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ニューキーツ 作者:奈備 光

1章 海は知っている

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4 記憶の砂

 翌朝、金沢の市街地がそろそろ終ろうかというあたりまで来たとき、知事はジープを止めた。
 街の中心部からどれほども来ていない。低い丘陵の中腹。光の柱はまだかなり先である。
 その遠さに、生駒は騙されたようにさえ感じた。

 しかし知事は、さっさと車を降り、旅行会社の添乗員よろしく解説しようとする。
「ここからご覧になるのがよろしいでしょう」
 舗装道路は行き止まりになっていて、この先は石ころだらけの山道が細々と続いている。
「ここはかつて市民公園のあった場所でしてね。展望台もあります。荒れ放題ですが」
 付近は公園というには似つかわしくなく、木がまばらに生えているだけだ。枯れてしまった木々も多い。
 殺風景で荒涼としていた。

 そして暑かった。
 とても二月とは思えない気温だった。
 赤外線ストーブの前にいるように、コートに中にじわりと汗が出ていた。


 光の柱。

 数多の写真や映像で見ていた通り、光は力強く空に突き刺さっていた。
 ただ、光は見えたが、山や木々が視界を遮って、その根元の辺りは見えない。というより、それが近くにあるのか、あるいはどれほど遠くにあるのかさえ、よく分らなかった。
 灰色の空に一筋の白い光。
 とにかく、巨大な光であることは分ったが、遠近感がつかめず、生駒はもどかしい思いをした。

「この先へ行ってみます」
「この先は政府の指示によって、一般人は立ち入り禁止区域になっています」
 知事は血相を変えて引きとめようとしていたが、生駒の信念が変わらないことを悟ると、親切心は薄れていき、やがて怒りの形相に変わっていった。
「では、ここから徒歩で県庁までお戻りいただくことになりますが、それでもよろしうございますか」
「もちろん。お手を煩わせまして。ご親切をありがとうございました」
 認めるわけにはいかぬ、と知事はしつこく念押しをしたが、やがて諦めて、
「今日中に県庁にお戻りください」
 と、言い残して去って行った。


 生駒と綾は、歩き難い山道を登り始めた。
 そういうこともあろうかと、それなりの靴で来てはいたが、こんなに暑いとは。
 想像をはるかに超えていた。
 市街地からさほど距離はないはずだが、真夏かと思えるほどの気温だった。しかも、暑さは一歩ごとに強くなっていく。

 知事は、あれほど強く反対をしていたが、ジープに積んであった非常用の飲み水と食料を持たせてくれていた。 かろうじて一日分ほどだが、生駒は知事の好意がうれしかった。
 彼の立場上、反対をせざるを得なかったのだろうが、内心は喜んでいたのかもしれない。
 あるいは、すべてのことに諦観を抱いていたのかもしれない。

 知事のあの様子では、救援のために自衛隊を寄こすかもしれない。
 生駒はそれはそれでよいと思った。
 それに乗じて、綾だけは無事に帰ることができるかもしれない。
 これから向かう先が地獄か天国かは分らないが、この暑さである。少なくともまともに帰ってこれる場所でないことだけは確かだった。

 狂気の行軍は自分ひとりで十分だった。
 この先で、どうしても確かめたいことがあるのは自分なのだから。


 生駒と綾は、峠に差し掛かった。
 一歩登るごとに、視界が開けてきた。
「あああっ!」
 目の前に広がる光景に息を呑んだ。
 この世とは思えないほどの、光が満ちていた。
 まぶしさが目を焼いた。

 かろうじて、まぶたの隙間から見えた光景。

 一面の荒地だった。
 全くなにもなかった。
 ただ眼前にあるのは、乾ききった白い大地だけ。

 その数キロメートル先、白い荒野の中にコンクリートの巨大な建造物がこつ然と建っていた。
 空気中のあるとあらゆる微粒子が光を帯びているかのように、大気そのものが白く輝く中で、建物はおぼろに浮かんでいた。

 光はその建物から、空に向かって突き立っていた。
 直径数十メートルのダイヤモンドが超高温で燃えているかのような色を帯びて。
 大気を真っ二つに切り裂いている。

 これほどまでに強い光を見たことがあったろうか。
 むしろそれはもう光ではなく、極めて高密度で白く硬い金属が、宇宙の果てまで伸びているように見えた。
 そしてこの先の荒野には、風さえも吹かないのかと思えるほど、張りつめた大気だけがあった。

