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ニューキーツ 作者:奈備 光

8章 タブレットを飲んで

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120 水辺の歌

 その夜、洞窟ではささやかなパーティが開かれた。
 チョットマは、ンドペキの心遣いがうれしかった。
 ここに潜んで早やひと月ほどが経っている。
 朝も昼もない暗闇の中で、薄暗い照明だけが頼りの暮らし。
 アンドロ軍が攻めてくることは今のところはないが、不安に押しつぶされそうな毎日。
 溜まりに溜まったストレスを霧散させる手段もない日常。

 不安要素だった消去と再生のシステムがパリサイドによって破壊され、少なくとも洞窟の外に出ることができるようになった。
 隊員達の心をどれだけ浮き立たせたことか。
 行動範囲が広がるだけでなく、街のアンドロへの攻撃を仕掛ける上でも、非常に大きな意味を持つ。
 新しい作戦を立てることができる。
 戦いに勝つ見込みが高まるのだ。
 チョットマだけではなく、隊員達全員が待ち望んでいたことだった。


 ンドペキがパーティの開会を宣言した。
「作戦会議はなしだ。ささやかだが、今夜は楽しもう!」
 短いフレーズで、ンドペキが大広間に集まった隊員達を見渡した。
「明日の作戦会議は、正午から始める。間違わないように」
 そういって、たくさんのテーブルの周りに集まった隊員達の輪の中に入った。

 連夜、全員での作戦会議はンドペキが必ず実行してきたことだ。
 話すことはそれほど多くはなかったが、顔を合わせることが重要だからとンドペキは言う。
 チョットマも賛成だった。
 士気を高いままに保つだけではなく、閉塞感のある暮らしに溜まりがちな不都合や不安を少しでも和らげるために、様々なことが話題になった。
 ここで話すことによって解決することもあったし、話すことで心が休まるということもあった。


 今夜は急ごしらえのテーブルが、大広間に並べられている。
 料理も飲み物も、いつになくたくさん並んでいる。立食形式だ。
 照明もいつもより多めで、暗さに慣れきった目には眩しいと感じるほどだ。
 チョットマは、ンドペキが自分の横に来てくれたことがうれしかった。
「ねえ、ンドペキ、明日から新しい暮らしが始まる気分だね」

 直ちに攻撃に移れるよう装備を纏ったままの隊員達も、パーティに参加している。
 洞窟に向かってくるものを捕捉するレーダーシステムは上手く稼動している。
 これまでは消去の恐れがありながらも、洞窟の外に数人は展開していたが、これからはその心配はなくなるのだ。
 監視ブースにいる数人の隊員達には気の毒だが、それを除く全員が大広間に集結していた。
 レイチェルやアヤ、そしてスゥもいる。
 パーティは晴れやかな雰囲気に包まれていた。


 隊員たちが叫んだ。
「ンドペキ! おまえの話を聞きたいぞ!」
「何か話せ!」
「声を聞かせろ!」

 ンドペキが立ち上がった。
 チョットマも期待した。
 きっと、心が温かくなることを言ってくれるはず。
「俺は……」
 何を言うだろう。

「俺は……、俺はスゥを幸せにする!」
 えっ。
 一瞬の間をおいて、歓声と指笛が沸き起こった。
「そのためにも、俺達は街を奪還する!」
 おおおっー。
 ンドペキの宣言に、隊員たちは盛大な拍手を送り、肩を叩きあった。
「よっしゃー!」
「やってやろうぜ!」


 レーダーブースから連絡が入った。
「近づいてくるものあり!」
 そのすぐ後の言葉に、たちまち膨れ上がった緊張感は消えていった。
「KC36632です!」
 パリサイドの訪問が告げられた。

 ンドペキも、「パーティにご案内しろ」と半ば笑顔で言う。
 攻撃隊は念のために洞窟の入り口に向かったが、結局すぐに戻ってきた。KC36632を伴って。

 KC36632は、大広間に入ってくると、眩しい照明に少し目を細めて周りを見渡した。
 拍手が沸いた。
 感謝の言葉も投げかけられる。


 目が合った。
 KC36632はいつものようにサリの姿だ。
 フワリとした東洋的な衣装を身につけ、その下に兵士用のブーツをはいている。
 かすかに微笑みを返すと、水辺に向かって歩きだした。

