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ニューキーツ 作者:奈備 光

1章 海は知っている

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20 涙の記憶

「僕をボーイフレンドに紹介してくれなかったね」
「だって……」
 乙女心というやつだろう。
 それに、襲われた後だ。
 そんな雰囲気ではなかったということだろう。
「ハクシュウのときと同じように、ンドペキにも声を掛けておくよ」
「うん」

 チョットマには、何の前情報もなくハクシュウに声を掛けたかのように話したが、実は予備知識は得ていた。
 アヤから聞いている。

「ハクシュウっていう人なんだけどね」
 アヤの情報によれば、生誕年は間違っていなかったようだ。
 元は日本人であるという想像も間違ってはいなかった。
「再生されるたびに新しい街に行くみたい」
 アヤはメモって来た街の名前を読み上げてくれた。
 イコマにとって、懐かしい街の名もあったし、ほとんど行くこともない街の名もあった。
「でも、そんなにころころ住む街を変えたら、友達がいなかったりして」
 と、アヤは笑っていた。
「それに、職業はいつも兵士みたい」
 兵士としては優秀なようで、リーダーとしても素質があるようだ。
 多くの街で、それなりの階級に登っている。

 イコマの思考体は、最大で三つに分割することができる。
 本体つまりメインブレインとは別に、ふたつの思考体をフライングアイに載せて動かすことができるのだ。
 当然、データベースは共通だ。
 つまり、同じ記憶を持ち、常に同期している。
 そして思考体は、単独で思考することもできるし、メインと連動して思考することも可能だ。
 今日のように、チョットマとピクニック中であれば、それに集中してもよいのだが、どうしてもアヤのことを想ってしまう。

 チョットマは、今朝の待ち合わせ場所に使った裏路地に入っていき、建物と建物の間に身を潜り込ませた。
 今日のピクニックは終了だ。
「今、いいよ」
 フライングアイを引き連れた兵士なんて、他人に見られたらどう思われるか知れたものではない。
 ましてや、街のカメラに捉えられては、面倒が起こらないとも限らない。
「じゃ、また明日」
 チョットマの合図と共に、イコマはチョットマの体から離れた。


 メインブレインは思考体が見聞きしたことを、リアルタイムに、そしてまるで自分が体験しているかのように把握していたが、常にアヤのことを考えていた。

 アヤと再会してからというもの、これまでの五百年間を忘れ去ってしまうほどの、喜びに満ちた日々が始まった。
 彼女は、あれ以来、毎日やってくる。
 彼女との会話の数々は、まだ鮮明なままの記憶として、いつでも再生することができる。
 英知の壷で見ていたような誇張された感覚を伴うものではなく、生の記憶として。


 結婚はしていないという。
 いろいろな職業を経て、様々な街で暮らし、今はニューキーツ政府内の某機関で働いていて、暮らし向きはまずまずらしい。
 前回の肉体再生時に、どういうわけか、大阪で暮らした日々の記憶を伴って生き返ったのだという。

 そんなことってあるんだ~と闊達に笑ったが、その声とは裏腹に、目からはまた涙がこぼれそうになっていた。


 また優お姉さんの捜索をしたいとアヤは言うが、イコマはそれを頼むことをためらっていた。
 今のアヤを大切にしなければ。
 その思いが強かった。

 過去を引きずるだけの生では、意味がない。
 少なくとも今、実体を伴って生きているアヤには。
「でも、パパ。私、パパの手足になるためにマトになったのよ」
 と、言うのだったが、
「いよいよ必要となればね」と、かわしていた。


 市民の情報を扱う部所にアヤはいるらしい。
 それ以上は語らなかったが、外部に漏らしてはいけない事柄を扱っているのだろうと推測している。
 そういう部所にいればこそ手に入る情報もあるのだろうが、それは現在の市民の情報である。
 過去の、しかも六百年も昔に特殊な任務に就いていたユウの情報ともなれば、それを探ることに危険を伴うこともあるだろう。
 万一、アヤの身に何かあれば、今度こそ自分は立ち上がれないだろうとイコマは思うのだった。


「サリっていう子がいるんだ」
 イコマは、チョットマやサリ、そしてハクシュウやンドペキのことを話した。
「ニューキーツの住民達だよ」
 サリという娘に関心を持ったことも話した。

