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ニューキーツ 作者:奈備 光

8章 タブレットを飲んで

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119 心が崩壊しそうな話

「私、ユウなの」
「ええっ!」
 スゥの発した言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「私は、三条優」
「……」
 ンドペキもイコマも、言葉にならなかった。

「私はユウのクローン。そしてマトになった。ンドペキと同じ」
「なんっ!」
「ユウ、つまり私はノブのクローンを作ったとき、ただではすまないと思った。自分の身がどうなるかわからない。自分のクローンも作っておかなければ、将来の再会は果たせないかもしれない。そうなれば、ノブとの最後のあの約束を果たせなくなる」
「なんという……」
「スゥである私とユウは、ンドペキとノブの関係と同じように、記憶を共有し、思考も同期しているの」
 ンドペキにとって、それは自分がイコマであるということを知った驚きと、同じくらいに驚きだった。
 しばらく、声も出なかった。


 スゥはもう泣いてはいなかった。
「きっとまた会える。そのときは、どんな状況であっても、まず最初にキスしようねという約束」

 約束!
 思い出した!

 サリの捜索のとき、川のほとりでスゥと始めて会ったとき!
 スゥは、約束を守らないとは、と言ったのだった。
 あの約束とは、そのことだったのだ!

「スゥ、かえすがえすごめんよ。あの川原で。そして、洞窟に初めて連れてきてくれたとき……」
「うん。もういいのよ。私自身、本当はそんな約束のことを……、ううん、ノブのことも忘れてしまっていたんだから」
 握った手にスゥが力をこめた。

「私、罪深い人間。マトになったときから、本当はノブのこと、忘れていたんだから!」
 また、六百年前の話だ。
 ンドペキは、それがどうでもいいというわけではないが、スゥは今の俺が好きになった人なのだ!
 やめてくれ……!
 その話は……!
 元はといえば、という台詞は、ことスゥに関しては当てはまらないで欲しかった。


「ユウである私は、自分のクローンを作った。将来、どこかで再会するノブとキスするために」
「あああ……」
 話さないでくれ!
 俺は、今のスゥが好きなんだ!

 しかし、無情である。
 スゥは、いやユウにとって、話さないでは済まされないことなのだ。


「ところが、私はミスをしてしまった……」
 肩を震わせるスゥを今ここで抱きしめたいと思った。
 そしてキスしたいと思った。
 それが約束だ、とも思った。

「当時のアギやマトの製造技術は未熟だった。だから、その時の私の年齢じゃなく、かなり若い、そう、最初にノブと出会ったころの自分として作ったの。そうすれば、クローンである私がマトになるとき、技術が進んで、正確な私が作られると思ったから」
「ねえ、スゥ、キスしよう」
「うん」
 短いキスを交わしたスゥの目に、また涙が溢れ出した。

「しかし、手違いが起きちゃった。もう数年後の私を作っておけばよかったと思ったけど、後の祭り。意味、わかった?」
「つまり、俺以外の人が好きになった?」
「ちょっと違うけど、ノブのことを思い続けることができなかった。私がマトになった五十年後まで……」
「そうなんだ……。でも、それは俺に責任があるんだ。おまえを、その、愛しきれていないというか、まだ……」
 ンドペキの中のイコマである意識が話している。
「うん。そういうタイミングだった。私も、ノブのことが大好きだったけど、なんていうか、歳の離れたおじさんと、その、いいお付き合いになればって感じでしか……」
「そう。そうだったんだ。俺もおまえのそういう気持ちは、理解していた……」


「私が地球上にいれば、そのミスに気付いたんだけど、クローンがマトになったとき、私はすでに宇宙船の中。私の希望では、マトになったノブと私が、睦まじく暮らしていくことだった。そして、私自身が帰ってきたとき、アギのノブも含めてみんなで仲良く暮らすことだった。しかし、ミスしてしまったんだ……」
 今、スゥの口から出る言葉は、ユウの意識が発しているのだ。
 ンドペキは、悲しかった。

