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ニューキーツ 作者:奈備 光

5章 チョットマの冒険

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72 衣装室の歌

「うわあ、ここやばくない?」

 暑いというものではなかった。
 噴き出た汗がたちまち背中を流れ出す。
 からりとした暑さではなく、粘りつくような暑さだ。
 さすがに、このあたりにはうずくまっている者はいない。
 扉の類もない。
 人が住むようなところではないのだ。

「もう大丈夫。普通に話してもいいよ」
「いったい、ここはなに!」
「そんな話は、部屋についてから」
「そんな! こんなに恐ろしい目にあってるのに!」
「ごめんね」
「もう、死にそうなんだから!」
「大げさな。慣れればいいことさ」

 廊下の突き当たりに、比較的明るい空間が見えてきた。
「げえっ! ここって!」
 まるでゴミ焼却場の内部だ!

 目の前には金属の橋がかかっている。
 下にはおびただしいゴミが積もっていて、それが紅蓮の炎をあげていた。
 橋はちゃちな金網状のもので、向こうの廊下まで二十メートルはある。
 ここを渡るというのか!
 熱気と臭気で眩暈が……。


「ごめん。履物を買って来ればよかったね。気が利かなくてごめん」
 プリヴが、背を向けた。
「素足じゃ無理だ。熱くて」
「うん、絶対に……」
「おぶさって」
「ええええっ!」
 チョットマは息が止まりそうになった。
 プリヴは、さあ、と促している。
「で、でも」
 他人と体を触れた経験さえないのに、背負われるというのか。
 髪を撫でられたときには、それほど嫌だとは思わなかったが、さすがに……。

「大丈夫。足元はしっかりしているから」
 そういう問題じゃない!
 人に素肌を見せたのも今日初めて。
 それを、男の背に抱きつけと言うのだ。
「そのぼろ服……」
「ああ。見た目より清潔だよ」
「いやだ!」
 プリヴが振り向いた。
「困ったな」

 押し問答を繰り返したが、後ろから足音が近づいてきて、チョットマは覚悟した。
「殺してやる!」
 浮浪者の背に抱きついた。
 プリヴの手がチョットマの尻を支えた。

「絶対、呪ってやる!」
 チョットマは愚痴って、興奮を紛らわした。
 プリヴの足取りはしっかりしていて、不安はなかった。


 橋の半ばまで来たとき、プリヴが言った。
「恋の照り焼きだね」
 くだらないことを!
 しかし、冗談には受けてやらねば。
「それ、どんな味?」
「そうだな……、君がかじったリンゴのような味かな」
 えっ、それって。
 もしかして、告白?
「えっ、そ、そお?」
 妙な受け答えになってしまった。
 こんな熱くて臭いところで告白するって、どういう神経をしているの!

 それに、だいたい私、あんたの顔も思い浮かばないよ。
 先ほどまで見ていたあんたの顔は、本当の顔ではないでしょ。
 変装の名人なんだから。

「なんど消火液を掛けてみても、そのときは鎮火しても、すぐにまた燃え始めるんだ」
「……そうなの」
 まさか、あんたの恋が?
「これだけ燃えるということは、どこかから酸素が供給されているからだろうし、煙の抜け道もあると思うんだけど」
 あんたこそ、そんな話は部屋に着いてからすればいいじゃない!
「なんでもいいから、さっさと渡れ!」


 業火の橋を渡ってから、プリヴの部屋はそう遠くはなかった。
「ここだ」
 坂道はまだまだ続いていて、この先にも多くの者が住んでいるようだった。
 他の扉同様、プリヴの部屋にも、なんの目印もついていない。
「ここ?」
 チョットマは不安になった。
 本人がそうだというのだから間違いはないだろうが、他の部屋と区別がつかない。

「さっきの鉄橋を渡ってから十九個目だよ。ほら、ここに傷があるだろ」
 扉は金属製で、周囲に大きな鋲が打ち込んであるクラシックなデザインだ。
 比較的新しいらしく、それほど錆付いてもいない。
「一応、開け方を見ておいて」
 プリヴは、ダイヤルをくるくる回して、ドアノブを半分下げ、またダイヤルをくるくる回した。
 そして最後はドアノブを引き上げ、垂直の位置にしてから引き開けた。


 中は、外とは比べものにならないくらいに明るく、そして美しかった。
「うわお! まぶしい!」
「どう、気に入った?」
「うん。というか、それどういう意味?」
「別に。しばらくここで暮らすことになるかもしれないと思ってさ」
「やっぱり呪い殺す」
 一緒に暮らすとは言わなかったが、とんでもないことになった。

