空白の期間
「……」
教室の窓から私、飛山めぐるは夕日を見ていた。
ゆっくりと……教室の一つだけ開いている……空間を凝視する。
窓際の一番端……もう不自然な空席ではなくなってしまっていた。
私が幸成くんの事を明確に思い出してから、既に数カ月が経過してしまった。
翌日からもクラスの皆に、居たはずの幸成くんの事を説明したのだけど、結果は同じ。
みんな、そんな人はいないだろ? の一点張り。
そして私はあの事件で、まだ混乱が続いているんだと思われてしまった。
異世界に居た時に使えた能力は使えない。
もしも使う事が出来たら、まだ証明する手段があったのだけど……それもまた不可能だった。
結局、どうすれば良いのか手をこまねいている間に時間だけが過ぎていく。
……アレから沢山の騒ぎが、学校で起こった。
まず、世間では集団失神事件と呼ばれた出来事。
何らかの原因で教室が密閉した空間になり、一酸化炭素中毒でみんな揃って失神したのではないか?
とか、誰が首謀者か分からないけれど、インターネットで調べ、毒ガスを作ったんじゃないかとかいろんな憶測をマスコミは広げ、面白おかしく騒ぎ立てた。
その所為で学校は注目の的となり、私達へ突撃インタビューをする人が一時期、それなりに現れた。
結果、事件当時、教室にいた教師はノイローゼになって自室から出て来なくなってしまい、そのまま教員もやめてしまった。
ここまでなら、しばらくすれば騒ぎが収まるので済んだ……。
だけど、私達に安らかな時は、まだ訪れていなかった。
まず谷泉くん一派の小野くんへのいじめが過激化して行った。
「オラ! 何、俺の目の前で息してんだよ! お前の息が臭くて息が詰まる! 死ねよ!」
「うぐ!」
それまでは目に見えない所での過激なじゃれ合いと言い逃れ出来る物だったのだけど、谷泉くん達は目に見えて……小野くんへの過激な暴力を始めた。
廊下での暴力は当たり前、いや、暴力以外はしていなかったと思う。
何かに駆り立てられるかの様に……いえ、あの森での出来事を思えば、復讐という事になるんだと思う。
谷泉くんの瞳の奥に見える殺意は、そういう類の物に見えた。
もちろん、さすがに私や茂信くん達……も止めはしたのだけど、止まるはずもなく。
私と茂信くん以外のクラスのみんなもそのいじめの光景を、見ても強く止める人は……いなかった。
クラスの人以外の人が発見して止めはするのだけど、小野くんは助けられる事が当たり前の様な横柄な態度で接するので誰も助けなくなっていく。
一度カウンセリングの先生を本気で怒らせたって話も聞いた。
で、小野くんはそんな中、生きる希望だったのかよくわからないんだけど、大塚さんに告白をしたのを大塚さんが凄く不快そうな態度でみんなに言いふらしていた。
「小野の奴、なんか知らないけど私に告白してきたのよ。あ―気持ち悪い。あのニヤついた目で見られると鳥肌が立つわ」
「えー小野? 大塚かわいそー」
……森での事を思い出すと、全く同情する事が出来ない。
やっぱりあんな状況だったからこそ、小野くんと大塚さんは仲良く出来たのかもしれない。
「気持ち悪いから断ったわ。そしたら小野の奴、『なんで俺の告白を断るんだ! 俺が彼女にしてやるって言ってんだぞ』とか頭いかれた事言ってんの」
「うーわー」
「何様のつもりよ。これから女子は総無視で行きましょ」
そんな訳で、大塚さんと仲の良い女子達は揃って小野くんに無視をした。
ちなみに小野くんは大塚さんをクソビッチと罵っていたけど。
尚、この大塚さんだけど現在、学校を停学している。
万引きと売春で捕まった。
そこまでは素行の悪い女学生でも通るけど、その後の行動が悪かったらしい。
