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ニューキーツ 作者:奈備 光

1章 海は知っている

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13 鉛筆立ての記憶

 生駒はシステムが停止するかと思うくらいに驚いた。
 娘の言葉の意味を理解するのに、数秒はかかった。システムの計算速度からすると、永遠ともいえる時間だ。

 自分を「おじさん」と呼ぶ女性は、他にはいない。

 まるで、自分の思考プログラムがクラッシュしたのではないかと思えるくらいに、なにも頭に浮かんでこなかった。
「まさか」という言葉以外に。

 モニターに映っているのは、短い髪の若い女性。
 白いワンピースを着て、赤いチェック柄のミニスカートと、膝上までのブーツを履いている。
 兵士ではないし、街の娘とも違う。
 政府系の機関に働く者が好んで使う色を身にまとっていた。
 髪は鮮やかな水色だったし、ブーツもその色だ。
 清楚な印象で、理知的でもある。
 モニタのネーム欄には「バード」という文字が浮かんでいる。
 政府系の機関に勤めている者が、アクセスしてくることはまずない。彼らの中に、マトはほとんどいないからだ。


 娘が再び、「おじさん」と呼びかけてきた。

 生駒はあわてて部屋のロックを外し、お入りと言った。
 部屋に入ってきたのは、もしかしてその人ではないかと……。
 どこかに面影があるようで……。
 胸が騒いだ。

 何とか平静を保とうと、誰にでも言う同じ台詞、「好きなところへお座り」と声を掛けた。
 娘は、まっすぐ歩み寄ってきた。
 チョットマがいつも座る椅子の背に手を掛けたが、座ろうとはしない。

 生駒は混乱していた。思考が安定しない。
 目の前にいる娘は……。
 もう数百年間、捜し求めていたアヤではないのか。
 なんとなくではあるが、目元にその人らしさがあるような、と。
 反面、ジョークではないか、罠ではないか、間違いではないか、何らかの諜報活動ではないか、という意識も捨てきれないでいた。


 いや、やはりアヤだ!
 しかし、自分が持っているアヤの顔や姿を意識的に呼び出し、照合した。
 体形は、顔立ちは、目は、鼻は、眉は、唇は。
 そして声は。

 娘は、椅子の脇に立って、こちらを見ている。
 いや、もう見えてはいないだろう。
 目には涙が溜まって、今にもこぼれ落ちそうだった。
 そして、「聞き耳頭巾のアヤです」と言ったのである。

 なんということだろう!
「アヤちゃんなのか……」
 それだけの言葉を発するのに、生駒は全神経を使った。
 重すぎる言葉だった。
 言い終わらないうちに、娘は駆け出してきた。
 そして、飛びつき、抱きついてきた。
「おじさん、ごめんなさい!」と、叫びながら。

 生駒は娘を思い切り抱きしめた。
 腕の中の感触を確かめた。
 そして、「アヤちゃん!」と繰り返していた。
 もう間違いない!

 頬ずりをした。
 思わず唇が触れた。
 アヤがその唇を押し付けてきた。
 涙の味がした。

 生駒は、そっとアヤの体を離し、目を覗き込んだ。
 見つめ返してきた目は、彼女が子供だったときのように、かつて同じ部屋で寝ていたあの頃ように、無垢な信頼感で満ちていた。
 生駒が心を震わせた数々の思い出の日々……。
 そして、彼女が大人になってから見せていた、ひたむきな愛情も、瞳の中に溢れていた。
 生駒は、もう一度、アヤの頬を、目元を、口元を、髪を撫でた。
 その手にアヤの手が添えられた。

 なにも言葉にならなかった。
 どんな言葉も、今は空虚だった。
 言葉だけではない。
 頬ずりしようとも、手を握ろうとも、キスしようとも、今の喜びは言い表せないだろうし、心の震えを抑えることはできなかった。

