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ニューキーツ 作者:奈備 光

2章 シリー川と洞窟

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23 囚われた思念の色

23 囚われた者の心


 ンドペキは落ちつかなかった。
 自分が指名された会談は明日だ。
 昨日の作戦以来、ハクシュウからは何の指示もない。
 自分の役割はなにか。
 どう振舞えばいいのか。
 教えてくれるものがいないばかりか、あの連中が何者なのか、レイチェルとは誰なのか、何のための会談なのか、という基本的な情報さえなかった。

 スジーウォンやコリネルスらにも聞いてみたが、誰もまともな言葉を返してこない。
 答えようがないからなのか、自分だけに伏せられていることだからなのか。
 いてもたってもいられない気分だった。

 とはいえ、口外無用だと、ハクシュウから釘を刺されている。
 知人と呼べるものはいなかったし、共用のデータベースにレイチェルという名前をインプットすることもためらわれた。


 俺は、なにか大切なことを失念してしまっているのか……。

 記憶を呼び戻そうと試みる。
 いつものように。
 マトになる以前のことは、覚えてはいない。
 どこの国の人間で、どんな暮らしをし、なんという名であったかさえ。
 わずか六百年ほど前のことだというのに。

 その記憶はどこかにあるのだろうか。
 あるいは記録として残されているのだろうか。
 それを手繰り寄せることができないだけなのだろうか。

 実は、六百年はおろか、数世代前の自分のことさえ、霧の向こうの人影のようにおぼろだった。
 この街の兵士になる前は……。
 つまり、一オールド前は……。


 アジア大陸のホルンプールという街に住んでいた。
 大手の輸送会社に勤めていた。
 ンドペキではない名を名乗って。
 厳しいノルマがあったが、それなりの暮らしをしていた。ただ、家族はいない。
 独り身の身軽さで、再生を機に、ニューキーツに移り住んだ。
 新しく生き直すことにしたのだ。

 ただ、最初から兵士になるつもりではなかった。
 商売を始めたい。
 静かな暮らしがしたい。
 そんなホロホロとした思いを持っていた。

 しかし、ニューキーツは思った以上に小さな街だった。
 小さければ小さいほど、民業は育たない。
 あるいは阻止され、街の政府の力は強大となる。
 ニューキーツでは、食料、エネルギー、情報通信といった基幹産業はすべて政府直営か、政府系の企業が押さえていたのだ。
 製造業や小売業でさえ、これといったものはすべて政府系組織が運営していた。
 個人レベルであれ、企業レベルであれ、庶民ができる商売といえば、小さな商い、小さなサービス業程度のもの。
 仮にその商売が上手くいっても、少し大きく成長するとたちまち政府に飲み込まれてしまう。
 安定した職業といえば、政府の役人か、政府系企業で働くことしかない。昔と変わらないと言えばそれまでだが、その存在は絶対的なものだった。
 そして、政府に勤めるということは、常に政府に監視される存在になるということと同義だった。

 当時、俺はまだ、世を捨てていたわけではない。
 自由でありたい。
 そんな淡い気持ちを失いたくはなかった。


 俺は兵士になった。
 食べていくために。
 自分らしく生きていくために。

 ただ、兵士のなるのはこれが初めてではない。
 むしろ慣れた職業だといえる。
 兵士をしながら、チャンスを待とうと思ったのだった。

 しかし、チャンスは訪れなかった。
 ただ、それだけのことだ。


 その間、俺はどんなやつと出会っただろう。

 レイチェル……。
 その名を記憶の中にいくら転がしてみても、何かに触れることなく、どこかに消えてしまう。
 ニューキーツでのことだろうか。
 あるいは一オールド前か、いや、もっと以前か……。

 会談の代表に指名されるのだから、それなりの地位にある者だろうが……。
 しかし、俺にはそんな地位も何もない……。
 今も昔も……。

 思い出そうとする行為。
 次々と記憶を失くしていくものにとって、それは身を無理に捩るような鈍い苦痛ともいえる。


 ンドペキは街へ出た。夜の食事に。
 歩きながらも、思い出そうとする。
 しかし、その努力はいつも空しい。
 いつのまにか、記憶をまさぐるのではなく、意味のない思念にふけっていくことになる。
 堂々巡りするだけの思念に。