「海の中にいたとき、最初に探したのは、クローンからマトになっているはずの私」
 ンドペキはスゥ自身の話を聞きたいと思った。

「それがスゥと名乗っている呪術師。私はスゥをとある海岸で待ち伏せ、ンドペキにしたように記憶を共有し、意識や思考を同期させたのよ。自分にするんだから、方法はもっと強引だったけどね」
 突然、スゥが苦しげな声を出した。
「ンドペキが苦しんだように、私も苦しんだ。なにしろ、わけがわからない意識が私を乗っ取った、も同然だったから!」
 ああ、今はスゥの意識が話しているのだ……。


「ユウの意識が入ってくることによって、私もノブを愛するようになった。なったというより、そのことは私の意識の中で当たり前のことになり、ノブを探さなければと思った。そして、見つけ出した。幸いなことに、同じ街に住んでいる攻撃隊員だった……」
 再びあの川原での出来事が思い出された。
 すべては、あれが始まりだったのだ。
 そのときすでに、スゥは、ユウは、自分がイコマだと知っていたのだ。

「でも、もう一方の私はパリサイド。このニューキーツの街がどうなっていくか、ある程度の予測はできた。何らかの争いが起きる可能性は十分にある。ンドペキは兵士。争いが起きれば、私が助けなくてはいけないときがくるかもしれない。そのためには、政府の監視網から逃れられる、自由で安全な場所が必要だった」
「だから、洞窟を」
「そう。何が起きてもいいように、必死で準備をしたのよ」
「ありがとう。本当に感謝している」

「私はさ、ある程度は期待していたの。ンドペキは私のことを忘れているけど、もしかすると思い出すかもって」
「すまない……」
「ううん。だから、もうそれはいいって。厚かましいよね、私。自分が記憶を取り戻したからって、相手も同じように都合よく思い出してくれるかもって、思うなんて」
 スゥの意識とユウの意識はめまぐるしく替わっている。
 ユウが話していると思ったら、次の言葉はスゥが話しているのだ。


 ンドペキは、ンドペキとしてスゥ自身に話しかけたいと思った。
「スゥ、聞いてくれるか。俺は、ンドペキは、ユウのことを忘れていた。俺が知っているのは、今の、スゥだけ。君のことを信じていた。本当だ。だから、こうやって洞窟にやってきたし、ここに部隊を呼び寄せることに何の躊躇もなかった」
 スゥが苦しげな声を出した。
「うん。それはわかってる。でも、もうンドペキは私の知っているンドペキじゃない……。ノブだから……」
「でも、俺はンドペキなんだ。スゥがここに連れて来てくれた、東部方面攻撃隊のンドペキなんだ!」

 ユウが言葉を遮った。
「ふたりとも、もういいよ」
 ンドペキは思わず叫んでいた。
「もういいって、なんだ! ユウ! 俺は、スゥを!」
「だから、もうそれはいいよ」
 スゥが、苦しそうに呟いた。
「ンドペキ、私のことはもういいの。私の仕事は終ったのよ」
「なんだ、仕事って!」
「ンドペキが、自分の記憶を取り戻すこと。それが私の仕事。もう、仕事は終った。私はどうなってもいいのよ」
「おい! 何を言うんだ! やっと俺はおまえのことを思い出したんだぞ!」

 泣きたくなるほど、辛かった。
 洞窟に始めて来たとき、スゥは涙ぐんでいた。
 そして、自分の記憶がないことで、スゥを悲しませたと思っていた。
 ようやく記憶を取り戻し、自分がかつてこれ以上にないほど愛した人だったことを思い出したのだ。
 なのに、どうなってもいい、とはどういうことなんだ!


「だって、ユウ本人がここにいるんだよ。クローンではない、ユウが!」
 すかさず、ユウがスゥの言葉を遮った。
「もう一度言うよ。ふたりとも、もういいって」
 それきり、スゥは黙ってしまい、また睫に涙をためた。

 ンドペキは、事の成り行きに気がついた。
 自分が誰を愛しているのか、ということに。
 さっきは、スゥを、そしてユウを愛していると言った。
 それは心の赴くままに言ったこと。
 では、現実はどうなるのだ……。

 目の前に、ユウと同期したスゥがいて、ユウ本人がいる。
 自分はスゥを愛している。それはクローンからマトになったスゥ。
 しかし、スゥの存在はユウとしての存在でもある。
 しかも、洞窟を用意し、導いてくれたのは、クローンとしてのスゥではなく、ユウの意識だったのだ。
 そして、生駒延治としてのンドペキは、心の底から三条優を愛しているのだ。
 その気持ちが、今自分の中に同居している!


