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ニューキーツ 作者:奈備 光

2章 シリー川と洞窟

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29 翼の色

 と、空気が動いた。
 目の前の景色が滲んだかと思った瞬間、目と鼻の先に黒い影が浮かびあがった。
 体中のアドレナリンが一気に濃度を増し、思わず身構えそうになるのを堪えて、目の前に現れるものを見つめた。
 影は、瞬く間に形を成した。
 そこに立っていたのは、一昨日見た黒い生き物だった。

 身長、約二メートル五十センチ。
 ずんぐりとしていて、まるでアオバズクが突っ立っているようだ。
 黒いとは思ったが、頭部や脚を除き、蜂の羽のような黒っぽい薄膜で覆われている。
 頭部はアシカのように飾り気がない。
 厚いしっとりとした皮膚で、目や鼻や耳は人間のものに近く、ずんぐりとした瞳は黒かった。
 胴体から短い足が出ているが、金属的な輝きを持った黒い鱗で覆われている。指は五本あって、人間の足のように並んでいる。
 関節も爪も、人間のものに近い。

 唐突に、胴体から腕が出てきた。
 腕も脚と同じように黒い鱗で覆われているが、やはり人間のような指が備わっていた。
 ただ、胴体の大きさに比べて、アンバランスなほど短い。
 こいつは、先日見たJP01と名乗ったものだろうか。


「む」
 握手を求めているようだ。
 突き出された手の甲は細かな鱗片に覆われているが、手の平はやはり人間のものと同じだった。
 レイチェルが躊躇することなく、その手を握り返した。
 双方無言で数秒間握り合ったまま、互いを見つめあう。
 黒いものはンドペキにも握手を求めてきた。
 まともに目が合った。
 ンドペキの目はマスクのレンズに遮られて相手には見えないはずだが、ぴたりと焦点が合っていた。

 射すくめられたかのように、ンドペキもその手をとった。
 金属繊維で編まれたグローブの上からでも、相手の持つパワーが流れ込んできたかのような衝撃を受けた。
 相手が少し力を込めただけで、意識がかき乱されるような感触がしたかと思うと、心の中に高揚感がじわりと広がっていった。
 相手は徐々に力を強めているようで、それにつれて心が押しつぶされそうな感がする。
 ンドペキが力を抜くと相手もフッと力を抜き、手が離れた。

 黒い者が、ゆっくり口を開いた。
 口が歪む。笑ったのだろう。
「お会いできて光栄です」
 若い女性の声だった。
「セルビッキ郡長官、JP01と申します」
 レイチェルが応えた。
「私はレイチェル。ニューキーツの行政長官です。こちらは、ンドペキ伍長。街の軍団に所属しています」
 相手は、さらに口を大きく開け、どうぞよろしくと言った。
「あなたのご指名なのですから、紹介は不要だったかしら」
「厚かましいお願いをして、申しわけありません。お気を悪くされませんでしたでしょうか」
「いえ、そういう意味ではありません。ただ、例外的だったようですので」
「ニューキーツの街だけが、という意味ですね?」
「そうです」


 ンドペキは居ても立ってもいられない気分になっていた。
 レイチェルという女の素性はわかった。
 長官というからには、街の最高位にあたる者だ。正真正銘の上官であるということになる。
 それがレイチェルという名であることを失念していたことが、今更ながら情けなかった。

 しかし、それはそれでいい。
 ハクシュウがその指示に従い、自分が脇に控えていてもおかしくはないだろう。
 レイチェルとの身分の違いは、大いにあったとしても。 
 しかし、それ以外のことは、わからないことだらけだ。
 自分が会談場に控えているというのは例外的な措置だというが、いったいなんだというのだ。
 そもそも、セルビッキ郡とはどこなのか。
 地球上にそのような街はないはず。

「ンドペキ氏には、私が個人的にお会いしたいと思ったからです」
 JP01と名乗った相手は、そういってンドペキをますます驚かせた。


 お会いできて光栄です、などと返すのがまっとうな態度だろうか。
 せめてマスクは取って、相手に敬意を表するべきなのだろうか。
 あるいは、レイチェルが言ったとおり、あくまで黙っておればよいのか。

 微妙な怒りが噴き上がる。
 しかし、JP01と見つめ合っていると、不思議とその気持ちは大きくはなっていかなかった。
 個人的に会ってみたいとJP01は言ったが、以前の自分が何かをしたとでもいうのだろうか。
 今は街の一兵士であり、特別な存在でもなければ、特殊能力の持ち主でもない。
 もちろん、この連中とも面識はない。


 板造りのステージを取り囲んでいる軍勢は、固唾を呑んで静まり返っている。
 かなり遠くに展開している部隊にも、レイチェルとJP01の声は聞こえているはずだ。
 しかし、目の隅に映ったハクシュウもチョットマも微動だしない。

「個人的なお考えなら、聞かずにおきましょう。では、用件を伺いましょう」
 レイチェルが促すと、JP01が視線を戻し、語り始めた。
「あなた方にお願いがあります」


 ンドペキは知らなかったが、地球上にあるすべての街で、今日の同じ時刻に同じようなスタイルで、彼らの代表と会談が持たれているということだった。
 各地の会談は、それぞれの行政庁の長が、相手陣営の代表と一対一で会っているという。
 ニューキーツだけが、ンドペキにも指名があったということのようだった。

