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ニューキーツ 作者:奈備 光

2章 シリー川と洞窟

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39 声なき気配の声

 目が覚めると、あたりは一面の闇だった。
 アヤは起き上がろうとして、うめき声を上げた。
 体中が痛んだ。

 自分は暗闇を怖がらない。
 何百年も前、ある夜、イコマにそう話したことを思い出した。

 あの頃の自分は聞き耳頭巾の使い手として、深夜に神社に行き、木の話を聞いたりしていた。
 暗闇に巣食うと考えられている数多の者共は、それほど恐れる相手ではない。
 妖怪が存在するとしても、彼らは人間とは異なる地平に住むものであって、生きた人間にすぐさま脅威を与えるものではないし、魑魅魍魎といったものが存在するとしても、彼らとて誰彼無しに襲って来るものでもない。
 恐るべきは、生きた人間の常軌を逸した意識だと。


 そう思っていたころの自分は、もっとおおらかで、にこやかで、はちきれんばかりの命を持っていた。
 そして、自分を愛し、誰かを愛し、未来を信じていた。

 あの頃の自分には戻れそうにはないけれども、イコマと再会して、少しは希望を持った。
 意識をしっかり持とう。
 今、放り出されている暗闇も、自分のそんなささやかな喜びを覆い隠してしまうことはできない!

 そう考えながら、アヤは暗闇に目を慣らそうとした。
 私は聞き耳頭巾の使い手。
 これしきのことでは恐れはしない、と。


 漆黒の闇。
 自分の手を顔にどれだけ近づけても、指一本見えない。
 何の物音も聞こえない。
 聞こえるのは自分の吐息と耳鳴りだけ。

 転ろがされているところは、金属的な冷たさがする。
 かすかに傾斜した床のようだ。脚より頭の方が、少し低いように感じる。
 横向きに倒れているようだ。体の下になった右腕の感覚がない。
 ただ、腕は少なくとも拘束はされていないようで、痛みにさえ堪えれば、左腕は動かすことができるようだ。


 アヤは、仰向けのまま、左手を体の上に滑らせた。
 このボタンは……。
 職場の制服……。
 ベージュのワンピース。
 大昔の修道僧のような飾り気のない合わせの衣服。
 次に頭に手をやった。
 手串を入れるように撫でていく。
 いたるところ痛むが、傷はないようだ。もっとも、何も見えないので指先に血がついていても分からないが。
 顔も撫でたが、たいした異常はない。かさぶたができた傷はたくさんあるようだが。

 次に、冷たい床の上に手を滑らせてまさぐった。
 少なくとも指に当たるものはなにもない。
 かすかに埃っぽい臭いがするが、埃が積もっているのかどうか、それは指先ではわからない。
 床面はあくまできわめて平滑だ。


 アヤは左腕をそろそろと床に突っ張らせる。
 右腕を体の下から抜こうとして、またうめき声を上げた。
 首を少し動かしただけで、強烈な眩暈がした。
 無理かも……。
 息をゆっくりと吐き出して、ひとまず体の力を抜いた。


 依然として、指先さえ見えない闇。
 夜の暗さとは違う、本物の暗黒。
 目を閉じれば、普通ならまぶたの血管が浮かんだり、網膜の上の埃が不思議な模様を描いたりするが、それさえもない。

 アヤは体のいろいろなところに意識を集中し、動かせるところは用心しながら動かしてみて、体の状況を知ろうとした。
 感覚のない右腕を除いて、たいした傷はないようだ。
 ただ、あちこち骨が折れているかもしれない。そんな痛みがある。
 撫でて済ませるような軽い怪我ではないが、打撲や骨折なら何とかなる。
 いろいろなことを試しに考えてみて、自分の意識にも異常はないようだ。