なんでも補導した警官を怒りに任せて殴ったとかで、色々揉めているそうだ。
話は戻って過激にいじめられていた小野くんも身を守る為に証拠を集めて、谷泉くんを警察の御用にさせようとはしていたみたいなんだけど……。
ある日の事、これは事件後に聞いた話。
確か……昼休みだったかしら。
「あ? 小野~お前、この程度の脳細胞しかねえの? クズでくっだらない事ばかり考えてるから、この程度なんだよ」
「くそ! 放せ! 俺にかまうんじゃねえよ!」
「ギャハハハ! 何ムキになってんだ! もっと苦しめよ!」
ゴスっとその日も小野くんを谷泉くんは過激ないじめを繰り広げていた。
テストの答案を見ながら、馬鹿にしていたのだ。
まだ、この程度なら可愛げのある範囲だと、その日も私は思っていた。
谷泉くんは小野を友達と一緒に人気のない教室へと連れていった。
「ほらほら! ここまでおいでーじゃなきゃ明日、みんなの前に公表しちゃうぞー」
「くっそ! 返せって言ってんだ! うおおおおおおお!」
と、小野くんは絶叫を上げていた。
そんな所で、谷泉くんの友達が小野くんからスマホを抜き取る。
「小野~おめーのスマホの中身みせろよ」
「誰が見せるか!」
そう抵抗していたのだけど、アッサリとロックが外されて中身が見られてしまったらしい。
というのも、谷泉くんの友達の中には機械に詳しい人がいたそうだ。
「あ~? なんだこれ? ご丁寧に何かのIDとパスをファイルにメモって纏めてあるじゃん……何々……ップ! お前、何個アカウント持ってる訳?」
「検閲ー検閲ー悪さをしていないか俺達がチェックしてやんよー」
「そ、それは! 今すぐ返せ!」
「うるせ!」
谷泉くんが小野くんを蹴り飛ばした。
「何々ー……お前何恥ずかしい事やってる訳? ネット内の荒らしって」
「しかも書き込みにIDが必要なサイトっすよ」
「荒らしって幼稚な事してんな。しかも副垢とか、規約違反ー」
「小悪党にも程があるぜー」
「やる事が小せぇんだよ」
「丁度良い、制裁制裁。これは正義の行いだー!」
そんな名目で谷泉くん達は小野くんへ制裁をしていた。
「俺の気に食わない奴を批判して何が悪いってんだよ! 俺を不快にする奴なんてみんなクソ以下だ。死ねば良いんだ! お前等も死ね!」
「てめえが死ねよ! ああ、そうそう。今日はまだまだあるんだぜーおバカな小野にはなー」
で、谷泉くん達は更に小野くんを辱める。
「今日の罰ゲームはー……季節外れのトナカイだーまさにみんなの笑い者だな!」
って小野くんにトナカイの衣装を着せて恥ずかしい部分を露出させてスマホで何枚も写真を撮った、らしい。
なんかの雑誌でネットに流れた画像が載っていたとか、誰かが言っていた。
「やめろって言ってんだよ! お前等、絶対許さないからな!」
「あ? 何度も言うけど、お前何様? 自分の立場を考えて言えよな? この前、罠に嵌めようとしてたの、忘れたとは言わせねぞ?」
「アレは滑稽だったなー俺達を嵌めようとして逆に嵌められてやんの」
「まあまあ、さーて小野ーお前はいつもみんなの笑い者……いや、笑い物以下のこの世のカスなんだから、四つん這いになって許しを越え。おら」
小野くんは谷泉くんに押さえ付けられ、顔面を蹴られてから、そう言われたらしい。
「お? これはトクダネ!」
谷泉くんの仲間が谷泉くんへスマホの中身を見せる。
すると好機と見た谷泉くんが不愉快そうに、且つ、笑みを浮かべて答える。
「あ? 何だその目? まだやるってのか?」
執拗に谷泉くん一派は小野くんを追い詰める。いや、エスカレートして行った。
「てめえに生きる価値なんてねえんだよ! さーて……頭が悪い、いろんな悪さをしている小野くんはーこれから行き過ぎた悪ふざけで窓からダーイブの時間だねー」
