Case1-2.新一との再会
PM4:00
学校も終わり、蘭は帰り支度をして、急いで校舎を出て行った。
今日何度目かの携帯のチェックをしたが、メールも着信も入っていないそれに、ため息をついた。
そう。もしかしたら、なんて期待。
今日だけで何度裏切られてしまった事か。
けれど、最後の淡い期待。
もしかして、もしかしたら、彼は家に……
工藤家の自宅か、毛利家(探偵事務所)の方に居るのではないか、と。
この期待が裏切られたら、彼と一緒に過ごす誕生日を諦める事になる。
17歳のバースデーは、生まれて始めて、彼が居ないバースデーになってしまう。
本当は学校に来た時に、もしかしたら登校しているのではないかと思っていた。
教室に入った途端に、自分よりも早く来ていた新一が、自分に祝いの言葉をくれるのではないかと、期待をしていた。
しかし、当然のように学校に新一は現れる筈も無く、それどころか携帯に連絡すらない。
毎年、彼自身の誕生日は忘れても、この日は忘れずに祝ってくれていたというのに……
もしかしたら今年は忘れてしまったのだろうか……
事件を解決する事に夢中になって、今日が何の日か、忘れてしまったのだろうか……
不安と悲しみが、胸の奥から噴きあがってきて、蘭の瞳に涙が溢れた。
「新一の……馬鹿…………。」
口から零れた、その小さな悲しい呟きは、ふわりと吹いた風に、むなしくかき消された。
今まで、彼女の誕生日だけは、何故か忘れた事が無い新一。
その日はいつも必ず、朝早くに一番に自分にお祝いの言葉をくれていた新一の顔が目に浮かぶ。
そんな、毎年辿ってきた幸せなバースデーを思い浮かべるたび、目に滲む涙は、大きくなった。
「ねぇ、新一……私の誕生日、忘れちゃったの?」
呟いても、そこに彼は居ない。彼に、その言葉が届く事は無い。
それが、悲しみを増幅させた。
折角の誕生日なのに、会話を交わす事すら、出来ないのだろうか。
付き合ってるわけでもないのに、こんな事を思ってしまうのは筋違いかも知れない。
けれど……
「こんなの、寂しいよ、新一……」
こんな誕生日なら、来ないで欲しかったと、思ってしまう。
こんな記念日なんか、要らない。
そう考えてしまう。
ちょうど、そんな時だった。
彼女のポケットの中の携帯電話が、ずっと待っていたメロディーを奏でたのだ。
着信を告げる、綺麗なメロディー。
彼用に設定した、特別なメロディー。
俯いていた顔が、驚きのあまり跳ね上がった。
涙が滲んだ瞳も、大きく見開いた。
慌てて、先ほどポケットにしまい直した携帯を取り出して、
本当にそれが待っていたものなのか、と文字盤を確認する。
そして、そこに映っていた文字に、驚きの余り、絶句した。
「も、もしもし? ……新一?」
「よお、蘭か? 久しぶり。」
その受話器から聞えてきた声は、紛れもなく、今日一日ずっと待ち続けていた人の声だった。
再び、震えながら携帯の文字盤を確かめる。
嘘! 夢じゃないよね……
蘭は自分の鼓動が段々早くなっていくのを感じながら、電話の向こうの人物に言った。
「し、新一! ………すぐそっち行くから、動かないで、そこで待っててね!!」
新一は、その言葉を予想していたように、ゆっくりと、呟いた。
「ああ……分かってるよ。お前が来るまで、どこにも行かねえ」
彼がそう言ったのを確認して、喜びに震えながら、蘭は電話を切った。
そして、そのまま走り出した。彼がいる、『そこ』へと。
出来るだけ早く……
早く、早く行かないと……
でないと、また彼はどこかに居なくなってしまう。
彼女は全速力で、そこに向かった。
足がちぎれるのではないかと思うほど、必死に走った。
そして、ようやく辿り着いたその場所の前で、ようやく安心して、立ち止まった。
流れる汗を手で拭って、ぜえぜえとうるさい呼吸を何とか落ち着かせて、ずっと会いたかった人の顔を思い浮かべた。
やっと、やっと会える。
顔の筋肉が、自然と緩んでしまう。嬉しくて、幸せすぎて。
走ってきた疲れなんて、感じなかった。
この次々と溢れてくる喜びに比べれば、どうって事はない。
蘭は、震える手でゆっくりと工藤邸のブザーを押した。
「いいから、勝手に入ってこいよ」
ブザーが鳴るのを待っていたように、すぐに返事が返ってきた。
紛れもなくその声は彼のもの。
それは、確かに彼が今そこにいる証。
改めて、戸を隔てた向こう側に、彼がいるのだと実感した。
喜びに胸を躍らせながら、門を開け、そして玄関の戸を開けた。
と、その瞬間……。
パァン! パァン!!