 息を整えて、再び慎重に右腕を抜きに掛かった。
 背中の方に抜ければうつぶせになることができ、起き上がれるかもしれない。
 しかし、体を浮かせようとすると、体の中心が悲鳴を上げ始めるし、激しい頭痛にも見舞われる。

「しっかりしろよな」
 小さく呟いたつもりだったが、声が反響した。
 自分の声の大きさにびっくりしたのと同時に、聞かれてまずい相手に聞こえたかもしれないという予感がして、思わず縮こまった。


 様子を見ようにも、漆黒の闇で、あたりの様子は何ひとつわからない。
 アヤはしばらく息を潜めた。
 声が反響したということは、ここは室内。
 それもかなり硬い材料で囲まれた部屋だということになる。
 空気はまったく動かない。
 窓のない部屋だろう。

 何も起こらないことを確認して、今度は仰向けになろうとした。
 地面に手が突けるうつぶせの方が安全だが、それがだめなら仰向けになってみるのもいいかもしれない。
 しかし、これには勇気がいる。
 まず、動く左手の届く範囲で、背中側も普通に床が繋がっていることを確かめた。
 ごろんと横になることになるが、万一、背中に怪我でもしていたら、痛い目にあうことになる。
 しかも、そのまま起き上がれないかもしれない。


 アヤは、左腕を床に突きながら、最後は歯を食いしばって体を横たえた。
 案の定、背中に激痛が走ったが、右腕は抜けた。
 体中を突き抜ける激痛の元は、背中側の肋骨か。何本か折れているのかもしれないな、と思いながら息を整えた。
 そして、右腕の感覚が戻るのを待った。

 仰向けになったまま、アヤはことのいきさつを思い出そうとした。
 襲われたときのことを思い出そうとしたが、痛みが激しくて集中できない。
 しかも襲われたのかどうかも怪しく、何も思い出すことができなかった。
 そこで、毎日を順を追って思い出そうとした。


 おじさんと会ったのは、十回あるかないかだろう。
 最後に会ったのは……。
 そうだ、おじさんが大阪のマンションの部屋に模様替えしてくれていた日だ。
 あの時、シリー川の会談が話題になった。
 確か、こんな話をした。

「レイチェルはどうするつもりなんだろうね」
「えっ、レイチェル?」
「キューキーツの街の行政長官らしいよ。若い女の子だけど、会談の代表者に指名された」
「そうか、レイチェルが……」
「ん? 知っている人?」
「まあね」
「アヤは、顔が広いんだね!」
 知っているどころではない。彼女こそが親友なのだ。
 親友とは言いながら、素性は知らなかったのである。


 レイチェルと知り合ったのは、政府の建物にある食堂である。
 ひとりで食事をしていた彼女に、声を掛けたことが始まりだった。
 流行のファッションや、美容や健康のことが話の中心だったが、結婚観や子供のことを話題にしたこともある。
 未婚のレイチェルは、アヤの体験を聞きたがった。
 彼女は自分の立場や役職について語らなかった代わりに、社員食堂のメニューの希望を、どのような手を使ったのか、実現してくれたこともあった。

「でも、ここ二週間ほど、とても忙しいみたい。アームストロングという街に行ってて、ほとんどニューキーツには帰って来れないみたい」
「長官ともなれば、そりゃそうだろうね」
「パリサイドも来たし、いろいろ話し合うんだろうね」

 そんな話をしたとき、おじさんは、レイチェルはもしかするとホメムかもしれないな、と感想を言った。
「びっくりだな。すごい親友を持ったんだな」
「親友かどうかわからないけど。一番の友達であることには違いないわ。毎日会うわけじゃないけど、ちょくちょくメッセージをくれるし」
 アヤはそう応えながら、びっくりしたのは自分の方だと思った。
 薄々、かなり上位の役職の人だとは思っていたが、まさか長官だったとは。
 そして、まさかホメムだったとは。
 だから、彼女は未婚だと言ったのだし、食堂のメニューをいとも簡単に変えてくれたのだ。