最初からその日、谷泉くん達は悪ふざけの事故に見せかけて小野くんを殺す気だった……らしい。
小野くんをみんなで持って窓辺へと連行する。
「スマホ見たら良い物見つけたぜ小野……じゃあ、死ね」
「く、や、やめろぉおお! 俺は、俺は成功してお前等を皆殺しにするはずだったんだぁあああああ!」
「お前等! 何をやっているんだ!」
という所でやっと教師達が駆けつけたのだけど、谷泉くん達は止まらず、まるで森で殺された鬱憤を晴らすかの如く、全員で小野くんを……窓の外へ放り投げたらしい。
「ギャアアアアアアアアアアアアアア――」
「あっはっはっは!」
「「「ハハハハハハハハハハハハ!」」」
谷泉くん達は高笑いをして、恨みを晴らしたかのような顔をしていたと言う。
「な、なんだ……これは」
教師達もその異常な状況に戸惑いを隠せなかった。
それは後で事件を聞いた私達も、だ。
だけど……いつかはそうなるんじゃないか? と思っている部分もある。
どうにもその認識は異世界の記憶がある私だけではなく、クラスのみんなも薄々感じていた様だ。
警察、救急の両方がやってきて、谷泉くん達は警察に連行された。
連行されるまでに、集まった生徒達に自慢話を大きな声でしていて、私も野次馬の中から内容を聞いていた。
その時は、あくまで小野くんが反省しないから、怖がらせてやろうと思っただけ、だなんて言っていたけど……。
そして、警察の取調べの際……じゃないか。
狂気性からカウンセラーが派遣され、顛末を語ったそうだ。
「アイツを殺す為なら犯罪だろうが何だろうがやったって良いと思ってる。これは復讐だ。生きてるらしいが、中々しぶとい。何年掛かっても苦しめて殺す。絶対だ」
結果的に言えば谷泉くん達は転校を余儀なくされた。
当然ながら集団失神事件の噂が収まりきる前だったので、マスコミは挙ってこの出来事を騒ぎ立てた。
一時期はニュースでも『強過ぎる殺意、学生達が何故?』の様な議論があったっけ。
なんでも専門家曰く、一般的ないじめとは性質が異なる、そうだ。
幸いなのか不幸なのか、小野くんは一命を取り留める事が出来たのだけど……彼にもまた、平穏は訪れなかった。
病院の一室で治療中の時、警察が小野くんの元へやってきた……のだとか。
「あ? なんだよ? 俺を助けなかった権力の犬共!」
罵る小野くんだったけど、警察の人は警察手帳を見せながら淡々と答えた。
「えー……複数の事件に巻き込まれ、更にいじめの件、非常に同情致しますが……今回は別件で小野啓介さん、貴方にお話があって来たんですよ」
「あ?」
「ここ数年、近隣で色々と物騒な事件が発生しているのはご存知かと思います」
私はその話を聞くまで、それ等の事件を知らなかった。
意外にも自分の住んでいる地域で凶悪な事件は起こっているものなのだと知った。
「ええ、動物、人を含めたボウガン事件。更には小野啓介さん、貴方の家の近隣で発生した火事……他、あの忌まわしい通り魔事件の件です。確か失神事件の前日でしたね。貴方の家の近くの雑木林で起こったあの事件ですよ」
「それがなんだってんだよ!」
「えー……貴方をいじめていた方々が所持していた、貴方のスマホ内に、無視出来ないとある動画と貴方の声が残っていまして……既に家宅捜索をさせていただきました。ちょっとお話しをして頂きたいのです」
「し、知らねえよ! 俺じゃねえ! アイツらだ! 俺に罪を――」
「いえいえ、まだ貴方が犯人だと決まった訳ではありません。ですが、何か心当たりがある様子。お話は……署の方でお伺いしましょう」
と言う事があった……らしいしか私の耳には入って来なかった。
また聞きなので、真実なのかはわからない。
