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ニューキーツ 作者:奈備 光

2章 シリー川と洞窟

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28 苛立ちの色

 ンドペキは会談の朝になって、政府の人間の訪問を受けた。
 ドアをノックしたのは、若い女だった。
 古い劇画でしか見たことのない、簡素な丈の短い白いワンピースを着ていた。
 端正な顔立ちに薄い化粧。かすかに立ち上る甘い香り。
 防具や武器は身につけておらず、腕や手はおろか、顔も白い肌がむき出しで、長い黒髪を持っていた。

 女は部屋に入ろうとはせず、ンドペキを連れ出すと待たせてあった飛空挺に乗せた。
 中に、ンドペキを待っていた女がいた。
 この女も案内役の女とよく似た雰囲気を持っていた。
 輝くような白金の髪を、流れるようにシートに広げている。
 こちらも白いワンピースに白い革のベルト。
 ただ違う点といえば、素足に革の編み草履を履いており、仮面をつけていた。
 大型のサングラスの縁に大きな鳥の羽根の飾りが付いたマスクで、ンドペキたちが使うような己を隠すスキンマスクではない。
 薄いブラウンのレンズの中に、エメラルド色の瞳が見えていた。

 女が向き直った。
 裾が乱れ、膝小僧が見えた。
「はじめまして」と手を出してくる。
「俺はンドペキだ。あんたは?」
「レイチェル」
 女は、エメラルド色の波を瞳に揺らめかせた。


 ンドペキは緊張した。
 すでに装甲を身につけている。
 ごつごつした金属の手で、女の手を握るわけにはいかない。
 普段ならそう思うはずもないが、相手から発せられる高貴さに気圧されて、ンドペキは腕の装甲を外した。
 女は手を差し出したまま、微笑んでいる。
 握った手は暖かく、思いのほか力強かった。

 彼女が見せた表情は、長い間忘れていたものだった。
 マトやメルキトが見せる表情は、どこか表面的で画一的だったが、レイチェルと名乗った女が見せた表情は違う。
 あいまいで頼りなげで、しかも「心」を垣間見せるものだった。


 飛空挺は、かすかな空気音をたてて浮き上がると、たちまち街を抜け、城門を抜けた。
 普段は街の中で見ることはない乗り物である。
 他の街へ移動するときに利用される飛空挺とは違って、かなり小型だ。個人用の乗り物なのだろう。
 豪華な装飾が施されたシートがわずかに六席、前後三列に並んでいる。
 運転手と案内役の女を除いて、誰も搭乗していなかった。

 レイチェル。
 どこかで聞いた名だ。
 そう思ったが、それを聞く前に、レイチェルが口を開いた。
「今は挨拶は抜きにしましょう。今日のことですが」
 と、それまで握ったままだった手を離し、前を向いた。

 飛空挺は瞬時に高度を増していく。
 地上五百メートルほどの高度で、水平飛行に移った。
「あなたは黙って見ていてくださって結構です。ただ会談の中で、万一、間違っているとお感じになったら、そのときはその場でそうおっしゃってください。私はあなたを信じています。あなたがおっしゃることを、私は信じます」

 初対面の女にそう言われ、ンドペキは戸惑った。
 今から行われる会談がどういう性格のものなのか知らないし、相手が何者かも知らない。
 そもそも、隣に座っている女が誰なのかも知らないのだ。

「しかし、俺は」
「なにも聞かないで。あなたには、あなたらしく判断して欲しいのです」
 レイチェルは厳しい表情をしている。

 ンドペキは何も言えなくなった。
 この女は、兵士ではないし、街の住民でもない。
 会談の代表を務める上は、政府機関上層部の者だろう。
 それは、彼女の奥深い表情を見てもわかるが、それ以上に彼女の苦悩がわかったからだった。
「わかったよ」というのが精一杯だった。
 レイチェルが、
「よろしくお願いします」と、髪を押さえて頭を下げた。

 しかし、どうしても聞いておきたいことがあった。
「しかし、なぜ俺が」
「さあ、それは向こうの希望ですから。でも、私はあなたが指名されてよかったと、心から思っています」
 レイチェルは、エメラルドの瞳に微笑みを見せたが、すぐに前を向き、唇を引き結んだ。
 信じられても困る、とは思ったが、もうそれを口にする雰囲気ではなかった。


 シリー川の稜線には、これまで目にしたこともない戦闘機がずらりと配備されていた。
 この個人用の飛空挺を一回り小さくしたサイズで、各機にミサイル砲が装着されている。
 まだこんな武器があったのかと思うほど旧式な部類だが、これだけ数が揃うとそれなりに壮観だ。
「街の防衛部隊本隊か?」
「そうです」
「これまで、戦ったことはあるのか?」
 レイチェルは、あどけないと思うほど眉をひそめ、唇を尖らせて困った顔を見せた。

