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ニューキーツ 作者:奈備 光

1章 海は知っている

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11 ざらついたガラスの歌

 ガラスのジェネレーション……。
 そう、私は十七のときから、そのまま。
 でも、私の心にあなたが付けた痣は、日毎に大きくなっていく。
 少しずつ形を変えながら。

 サリとあなた。
 心を揺らす、まぶしいシーン。

 もう、私を構ってくれないのね。
 大丈夫かって声を掛けてくれても、また行ってしまうのでしょう。
 あの日、途方にくれた私を、一緒に来るかって誘ってくれたのに。
 私の入隊をあからさまに嫌がる兵士に向かって、こいつは森の妖精かもしれないぞ、って言ってくれたのに。
 そう、私の髪を見たことがあるのは、サリとあなただけ。

 私はいつの間に、恋をしたのだろう。
 あれ? これって恋?

 サリとあなた。
 チャーミングで聡明で、頼りにされている彼女に比べて、私は無邪気なだけのおばかさん。
 でも、うらやましくなんてないわ。
 それは本当。
 だってふたりは、私の大切な人だから。


 夕闇が迫っている。
 薄い雲が広がる空は茜色。
 コンクリートに白い耐候性塗料を塗っただけの街並みも、この時間帯だけは少しだけお化粧をする。

 いつもと変わらない人並み。
 あちこちから聞こえる、呼び込みの声。
 食事はどう? いい席があるよって。
 本当はせわしない時間帯のはずなのに、なんとなく、間延びした声。

 そうだ。
 パパが言うように、落着かなくちゃ。
 でも、落着くって、どうすればいいんだろ。
 こんな気持ちは、簡単には振り切れないよ。


「チョットマ」
 突然呼び止められて、我に返って振り向いた。
「そんな格好で、何を急いでいるんだい」
 ひょろりと背の高い男が、ジェラートを売っている店の看板の脇に立っていた。
 グレーのジャケットを着込んで、いかにも勤め人風。
 マスクも付けず、浅黒い肌を見せている。

「その眼鏡で見ると、僕の体はどう見えるんだい? まさか素っ裸にされているんじゃないだろうね」
「えっ」
 と、意識した瞬間、自動的にハイスコープのスキャナーのスイッチが入って、男の表層が消え、肉体が浮びあがった。
 同時に、非武装であることの証拠に、男の肉体の輪郭線が緑色に光り、全体が白っぽく透けて見えた。

 あっ。
 私、戦闘服のままだ!
 それに、いろんなことを考えながら、街中をわけもなく走ってた!

「そんなことは……」
 チョットマは、あわてて裸眼モードに切り替え、なにか用なの、と言おうとした。
 しかしその前に、男は既に背を向けて立ち去ろうとしている。
 ちっ。
 チョットマは心の中で舌打ちをしたものの、気が変わった。

 この若くてぶしつけな男は、いつも不思議なタイミングで声を掛けてくる。
 街には数十万人が住んでいるはずだから、生活圏が一緒でなければ、そうめったに知っている人に出会うことはない。
 チョットマが住むハンプット通りは街の南門に近く、隊の仲間とはよく出会う。南門、つまりブルーバード城門の周辺に隊員達は住んでいるから。
 サリの住まいも目と鼻の先。
 しかし、この男は街の北部に住んでいるし、職場もそうだと言う。そんなに簡単に、ばったり出くわすなんてことはないはずなのに。

 私を監視している? と感じたりもする。
 それに、たいしたことを話すわけでもなく、たいていは今のように、ひと言ふた言、いいたいことだけ言ってどこかに行ってしまう。

 ふん、なんなのさ。
 チョットマがこの男に持っている印象は、ただそれだけ。
 自分から何かを話したことなど、一度もない。

 しかし、チョットマは今回ばかりは聞いてみようという気になった。
 こいつなら、もしかして。

「あっ、ハワード、待って」
 言ってしまってから、やっぱりやめたほうがよかったかも、という思いがした。
 なにしろこの男、得体が知れない。
 はっきり言って、嫌いなタイプ。
 粘着質ではないようだが、いつ、態度を豹変させるか、わかったものじゃない。
 そんな気がする。

 それに、私の装備。
 街の中で武装することは禁じられている。
 今からでも城門近くのロッカーに戻って着替えた方がいいだろうか、という思いがかすめる。
 その規則はそれほど厳格ではない。治安部隊に誰何されることはあっても、ペナルティが科されたという話は聞いたことがないが、こいつは私服の治安要員かもしれない。

