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ニューキーツ 作者:奈備 光

2章 シリー川と洞窟

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38 記憶が絶望する

 なかなか決心がつかないのか、ハワードはテーブルを見つめたまま、じっと動かない。

 愛とは。
 昔、そんな薀蓄を優から聞かされて、そのとおりだと感じた日のことを思い出した。
 簡単に言えば自分のことより相手のことを思うことよ、と優は説明してくれたのだった。
 イコマはこの男に、その言葉を投げてやりたかった。
 もう、逡巡している場合じゃないぞ、と。

 今、この男は、アヤを愛していると言いながら、自分の身を案じているのではないか。
 自分が抹消されることを恐れて、アヤの死を座視することになるのではないか。

 なんとしてでも、この男に上手く話をさせなければいけない。
 そうは思いながらも、いいきっかけはない。
 むしろ、掴みかかってしまいそうな自分を何とか抑えていた。


 ついに、ハワードが顔を上げた。
「私の部所には、リストがあります」
 顔は上げたものの、視線を交わそうとはしない。

「強制死亡者の名が記されています。つまり記憶を修正されて再生される人のことです。政府にとって無害な人間として再生されます。そして再生されない人、いわゆる抹消者。その予定者も、すでに抹消された人も掲載されています。罪のランクで言えばⅡということになります」
 ハワードは沈痛な面持ちで解説を加えた。
 説明好きな完ぺき主義者かもしれない。
 頭のいいアンドロにありがちなタイプではないだろうか。

「どの項目にも、彼女の名はありませんでした」
 しかし、イレギュラーな場合もあるのではないか。
 何らかの意図で、記載されない場合が。
 悪い方に考えてしまった自分に気がついて、イコマは気持ちを強く持とうと意識した。


「彼女があなたと連日会っていること、そしてその会話の中に注目しなくてはいけないコンテンツが含まれていました。コンピューターがアラートを付けていました。それに気づいて、私は片っ端から、チェック不要のマークをつけていました。あなたが彼女の本当のお父様ではないかと思ったからです。本当の父親と娘がいろいろな話をするのに、誰が口を挟む権利があるというのでしょう」
 イコマは目頭が熱くなってきた。
「実は」
 ハワードは、深く息を吸い込んだ。

「そのリストに掲載されない処置があるといわれています」
 ハワードが、知っていることを吐露し始めていた。
 イコマは黙っていた。
 心臓は激しく鼓動していたし、瞳は見開いているだろう。
 ハワードもまさしくそのような状態だ。
 今まさに、この言葉をコンピューターが拾っていたなら、ここで彼の肉体は消え失せてしまうかもしれないのだ。

 ハワードが早口になっていく。
「助けたいと言ったのは、彼女が生きていると思うからです」
「な!」
 イコマは絶望的な気分になった。
 何らかのペナルティがアヤに与えられているのだと考えていたが、まさか死んでいる可能性もあるとは!
「生きていると思うって、あんた!」
 ハワードは首を振って応えるだけで、自分の話を継続していく。
 まるで、本当はもっと恐ろしいことが起きているのだと言わんばかりに。


「リストに掲載されない処置というのは、だれにも公表されませんし、所員ももちろん知りえません。しかし、リストにない行方不明者が居ることは、所員なら誰もが知っていることなのです。つまり、どこかに閉じ込められているのだと」
 いつのまにか、ハワードの目は真っ赤になっていた。
 涙が滲んで赤くなったのではない。
 緊張のあまり、充血しているのだ。
「いわゆる、ヘブンズゲ」
「まさか! なぜ!」
 イコマは思わず叫んだ。
「どういうことだ!」

 ありえない!
 アヤがなぜ、そんな刑を受けることになるのだ!
 それは究極の刑ではないか!


 ハワードがゆるゆると首を振る。
「いえ、そうではありません。もうひとつ、あるのです。一般には知られていない処分が」
「おい! さっきあんた、ヘブンズゲートと!」
「はい。ですが、次を言う前に、イコマさんが叫ばれて……」
「クッ」

 こいつ!
 イコマは腸が煮えくり返った。
 おまえ、ただでは済まさん!

 この男は、一体何を考えている!
 いつもこの調子なのか!
 どんな神経をして、人と話をしているのだ。
 説明ばかり繰り返し、大切なことをはぐらかす。
 いつになったら、まともなことを言うのだ!


 しかし、おとなしく話をさせなくてはいけない。
 ここは、アヤの身に降りかかったことを確かめるのが先決だ。

「閉じ込められているんだな!」
 もうハワードに丁寧な言葉で話すことができなかった。
 自分でも気付いていたが、言い直そうとは思わなかった。
「はい。噂ですが、その施設は世界中に一箇所だけあって、それがこのニューキーツにあるそうなのです」

「どこにある! それは!」
 イコマは叫んでいた。
「誰も知りません」
「じゃ、誰が知っているんだ!」
「ごく一部の上層部だけです」
「レイチェル!」
「ええ、彼女は知っているでしょう。最終決定権者ですから」
「くそ! あの女が!」
 イコマの思考は、はちきれそうになっていた。