「おじさん」
「うん?」
「わたし、ここから先は行かない。邪魔になると思うから」
「ああ、帰ってくれ」
 短い会話。
 生駒は、綾が恐れからそう言いだしたのではないことが理解できた。
 彼女は、生駒が目的を全うするために、万一足手まといになることを恐れたのだ。
「後ろからついて来ちゃだめだよ」
「はい。ここで見ています」
 綾の瞳が潤んでいる。
 少女のころ、この瞳に生駒は魅せられた。子供を愛することとは……と。
 そんなことをふと思った。

 綾の視線が、光の柱に移っていく。
 今から生駒が歩いていく道筋を確かめるように、荒野をなぞっていく。
「綾ちゃん、今までありがとう。僕と一緒にいてくれて。たいしたことをしてあげられなかったね」
「やめて、そういうことを言うのは」
 綾が目を強く閉じた。
「おじさんはちゃんと無事に帰ってくる」
「安心して。僕も諦めてないよ」
「おじさんはきっと帰ってくる。それは確かなこと。私には分る」
「この光の中だ。僕の姿はすぐに見えなくなるだろう。そうしたらさっさと帰るんだ。とりあえず、県庁まで無事に」
「……」
「いい?」
「はい……。大丈夫……」
「こんなことを言うのはなんだけど、大阪のマンションは綾ちゃんが自由にしていいよ」
「わたしは、大阪で待っています」
 頓珍漢でかみ合わない会話になった。

 こういうシーンで、愛する相手にどんな言葉をかければいいのか、生駒は知らない。
「なんだか、うまく言えないけど……」
 綾が生駒に抱きついた。
 生駒は思い切り強く抱きしめた。
 綾と知り合ったころ、綾の瞳に自分の娘に対するような感情を抱いた記憶……。
 そんな自分に驚いたことを、また思い出した。

 あのとき、川の字になって眠ったあのとき、綾の向こうには優がいた。
 思えば、あの日。
 それが、三人の素敵な暮らしの始まりだったのだ。
 遠い過去のことだった。


 生駒は歩き出した。
 上着を脱ぎ捨てた。
 帽子を目深にかぶり、視線を足元に落として。

 進むほどに、目の前に巨大な圧力を感じた。
 重くて熱い幕を押しながら歩いてゆくように。


 十分ほども歩いたろうか。
 振り返ってみると、白一面の世界の中に、自分の影がぼんやりと立っているだけだった。
 そこにあるはずの綾の姿はおろか、丘陵も空も何もかもが消え失せていた。

 歩を進めるたびに、いよいよ気温は高くなっていった。
 遠くから見たときには建物が見えていたが、もうそれもわからない。
 白い光そのものの位置もわからなくなっていた。
 ただ、巨大な水流のような光の圧力を押し返しながら、前へ前へと進んでいった。

 光の粒子が岩や石ころを粉々に砕いたのだろうか。
 足元はいつしか、一面の細かい粒子で覆われていた。
 その粒子がパウダー状になり、生駒の歩みはますます遅くなっていった。


 生駒は「優に会う」という言葉を呪文のように繰り返した。
 何度も意識を失いかけては、呪文を大声で唱え、また一歩を踏み出した。
 すでに足元さえ、白く光って見えなくなっていた。


「ノブ、馬鹿だなあ」
 夢の中で、女の声を聴いた。
「私を信じてって、書いておいたのに。こんなところまで来て」
 女の声がまた聞こえた。

 生駒の意識はその声を聴いた。
 と同時に、目を開けようとした。
 夢ではなく、これが現実だということを確かめようと。
 目の前にいる女性の姿を見ようと。


 しかし、やわらかく暖かい指が生駒のまぶたに触れた。
「目は閉じたまま」
 声が言った。
「また、会える日があるんだから、こんなところまで来なくてもよかったのに」
 やさしい声音だった。

 生駒の閉じたまぶたから涙が零れ落ちた。
「ユウ」
 生駒は、女の名を繰り返し呟いた。

「ねえ、ノブ。約束は覚えている?」
「うん。でも体が動かない」
 生駒の唇に、優の唇が触れた。
 意識は再び急速に薄れていった。

「二度と来ちゃだめよ」
 優の声がかろうじて生駒の脳に届いた。
「送っていくね」
 それだけ聞くと、生駒の意識は途切れた。
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