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姫君の結婚

姫君の結婚

作者:藤咲慈雨

エルティーナは目の前の光景に、ただただ驚いていた。それもそのはずだろう。
目の前で熱く抱擁を交わすのは一組の男女。男の方は本日の主役でもある花婿だった。

エルティーナが居る場所は壮麗な壁画がほどこされた白亜の神殿。祭壇には白い法衣を纏った神官も立っている。
神殿では今まさに、結婚式が行われていた。エルティーナが着ているのは、花嫁の証である純白のウエディングドレス。しかし隣に立つ花婿は、エルティーナの隣には居なかった。
お互いを固く抱きしめ合う男女を、神殿に居る全員が目を見開いて見守る。突然の闖入者である女性は、花婿を抱きしめながら目を潤ませて彼を見つめた。

「やっぱりあなたを諦めることなんてできない……!」
「ソフィー……」
「こんなにもあなたを愛しているのよ! 誰が私たちを引き離すことができて? あなただってこんな結婚、望んでいないんでしょう!?」

女性は涙ながらに花婿に訴えかける。女性の言葉に、花婿の顔が悔しそうに歪んだ。
おいおい、嫌だったのかよ。エルティーナは変化した花婿の表情を見ながら、思わず心の中で悪態を付く。
結婚式当日に神殿に飛び込んできた女性。どうやら彼女と花婿は『特別』な関係にあったらしい。
彼らはすっかり二人の世界に入ってしまったので、迂闊に声をかけることもできなかった。というか、まさかこんな風に式が中断されるなど誰も考えていなかったのだろう。この場に居る全員が、反応することもできずに突っ立っている。

「お願い! 結婚なんてしないで! 私と一緒に居て!」
「無理だよ……それは君にも分かっているだろう?」
「無理なんてことはないわ! あぁ、あなたを愛しているのよ。あなたが居なくては私は息をすることだってできないの……!」

そんな馬鹿な。二人の睦言を聞きながら、エルティーナは呟く。しかしその言葉は花婿の心に大きく響いたようだった。
花婿は辛抱堪らん! といったように女性を力強く抱きしめた。そのまま熟れたような彼女の唇に情熱的な口づけを落とす。
二人の激しい口づけに、エルティーナは動けなくなった。手から白薔薇を中心に作られたブーケが滑り落ちる。
花婿はひとしきり女性に口づけると、その身体を優しく抱き上げた。極上の笑みを浮かべ――エルティーナには見せたこともないような麗しい笑顔だ――彼女の目を覗き込む。

「ソフィー、僕の愛しい人。僕だって君が居なくては夜も日も明けない」
「エセルバート!」
「もう離すことなんてできないよ。たとえ国を捨てることになったって」
「愛してるわ、エセルバート! あなたが居るのなら他に何もいらないわ」
「僕もだよ。愛してる。君だけを」

そう言って二人はまるで誓いのキスのように口づけを交わし――神殿から立ち去った。
まるで台風一過。神殿に居る面々は思わず走っていく二人を見送ってしまう。
いち早くこの異常な事態に気付いたのは、エルティーナ側の親族席に座っていた男だった。彼は花婿と女性が外に消えたのを見て、顔を真っ赤にさせて立ち上がる。

「これはいったい、どういうことなんだ!!!!」

ようやく、神殿に居る全員がこの大変な事態を理解した。神殿は俄かに騒がしくなる。
エルティーナは茫然と、花婿が消えた入口の扉を見つめた。身を包む純白のドレスがずっしりと肩に圧し掛かる。

