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ニューキーツ 作者:奈備 光

1章 海は知っている

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12 心を伏せた声

 コーヒーカップを手にオフィスの自席に戻ると、コンピュータが警告ランプを点滅させていた。
 自動監視がマーキングした人物コードを送ってきていた。要注意Eレベルとある。

 私が担当している市民数は二十万人。
 一人の監視員が特定人物群を担当するのではなく、監視員は重なり合っているので、世界中の誰もが三人のオペレータから監視されている計算になる。
 人の目による監視の前にコンピュータによってスクリーニングされるのだが、そのアルゴリズムは十一個。何らかの言葉が、あるいは行動がコンピュータに引っかかると、監視員に知らされるのだ。
 コンピュータがなぜ要警戒、要注意と判断したのかは、ほとんどの場合、知らされることはないが、今回はその理由が明示されていた。
「英知の壷 訪問異常」

「誰がどこに何回行こうが、いいじゃない」
 と、私は心の中で毒づいてから、その人物IDにアクセスした。

 英知の壷で見る夢は、その人自身の過去であることが多い。
 監視員も同じものを見ることはできるが、さすがに気が引ける。
 会話を盗み聞きすることも同じようなものだが、それでも文字としてデータ化されていることで、罪の意識は薄まる。
 しかも、この人物は要注意Eランクでもあるし、緊急度は低い。
 まず、その人物が誰かと交わした会話のアーカイブを表示させた。

 はいはい。あなたは誰?
 誰とどんなお話をしたの?
 私は適当に選んで、ひとつのデータを開いた。
 それにしても、まずいコーヒーね。
 本物のコーヒー豆を挽いて作ったコーヒーの味や香りなど、とうの昔に忘れてしまったが。
 アーカイブの中には、兵士との面会時の会話が並んでいた。
 ひとつのフレーズが目に飛び込んできた。

 私は思わず叫びそうになり、コーヒーカップを取り落としそうになった。


「かつて愛した二人の女性を、僕はずっと探し続けている」
「ええーっ、ふたりも!」
「ハハ、ひとりは恋人。もうひとりは、なんていうかな、娘といわせてもらってもいいだろう」
「へえ! なんていう人? 私はすぐに忘れてしまうけど、パパなら何百年経っても覚えているんでしょう」
「もちろん忘れるものか。サンジョウ ユウ。そして娘は、タチバナ アヤという」


 私はこの部分を何度も何度も、読み返した。
「サンジョウ ユウ」と「タチバナ アヤ」

 橘 綾……、私の名前……。
 本名をこの男性は……。


 何度も読み返した。
 ああ、もう間違いない。
 これは……。
 溢れ出した涙が、頬を伝っていく。

 やっと……。
 会える……。


 おじさん!


 私は同僚に見られないように、すばやく涙を拭き取ったが、次から次へとこぼれ落ちる涙をこらえることはできなかった。
 しかし、気を取り直し、この会話を交わした二人の人物のIDを凝視した。
 監視室には筆記用具は持ち込めない。
 他人のプライバシーを盗み見る場所なのだ。
 いかなる理由があっても、データを持ち出すことは許されない。
 もちろん、自分のポータブルコンピュータにも、どのような形であれ、記録に残すことはできない。
 そんなことをしても、どこで探知されてしまうか分かったものではない。

 おじさん!
 今すぐに会いたい!
 それが無理なら、今すぐ声を聞きたい!

 どこでもいい!
 コンフェッションボックスに駆け込みたかったが、センターのそれは利用できない。
 センターのボックスは、不良な「アギ」を接触監視するため、あるいは囮捜査として使用するものであって、確実に利用記録が残るからだ。

 私は業務時間が終わるのを、今か今かと待った。
 通常業務を何食わぬ顔で処理しながら。
 覚えた二つのIDを忘れないように、繰り返し繰り返し反芻しながら。


 頭の中を、いろいろな思いが駆け巡った。
 出会いの日々。楽しかった日々。失意の日々……。
 そして、おじさんと話し合ったこと。

 おじさんはアギ。つまり、記憶のヒト。
 私はマト。つまり、肉体のヒト。
 私は、本当はアギになりたかった。
 その方が私の性格に合っていると思ったから。
 でも、私達にはひとつの目標があった。そのためには、おじさんと私は別々の道を進んだ方がいい。
 そのことを決めるのに、議論の必要はなかった。おじさんがマトになって、いいことはひとつも無かったから。

 おじさんに言われるまでもなく、私はマトになることを選んだ。
 しかし、想像していた以上に、マトの、つまり私の記憶力は貧弱だった。
 どんなに頑張っても、思い出せない事柄が多かった。
 というより、思い出さなければならないことがある、ということ自体が思い出せなくなっていった。