 ユウがスゥに声を掛けた。
「私達の意識は、上手く同期しなかったみたいね」
 もうスゥは、泣きじゃくっていた。
 また、首を激しく振った。
「違う。同期している! 今、ユウが考えていることは、私自身の考え。私自身、何の違和感もない。でも、でも!」
「だから、上手くいかなかったのよ。スゥ、あなたは、スゥであり続けようとしている」
「違う! 私は三条優! でも……」
「苦しいよね……」
「ううん。だから私は、もうどうなっても」

 ユウが大きく溜息をついた。
「あなたはわかっているのよ。自分が三条優じゃないことが。だから苦しんでいるのね。ユウであることが受け入れられないのよ」
「そうじゃない……」
「私は、感じていた。あなたの苦しみを。だって、あなたは私だもの。ね、シリー川の会談のとき」
「あれは……」
「でしょ。あなたは私にンドペキを取られてしまうことに我慢ができなかった。ノブと交わした約束、最初にキスしようねという約束。あのステージの上で、あなたはそうなることに我慢がならなかった。だから、発砲した」
「ああああっ! そういう……」
 なんとあれは!
 ンドペキは、心に鉄の楔を打ちつけられたような気がした。

「あなたは私自身。その気持ちはひしひしと伝わってきていたのよ。私自身の気持ちとしてね」
 ユウは穏やかに言うが、その目にも涙があった。
「あのことがあって、私はあなたとの同期が完全ではないと気付いたのよ。スゥはスゥの意識に従って行動しているということに」


「そうじゃない……」
「ううん。無理しなくていいのよ」
 ユウはあくまで優しくスゥに語り掛けていた。
「ねえ、スゥ。ノブとンドペキはどうなっていくと思う?」
「…わからない」
「でしょう。私とスゥが完全に同期できていれば、わからないなんて言い方はしないはず」
「……」
「ノブとンドペキの同期は、きっと上手くいくと思う。今はまだ、ンドペキとノブの意識は、共存しているだけ。ひとつにはなっていない。でも、ひと月も経てば、ンドペキだノブだっていう、パラレルの関係はなくなるでしょう。両方の知恵と経験と記憶を兼ね備えた意識を持つようになる。そこに違和感はないし、葛藤もなくなるのよ」

 ユウが向き直った。
「ンドペキ、それは寂しいこと?」
 わからなかった。
 確かに、今はまだンドペキの意識だとか、イコマの意識だという判別ができる。それが融合することに寂しい思いをするだろうか。
「わからない……」
 そう言いながら、すでに寂しいという気持ちがないことに気付いていた。
 むしろ、喜びがあることに気付いていた。

 ただ、戸惑いはある。
「ユウ、俺たちはいったい、どうなるんだ? おまえがしたかったことはなんなんだ?」


 俺はパリサイドであるユウと、クローンからマトになったスゥを、同じ人間として愛し続けることになるのだろうか。
 それとも、ユウとスゥを別の人として愛することになるのだろうか。
 本来は、それは自分の問題のはず。
 ユウを愛していることを形にして表してこなかったことが、ここに来て、こんな形で罰を受けることになってしまったのかもしれない。
 ンドペキは、イコマは、そう思った。

「私がクローンだってことは、ずっと知っていた」
 スゥが声を絞り出した。
「ひょんなことからそれを知った。マトになる申請は通らない。クローンだから」
 スゥが声を震わせた。
「私は政府のとある権力者に近づいて愛人になった。マトになるために」
「そうだったの……」

 六百年前のスゥの身の上話。
「私が誰のクローンなのか、知らなかった。ううん、知らないはずはないよね。私は三条優だから。でも、他人のような気がした。そしていつしか憎んでいた。本当は憎むのはお門違いだけど……」
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