 部屋は、ベッドが数台置けるくらいの小さなスペースがひとつあるきりだ。
 きちんと整理されているが、大量のもので埋まっていた。
 衣装類がほとんどだ。兵士用のものは見当たらない。
「これ、あんたのコレクション?」
「そうだよ」
「女装趣味もあるのね」
「趣味じゃないよ。女物も仕事に使うことがある」
「へえ!」
「好きなののを選んでくれ」
「あっ、そうか。私も着替えなく……、って、どこで!」
「見やしないよ」

 ますますとんでもないことになってきた。
「まあまあ、そう目くじらを立てるなよ。作戦の一環なんだから、我慢して」
「いくらなんでも、我慢できない!」
 プリヴが悲しい目をした。
「そう言われてもなあ」


 しかし、チョットマは服装を選んだ。
「足、洗いたいんだけど」
 プリヴが指差したところには、むき出しのシャワーがあった。
「仕切りもない……」
 プリヴが立ち上がり、急ごしらえの目隠しを作り始めた。
「君の装備は、あの男が守ってくれるはずだ」
「あの男って、さっきの部屋の臭いやつ?」
「ああ。今まで、あいつに物を預けて無くなったものはない」
「どうして預けなきゃいけなかったの?」
「あの後、長い階段を下りただろ。あそこにスキャナーが仕込まれていて、下の兵隊達が見ているんだ」
 もし、武器や防具や装甲などがあれば、その場で没収されるし、通り抜けるのがかなり面倒なことになるという。
「俺が広場に行くのが遅くなったのは、袖の下の金が足りなかったのさ」
 普段は、あそこに兵士がいても、せいぜい一人か二人だという。時にはいないこともあるらしい。
「それがどうだ。今日は、六人もいた。こんなのは初めてだ」

「あれ、どこの兵士?」
「マトかメルキトらしい」
「防衛隊?」
 百年ほど前まで、兵はすべてマトかメルキトだったが、いよいよ軍もアンドロに担わせるという評価が与えられたのだった。
 そのとき、それまで防衛隊兵士だったマトやメルキトのうち、何割かがこのようなエリアの治安維持部隊に編入されたのである。
「編入といえば聞こえはいいけど、実態は解雇だったのさ」
「ふうん。そうなのか。だから旧式なものを持っていたんだね」
「ああ。今はまた、幕僚級や士官はもちろん、下級兵もすべてマトかメルキトということになったけどね」


「ここはどういうところ?」
「一般的にはエリアREFと呼ばれている。昔の言い方なら、スラムということになるかな」
 アンダーグラウンドさ、とプリヴが笑った。
「実は、あの長い階段の上は、まだましな方。政府の目もそれなりにある。しかし、この部屋を含めて階段の下のエリアは無法地帯だよ。この下にはさらに広いエリアがあるらしいよ」
 そこがどうなっているのか、プリヴも知らないといった。

「どんな人が住んでいるの? それとも、人じゃないとか?」
「人だよ。悪霊や妖怪や、場合によっちゃ悪魔まで住んでいるかもしれないけどね」
 プリヴは、ほとんどがメルキトかマトだといった。
「再生時にはミスがある。知っているよね?」
「うん」
「失敗して、まともに外に出られなくなった人たちがほとんど。健康で体力があれば俺達みたいに軍に入ることもできる。それができなければ、どうする?」
「死ぬしかない。死んでもう一度再生する」
「そうだね。でも、人はなかなか自分で死ぬことなんてできないよ。だから、ここで死を待つことになる」
 やはりここは恐ろしい世界なのだ、とチョットマは思った。

「死ぬのを待つためだけの街って……」
「彼らは自分達のことをファントムって言うけど、本当は立派な人間さ。でも、手足がなかったり目がなかったりしたら、街では自力では生きて行けない。親もいないし、だれも面倒を見てくれない。みんな、ここに流れ着くんだ。恐ろしかったかい?」
「うん」
「基本的に、彼らは危害を加えるような人じゃない。むしろ、恐れおののいて暮らしている」

「じゃ、あんたはどうしてここに?」
 チョットマは、もしここでしばらく暮らすことになるのなら、すべてを聞いておきたいと思った。
「んー、それはちょっと説明しにくいな」
 プリヴは、仕事に必要だからとだけ言って、はぐらかしてしまった。
「さ、これでどうだ」
 立派とはいえないまでも、それなりに個室化されたシャワーブースができていた。


「シャワーを浴びて落ち着いたら、これからの作戦を考えよう」
「なにか、考えがあるのね」
「まあね」
 プリヴはすでに背中を向けて、小さな機械に向かっている。
 カチカチという音が聞こえてきた。
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