――エルティーナは目の前で花婿に駆け落ちされたことを知った。



*  *  *



幼いころから隣国の王子に嫁ぐことは決まっていた。
エルティーナの国と隣国は長い間停戦状態にあったのだが、この度両王家の間で婚姻を結ぶことになった。それによって戦争の不和を解消しようと考えたのだ。
隣国は現・国王の第三王子であるエセルバートを婚姻相手に打診してきた。エルティーナの3つ年上だ。年齢的にも釣り合いが取れるだろう、と考えた元老院は王弟の娘であるエルティーナを嫁がせることを決定する。
エルティーナが10歳の時のことだった。それからエルティーナはエセルバートの花嫁になるため、いろいろなことを学んだ。
王族として恥ずかしくないだけの教養、隣国の政治や国土・風土もしっかり学んだ。女性としても美しいと思われるように美容にも手をかけた。
母に見せられたエセルバートの絵姿は、優しい笑顔をした少し気の弱そうな面差しをしていた。しかし隣国王家に伝わる翡翠色の瞳が美しく、エルティーナは絵姿の彼に胸を高鳴らせたものだった。
この人に嫁ぐのだ。妻となって彼を支え、両国の懸け橋になる。エルティーナにとって未来は確固たるもので、不変のものであった。

それが偽りだったことを、結婚式当日に知ったのだが。



*  *  *



神殿内が騒がしくなる。突然の事態に、エルティーナの父親は唾を飛ばしながら怒鳴り散らした。必死に隣国の人間が彼をなだめようとするが、まず無理であろう。花婿が花嫁を置いて駆け落ちしたという事態に、隣国の人々もパニックになっているようだ。
その光景をエルティーナはぼんやりと眺める。これがまた戦争に繋がらないと良いんだけど、なんて考えて苦笑した。
花婿に逃げられた花嫁。間抜けにもほどがある。目の前で繰り広げられた愛の逃避行を止めることもできず、ただ彼らを見送ってしまった。自分の着ている純白のドレスがひどく滑稽に思えた。

「姫さま、お気を確かに」

ぼんやりと座りこむエルティーナを侍女が不安げに見つめる。エルティーナは微笑もうとして、顔が強張っていることに気付いた。微笑もうにも、口元が引きつって上手くいかない。
何もかもが夢のようだった。エセルバートの元に嫁ぎ、幸せな結婚生活が待っていると信じていた。
あまりにも幼い考え。考えてみればエルティーナはエセルバートのことを知らないし、それは向こうも同じだろう。形式的に交わした手紙でしかエセルバートと話したことはなかったし、会ったのも両手で数えるほどだった。
これが当たり前だと思っていた。だが、これでお互いの何を知れたというのだろうか。エルティーナの甘い幻想は脆くも崩れ去った。

「少し、外に出てくるわ」
「姫さま、」
「一人にして。遠くには行かないから。……お願い」

儚く微笑むエルティーナに、侍女は何も言えない。顔を隠すベールも取り去ってエルティーナは神殿を後にした。
こっそり扉から出て神殿の内庭を歩く。神殿の下にある広場が騒がしいのは、今日の結婚の様子を知った国民が花嫁と花婿を一目見ようと集まっているのだろう。

「逃げられちゃったけどね……」

永遠の愛を誓うはずの花婿は行方知れず。あの調子なら見つけるのは難しい気がする。たとえ見つけても二人を引き離すことは無理だろう。
エルティーナは今日まで、自分はエセルバートに恋していると思っていた。母に絵姿を見せられるたび、父にエセルバートの話を聞くたびに胸を躍らせ、結婚するその日を夢見ていた。
だが駆け落ちした二人の姿を見てしまった今、あれが恋だったとはどうしても思えない。言うなれば憧憬だったのかもしれなかった。
あの二人には間違いなく愛があった。触れたら火傷(やけど)しそうなほどの熱い想い。自分の想いがちっぽけに思えるほど、二人の想いは揺るぎなかった。エルティーナには二人が眩しく見えたのだ。
俄かに背後の神殿内がうるさくなってくる。どうやらエルティーナの父が恥をかかされたと騒いでいるようだ。

