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ニューキーツ 作者:奈備 光

3章 チューブ

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43 ディメンションの記憶

 ハワードの二度目の訪問は、チョットマがハクシュウに合流するべく疾走しているときだった。
「レイチェルを見かけました」
 ハワードは落ち着いた顔をしていた。

 これがアンドロなのだろう。
 感情を噴出させるのは得意ではない。ましてや、感情の高まりを維持できるようには作られていない。

「実は、レイチェルと彼女は友人同士なのです」
「なぜ、それを教えてくれなかったんだい」
 イコマも、努めて冷静でいようと思った。
 自分はアギだ。
 思考を先行させて、感情を押さえ込むことはできる。

「すみません。お話しようかと思ったのですが、あなたがレイチェルを憎んでおられるようでしたので」
「ん? 元から憎んでいるわけではない。バードにもしものことがあれば、それがレイチェルが命じたこと。それを考えたから」
 憎しみというより、今はまだ浅い怒りなのだが。
 アンドロであるハワードは、短絡的にものを断じる。

 ハワードは、自分の発言で相手の心にどんな波を立てたのか、気にするようでもない。
 瞳を向けて、あっさりとしたものだ。
 青い瞳は、ただ深い色合いを湛えていて、心中を推し量ることもできない。


「私はレイチェルに確かめようとしました」
「おおっ。で?」
「幸いなことに今日は水曜日です。水曜日は、ふたりは社員食堂で昼食をとることにしています。私はそこで待っていたのです。レイチェルは現れました。ただ、いつも連れている秘書ではなく、ボディガードをつれていました。私は近づくこともできませんでした」
「むう」
 そこを押してまで聞くのが、男ではないか。

 イコマは暗然とした。
 この男の思考経路はどうなっているのだろう。
 アヤを愛している。アヤを救いたいといいながら、この意志の弱さは。
 アンドロだから?
「政府の中に、いつもと違う動きがあります。防衛軍の動きが慌しいのです」
 などと、あっさり、ハワードは別の情報を披露し始めていた。

 もういい、こんな男をあてにはするまい。


「街の防衛軍はマトやメルキトが本隊ですが、アンドロで構成された隊もあります。普段、別次元に駐屯しているのですが、実は本隊より大きいのです」
「そうですか」
「別次元にいるのは、この次元にそれだけの人数を配備しておくスペースがないからです。通常、この次元の街には見張りと一部の兵だけが巡回し、いざとなればすぐに別次元から出撃することになっています」
「なるほど」
「レイチェルや皆さんがおられる次元をステージディメンション、略してSディメンション。アンドロの拠点である次元をベータディメンション、アンドロはホームディメンションと呼んでいますが。そしてその中間にある移行のための次元を、クレバスディメンションと呼びます。略してクレバスDです」

 ハワードは相変わらず長広舌だ。
 ふだんなら興味も湧くだろうが、今はそれどころではない。

 早く本論に入ってくれ。


「退屈な話かもしれませんが、いざというときに、あなたと私の意思疎通が上手くいかないと困りますから、お話をさせていただいています」
 まただ。
 この男は人の心を読めるのではないかと感じた。
 イコマは頷くだけにして、自由に話をさせようとしている。
 自分には何の情報もない。
 あてにはできないとはいえ、今は、この男だけが情報源なのだ。

「ところが、今日は、クレバスDに、アンドロの軍の本隊が集結しているのです。このSディメンションへの出撃体制は整っているということです」
「それは、例の会談がまだ継続中だから、ということでは?」
「それも考えられます。ただ、こう言っちゃなんですが、会談に出向いたのは、マトやメルキトを中心とする隊で、旧式な部隊です。今日集結しているのは、アンドロのみで構成された精鋭中の精鋭です」
「どれくらいの人数なんです?」
「約八百といわれています」
「ほう!」

 イコマは聞いてみた。
「街の武器屋が強制的に閉鎖させられている。そのことにも関連するのかな」
「それは知りませんでしたが、武器や弾薬やエネルギーチップが、敵の手に渡ることを恐れているのでしょう」
 ハワードは誰にでも思いつきそうなことを言ったが、イコマは次の言葉に驚かされた。
「実はアンドロの社会にも派閥があります。それと関係しているのかもしれません。ですが、そのことはまたの機会にお話します。その機会があれば、ですが」
 ハワードは、今からレイチェルの居住地のあるエリアに向かうと伝えて、出て行った。


 チョットマがハクシュウの部隊に合流した頃、イコマはハワードの今日三度目の訪問を受けていた。
「特段の情報はありません」
「こちらの方もそうです」
「彼女を救出してくれる部隊は、今どのあたりですか」
「救出してくれるという約束ではありません。今回の作戦は、あくまでンドペキ伍長の捜索です。そのついでに、という程度のことです。ハクシュウ隊長からは、なんの連絡もありません」
「そうでしたね」
「街の北方の丘陵地です」