「ごめんなさい、私……」
 生駒は水色の髪を撫で続けた。
「おじさんを守るなんて、偉そうなことを言っておきながら、忘れて……」
 言葉を搾り出した。
「ううん。信じていたから……」
「おじさん、私ね……」
 両手を頬に添えて、また瞳を覗き込んだ。
「何も説明しなくていいよ。来てくれただけで、心がいっぱいだ」
 アヤの目に初めて笑みが浮かんだ。
 生駒も微笑んだ。
「話したいこと、聞きたいことはたくさんあるけど、また来てくれるんだろ」
「もちろん。これからはまた、家族のように」

 生駒はそれからアヤを抱きしめ続けた。
 記憶としてしまい込まれた思い出ではなく、今、腕の中にある生身のアヤの感触を確かめ続けた。
 アヤもそうだろう。
 ひとこと、「会えてよかった」と言ったきり、きつく抱きついたまま、離れようとなしなかった。


 アヤとの面会時間は、ちょうど三十分間だった。
 それ以上いると、システムに不審がられるかもしれない。
 アヤは、必ず明日また来る、と言った。だから、決して自分のIDにアクセスしてこないで、と。
 生駒ももちろん、そんなことをする気はなかった。
 アヤは政府機関に勤めているという。アギの自分がアクセスするという稀なことをして、彼女の身にいい影響があるはずがない。
 家族のように、と言ったアヤの言葉を信じないようでは、親ではない。

 アヤは「じゃ、パパ、また来るね」と、決まり文句を口にして出て行った。


 アヤが出て行ってからである。
 本当の感激がこみ上げてきたのは。


 生駒は、アヤが出て行った扉を見つめて、立ち尽くした。
 バーチャルとはいえ、肉体を持った状態である。涙が流れていることに気づいた。
 涙を流す感触を味わうことが、それが喜びの涙であればなおさらのこと、これほど心地よいことだったとは。

 あの声、あの表情……。
 彼女が中学生だった頃、学校から帰ってきては、今日あったことを、口の回りが追いつかないほどの勢いで次々に話してくれたあの頃。
 叱られて、トイレに篭って泣いていたあの頃。
 夕飯のカキフライを食べながら、少しづつ悩みを打ち明けてくれた高校生の頃。
 バイト仲間とのカラオケが楽しかったといっては笑い、就職の面接が上手くいかなかったといっては泣いていたあの頃。
 そしてなぜか、急によそよそしくなった朝。
 酔った勢いで抱きついても、身をよじって逃げていったあの夜。


 彼女と一緒に過ごした日々。
 大阪のマンションの一室での日々が思い出された。
 アヤが工作で作った紙粘土の魚はいつまでも洗面台の上に飾られていたし、アヤの作った鉛筆立てを生駒は最後の日まで使い続けていた。
 結婚に夢破れ、泣きながら家に帰ってきたとき、アヤは初めて生駒をパパと呼び、また一緒に暮らしていいですか、と聞いたものだ。
 その幸せは永遠に続くかと思えるほど、平凡でなにげなく、春の日の木漏れ日のように柔らかな暖かさに満ちていた。

 そんな暮らしが一変したのは、アヤの離婚が正式に成立した翌年の暮れのことだった。

 優がいなくなったのである。
 アヤは自分が帰ってきたことがその原因ではないかと感じ始め、たった二人となってしまった小さな家族の関係はギクシャクし始めた。
 それからの重苦しい二十数年の日々。
 そして生駒がアギとなり、アヤがマトとなってからの百年間。
 それはいずれも遠い過去であったが、鮮明な記憶となって生駒の肉体を駆け巡った。


 アヤは、実の子ではない。
 昔、生駒と優が半同棲のような状態で大阪に住んでいた頃、京都の山奥の村で知り合った。
 その村で殺人事件が起き、アヤの力を借りて事件の解決に貢献したのだった。
 村に住んでいたアヤの父親が亡くなり、村のある家庭の養女となったのだが、その養母がアヤの将来のことを考えて、生駒の元に預けたのである。
 アヤは、村の長老である大婆が認めた聞き耳頭巾の使い手である。
 その頭巾をかぶって心を澄ませば、木々の声や鳥の声の意味を知ることができるのだ。