「あなた方は我々を冒涜したのだ! こうなっては開戦もやむを得ないこと理解していただこう!!」

聞こえた言葉にエルティーナの心が冷える。
元々エルティーナとエセルバートの結婚は、戦争によって発生した両国の不和を解消するための政略結婚だった。しかし花婿は結婚式の当日に駆け落ちをし、エルティーナは一人取り残された。
結婚式にはエルティーナの国の要人も多数参列していた。他には近隣諸国の大使たちも参列している。
父の言葉も無理なかった。エルティーナは大勢の前で恥をかかされたのだ。本来なら怒り、理不尽さに涙する場面だろう。
しかし、エルティーナの頭に浮かんだのは、どうやったら戦争を回避できるだろうか。そればっかりだった。
ようやく国は復興の兆しを見せ始め、国民も戦争に脅えない生活を得た。それをこんな形で失いたくない。
必死に頭を回転させるが、何も思いつかない。エルティーナは次第に焦り、近づいてくる気配に気づかなかった。

「――泣いてると思ったのに。予想外だ」
「っ、」
「しかめっ面で考え事をしているとは思わなかったな」

声に驚いて顔を上げれば、目の前に一人の男の人を見つけた。フロックコートを纏っているところから、式の参列者だろう。
エルティーナは突然の訪問者に驚き、目を丸くして彼を見つめる。彼はそんなエルティーナを面白そうに見返した。

「式をめちゃくちゃにされた花嫁。神殿を出たのは人目を忍んで泣くためじゃなかったの?」
「え……?」
「難しい顔をしているのは逃げた花婿への復讐を考えていたからかな?」

そう言っていたずらっ子のように微笑む彼を、エルティーナは変なものを見るような目で見た。同時に悟る。自分は周囲に花婿に逃げられた可哀想な花嫁と思われているのか、と。
エルティーナの中に花婿に対する怒りはない。あるのは悲しみだけだ。だがそれもやがて消えるだろう。あのまま女性が連れ出され、無事結婚式を終えても、エルティーナは嬉しくなかった。
きっと愛し合う二人を引き裂いた、という罪悪感が一生付いて回る。それにそれ以上に、停戦が終わるかもしれないということに脅えていた。

「どうにかしてお父様を止めないと……」
「え?」
「戦争は回避しなくちゃ。……でもどうやって?」

無意識に呟くエルティーナを、男の人は不思議そうに見る。それから変なものを見つけた、とでも言うように笑い出した。その姿にエルティーナの不快感が増す。

「なんですか?」
「いや、この状況なのに、君は自分の結婚よりも国同士の外交を気にするのか」
「当然です。戦争でどれだけの人間が命を失うと思ってるんです? 軍人も民間人も関係ないんです。人が死ぬのが分かっていて見過ごすことなんてできません」

それはエルティーナの本心だった。親しい人が死ぬのは悲しい。寿命を全うして死ぬその瞬間だって強い寂寥感を感じるのに、戦争で命を奪われるなんてあってはならないと思っていた。
男は笑顔を引っ込め、エルティーナをまっすぐ見る。その試されているような視線に、エルティーナも彼を見返した。

「へぇ? それは本心で言ってる?」
「もちろんよ。とにかく早くお父様の止めないと……」
「難しいと思うよ。これだけの事態になってしまったんだ。なかったことになんかできないだろう?」
「それは……」

男の言葉が正しいことが分かるだけに、エルティーナは何も言えなくなる。そんなエルティーナに、男は優しく微笑んだ。
いつの間にか二人の間の距離は限りなく近くなっている。手を伸ばせば触れられる距離だと気づいたのは、男がエルティーナの右手を優しく取ったからだった。

「方法ならあるよ。簡単ですぐにでも実行できそうなものが」
「本当? なに?」
「ただし君も協力してくれなくてはできないものだ」

エルティーナは協力する気だった。決意に満ちたエルティーナの瞳に、男はますます笑みを深くした。

「簡単だよ。君が僕の花嫁になればいい」
「……は?」
「弟の晴れ舞台と新しく家族になる義妹の顔を見るために帰ってきたんだけど、こんな事態になるとは思わなかったな。おまけに戦争になりそうだし。でもこれで万事解決だね」

