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ニューキーツ 作者:奈備 光

5章 チョットマの冒険

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70 魔界の歌

「ぎゃ!」
 壁からぬっと腕が出てきて、チョットマの腕を掴んだ。
「シッ。こっち」
 壁と見えたのは間違いで、同じような色合いの布が垂れ下がっていたのだった。
 なにしろ暗い。

 浮浪者の腕がぐいっと引いた。
 チョットマがその布をたくし上げると、ますます暗い階段が下に続いていた。
「ここからは一緒に行こう」
 浮浪者がささやいた。
 穏やかな声だった。
 人の声はこんなにも温かいのか。
 浮浪者はプリヴだ。正真正銘の。
 チョットマは、その声にすがりつきたい気持ちになった。

 パパが声をあげた。
「チョットマ、ごめん。返事ができなくて。プリヴに言ってくれ。ホトキンの情報はまだないと」
 久しぶりにまともな人の声を聞いて、チョットマは涙が出た。
「もう! 怖かったんだから!」
 プリヴが、チョットマの髪に手を触れた。
「驚いただろ。こんな場所もあるんだよ」
「もう、ほんとにぃ!」

 プリヴに髪を撫でられても、チョットマは少しも嫌な気はしなかった。
 むしろ、安心感に満たされた気分になった。
「それなら、最初にそう言って欲しいよ。こんな恐ろしいところに、連れて来るんなら」
「ごめん。でも、話しているといろいろ情報が漏れるから」
「だって」
 また涙が出た。
「亡霊みたいな声がたくさん聞こえるんだよ。こんな場所、異常だよ」
「亡霊?」
 涙が次から次へと出てきて、声にならなかった。


 プリヴは、何度も謝った。
「ごめんよ。そんな声を聞くとは思わなかったんだ」
「だって」
 チョットマは、駄々をこねている子供のようだとは思ったが、なかなか涙は止まらなかった。

「頼むよ。いい加減、泣き止んでくれよ。こんなところで立ち止まっているわけにはいかないんだから」
 そういわれて、ようやく涙が止まった。
「もう大丈夫」と、前を向いた。
 プリヴはほっとしたように息を吐き出すと、
「ここから先、何か聞かれても、絶対に口をきくなよ」と、言った。
「どんなことにも、驚いた素振りを見せちゃいけない」
「えっ」

「完全に無表情で。どんなことにも、動じちゃいけない」
「……わかった」
「俺がいいというまで、絶対に口を開くなよ」
 しつこく念を押されて、チョットマは覚悟した。
 これまで以上に恐ろしいことが待ち受けているのだ。
 懐に手を入れ、パパ、守ってね、とささやいた。


 それからも何度も角を曲がり、そして下った。
 廊下の突き当たりに、カーテンが下がっていた。
 プリヴがまた、口をきくなと念を押してきた。

 そこに近づくにつれて、今まで以上の強烈な臭いが漂ってきた。
 人肉が焼け焦げて腐敗している、果物が腐敗している、カビが生えたきゅうりの臭い。
 それに排泄物の臭いが混じっているような臭さだった。
 吸い込むだけで、一瞬のうちに体が崩れ落ちそうな臭いだった。

 プリヴがカーテンを開けた。
 そこはベッドが五、六台入る程度の部屋だった。
 相変わらず暗い。
 と、隅に人影が蹲っている。
 黒いローブを目深に被り、顔は見えない。
 まるで痩せこけたコウモリ。

 ローブの袖がかすかに動いた。
 プリヴはコインを二枚取り出すと、ローブの人物の前に投げた。
「ふたり」
 不思議なことに、コインは転がることもなく、着地した床にぴたりと止まった。
 袖が動き、ミイラのような皮だけの腕が伸びた。指がぎごちなく動いて、鉤爪がコインを掴んだ。