 聞き耳頭巾をめぐって、アヤと交わした数々の言葉。
 中でも、アヤを真ん中にして、優と川の字になって寝た夜のことは、生駒の生涯にとって、忘れられない思い出となった。
 初めて見た子供の瞳の美しさ。
 かげりのない信頼と愛情の色。
 ひたむきに生駒の言葉を待っている黒い透明感。
 そしてその視線が自分から外れたときの喪失感。
 あの夜、生駒は、子供を持つということがこれほどの幸せに満ちたことなのか、と初めて知ったのだった。


 ふと生駒は、聞き耳頭巾はまだあるのだろうか、と思った。
 作られてからゆうに千年は経つ。
 アヤは、特殊な樹脂製の繊維を編みこんで補強したと言っていたが。もうそれも、数百年前のことだ。

 アヤが聞き耳頭巾をかぶった姿を最後に見たのは、優を訪ねて金沢へ行ったときである。
 強烈な光に晒されて真っ白になった荒野を歩きながら、アヤは風の声を聞こうとしたのか、頭巾をかぶり、とぼとぼと生駒の後ろを歩いていた。

 あの日を境に、生駒とアヤの人生は大きく変わった。
 優が生きている、ということがわかっただけでない。
 魔法かとも思えるような不思議な力を持ち、光の柱の守護として働きながら、自分たち二人のことを案じてくれていることがわかったのだから。
 それは生きる希望となった。
 生き続けて優と再会すること。それが生駒の唯一の望みとなった。

 だからこそアヤは、生駒を支え続ける道を選んだのだった。
 生駒はアギとなり、決して失われることはない記憶を持って、優との再会を待った。
 待つだけではなく、あらゆる手を尽くして優の消息を捜し求めた。
 アヤはマトとなり、実体を伴った行動で生駒の手足となり、世界中の町を歩いた。そして、あらゆる機会を見つけては、聞き耳頭巾をかぶって、優の噂を拾おうとした。


 しかし、アヤの肉体が再生されるたびに、過去の記憶は薄れていった。
 そのことに、アヤは悩み続けていた。
 やがてアヤは二度目の結婚をし、子をもうけないまま再び別れ、徐々にアヤの心に砂混じりの隙間風が吹くようになっていった。
 生駒にも、それがわかった。
 そして、ついにその日がやってきた。
 毎日、必ずなんらかのアクセスをくれるアヤから、連絡が途絶えたのだった。


 アヤのIDは失われていた。
 肉体は再生され、IDが変更になったものと、生駒は考えようとした。
 まさかアヤが再生不許可になったはずがない。
 ましてや自死を選んだはずがないから。

 生駒は、優だけでなく、アヤも探さねばならなくなった。
 しかし、その手がかりはあまりに乏しかった。
 アヤがどこに住み、どんな名前を使い、どんな職業についているかも知れないのだ。
 しかも、連絡が途絶えたということは、生駒のことも忘れてしまったということなのだ。

 優と最後に会ってから六百年。
 しかし、優がまだどこかで生きていて、自分のことを想ってくれている。
 その確信になんら根拠はなかったが、生駒はそう信じ込むことによって正気を保ち、日々を送る糧としていたのである。
 しかし、アヤの場合は、生死さえわからず、たとえ生きていたとしても、彼女にはすでに記憶がない。
 アヤを探すことの現実的な難しさ以上に、取り組む意義を見出すことが難しかったのである。

 あれから、五百余年。
 生駒は自分の心の中を覗き込んでみた。
 自分はアヤを探し続けていたか、と。
 優を信じるのと同じように、アヤを心底から信じ続けていたかと。

 その答えは明白だった。
 生駒は再び、今度は少し味の違う涙を流した。

 ただ、生駒は思った。
 もう、過去のことはいい。
 今まさに、アヤと再会したのだから。
 さっきまで、この部屋にいたアヤのことを思わなくては。
 彼女にしてやれることは、なんだろう。
 それが、親として、自分の務めなのだから。
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