 イコマはまだ、ハワードにハクシュウ隊の正確な位置を知らせる気にはなれなかった。
 彼個人としては、アヤ、つまりバードを助けたい一心かもしれないが、彼の体に発信機が組み込まれていないとも限らない。
 機密情報をこれほど漏らしているにもかかわらず、ハワードはまだ抹消されていないことが、逆にイコマを疑心暗鬼にさせていた。

 ハワードは、アンドロの性格として、友情や愛情といった感情を持つものは少なく、自分にも信頼できる友といえる相手はほとんどいないと弁解した。
 だから、友人と話をしていない時間は、歩いて情報を集めるしか手はないのだと。

「少し気になることがあります」
「ん?」
「レイチェルの姿も見えません」

 この男にそんなことがわかるのか。

「レイチェルには常時、五十人ほどのアンドロやメルキトが仕えています。それぞれが様々な役割を担っているのですが、その中にレイチェルの行動を逐一記録する専門の係りがいるのです。彼女とよく似た若い女性です。一般的に、秘書と呼ばれています」
 シリー川の会談に立ち会って、飛空挺の中で待っていた女性だろう。

「彼女はどんなときでも、レイチェルと一緒にいるといわれています」
「うむ」
「ところが、彼女がひとりでうろうろしているところを見かけたのです。おかしいと思って声を掛けてみましたが、驚いて逃げられました。しかし彼女の目は、明らかに何かを恐れているようでした」
 ハワードの話は情緒的なもので、情報というには中身がなかった。

「それで?」
 イコマの口調は思わずきついものになった。
 アヤの居場所に繋がる情報はまだ掴めないのか。

「続きがあります」
「……」
「次に私は、治安省の中枢があるエリアに向かいました。ベータディメンションにあります。私や彼女の勤める情報局の上部組織です。そこに私の友人がいます」
 就業時間が終わるのを待って、会いに行ったのだという。

「彼が言うには、治安システムが誰かに攻撃されているというのです。相手からの攻撃がもう始まっているというのです」
「治安システムというのは?」
「人民の会話を含むすべての通信、そして位置情報を監視するシステムです」
 アギやマトやメルキトをはじめ、アンドロにとってもデリケートな関心事を、ハワードはさらりと言った。
 しかも、人民という上から目線の言葉を使って。
 イコマは抵抗を感じたが、受け流すことにした。

「相手からの攻撃? 誰を相手に戦うつもりなんです?」
「敵は誰か、それはまだ伏せられているということでした。自分も知らないと。それで、私の命もまだ生かされているのでしょう」
 ハワードは微笑んでみせてから、首を捻った。
「わからないことばかりです。戦争を始めるというようなことは、ホメムしか思いつかないことです。アンドロにはそのような発想はありません。私達はそのようには作られていないからです」
「でも派閥はあるのでしょう?」
「ええ、ですが、人を殺すという発想はない、ということです」

 パリサイドとの交渉方針の決定が、暗礁に乗り上げているのだろう。
 パリサイドが揺さぶりをかけてきているのではないだろうか。

 世界各地には六十七の街があるが、それらが互いに戦争を始めることはありえない。
 もしそのようなことがあるなら、その街のホメムの気が狂ったとしか言いようがない。
 それぞれの街は独立して存在しているようでも、生産や流通やあらゆる点で、世界はひとつの機構で動いているのだ。街が、その存亡に関わることで、単独で何かをできるという社会ではないのだ。

 戦う相手はパリサイドしか考えられない。


「レイチェルがなぜ、パリサイドと戦争をしようとしているのかわかりません。勝てない相手だと、私は思うのですが」
 レイチェルが戦争をしようとしているとは限らない。
 戦争をやめさせようとしているとも考えられる。
 地球人類のパリサイドへの対応が、一枚岩になっているという情報は、まだ入ってきていない。
 むしろ、揉めているという情報は入ってきている。

 ハワードには他の街の情報は得ることができないらしい。
 情報を得るどころか、思考パターンとして、それぞれの街の中だけが彼らの世界なのかもしれない。


「わからないことがもうひとつあります。なぜ、このような紛糾したタイミングでバードさんが拘束されたのか、ということです。タイミングとしては、あの会談のあった日のことなのですから。レイチェルはそんな時間になぜ、彼女を拘束することにサインをしたのか」
「ん? ちょっと待ってくれ。つまり、誰かが進言し、レイチェルはそれにサインをするということなのか?」
「そのとおりです。抹消するにも、再生させるにもすべてレイチェルの了解が要ります」
 通常の再生は自動的に行われる。
 罪を犯した人間の強制死亡処置には、レイチェルのサインが必要だという。
 レイチェルのサインがなければ、強制再生も行われない。
 ましてや、それ以上の罪の場合は、かなり厳密な手続きが踏まれるという。

