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ニューキーツ 作者:奈備 光

6章 やってしまった

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90 約束の記憶

 異様な光景だった。
 空は、黒いレースを何枚も重ねたようだった。
 太陽は隠され、空の一片さえ見えなかった。
 とても昼間だとは思えない。それほど薄暗い。

 イコマは全速力で荒地軍が集結している地点に向かっていたが、胸騒ぎがして仕方がなかった。
 このパリサイドの行動は何を意味するのだろうか。

 荒地軍を挑発しているとも見えるが、逆に援護しているとも見える。
 また、単に高みの見物をしているようにも見えた。

 挑発しているのならンドペキの願った通り、荒地軍の行動を抑制することができる。
 もし、彼らが洞窟を攻撃するなら、それを遅らせることができるだろう。


「妙だな」
 イコマは呟いた。
 荒地軍が洞窟を攻撃するつもりなら、朝早くから作戦を開始できたはずだ。
 それが何らかの事情で遅れたことによって、パリサイドの襲来を招いてしまったということなのだろうか。

 パリサイドは空一面を覆っている。
 荒地軍の上空だけに展開しているのではないのだ。
 はるかかなたの空も暗い。
 まるでこの地方全域を覆っているかのよう。
 ニューキーツの街も薄暗がりに沈んでいるかもしれなかった。

「連中は、どんな攻撃ができるのだろう」
 予想ができなかった。
 彼らは自由に体を変化させることができる。
 しかも、空を飛べる。
 だが、攻撃は?

 想像は様々にできるが、この隊形から考えられる最も常識的な推測は爆撃だ。
 ただ、上空から何を浴びせるのかという点については、予想もできない。
 何らかのエネルギー弾なのだろうが、その規模はといえば。
 数百キロ四方に渡って、すべてを瞬時に焼き尽くす可能性さえあるのだ。


 荒地軍もそれがわからず、様子を見ているという状況なのだろうか。
 イコマはまた空を見上げた。
「うっ」
 パリサイドの数がますます増えていた。
 黒いレースは、幾重にも分厚く重なっている。
 もう、薄暗いどころではない。
「何はともあれ、急がねば」

 荒地軍の陣地はもう目と鼻の先。
 彼らが注意を怠っていなければ、フライングアイが近づきつつあることを察知しているだろう。
 イコマは、大声で呼ばわった。
「貴軍の指揮官にお会いしたい! こちらはイコマと申すもの」
 だが、最後まで言うことはできなかった。

 突然、弾かれたように、全軍が移動を始めたからである。
 しかも、全速力で。
 洞窟とは反対の方向に。
 猛然と砂塵を巻き上げながら。


 まずい!
 ついていけない。
 必死で後を追うが、みるみるうちに遠ざかっていく。

 イコマはンドペキに報告を入れ、このまま追っていくと伝えた。
 荒地軍がアンドロの反体制軍なのか、レイチェルの正規防衛軍なのかがわからなければ、ンドペキも判断の下しようがない。
 この状況の変化に、ンドペキも唸っているばかりだ。

「まことに申し訳ないと思っています」
 イコマは謝った。
「アヤが足手まといになってしまって」
 アヤとレイチェルがいなければ、彼らは地下通路を通って街へ帰還することもできるのだ。
 瞑想の間からホトキンの間までの、巨岩の隙間や落差のある空洞は担架を水平にしたままでは通行できない。
「いえ、お気になさらずに」
 ンドペキはそう言ってくれるが、申し訳ない気持ちで一杯だった。

 その気持ちに報いるためには、荒地軍になんとしても接触しなければいけない。
 イコマは砂塵の中を全速力で飛んだ。


 砂塵の中に人影があった。
 追いついたのか。
「貴軍の指揮官にお会いしたい! こちらはイコマと申すもの!」
「イコマなの!」
 相手は女の声だった。

 砂塵の中に立っていた。
 武装はしていない。
「むっ」
 イコマは急減速し、手前数十メートルの位置で停止した。


 もう一度、用件を言うべきか、と思った途端、女がまた叫んだ。
「イコマなの?」
「そうだ!」
「ああ!」
「貴軍の指揮官を話がしたい! 案内を!」
「ノブ!」
 女が飛んだ。
 あ、と思ったときには目の前に立っていた。

「ノブ!」
 様子がおかしい。
 荒地軍のものではないのか。

「あっ」
 イコマは女の手に握られていた。
 きわめてすばやい動きだった。
「なにをする!」
「ノブ!」
「離せ!」
「ノブ!」

 女の顔が見えた。
 むっ?
 泣いている。
「ノブ!」


 イコマの頭は、強烈な一撃を受けたときのように、一瞬の間、すべての思考が停止した。
 そしてすぐに、しかしゆっくりと意識が戻るように、目の前の女の顔が見えてきた。

 ノブ。
 そう呼んでいる。
 この女は。

 ノブ。
 そう呼ばれていたのは、自分がまだ肉体を持って生きていたとき。

 ノブ。
 自分の名は、生駒延治。
 イコマノブハル。

 ノブと呼んでいたのは、ユウだけ……。


 まさか。
 まさか。
 まさか、ユウ?

 長い黒髪。
 素直な唇。
 考え込むときに、唇に指を当てる癖。
 長い睫に、黒い瞳。
 きれいな顔立ち。

 そして、いつも履いていたジーンズ。
 白いブラウス。


 イコマは震えだした。
 視界が揺らめいた。
 思考が熱を持ち、唸りを上げ始めた。


 ユウなのか。
 本当に、あのユウなのか。


「ユウなのか!」
「ノブ!」
 後はイコマもユウも声にならなかった。


 イコマは心の中で、ただ泣いた。
 喜びの気持ちが、これほどとめどなく湧き出てくるものだったとは。
 感情が高ぶりすぎ、思考はままならない。
 視界もぼやけている。
 今はただ、高ぶる喜びにすべてを委ねるのみ。


 そしてイコマは叫んだ。
「キスしてくれ!」
 優が唇を寄せた。
「飲み込んでしまいたい!」
「そうして欲しいくらいだ!」


 長い間、何度も何度も、優はフライングアイにキスした。
「やっぱりノブだ。約束を覚えていたんだ!」
「忘れるものか!」

 やがて、優はフライングアイから自分の顔を離した。
 顔が見えるように。
「わたし」
「ユウ……」
「話したいことが一杯ある」
「僕も」
「でも、いつまでもこうしてはいられない」
「僕も」
「ノブのアクセスIDも分かったし」
 キスしたから、という。
「よかった。これでいつでも話せる」
「おまえはどこにいる! どうすれば会えるんだ!」

 ユウは、迷った顔をした。
「それは、後で話すよ」
「待ってくれ! 待ちぼうけは嫌だ!」
「大丈夫。必ず私から会いに行く。私を信じて」
「その言葉を信じて、もう六百年も待ち続けてきたんだ!」
「ごめんね。でも、そんなに待たせたりしないよ。約束する。数時間以内に」

 ユウがもう一度、フライングアイに口付けた。
 そして手を開いて、フライングアイを空中に浮かべた。
「待ってて」
 ユウが浮かび上がっていく。
「大事な話が。アヤが見つかった」
「うん。知ってる。もうすぐ、会えるね」

 そういうと、ユウは一気にスピードを上げて上昇していった。
 黒いレースの一団に到着する頃には、同じような黒いパリサイドの姿に戻っていた。
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