結果、集団失神事件、過激ないじめ、そこから繋がる様々な事件の解決に拠り、全ての元凶は小野くん……という事で世間は騒ぎ立ててしまった。
いじめをしていた谷泉くん達は精神に異常があるのではないかと精神病院と提携した少年院に入所して転校。
ただ、こんなにも悪事を仕出かした小野くん(世間では少年)を止めようとした立役者として情状酌量の余地があるんじゃないかと、ネット中心をとした一部の人達は騒いだんだって。
過激ないじめを黙認していたと学校も巻き込まれた訳だけど……小野くんの残虐性が原因で学校は無関係なのではないかと話が移って行ったのを覚えている。
小野くんの方は犯罪が露見した所為で退学となり、凶悪事件の犯人として同じく少年院へ。
今では小野くんの家族も何処へ行ったのかわからない。
こんな事件が立て続けに起こった影響で、半年以上……私達の日常に安らぐ時はなく……年が明けてしまった。
「幸成くん……」
幸成くんを思い出した時の様に、この教室で何か……不思議な事が起こるんじゃないかと、いつも放課後の遅くまでいるけれど、何か起こった事は……アレから一度も無い。
クラスのみんなも、アレから不思議な連携を持つ仲が良い人達は増えたけど、小野くん達の事件の影響もあって、特に何か楽しい事は無い様子だ。
私も……そうだ。
幸成くんはいるはずなんだと懸命に訴えたけど、信じてもらえない。
どうしたら良いの?
幸成くん……貴方は、こんなにも辛い所に一人で、いたんだね。
「もうこんな時間……」
下校の放送が流れ、私はいつものように下校を始める。
「はぁ……」
昇降口で履物を変えて、外の寒さに震えながら、白い息を吐く。
……冬の寒さが肌に纏わり付いている様な気がした。
「何をしているんだろう」
何か手立ては無いかと図書室や街の図書館、いろんな所で手を尽くした。
幸成くんの家はどこにあるのか、茂信くんや他のみんなも分からない中で、探しもした。
だけど、何の手がかりも無い。
本当に、幸成くんは存在したのかと何度も自問自答する。
――彼はいる。
それだけを証明したいのに、何でこんなにも私は無力なのだろう。
こんなにも苦しい思いをするくらいなら、思い出さない方が良かったと思う時だってある。
だけど……だからこそ、死んだはずの私がなんで生き返ったのかを知りたい。
物凄くぼんやりとだけど、微かに覚えがある気がするんだ。
全ての元凶がいる方角を幸成くんに教えた様な……そんな記憶。
そんな、悶々とした想いをしていた下校時の事。
私と同じくらいの年齢の女子学生が帰り道の途中で私がいる方角を見ていた。
初めて見る人だ。
制服も……見た事が無い。
何処の学校かしら?
実とも私とも違う、ちょっと気が弱そうだけど、芯は強そうな可愛い女の子。
私は首を傾げながら……通り過ぎようとしていた。
「……羽橋幸成君」
「え?」
今……幸成くんの名前が聞こえた。
「やっと逢えた……飛山、めぐるさん」
振り返り女子学生を見る。
「私は、貴方を……羽橋幸成君が長い旅路の末に助けた貴方に巡り逢う為に、来ました」
え?
私の脳内に複数の可能性が浮かんでくる。
もしかしたら調子の良い事を囁いて、何か企んでいる人なのかもしれない。
それでも、何も手立ての無い私は藁にもすがる思いで聞き返す。
「貴方は……一体……」
「私の名前は浮川聡美……貴方やクラスのみんなを不幸にした元凶にして、羽橋幸成君に助けてもらった者……です」
そう、彼女は深々と頭を下げた。
「貴方の力になる為に、こうして……やって来ました」
勇気を振り絞る様に、浮川さんは深呼吸をし、私へ強い意志を込めた目で言い放った。
この日、あの日から止まっていた出来事から連なる全てが始まったのを、私は感じた。