「パリサイド、私達は自分たちのことを、そう呼んでいます」
 JP01が話すところによれば、数百年前、地球を離れて宇宙のどこかにある神の国を目指して巡礼の旅に出た集団があるという。
「我々はその生き残り、及びその子孫です」
「神の国巡礼教団……」
「そうです。しかし、私達はもうその教義を信じてはおりませんし、教団という体を成してもいません。教団は消滅しました。そのいきさつをお話しするととても長いお話になりますし、私達が今こうして話し合いを持っていることに関係はありません。わかっていただきたいのは、私達はその狂信者集団ではない、ということです」

 パリサイドとは、その教団が消滅した後にできた社会全体を指す言葉なのだという。
「私達の社会は、人口一億人程度で、ある星を中心に活動しています。その星を私達はパリと名付けました。地球に寄る辺を持つ人類ではなく、パリという星を拠点としている我々は、自分たちのことをパリサイドと呼ぶようになりました」

 JP01は悠然としている。
 表情が乏しい上に、どことなくひょうきんに見えることでそう感じさせるのか、ずんぐりした体型がそう感じさせるのかわからない。
 戦意や悪意があったとしても、それは見事に覆い隠されているようだった。

「私達の生態は、地球に住み続けている皆さんとは大きく異なっておりますが、それはこの会談が成功裏に終わった後にでも、詳しくお話しすることになるでしょう」
 JP01が、胸元の辺りから一通の封書を取り出した。
「ここに、私達の要望事項が記してあります。今、全世界で行われている会談で、共通の内容です」

 レイチェルは封書を受け取り、中身を改めた。
「そこには条件めいた事項も記載してありますが、お願いしたいことはただひとつ。私達がまた地球上に住めるようにお取り計らいいただきたいということです」
 ンドペキは、それはとりもなおさず侵略ではないか、と思ったが、レイチェルの反応は違った。
「あなた方も、地球の人類だとおっしゃりたいんですね」
「そうです。私達は地球に帰りたい、そう願っています。ただただ、望郷の念があるばかりなのです」
「あなた方は、地球でどのように暮らしたいと考えているのですか」
「私達は、この体で宇宙空間に浮かんで生きてきました。暗く冷たく、宇宙線が降り注ぐ環境で。そんな環境においても生きていける肉体を手に入れることができたからです」
 JP01が腕の下から、ごく薄い膜のようなものを少しだけ伸ばし、ちらつかせた。

「では少し、お見せしましょう。私達の本当の姿を」
 と、両腕を広げた。
 それが合図だったのだろう。
 シリー川の対岸から、大きな鳥のようなものが飛び立った。
「彼女が自分の体を広げて、皆さんにお見せします」


 黒い鳥は羽ばたきもせず、一直線に上空に上っていった。
「私達は重力に縛られることはありません。数百年前に発見された半重力物質があったからこそ、私達は地球を飛び出すことができたのですが、私達はその何十倍もの力を持つ物質そのものを自分の体に組み込むことができました。そうして宇宙空間で、様々な星からの引力をコントロールして自分の姿勢を保ち、容易に移動することができるようになったのです」

 またたく間に、鳥ははるか上空に達していた。
「よく見ていてください。彼女の体を」
 JP01に促されて、小さなその黒い点を見つめていると、その点が横に伸び始めていた。
 見る間にぐんぐん伸びている。
「翼です。飛ぶための翼ではありません。エネルギーを受け止めるための翼です」
 糸のように伸びた翼は、すでに天空を横断するほどになっていた。
 数十キロに及ぶ長さに。
「私達は生きていく、つまり、自分の体を維持し、形作っていくすべてのものを、光を初めとする様々な光線から得ることができます」

 細い糸の様な翼が、面的に広がり始めていた。
 光を透過しているが、はっきりとその大きさがわかる。
「必要なものは、エネルギーといくつかの元素だけです。珍しい元素ではありません。そこら中に落ちている、あるいは空気中に漂っているような元素です」
 たちまち翼は、天空を覆わんばかりになっていた。
「水は。いえ、そのようなことはいずれお話しましょう」
 翼に遮られ、太陽の光が弱まっていた。 
「私達が地球上に住むことになっても、食料をよこせとか、何かを分けろとか、そのようなお願いをすることはありません。大地と大気があり、そこに水蒸気が含まれ、太陽が輝いている限り、私達の体には余りあるエネルギーがあるわけですから」


 JP01が、空に向かって手を上げた。
「彼女に降りてきてもらいます。地上近くには不規則な風があるので危険なのですが、彼女が、自分の体を皆さんにどうしても見て欲しいと申しておりましたので」

 天空に広がった薄膜が徐々に高度を下げてきた。
「翼を縮めながら降りてくるようですね」
 JP01は上空を見上げながら、笑顔で手を振った。

 巨大な鳥は、あっという間にかなり低いところまで降りてきていた。
 翼は蝶の羽根のような形になり、その中心に人の体が見えた。
 かなりスリムな女性のようだった。
 完全に人間の女性の体。
 裸で、乳房もあらわだ。
 ただ、地球上の人類と異なっている点は、その胴体の色が鮮やかなコバルト色だったことである。


 地上五十メートルというところまで降下してきたとき、彼女はすべての翼をしまい終え、JP01と同じような体型と体色になっていた。
「私達の体の大部分を翼が占めています。私達には衣服を身に着ける習慣はありません。折り畳んで体に巻きつけた翼が衣服の代わりなのです」

 と、空中の鳥の姿が消えた。
 次の瞬間、目の前に一人の女が立っていた。
「今、翼を見せてくれたデモンストレーターです」
 裸体は薄膜で隠しているが、その顔はまさに人間の女性のものだった。
 もちろん隠してはいない。
 輝くような金髪で緑色の瞳。キュートな女性だった。


 そのときだ。
「サリ!」
 後方で叫ぶ声がした。
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