 レイチェルめ!
 怒りで目が見えなくなりかけていた。
 どす黒いものがこみ上げてきて、ガバリと口からほとばしりそうだった。


「私は彼女を助け出したい。しかし、その施設がどこにあるのかさえ知りません」
「じゃ、レイチェルに聞け!」
「レイチェルは雲の上のような存在です。普通は、私ごときが声を掛けられるような方ではありません」
 イコマは体を立てていることさえ難しかった。
 かろうじて窓枠を掴んだ手で、体を支えていた。
 ハワードはアンドロという出自がそうさせるのか、一旦覚悟を決めた人間の強さなのか、目を充血させながらも冷静さを保っている。

「で、あんた、それで、どうする気だ!」
 イコマの口から出た失礼な言い方にも動じない。
「ご存知かもしれませんが、この世界はふたつの次元で成り立っています。厳密に言うと三つの次元です。私はそのどこにでも行き来ができますが、この皆さんが住んでいる次元、彼女が住んでいるこの次元にその施設はあると思っています。むしろ確信しています。なぜなら、ホメムやマトは、メルキトもそうですが、他の次元に移動することができないからです」

 くっ、くだらぬ説明を!
 そんなことは分かっている!
 だから、それはどこにあるというのだ!

「ニューキーツにあるんだな!」
「私は情報を集めます。もう、怖いものはありません」
「僕も集める!」

 おまえなど、頼りになるか!
 イコマは心の中でそう叫んだ。


「はい。でも、あの探偵に頼まれるのでしたら、無駄です。あのレベルでは難しいでしょう」

 ぐぐぐぐっ!

「むしろ、お願いしたいのは、救出の方です。あなたをパパとして慕っているチョットマという兵士がいますね」
「んがっ?」

「ああいった軍でなければ、難しいのではないでしょうか。防衛軍やレイチェル親衛隊の中に私も知人はいますが、彼らを動かすことはできません。彼らには、まったく自由な意志というものがありません。完璧に統率されていて、クーデターを起こすような素地はまったくありません。バードを救出してくれるなら、それはクーデターということになってしまうでしょう」


 怒りがはち切れそうだった。
 しかし、愕然ともした。
 このハワードという男は、何もかも知っているのだ。
 チョットマも。彼女が攻撃軍の兵士だということも。
 ハワードだけが知っているのではない。
 政府の情報機関は、そんなことは百も承知なのだ。
 アヤも、その一員なのだ。
 だから、こんなことになってしまったのだ。

 再会したばかりに。


 んぐぅ。
 ハワードの姿がぼやけていた。
 怒り、あるいは悲しみ、そして後悔。
 それらが入り混じって、イコマの視界を濁らせていた。

 僕は疫病神だったのだ!
 こんなことになるとは!
 こんなに早く!

 彼女を苦しめることになるなら、再会しなくてもよかったのだ。
 わずか十日ばかりの喜びのために、彼女を監獄送りにしてしまった!
 この男は、まだ生きていると思う、などと言う。
 だから助けたいのだと。
 万一の場合は、最悪の場合は、もうそこで死んでいるかもしれないのだ!


 なんてことをしてしまったんだ!
 アヤが訪ねてきたとき、彼女の仕事場を聞いたとき、もっと頭を働かせて、つれなくすればよかった。
 そうすればアヤも、もっとあっさりとした関係を作ろうとしたかもしれないではないか!

 イコマは、アヤを抱きしめたときの感触がまだ残っている自分の腕を憎んだ。
 今、立っているこの部屋のディスプレーを設えた自分の愚かさを激しく憎んだ。

 ぐわ!
 なんということを!
 何百年間も生きてきたことはなんだったのだ!


 ハワードが、見つめていた。
「大変失礼ですが、少し落ち着いてください。像が歪んでいます。危険な兆候です。感情をつかさどるデータ量は莫大です。システム上の負荷の問題もありますが、監視コンピュータが真っ先に目をつける項目です」

 ぐぐっ! ううう! うむぅ!
 イコマは、ハワードの忠告をかろうじて理解できた。
「座らせてもらう!」
 何とか膝を折り、床に座り込んだ。
 立ってバランスをとるためのシステム負荷などしれているだろうが、感情の高まりが抑えられ、幾分楽にはなった。


「すまなかった」
 落ち着くまで、ハワードは黙って待ってくれていた。
 いつのまにか、最初に勧めた椅子に座っていた。

「君も自分の命を駆けて危険な状態なのに、取り乱してしまった」
「娘の行方が知れないのですから、お父様なら当然のことでしょう。生意気なことを言うようですが」
「ありがとう。よくぞ伝えてくれました。よろしくお願いします。その施設の場所を調べてください」
「はい、できる限りのことはします。命に代えても。では、東部方面隊兵士の件は、お願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。チョットマだけではなく、隊長も知っています。彼らが動いてくれるように何とか頼んでみます」

 ハワードは、また来るといって帰っていった。
 イコマからハワードに連絡の取りようがなかったが、彼の無事を祈り、そして信じるしかなかった。
 ハクシュウに頼んでみるとは言ったものの、彼らが自分の命を賭してまで、協力してくれる可能性は極めて低いことはわかっていた。

 絶望的な気分だった。
 呪うべきは己自身だった。
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