 稜線からシリー川の川原にいたる山腹には、幅十数キロに渡ってすでに軍が展開していた。
 ニューキーツの街にこれほどの兵士がいたのか、と誰もが思ったことだろう。
「約一千。防衛隊とあなた方を合わせた、ニューキーツの全軍です」
 ただ、一般人も混じっているようだ。
 兵士の格好をしただけの者もいるだろう。
 双眼鏡を首から下げたやつまでいる。
「このように全軍で行動したことは、ここ百年以上もありませんでした。よくこうして展開できたものだと思います」
 レイチェルも分かっているのだ。
 これは張りぼてのようなものだと。

 飛空挺は、全軍にレイチェルを見せるかのように、山腹を二度ほど往復して、川原に設けられた急ごしらえの木製のステージに機首を向けた。
「私は、こうまでする必要はないと思っていたのです。いざとなったら、あなた方が頼りです」
「あんたを守るのは、防衛隊の仕事じゃないか。我々は攻撃専門だ。むしろ、防衛隊には我々を援護して欲しい」
 レイチェルが微妙に笑った。


 ンドペキの属するニューキーツ東部方面攻撃隊は、会談場の直近と川原に添った最前列に展開していた。
 一斉攻撃態勢をとっている。
 会談場の直近には、それをとり囲むように白ずくめの一団。
 レイチェル騎士団と呼ばれる親衛隊だ。
 会談場のレイチェルを守る目的の陣形だ。

 会談場のステージ上空に差し掛かると、ハクシュウの顔が見えた。
 ステージのすぐ横にいる。
 ひらりと手を上げてみせたが、何も言っては来ない。
 チョットマはかなり下流で、彼女には似合わない大きな砲銃を構えて、それを大きく振ってみせてくれた。

 レイチェルは、チョットマをチラリと見やると、
「いいですね、あなたには仲間がたくさんいて」と、微笑んだ。
 今まさに会談が始まり、場合によっては経験したことのない戦闘が始まろうかというときに、何を呑気なことを。

「失礼だが、あんた、大丈夫か?」
「心配ですか?」
 ンドペキは正直に言った。
「何が始まるのか知らんが、あんたひとりであのステージの上で、得体の知れないものと対峙するんだろ。実は、お膳立てはもうできているのか? あるいは、なにか考えでもあるのか? 俺が聞くことではないが」
「お膳立てなんて、ないですよ。私には考えはありますけど」
 と、レイチェルがンドペキの二の腕を軽く叩いた。
 そういう仕草が心配なんだよ、と言いかけたが、たちまちレイチェルが厳しい口調になる。
「全軍の指揮権は私にあります」
「む」
「私に万一のことがあった場合には、ハクシュウに指揮を執るように伝えてあります」
 そう言われて、ンドペキは改めて心を引き締めた。
 レイチェルに全軍の指揮権があるのなら、従わねばならない。
 今までの口調は上官に対するものではなかったと知って、ンドペキは不必要なほど姿勢を正し、前を見た。
「武器は外してください。これは平和的な会談です」
 レイチェルにたしなめられ、ンドペキは従った。
「はい……」


 対岸には、人っ子ひとり見えなかった。
 彼らは森の中に潜んでいるのだろう。
 それに対して、こちらの軍勢はまるで姿を隠すところはない。標的を晒して突っ立っているようなものだ。

 飛空挺は急角度で高度を落としていく。
 ンドペキは、スコープのモードを変更して、森の中の相手を確かめようとした。
 チラリと垣間見たものは、予想を大きく外れたものだった。
 森の中では一昨日見たときのように多くの者がそれぞれに働いていたが、会談などどこ吹く風のようだった。
 戦闘的な姿勢をとっている者はなかったし、会談場に近いところに終結している部隊らしきものもない。
 平和そのものといった風だったのだ。
 それに反して、それが見えているはずのニューキーツ軍は銃器を水平に構え、瞬時に戦闘に入れる体勢をとっていた。


 飛空挺がステージの脇に降り立った。
 約束の正午まで、後一分。
 眼前にシリー川が濁流を伴って流れている。
 空を反射して、時折り波頭が白く光った。

 レイチェルとンドペキは言葉を交わすでもなく、黙ってステージを登る。
 レイチェルがハクシュウに目で合図を送る。
「全軍、武器を収めろ!」
 ハクシュウの声が響き、水平に並べ立てられた銃器が下を向いた。

 なるほど、レイチェルが指揮官で、ハクシュウはその副官。
 彼らの間ではすでに作戦会議が持たれ、それが全軍に伝わっているということだ。
 ンドペキは自分には知らされていなかったことに苛立ちを覚えたが、それと同時に、ハクシュウの昇進に晴れがましさも覚えたのだった。

 対岸を睨んでレイチェルと並んで立つ。
 自分の無防備さが心許なかった。
 レイチェルに聞いておきたいことは山ほどあったが、もうそれを口にする場面ではない。
 ニューキーツの軍勢は静まり返り、幕が上がるのをジリジリとした思いで待っていた。。
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