そう言って朗らかに笑う男。ここにきて、エルティーナはようやく目の前の男の名前も知らないことに気付いた。
注意深く距離を取ろうとするが、男がエルティーナ手を掴んでいるため、それも出来ない。エルティーナは不信感たっぷりに男を見上げた。

「失礼ですけど、あなた名前は?」

その言葉に、男の唇が楽しそうに弧を描く。

「僕の名前はライナス・エルド・ヴァン=パルフィオール」

どこかで聞いた名前にエルティーナは眉を寄せ、その名前に気付き目を見開いた。
エセルバートには4つ歳の離れた兄がいる。この第二王子は変わり者で、王宮に寄りつかず他国に留学したっきりなかなか帰って来ないと聞いていた。
それがエルティーナの目の前に居る男だという。にわかには信じがたいが。

「本当に……?」

疑うエルティーナを彼――ライナスは楽しそうに見つめる。それからその場に片膝をつくと、恭しくエルティーナの手を取った。
麗しい目が――王家に伝わる翡翠色の瞳がエルティーナの紫紺の瞳を射抜く。

「エルティーナ・レオルト・グラスディア。どうか僕と結婚して下さい」
「…………」
「君に拒否権なんかないはずだよ。君が両国の平和を望むのならね」

ライナスの言うとおりだった。だが、その求婚を受けるにはエルティーナはあまりにもライナスを知らない。
そんなエルティーナの気持ちを察したのか、彼の笑みが安心させるように深くなった。ライナスがまるで騎士のようにエルティーナの手の甲に唇を付ける。

「どうか僕の求婚を受けて」
「どうして……」
「一人で祭壇に立っていた君は凛としていた。泣いてもよかったのに、それもしないで。今だって自分のことは二の次だ」
「だって、それは」
「その姿に惹かれたんだ、と言ったら信じてくれる?」

ライナスの翡翠色の瞳がいたずらっ子のように煌めく。
嘆いたところでエセルバートは戻らない。泣いたところで開戦は免れない。
戸惑うエルティーナをライナスは真摯に見つめ、求婚の返事を待った。その瞳に迷いなど見えず、余計にエルティーナを惑わせる。
どうしよう。どうするべきなのか。
冷静に考えればとんでもない事態だ。花婿には逃げられ、その兄王子に求婚されている。しかし戦争回避には有効な手段であることは間違いなかった。
悩むエルティーナを、ライナスは微笑みながら説得する。

「君はエセルに恋していなかった。そうだろう?」
「…………」
「断言する。君は僕に恋をする」

あまりにもはっきりと言われた言葉。その図々しい言葉に呆れるべきなのか、抗議すべきなのか少し悩んだ。
だがライナスは言った言葉を撤回しようとせず、さらに言葉を重ねる。

「君は僕を愛するよ。そして僕は君を幸せにする。――必ずね」

その言葉は不思議とエルティーナの胸に響いた。ライナスの翡翠色の瞳には絶対の自信がうかがえる。
エルティーナはライナスに導かれるまま彼に近づき、その手を握り返した。エルティーナの紫紺の瞳にはもはやライナスしか見えていない。

「エルティーナ、僕と結婚してくれるね?」

それは拒否されないという絶対の自信の元に言われた言葉。そしてエルティーナの胸の中に拒否の言葉は浮かばなかった。
返事の代わりにエルティーナは柔らかく微笑む。それを受けてライナスの目も嬉しそうに細めた。
折しも背後で神殿の鐘が荘厳な音をたてて打ち鳴らされる。それはまるで二人の結婚を祝福しているかのようだった。











―END―


読んでくださり、ありがとうございます。

これは本当に思いつきで描いた作品です。ただ結婚を題材に書きたかったんです……。
これを結婚の話にしていいのか、ちょっと悩みますが……。

思いがけずこの場では書ききれない裏設定ができたので、機会があればまた続きを書きたいな、と思ってます。

何かあれば、遠慮なく書き込んでください。



*藤咲慈雨*

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