「チョットマの言うことを聞いていると、サリって子がなんだかユウに似てるな、と思ったりしたものだよ。でも違うんだ。サリはメルキト。ユウはメルキトではない」
「だよね」
「ユウの子孫ってことなら、あり得ないことではないけどね」
「ということは、ユウお姉さんがマトになって、ホメムかマトとの間に、子供を生んだってことになるわ」
「うん」
「お姉さんも、記憶を失くしちゃったのかも」

 ユウがまだ生身の人間だったときに、つまりホメムだったときにマトと結ばれ、子を産み、サリがその子孫だという可能性もあるが、アヤはあえてそれ以上は口にしなかった。
 もちろん、イコマの心情を思ってのことだ。
「サリのこと、調べてみようか」
 そう言い出したので、イコマはあわててとめた。
「いや、調べなくてもいいよ。それはチョットマ達がすることだから」
 実際、チョットマ達にそんな調査能力があるとは思わなかったし、調べようともしないことは分かっていたが、イコマは嘘をついた。


「でも」
「それにね、もしサリがユウだったとしたら、僕は」
 傷つくことになる。
 自分を忘れてしまったということになるから。

 ユウは、光の女神と呼ばれ、金沢から大阪の自室まで、どのような方法を使ったにしろ、人間を飛ばすことができるほどの能力を与えられていた。
 その彼女が、六百年間にわたってイコマを見つけられないということはないだろう。
 しかも、当時は個人情報のセキュリティは今ほど強固ではなく、IDの漏洩などは頻繁に起こっていたのだから。

 イコマの言いたかったことを察して、アヤはそれ以上、調べてみるとは言わなかった。
「今度、ハクシュウという隊長に会ってみようと思うんだ。どうも、同い歳の日本人みたいだし」
 そう言えば、アヤは無理のない範囲で調べてくれるだろう。
 そして、もしかするとそこにサリのヒントも隠されているかもしれない、と思ったのだった。


「パパは、チョットマさんがお気に入りなのね」
「そうだよ」
 アヤは妬いているのではない。
 イコマが幸せな気分で毎日を送ってきたことを、感じたいだけなのだ。
「典型的なメルキトでね」
 イコマは、チョットマのことも話して聞かせた。

 ナウセルフのみで生きている。一オールドの記憶もない。
 知識量も人並み以下。
 そのくせ人懐っこくて、メルキトには珍しく、人生を心から楽しんでいる……。
 オールドとは、再生される期間のことだ。
 昔の言い方をすれば、一生ということになる。


「メルキトはたいてい、自分がいやになっているか、無気力になっているかなのにね」
「そうだね。でも、その傾向はマトの方がひどいんじゃないかな」
「うん。マトは昔々、自分の生があるときに、死ぬか、アギになるかマトになるか、を選択することができた。それに対してメルキトは最初から再生され続ける人間として生きている。マトは自分で決めたんだからもっと頑張らなくちゃいけないのに、なまじ自分で選んだからこそ、迷いというか後悔というか、割り切れなさがあるのよね」

 アヤはマトだ。
 どんな精神状態で、今まで生きてきたのだろうか。
 イコマはそう思うが、今、目の前にして聞く必要のないことだ。
 生き生きとしているのだから。

 イコマは一般論を吐いた。
「再生回数が増えれば増えるほど、一から人生を始めるのに飽きてしまう。そういう感覚はわかるよ」
 アギにも言えることだからだ。
 アヤも歩調を合わせてくる。
 サリの話から、もしかするとユウの話題から、避けていこうとするかのように。
「あの二百年間、マトの製造が禁止されるまで、毎年世界中で四、五十万人がマトになった。総勢で一億人前後のマトがいる計算になる。でも残存するマトは現状わずか数十万人ほど。ここ数百年のうちに、大多数のマトは消えてしまった」
「アギも同じようなものだよ」


 コンフェッションボックスの中で、イコマとアヤは会話している。
 実像を伴って、向き合っている。
 他に誰もいないがらんとした部屋で、他人行儀に向かい合って座っている。
 親子なら、もっと自然に自分の居場所を見つけて、自由にくつろいで話をするだろう。
 再会したとき、イコマとアヤは抱き合った。
 頬を寄せて、涙を流しあった。
 しかし、そうしたのはあれきり。