 水辺にはレイチェルが立っていた。
 少し離れてロクモンが控えている。
 ふたりともパーティを楽しんでいないのか、笑みはなく、飲み物を口にしてンドペキを睨みつけていた。
 フン。あなたは振られたんだよ。
 私もね。
 チョットマはレイチェルにそう言ってやりたかった。

 KC36632は躊躇なくレイチェルに近づいていった。
 誰もそれほど関心を示さなかった。
 ンドペキは、KC36632にワイングラスを掲げてみせたが、KC36632の方も軽く会釈を返しただけだ。
 チョットマも、背を向けたKC36632から目を離し、アヤと話し始めた。
「もうすっかり良くなったみたいですね!」
 アヤは微笑んで、「もう1ヶ月。ありがとうございます」
 こうして大広間に出てきたのは、今夜が初めてだった。
 松葉杖姿。椅子に座っているのは、アヤだけ。
 そのことが、彼女だけは特別だという雰囲気を醸し出している。
 隊員のひとりが、アヤが使いこなせる浮遊装置付きの義足を開発しようとしているが、まだ実用化には至っていない。
「楽しみにしているんです」
 アヤはその義足を装着して、一緒に行動できる日が楽しみでしかたがないのだという。


 そのときだ。
 背後で叫び声があがった。
「捕り押さえろ!」
 振り返ると、広間に入ってきたばかりのハワードが、血相を変えていた。

 なに!
 誰を!
「レイチェルに近寄らせるな!」
 と、KC36632の姿が消えた。

 あっ!
 次の瞬間、目の隅に映ったもの。
 KC36632がレイチェルを抱え込んで水に飛び込むのが見えた。
 それを追って、二、三人の隊員が続く。

 ンドペキが「追うな!」と叫ぶ。
「照明!」
 ロクモンが駆け寄る。
「レイチェル!」

 誰もが水辺に突進した。
 灯りに照らされるまでもなく、水面には赤い血が浮かび上がってきた。
 固唾を呑んで淵を見守るが、人影はない。
 広がった赤い血も、たちまち流水に紛れていく。

「レイチェル!」
「どういうことなんだ!」


 チョットマは呆然と立ち尽くした。
 ンドペキが叫んだ。
「瞑想の間に向かえ! ホトキンの間もだ!」
 隊員が駆け出していった。

 伏流水の流れは速い。
 絶対に水に入ってはいけないと厳命されている。確実に人は溺れ死ぬ。

 じりじりと時間が過ぎた。
 KC36632もレイチェルも、そして彼女らを追って飛び込んだ隊員たちも、だれも水面に現れない。
「どうにかできないのか!」
 悲痛な声が上がった。
 しかし、水面を見つめる以外に、どうすることもできなかった。


 すでに数十秒が経過している。
 淵は、何事もなかったかのように黒々とし、緩やかに水を流しているだけだ。
 飛び込んだ隊員は三人。いずれもロクモンの部下である。
 そしてもうひとり、ハワード。
 ただ、ハワードだけは引き上げられている。同室となった隊員が、飛び込んだハワードの足を咄嗟に掴んだのである。


 誰もがそこに凍りついたかのように突っ立っていた。
 ンドペキは水際に立ったまま、ものすごい形相で水面を見つめている。
 万一の時にはンドペキを抱え込もうとするかのように、パキトポークがすぐ横で睨んでいる。

 KC36632がレイチェルを刺した……。
 そのまま抱え込んで、水に飛び込んだ……。
 そのことが全員の頭に染み込んでいった。

 だれも止められなかった。
 完全に油断していた……。
 KC36632はレイチェルに話しかけることもなく、近付くやいなや、隠し持った短剣もろとも体をぶつけたのである。


 スジーウォンの声がした。
「KC36632だったのか?」
 ンドペキが振り返った。
 視線をまともに受けて、スジーウォンはためらい、何も言わずに首をすくめた。

 チョットマは胸が苦しくなった。
 あれはKC36632ではない……。
 サリだったのではないか……。


 スゥの声がした。
「KC36632じゃない」
 ンドペキがスゥに向き直り、睨みつけた。
 その視線を跳ね返すスゥ。
 ふたりは睨みあったまま、数分が経った。

 やがて、ンドペキはがっくりと肩を落とした。
「なんて失態だ……」
 と、頭を抱え込んだ。
「俺達のレイチェルを……」

 ロクモンが仁王立ちしたまま、水面を睨みつけていた。
 その肩は、誰の目にも分かるくらい、震えていた。
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