 そしていつしか、おじさんのことを忘れ去った。
 同時に、おじさんと交わした約束も。
 そして、私がマトになった理由も。

 あの日、あんなことが起こなければ、大切なことを忘れたまま、薄っぺらな思考力の中で小さな暮らしを続けていたのだろう。


 夜十八時、仕事帰りの人並みの先頭に立って、私は何食わぬ顔で街に出た。
 トゥーアロードのもっとも賑やかな街角で、ボックスに入った。

 IDを打ち込む。
 指が震えている。

 何を、どう話せばいいのだろう。
 あの会話の断片を見つけてから、そればかり考えていたのだが、最初の呼びかけ方が分からなかった。
 心を決めかねていた。
 すでに、五百年ほどの年月が流れている……。


 自分の業務として、センターでの空き時間に、現在のおじさんの思考を盗み見ることはできた。
 しかし、私はそうはしなかった。
 もちろん作業記録が残り、それを見た者に不審を抱かせるかもしれない。それに、自分の父親代わりになってくれた、愛してやまない人のIDをデータベースに打ち込むことはとてもできなかったのだ。

 なにより、おじさんに謝らなければいけない。
 どんなことがあっても私が守るといったにもかかわらず、わずか百年も経たぬうちに、その存在も名も忘れてしまったのだから。


 声が震えた。
「こんにちわ」
 そんなありふれた言葉で、私はおじさんに話しかけた。
 モニターの向こうには、初老の男性が写っていた。
 頭髪は半ば禿げ上がり、貧相な体格をしている。
 しかし血色はよさそうで、かすかに微笑んでいた。
 昔と同じように墨色のTシャツを着ている。
 私の容姿は、おじさんが覚えている昔の私のままだろうか。

「はい。こんにちわ」

 声が返ってきた。
 ああ……、おじさん……。
 思わず声になりそうになったが、私はあくまで他人行儀な挨拶をした。
「お久しぶりです。パパ」

 私はコンフェッションボックスの機能と、そこで交わされる会話を監視するコンピュータシステムの癖を熟知している。
 どんなアルゴリズムの場合も、会話の最初の段階が重要なのだ。

「ん? どなただったかな?」
「以前、街でお会いしたケイケイエムゼットです。お礼を言いたくて」
「ふうん」
「道を教えていただいて、助かりました。ありがとうございました」

 冷や汗の出るでまかせだったが、システムの監視モードがランクダウンするのは、約二千文字以降だ。また、無言が続いたり、脈絡のない話もまずい。唐突に地名や人名などの固有名詞が出るのもNGだ。

「昨日、面白いことがありましてね」
「……」
「街角にお花が咲いていたんですよ」
「……」
「珍しいでしょ。あるお店の前で。そのお店の主人か奥様が、育てておられるんでしょうね」

 実際、街の中で植物を見かけることはまずない。
 私が勤めているセンターなど、政府系の建物の中庭などでは花壇があったりもするが、個人で花を育てるというようなことはない。切花は生産されているが、一般市民が購入できる金額ではない。

 この話題を選んだのは、おじさんが興味を持ってくれるのではないかと期待したからだ。
 植物や自然が好きだったから。
 木々の話ならなおさら良かったが、残念ながら、街中に樹木というものがない。


 お入り、と言ってくれなければ、部屋に入ることはできない。モニターの画面を見つめるだけだ。
 おじさんはそうは言ってくれない。
 肉体のないアギでも、たとえバーチャルの空間であっても、見ず知らずの人を自室に招じ入れることはまずない。
 しかし、かえってそれは良かったかもしれない。
 なまじ完璧なリアリティを伴って面会すれば、我慢できずに抱きついてしまうかもしれない。
 私は自制心を最大限に発揮して、無難な話題が途切れないように気遣った。
 おじさんも、たあいのない言葉を、もう少し発してくれればいいのだが。


「へえ、どこで?」
 地名を口にするしかない。
「ハンプット通りの西の方で」
 もっと辺鄙な街の、何の変哲もない地区の名前を口にしたかったが、おじさんには私がニューキーツの街からアクセスしていることが表示されている。嘘の地名を使うわけにはいかない。
「そう。じゃ、僕も見に行ってみようかな」
「ええ」
 しかし、花を見たというのは事実なのだ。コンピュータはスルーするだろう。
「じゃ、場所を教えますね」
 私はできるだけ文字数を使うように、たった一輪の花のありかを説明した。
 ついでにそれがどんな花なのかも。

「ところで、貴方は……」
 おじさんの声に私は緊張した。
 いよいよだ。

 懐かしさがこみ上げてきた。
 涙声になりそうなのをこらえて、私は答えた。
「おじさん。私、本当にごめんなさい……」
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