 ありえるな。
 私の都合の悪いときに限って、声を掛けてくるような気がする。


「ん? なに? 珍しいな」
「何が珍しいの?」
 睨みつけてやるが、こいつに私の瞳は見えていない。
 こういうとき、装備は便利だ。
「君が、僕と話したいってことがさ」
「話なんてないよ。少し聞きたいことがあるだけ」
「ふうん」
 男は、二、三歩近付いてくると、
「ここで聞いていいことかい?」
 と、声をひそめた。

 街の監視システムは、画像だけではなく、音声も聴集しているという。
 その頻度は高くないとは言われているが、男はそのことを気にしているみたい。
「とういうか、その前に、せめてそのいかついヘッダーは外してくれないかな」
「治安部隊に見咎められるのが怖い?」
「まあね」
 不良分子と同等に扱われるかもしれない状況が、いやだというのだ。
 自分の身の安全のために?
 それとも私の?
 どちらでもいい。

「うん。ここで」
 チョットマはこれまで、監視システムの存在をそれほど気にしたことはない。
 とはいえ、政府に聞かれて困るような話題もなかったが。
 むしろこの男と、どこかの民間簡易シェルターに移動することの方が、ごめんだ。

「じゃ、どうぞ」
 勿体つけた態度で、男が小首をかしげて聞く姿勢になった。
 ふん。ちょっとばかり背が高いからって。
 チョットマに合わせて、長身をかがめている。


 チョットマはヘッダーを外し、ついでにハイスコープも外した。
 インナキャップはもちろん被ったまま。
 この男に、素肌を見せることはない。
 街の中でいつも身につけているインナキャップは、もう少しオシャレなマスクだが、今被っているのは戦闘用のもの。
 高性能のナノカーボン製。
 真っ黒な海坊主のような代物で、目の位置には平面的な樹脂が嵌まり、口にはシリコン製のフィルタ。
 まるで妖怪人間。
 少し恥ずかしいが、一応は礼儀を示して。

「サリの行方を捜してるの。なにか、知らない?」
 この男は、サリのことを知っているはず。
 以前、サリとこの男が街角で話しているのを見かけたことがある。

「サリ?」
 しかし、男はとぼけてみせた。
「誰のことだい?」
 チョットマの心に、ずしりと怒りの感情が湧いたが、それをぐいっと押し流すと、穏やかに聞いた。
 きっと、目は釣りあがっているだろう。
「私と同じ隊に所属する兵士」
「君と同じ隊? そんな人は知らないな」

 じゃ、あれはなんだったのよ!
 あの日、立ち話をしてたじゃない!
 しかし、チョットマはそんなことを問い詰めたりはしなかった。
 あなたはプレイボーイね、と思ってるなんて受け取られたら、さっき湧いた怒りを抑えきれなくなるかもしれない。

「もう、いい」
 チョットマは背を向けて、ブルーバード城門へ戻り始めた。
 自分の部屋は、もうすぐ近くだったが、この男に後を付けられる恐れもあると思ったからだ。
 それにサリの部屋にも、もう一度寄ってみたいと思った。さっきも見に行ったが。
 うれしいことに、男は後を追ってこようとなしなかった。


 ああ、無性に、あなたの声が聞きたくなったよ。

「ねえ、ンドペキ」
 チョットマは、スマートモードで声を掛けた。
 特定の人物と話すときに使うモードだ。かなり遠いところにいても通信可能だ。
 ハイスコープを装着していないと使用できないが、繋がるかもしれない。
「どうした」

 そっけない返事がきた。
 声が少しざらついている。
 チョットマの心の痣が、また少し大きくなった。
「人は、部屋の中で死んだら、再生される?」
 再生はされる。
 完ぺきに政府の監視網を逃れることができるなら話は別だが、どんなジャンクショップに行っても、それほど高性能な通信遮断素材は売られていない。
 どの部屋もどの店も、ハイスペックシェルタなどと銘打った製品を使用しているが、そんなものは本当は役には立っていない。
 遮断できるのは、可視光線とその周辺の波長の光、そして数デシベル以上の音、汎用周波数の電波だけなのだ。
 現に、兵士が使う通常の通信は、どのモードであれ、部屋の中にいようが、レストランのプライベートルームにいようが、どこにいても繋がる。
 そんなことくらい、チョットマも知っていた。