 アヤはおじさんと別れてからのことをなぞっていった。
 自宅に帰って、次の日もいつもどおりに出勤した。
 そして、政府の建物に入り、最初のIDチェックを受けた後、長い廊下を歩いた。中にスキャンエリアがある。
 その先にある扉を開ければ自分が勤めているオフィスのある玄関ロビーに出る。

 そして、そう、午前中は普通に勤務した……。
 昼食時になり、建物の奥のリラグゼーションエリアの食堂に向かおうと……。
 そこにはまたスキャンエリアがあり……。

 あの日、いつものようにその扉を開けたはず。
 しかし、そのとき……。
 そうだ、扉の向こうは人っ子一人いない廊下だった。
 そして……。
 閉じ込められた……。


 あれからどうなったのだろう。
 記憶が曖昧だ。
 そうだ。
 気がつくと、いつのまにか扉があった。
 そこを覗くと……。

 あっ、と思った瞬間、後ろから突き飛ばされるように暗闇の中へ放り込まれたのだった。
 暗闇の中に床はなく、落下した。

 記憶にあるのは、そこまでだった。


 アヤは、今おかれた状況を考えた。
 かなりまずい。
 政府機関の中で拉致されたのだから、相手はその中にいる人間。
 助けは来ないと思っていい。

 しかし、誰が何のために。
 アヤは背中が冷たくなっていくのを感じた。

 考えられることはただひとつ。
 おじさんと話した内容に、原因があるに違いない。
 どの話がまずかったのか……。

 いや、もうそんなことはどうでもいい。
 これからどうするかだ。
 ここはどこだ?


 通常、危険人物と判断されたアギは、覚醒時間が限定され、高度の監視下に置かれる。
 危険度が高く最悪の場合は、消去されることになる。
 マトやメルキトの場合もほぼ同様だが、一旦消滅させられ、その危険とされた思考部分、あるいは記憶そのものが抹消されて再生される。
 最悪の場合は、完全なる死がもたらされることになる。
 以前のように、税金を使って更正させるとか、一定期間自由を奪って罪を償わせ、更正させるというような悠長な処置はない。
 もちろん、思想的な危険度が高いだけでもそのような処置なので、実際に犯罪を犯した場合にはかなり重い罪を背負うことになり、それが確認された時点で、ただちに消去ないし完全なる死が与えられることが多い。

 アヤは自分の思考が危険と判断されたのだと思った。
 思想的な部分ではないし、犯罪も犯してはいない。
 いや、もしかすると機密漏洩と判断されたのだろうか。

 自分がその情報監視の任務についているのだから、危険判断の尺度はわかっているつもりだった。
 おじさんに話した内容は、コンピュータはピックアップするだろうが、処分の対象にはならないはず。
 それとも、監視員の違いによって、判断基準は異なるのだろうか。


 どのような罪でも、普通は留置されるということはない。
 そもそも、思考、思想といった社会に対する脅威や、詐欺や窃盗や傷害や殺人といった罪に、裁判などというものはない。
 判断に必要な材料は、すべて政府機関が握っていることになっているからだ。
 裁判が開かれるのは民事上の争いだけである。
 あるいは、自分が知らないだけで、なんらかの監禁期間があるのだろうか。
 そうだとすると、今この時点で、自分の頭の中はモニターされていると考えた方がよい。

 アヤは鳥肌が立つような恐怖を覚えたが、だからといって、考えないわけにはいかなかった。

 しかし、イコマのことは考えてはいけない。
 万一の場合は、イコマにも危害が及ぶことが考えられるからだ。
 今ここで心配するより、思考の中から追い出しておくほうがいいに決まっている。


