呟いたところで、届く訳無いけれど。
当時の幼い私には、そのどこかに、同じ様に空を眺めているお姉ちゃんが居たとしたら、
こんなに遠くに居ても、ちゃんと繋がっているんだって、思えたのだ。
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