鳴り響いた二発のクラッカーの音と共に、蘭の視界に沢山の紙ふぶきが舞った。
赤、白、黄色……つい、舞い降りる様を目で追ってしまう。
驚いて呆然と立ち尽くして、頭の中が一瞬”無”になった……のも束の間。
紙ふぶきの中から、突然一輪の薔薇が差し出された。
「Happy Birthday! 蘭」
綺麗な発音の、とても聞き慣れた声が蘭の耳に届く。
そして、紙ふぶきが全て床に下りた時、笑顔で目の前に立っていたのは、
他の誰でも無い、ずっと会いたかった大切な人だった。
「新一……」
気がついたら、その名前が口から零れていた。
すると目の前の新一は、より一層笑みを深めた。
「蘭、誕生日おめでとう。とは言っても、俺、またすぐ行かなきゃいけねえんだけどさ。
どうしても、今日だけはお前に直接会って、祝ってやりたかったから……。これ、誕生日プレゼントな」
そう言って、新一は綺麗に包装された小さな四角いプレゼントを取り出した。
赤とピンクの可愛い模様の包装紙、それに撒かれた、ブルーのリボン。
蘭がそれを受け取ると、彼はいつに無く優しげに、自信満々な笑みを顔に浮かべた。
「……開けてみな」
「うん」
頷いて、ゆっくりとリボンに手をかけた。
しゅるしゅると、丁寧にリボンを解き、包装紙を破かないように几帳面にはがす。
そして、手の上に乗った、丸裸の四角い箱を開けて見て、そこに現れた物に、絶句した。
信じられない、という思いも含めて、顔を上げて目に映った彼の顔は、真っ赤に染まっていた。
「し、新一、これって……」
その箱の中に入っていたのは、指輪のケースだった。それと、彼から宛てられた一通の手紙。
目をぱちくりさせてそのケースを凝視していると、新一は苦笑を浮かべながら、優しい声で言った。
「いつまでケース眺めてるつもりだよ? 早く中身確かめろって」
「う……、うん、そだね」
素っ気無い返事しか出来ないのは、感情が驚きに支配されてしまっているから。
大きすぎる幸せと、喜びがいっぺんに心に流れ込んできて、すっかり混乱してしまっているから。
「気に入るといいけどな……」とか、少し視線をずらして呟いた新一を、何となく可愛く思いながら、
ゆっくりとケースの蓋を開けた蘭は、その指輪に一瞬で釘付けになった。
金のリングの先についたピンク色の宝石……その周りにちりばめられている蒼の小さな宝石。
あまり目立ちすぎない程度にしかししっかりとした存在感を持ってキラキラと光るそれは、
蘭にとても似あう、可愛いデザインだった。
そう。一見それらは普通の宝石なのに、吸い込まれるような感覚を受ける。
「……綺麗」
蘭はうっとりとしながら、無意識的にそう呟いていた。
その反応に安心した顔を浮かべた新一は、蘭の手からそれをすっとを取り上げた。
「あ!」と声をあげ、驚いて顔を上げる蘭に、新一は悪戯っぽく微笑んだ。
「……ほら。手ぇ、貸しな。つけてやるよ」
蘭が手を差し出す前に、新一は彼女の手を取って、その細い指に指輪をはめた。
どきどきと、興奮しきった鼓動が抑えきれず、蘭はそのまま、固まっていた。
それはイメージ通り、まるで蘭の為に作られたのではないかと思うほど、とてもよく似合っていた。
「よ、よく知ってたね、私の指のサイズ」
「ばーろ! おめーの事なら、何でも知ってんだよ!」
紅くなりながら、そっぽを向いて、返した彼に、蘭の顔も、段々熱くなってきた。
心なしか、指輪をはめるべく乗せた彼の手が、段々熱くなって来ている気がしたが、
自分自身も普段とは違う温度に戸惑って、それに気付くまでに行かなかった。
ふぅ、と一息入れて、彼は靴箱に空いている片手を置いた。
「……悪い、蘭。時間みてーだ」
「えっ? もう??」
静かに告げられた、別れが迫っている事実。
まだ、会ってから全然経っていない。
言葉だって、殆ど交わせていないというのに……。
「ま、待って! もうちょっとだけ。もうちょっとだけ一緒にいたいよ!」
慌てて、引き止めようとして。
「お願いだから」と懇願したが、新一はゆっくりと首を振った。
「俺は、もう行かなきゃならねえけど……また少しの間、お前に会えなくなるけど……
絶対、何が何でもお前のところに帰ってくるから。それまで大事にとっておけよ」
「……うん」
蘭の目にはうっすらと涙が溜まっていった。
もうすぐそこまで来ている別れを、どうしようも出来ないことを、悟った。
折角会えたのに、また行ってしまう……それが、とても悲しくて、胸が締め付けられて。
けれど、会えただけで嬉しかったのも、また事実。
悲しみと、嬉しさと。受け皿に入りきれなかった感情が、涙となって浮かぶ。
それに気付いて少し苦笑いを浮かべた新一は、ほんのりと赤くなりながら、言った。
「その指輪は、俺の誓いの証だから。寂しくなったら、その指輪見て今日の約束思い出せ」
「……うん」
蘭の瞳からボロボロと零れ落ちた涙を、新一はそっと拭った。
「ばーろ、泣いてんじゃねえよ。お前に泣かれると困るって言っただろ?
……笑ってろよ、いつだって。笑顔で、送り出してくれれば、頑張れるんだよ」
会えた事、後悔してるわけじゃねぇだろ? と言って、
指輪が気に入らなかったわけでもねぇだろ? と言って。
彼は、蘭を見つめた。
「……そうだね。笑ってないとね」
蘭は、次々零れ落ちる涙をごしごしと拭って、彼に向けて、ふわりと極上の笑顔を見せた。
すると、それを見た彼の顔にも、緩やかで満足げな笑みが浮かんだ。
「そう。……それでいいんだよ」
小さく、かすれた声で呟いた彼は、ぽん、と蘭の頭に手を置いて、玄関に向かって歩き出した。
最後に、蘭に「またな」と声を掛けて。
蘭は、ゆっくり顔をあげ、戸を開けて家から出ようとしている新一を見つめた。
少しの間の逢瀬でも、それでいい。
また一つ、待っている支えを貰う事が出来たのだから……。
だから、そのドアが閉まってしまうまで、彼の後ろ姿を、至福の笑顔で見送った。
その左手の薬指にはめられた指輪を、もう片方の手で大切に握り締めながら………。
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