 アヤは暗闇を見つめた。
 依然として、何も見えない。
 ふと、心が押しつぶされそうになった。
 とんでもないことに、気づいてしまったのだ。

 まさか、自分の視覚機能が失われたのではないか。

 ここは暗闇ではなく、自分が何も見えなくなっているのではないか、と。
 そして、どこかから、監視されているのではないか、と。


 思わず体を硬くした。
 そして、全神経を集中して、あたりの様子を伺おうとした。

 しかし、依然として完全な無音が続いているし、特別な臭いもない。

 アヤは自分が聞き耳頭巾の使い手として、夜の闇の中で木々の声を聞いていたときの感触を思い出そうとした。
 本当は、聞き耳頭巾という道具を使わないでも、木々の声に耳を傾けることはできる。
 そのことを発見してからは、いつでも、どんなところでも、そういった感受性を人一倍発揮することができるようになっていた。
 あの頃は。


 アヤは神経が研ぎ澄まされてきたことを感じた。
 いつ、何の前触れもなく、体が切り裂かれることになるかもしれないような状況下にある。それでも、冷静になれと自分に言い聞かせることができた。
 そして、体の緊張を緩め、目を閉じた。
 呼吸は穏やかになり、体の痛みも感じなくなった。


 やがて、アヤは悟った。
 ここは、どこかの地下である。
 周囲には誰もいない。
 あるのは、強烈な意思を持った何か。
 そして、これも何かはわからないが、かすかな気を発している物体がいくつか置かれてある。


 どれほどの時間、そうしていただろう。
 時間の概念がどこかにいってしまったかのようだった。
 目が覚めたのがほんの数分前のことだったのか、もう丸一日経っているのかさえ、わからなくなっていた。

 少し腕を動かし、体を動かした。
 相変わらず痛みはあるが、最初に感じたような鮮烈な痛みではない。

 立ち上がることに、どれほどの意味があるのかわからなかったが、少しでも移動すれば、何かわかるかもしれない。
 事態が好転するか、暗転するか。
 ふたつに一つだが、アヤは心を決めた。
 周囲に人はいない、という自分の感覚を信じて。
 充満している強烈な意思や、かすかな気が、悪意のものでないことを信じて。


 アヤは時間をかけて立ち上がった。
 立ち上がると、床が傾いていることがよくわかった。
 一歩を踏み出す前に、再び周囲を窺った。
 変化はない。
 埃っぽい臭いが薄れたように感じるが、それは床から離れたからだろう。

 ためらいがちに声を出した。
「誰かいますか」
「あの、誰かいませんか。私はバードといいます」
 声は反響するばかりだ。
 相変わらず強烈な意思を感じるが、応じる様子はない。


 叫びたい衝動に駆られたが、思いとどまった。
 助けを求めるのは、この状況をもう少し把握してからだ。
 アヤはそろそろと右足を前にずらしていった。傾斜に従って。


 そして、右足に重心を移した瞬間。
 左足に違和感を感じた。


 アヤは転倒した。
 転倒と同時に、左足首に強烈な痛みが走った。


 一気に血が噴き出したことを感じ、激痛が瞬く間に全身に広がっていった。
 足が切断された、と思ったとたん、意識が遠のいていく感触があった。


 ああ、もうこれは……。

 ここで死ねば、再生されるのだろうか。
 あるいは死は認識されずに、再生装置は働かないかもしれない……。


 薄れ行く意識の中でも、イコマのことは思わないように……。

 今日は火曜日だろうか。
 水曜日はいつもレイチェルとお昼ご飯を一緒に食べる約束をしている。
 明日、彼女は残念がるだろうか。

 アンドロのあの男は、自分を探すだろうか。
 あれこれと世話を焼いてくれて、アンドロの世界のことを教えてくれた。
 名前は……、そうだ、ハワード。

 もう思考が途切れ途切れだ。
 意識が薄れて……。
 痛烈な痛みだけが……。


※この項に出てくる生駒と綾の夜の会話、及び聞き耳頭巾については、拙作「ノブ、ずるいやん」に出てきます。もしよろしければ、読んでみて下さい。
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