 プリヴが小声で言った。
「ブーツを脱いで」
 えええっ、とチュットマは躊躇した。
 ブーツの中には何も履いていない。足の動きを確実にブーツの駆動部に伝えるためだ。
 この汚らしい床に、素足をつけろというのか。
 とてもできない!
 しかし、プリヴが黙って促している。
 しかたがない。覚悟を決めた。
 チョットマは、ブーツを脱ぎ、恐る恐る足を床につけた。
 予想通り、床はぬるぬるして冷たく、それだけで正気が吸い取られていくようだった。

「荷物をそこに」
 プリヴがローブの人物の脇を指差した。
 チョットマは、ためらった。
「早く」
 言うとおりにした。
 早速、黒い鉤爪が、荷物の中身をまさぐり始めた。


 プリヴが別のカーテンを開けた。
 チョットマはそのときになって始めて気づいた。
 小部屋にはたくさんのカーテンが下がっていた。
 そのカーテンの中がプリヴの部屋?
 こんなところは嫌だ!

 しかし、カーテンの向こうは、またしても階段だった。 
 恐ろしい絵が書きなぐられていた。


 ゆっくり降りていく。
 プリヴが振り返って、黙っているように、という仕草を見せる。
 五十段ほど降りたところで、スロープになった。
 二十メートルほど先、突き当たりに、これまで見た中で最も頑丈そうな鉄の扉があった。

 プリヴが暗証番号を打ち込んだ。
 六桁。
 それほど強固なセキュリティがあるわけではない。
 きしみながら扉が開いたが、その先も同じような廊下が続く。

 いよいよ狭い坂道である。
 人がすれ違うことも難しい。
 しばらく進むと、ようやくひときわ明るい場所に出た。
 通路の幅も広がっていて、天井もわずかに高い。
 しかしそこには、数名の兵士が立っていた。
 一列に並んで、廊下を行き来する人を監視していた。


 一見するだけで、その兵士達の異様さが分かった。
 数世紀前の装束である。
 しかも手入れもされず、光は鈍く、錆が浮き出ている。
 携えている武器も、発砲する能力があるのかどうかさえ怪しい年季物だった。

 プリヴがその兵士達の前を歩いていく。
 チョットマも後に続いた。

 と、最初の兵士が大声をあげた。
 チョットマは飛び上がりそうになったが、かろうじて無関心を装った。
「こら! 被り物をとれ!」
 すかさずプリヴが、その兵士に札を握らせた。

 ふたり目の兵士が叫んだ。
「ハクシュウは死んだぞ!」
 思わずチョットマは息を呑んだ。
 またプリヴが札を握らせる。

 三番目の兵士は、
「女だな!」と叫びたて、四番目は、
「フライングアイを連れ込むのは禁止だ!」と、叫んだ。
 五番目は、
「パキトポークが死んだぞ!」
と叫び、六番目は、
「俺達に刃向かう気か!」
と、叫んだ。

 チョットマは、その都度、心臓が止まる思いだった。
 しかし、何とか無表情で通り過ぎることができた。


 兵士達をやり過ごし、また坂道を下っていった。
 上層階と違って通路は一直線で、壁も床も天井も均質な石でできている。
 途中で枝分かれする四差路や三差路はますます細く、今歩いている坂道は一応はメイン通路なのだろう。

 一体全体、ここはどういうところなのだろう。
 かなりの距離を歩き、かなりの深さまで降りてきたはずだ。
 ニューキーツの街に、こんなに大きな地下街を持つ建物はないはず。
 幻覚を見ているのではないかとさえ思った。

 ようやくプリヴが立ち止まった。
「チョットマ、よくやったね」と笑った。
 また涙が出てきそうになった。
「ハクシュウやパキトポークがって」
 そう言うのがやっとだった。

「彼らはいつもでまかせを言って、こっちの心を試すのさ」
「ううっ、とんでもないところに来た……」
「まあね。でも、僕の部屋はもうすぐ。最後の難関があるけどね」
 プリヴが微妙に笑った。

 最後の難関って……。
 先に進むにつれて、猛烈に暑くなってきた。
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