 今のこの微妙な距離を縮めたい。
 政府に傍受されていようが構わない。
 イコマは、そう思わずにはいられなかった。


「うん。アギの場合は、思考は途切れることなく続いていくでしょ。それはそれで苦しいのかもしれないけど、マトの場合は死亡という節目があって、そのたびに記憶が消えていく。ある期間の記憶がぽっかり失われていくの。なにも残っていない。それに気づいたときのやるせなさといったら」
 アヤは、涙ぐんでいた。
 他人に言えない苦しみがあったのだろう。
 記憶を失うとは、どんなに辛いことか。
 失われることのない記憶の存在となったイコマにも、その感覚は分かる。
「もうどうでもいい、って何度思ったことか」

 イコマはアヤを抱きしめたいと思った。
 アギであっても、この部屋の中では肉体を持っているし、身なりも整えている。
 アヤを抱きしめることもできるし、アヤが抱きつくこともできる。
 しかし、それはそれぞれの神経がそのように反応し、感じていると脳に伝えるだけのことであって、実際はイコマに本物の質量を伴った肉体があるわけではない。
 この空間同様、仮想の産物なのだ。
 そんなまやかしの肉体であっても、抱きしめてやればアヤは喜ぶだろうか。


「アヤちゃん」
 イコマは椅子から立ち上がった。
 せめて手を繋ぎたいと思った。
 せめて、頬の涙を拭ってやりたいと思った。
 せめて、アヤの髪に触れたいと思った。
 現実には存在しない、仮に見えているだけの手であっても。

「おじさん」
 アヤも立ち上がった。
 そして、テーブルを回り込み、抱きついてきた。
 なんとなく、おずおずと。
 昔、思春期の頃のアヤがそうしていたように。


 イコマの目から涙が溢れ出した。
 何も言えなくなった。
 アヤの髪を撫でながら、嗚咽の中からただただ、ありがとう、と繰り返していた。

 今はこうしていること。それが幸せだと思った。
 離れ離れになった数百年間の空しさは、一度や二度の抱擁では埋められない。


 どれほどの時間、そうしていただろう。
 やがてアヤは胸にうずめた顔を離し、まっすぐ見つめてくる。
「おじさん、私の記憶と変わらないね」
「そりゃ、まあ」
 当然なのだ。
 仮想の肉体は、当時のままを保っている。

 しかしイコマはそうは言わず、「生きてきてよかったと思う」と言った。
「私も。死ななくてよかった」
 アヤが、自分の涙をイコマの胸に擦り付けた。
「おじさんのことやユウお姉さんのことを思い出した途端、人生はガラリと変わったわ」
 そして微笑み、自分の指でイコマの涙を拭った。

「生きていく芯ができたというのか、過去も未来も、両方を見ることができるようになったというか」
「なるほどねえ」
 あまりいい言葉は出てこない。
 こんなに心がときめく瞬間は、もうどれほどなかっただろう。
 イコマはまた涙が出てきそうになって、もう一度、アヤを抱き寄せた。


 過去の積み重ねで、今の自分がある。
 それがあるから、先のことも考えることができる。
 今まで、そんな風に考えたことはなかった。
 誰でも、過去の記憶を心の中から引き出したり仕舞い込んだりすることができるからこそ、明日の自分を思うことができるのだ。
 アヤが胸の中で言う。
「昨日のことも忘れるようでは、明日のことは考えようもないのね。以前の私は、そういう人間になってしまっていたの」


 体が離れた。
 イコマの胸に、言いようのない寂しさがこみ上げてきた。
 しかし、今日の面会時間は終了だ。

 またいつの日か、一緒に暮らせるようになるのだろうか。
 そうは思うが、これ以上、悲しい状況を自ら作り出す必要はない。
 無理をして危険な橋を渡る必要はない。
 傍受しているコンピュータがどんな判断を下すか、分かったものではないのだ。

 これでいいのだ。
 こうして、訪ねてきてくれるアヤと会うだけで。
 今でも、アヤと出会う前の数百年間の状況に比べると、腐りきったどぶ川と南太平洋の大海原くらいの違いがあるのだから。

「ちょっと、やばかったかな。抱きついたりしたし、パパを呼び間違ったりしたから」
 アヤが、ちょろっと舌を出した。
「じゃ、パパ、またね」

 アヤが出て行くと、部屋に並べられた椅子が、空しいものに見えた。
 がらんとした部屋に、座る者のない椅子の群れ。
 冷めた空気。仮想で作られた部屋に風が流れることはない。
 何の物音さえしない、鼓動のない空間。


 そう感じたとたん、イコマはある作業を始めた。
 一心不乱に。
「センチメンタルだな」と、呟きながら。
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