 人は誰しも、環境によって作られる。
 世界中に誰一人、自分と同じ人間はいない。
 同じ境遇に育ったからといって、同じ志向性を持つ人間になるとは限らない。
 しかし、子供の頃の思い出が楽しいものであろうとなかろうと、それは、自分が今の人間になった大きな要因となるはず。
 懐かしく思い出すこと、思い出すのも嫌なこと、甘酸っぱい思い出、悔しかった思い出……。
 そういったもろもろの記憶が積み重なって、自分というものがあるのだ。

 そう考えるとき、記憶を失くした人間の、なんと悲しく、なんと薄っぺらなことか。

 生きていくことの意味とは、多感な子供の時代に蒔かれた種が発芽するように、膨らんでいくものではないのか。
 幼い頃の、心がまだ若かった頃の記憶を失くしたものにとって、生きていくことは、土に埋もれたしゃれこうべがかすかに縮みながら石となるのを待つようなものではないか。


 延々と続く生。
 それは謳歌するものではない。
 むしろ戦慄の頚木。
 死ねども死ねども、自動的に再生される命。
 泡沫のように、微かな意味さえ見出せない生。
 鼓動、呼吸、思考、それらすべては自らの意思なく、ただ繰り返すのみ。
 生かされているのだ。
 永遠の囚人として。

 しかし俺は、何に囚われているというのか……。


 レストランのプライベートブースに入る。
 六十センチ四方の小さな空間に篭って、咀嚼するだけの食事。
 その間も、俺の思念は留まることなくくるくると回り続ける。
 轍に嵌まった車輪のように。
 習慣となった同じ小径を。


 サリを殺し、その咎によって、自らの生に終止符を打とうとした。
 しかし、サリは消えた。
 いや、俺がやったのか。
 そんな記憶さえ、おぼろになってしまったというのか。

 ところが、罰も受けずに俺は生きている。
 もしや、明日の会談のために生かされているというのか……。

 チョットマ。
 あいつは、サリと同様、俺になついている。
 あいつを殺すか。
 かなり難しいが……。

 いつの頃からだろう。
 枯れることのない自死への渇望が、これほどまでに大きくなったのは。


 
 妄想をもてあそびながら、ンドペキは街を歩いた。
 暗い裏路地から、華やかな表通りへと。
 縫うようにして歩き回る兵士を気に留めるものはいない。
 ンドペキとて、目的があるわけではない。
 もちろん、出会いを求めてのことでもない。
 妄想を昂ぶらせないため。
 意識を弛緩させるため。
 そして、正気を保つため。

 ニューキーツ一番の繁華なエリアに差し掛かる。
 賑やかなオープンカフェが軒を並べている。
 顔を隠すことなく、生の声で話し込む人々。
 通り過ぎる者たちからは、笑い声も聞こえてくる。
 マスクをしているものもいるが、総じて無頓着だ。
 彼らも、政府に傍聴されていることは知っていようが、だからどうだというのだ、という諦観がある。


「む」
 雑踏の中に、見覚えのあるコスチュームを見た。
 クシではないか。
 すぐに見失ったが、胸騒ぎがした。
 戻ってきていたのか……。
 チョットマを襲った者はやはり、あいつ……。

 クシは元仲間だった男である。
 手誰の兵士で、戦闘のために生まれてきたような男。
 隊員であるという以前に、ひとりの戦士だった。

 仲間という意識はなく、常に単独行動。
 作戦にも加わらない。
 ただ、東部方面攻撃隊に属しているというだけ。
 仲間が危機に陥っていても、我関せずを通す。
 見殺しにするばかりか、自分の戦闘を優位に進めるためには仲間さえ殺しかねない冷酷さを持つ男。

 業を煮やしたハクシュウが、除隊処分にしたが、それを恨んでいた。
 ただ、他の街に移り住んだと聞いていたが……。 
 クシがチョットマを狙った理由は分からないが、もしかするとサリをやったのも……。


 と、そのときだ。
 スコープに文字が流れた。
「振り返らずに歩け!」
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