 ただ、ンドペキ、あなたと話したかっただけ。


「おいおい、何を言い出すのかと思ったら、そんなことかい」
 声が流れてくる。
 鼻にかかった少し高い声。小さな蜂の羽音のような。
 夕方になる前のけだるい午後を、もっとやるせない雰囲気に変えてしまうような声。
 でも私は、戸棚の奥にしまいこまれたリキュールを盗み飲みしたときのような気分になる。
 甘くて、怖くて。少し後ろめたいような。

「当たり前じゃないか。俺達は、死ねないんだよ。たとえ、本人が死にたくなってもね」
 ただ、チョットマはンドペキの生の声を聞いたことがない。
 聞くのは常に、マイクを通し、一度は電波に乗った声。
 本当の声は、どんなだろう。

「自殺したら、恐ろしい刑罰があるんだよね」
 チョットマは、雑談でもいいから、ンドペキの声を聞いていたいと思った。

「通称、悪魔の海と言われてるな」
 ンドペキが蜂の羽音で解説してくれた。
「気を失うほどの痛みが全身を間断なく襲ってくる。そして、人は我慢できず数秒後に死ぬ。しかし、一秒も待たずに再生され、たちまちまた痛みのために死ぬ」
「うん」
「それが永遠と繰り返される。そんなとんでもない液体が詰まったタンクに放り込まれるのさ。それにその刑罰は、何十年も続くんだ。終わりのない永遠かもしれないけどね」

 なぜ、自殺という行為がそれほどの悪なのか、チョットマにはわからなかった。
 一昔前の宗教の影響だということらしいのだが、生死さえ自分で決められないようでは、自由なんて無いのも同然ではないか、と思うのだった。
「詳しくは知らないさ。その刑罰が実際に行われているのか、いないのか。だれも経験者がいないからね」
 そういってンドペキが、久しぶりに笑い声を聞かせてくれた。
 小さな笑いだった。

「だからね、チョットマ」
「うん」
「サリが自分の部屋の中で自殺して、再生されないまま死んでいる、なんて想像はしないほうがいいと思うよ」
 そんなことはありえないし、もしそうだとすれば、恐ろしくて悲しい想像をしなくてはいけなくなる、というのだった。

「うん」
 チョットマはンドペキに、何かを言いたかった。
 でも、それが何なのかがわからなかった。

「チョットマ」
「はい」
 え、なに?
 何を話してくれるの?

 声を掛けてくれたものの、ンドペキもなかな次の言葉を発さない。
 もどかしい時間。
 今、どこにいるの? と、聞いてみたい。
 もちろん、会いたいから。
 でも、チョットマは、自分にそんな勇気がないことを知っている。
 心の痣がまた少し大きくなった。

 いつのまにか、サリの部屋の前に来ていた。
 他の部屋と同じように、窓もないし、明かりが漏れ出るという構造ではない。白い壁に分厚いドアがついているだけ。
 外見からは、在宅の有無は全くわからない。誰が住んでいるのかということさえわからないのだ。
 チョットマは、ンドペキの次の言葉を待ちながら、サリの扉を見つめた。
 ゴーグルのモニタは、サリが在宅していないことを告げていた。ジーピーエスに反応はないということだ。スコープを使えば、部屋にサリがいつかどうかは分かる。しかし、そんな破廉恥なことはできない。


「サリのこと。おまえが気落ちしているのは、痛いほどわかるよ」
「……」
「でも、わかっていると思うけど、悲しみを共有しているよ。俺も、ハクシュウも。隊のみんなが」
「うん」
 熱いものが、胸に込み上げてきた。
「じゃ、切るよ。元気出せって言っても、出てこないけどね」
「うん、……あ、待って」
「なに?」
「ねえ、私を……、えっと、これからもよろしくお願いします」
「なんだ、それ。当たり前じゃないか」

 とそのとき、チョットマはサリの部屋を見つめている、もうひとりの者の存在に気付いた。
 あっ、ハワード!

 あいつ、何を!

「ンドペキ! ちょっと待って!」
 今、サリの部屋の前に、という言葉の前に、既に、通信は切れていた。
 もう何度呼びかけても、リキュールの後ろめたさは戻って来てはくれなかった。
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