「サインがあれば、普通は直ちに実行されます。夜を跨ぐなどということはありません」
「誰が実行するんです?」
「専用の組織があります。世界で唯一の組織で、世界の街政府から独立しているといわれています」
「それをアンドロが?」
「それ以上のことは知りません」
 イコマはそんな組織の存在を聞いたことがなかった。

「ただ、前にもお話ししましたように、その組織が管理する牢獄は、この街にあります」
「その話を、もっと詳しく聞かせてくれ」
「新しく入手できた情報は些細なことだけです。相当な巨大施設らしいということだけです」
 そして、ハワードは悲しい目をした。

 イコマはその目の中に現れた揺らぎが気になった。
「ん? なんですか?」
「これは言いたくなかったのですが……。面白おかしく言われただけなのかもしれませんので、言葉通りに受け取らないでください」
「はい」
「そこに閉じ込められた者で、帰還した者はいない、ということです。その施設は巨大な殺人マシンなのだと」


 イコマは黙り込んでしまったが、ハワードがぽつりと言った。
「どうもわかりません」

 その巨大殺人マシーンにアヤが放り込まれたのなら、すでに一日半が経過している。
 イコマは歯を食いしばって、泣き叫びたい衝動を抑えた。


「巨大といわれても、どれほど大きいのか見当もつきません。ただ、そんなに巨大なものなら、人目につくと思うのです。アンドロの拠点であるベータディメンションにはない。そのクラックDにもありません。そもそも、彼女はこの次元、つまりSディメンションから一歩も外へ出ることはできないはずなのです」

 どうしても、アヤの居場所を突き止めることができないのか……。


「友人に頼んで、彼女の現在位置を探してもらいました。ですが、どこにも見つかりませんでした。この街を中心にかなりの範囲をカバーしているシステムです。他の街や、海洋の真ん中などは、私の友人には手が出せません」
「他の街に行ったとは、考えられませんか」
「少なくとも、普通の交通手段、つまり飛空挺の乗船記録にはありませんでした。それに彼女はこの街の政府機関の職員です。他の街に行くには、この街と向こうの街の双方の許可が必要です」
「別人に成りすまして」
「ありえません。この街の個人コードシステムはそれほど脆弱ではありません。もちろん、再生時にはどこに行こうが、これは自由です。しかし、彼女が再生されたという記録はありません。これについては、先ほども調べ直しました」
 ハワードはアヤが他の街にいることはないと断言した。

「これからもうひとり、友人と会います。その男はエネルギー省に勤めている中堅幹部です。私が情報を得られるアンドロはその男が最後です。彼が最後の望みです」


 イコマは、もう望みはないのか、と思いそうになる自分を戒めた。
 まだ時間はあるはず。

 そして自分の覚醒可能な余裕時間を調べた。
 今回の覚醒可能最大時間は二十八時間五十六分間。すでに、十二時間五十五分が過ぎている。後十六時間一分間は起きていられる。
 それが過ぎれば強制的にシャットダウンされ、夢も見ない七時間の睡眠時間が待っている。

 イコマは、ひとつの思考体をフライングアイに乗せて、世界中の街の様子を見て回れば、各街で十数分ずつは見て回れるな、と思いついてすぐに実行に移した。
 そんなわずかな時間で何かがわかるものか、とは思うが、藁にもすがる思いである。

「差し出がましいとは思ったのですが」 
 ハワードがサリの情報を調べたと言う。
「申し訳ないのですが、前にも申し上げたように、あなたの通話はコンピュータにかなりチェックされています。それを私が逐次消しているのですが、その中に、サリという女性兵士のことがありました。それで調べてみたのです。何かのお役に立てるかと思いまして」

 不愉快ではあるが、聞いて損はない。
「バードの件とは関係ないと思いますが、せっかくですからお聞きします」

 ハワードはあっさりとした調子で、強制死亡処置リストを遡ってみても、見あたらないと言った。
「ただ、攻撃隊の構成者リストにはあるし、ハイスクールの卒業者名簿にもあります。しかし、ベーシックデータベースには名前さえも見当たらないのです」
 そのことが何を意味するのか、イコマにはわからなかった。
「それで?」
 本当は、アヤのことで頭が一杯だ。それがどうした! と言いたいところだが、ハワードの情報を待つ身としては堪えるしかない。

「基本のデータがないのです。私が見ているデータは全世界のすべての人物の公式データベースです。五百年以上にわたって遡ることができます。ここにないということは、存在しない人物ということになるのですが……」
 イコマは、もっと詳しく調べてくれとは言わなかった。
「ありがとう」
 そう言ったが、ハワードは気になるらしく、おいおい調べてみますといって帰っていった。
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