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ニューキーツ 作者:奈備 光

8章 タブレットを飲んで

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113 何もしれやれない

 イコマはアヤの部屋にいた。
 アヤは眠っている。
 命はほぼ確実に助かったが、まだ精神状態は不安定だ。眠ってばかりいる。
 寝顔を見つめながら、イコマは後ろめたさを感じていた。
 ユウと再会できたいきさつをまだ話していない。
 ユウが、まだ早いというからだったが、隠し事をしているようで、心の中でアヤに謝り続けなくてはいけなかった。

 ユウと再開した日、ユウは、自分のことをもっときちんと話せるようになってから、と言った。
 まだ波乱があるのだろうと思ったが、まさにそのとおりになった。
 ンドペキが自分のクローンだったとは。


 ユウのいう、自分のことというのがそのことであるなら、もうアヤに話してもよいということになる。
 ただ、話すときはユウと、そしてンドペキが一緒のときに話すべきなのだろう。
 それに、ンドペキと自分が思考をひとつにした存在だ、というにはまだ実感が湧かなかった。
 それが確実なものになるまでは、アヤとしてもンドペキとどう対処していいか、戸惑うことになるだろう。

 今、確かにンドペキの思考は自分のものとなりつつある。
 もともとアギは三つの思考体を持っている。それらは、例えば他の場所にいて人と話をし、全く違うことを考えていたとしても、すべて自分の考えていることとして何の違和感もなかった。
 共存しているというのでもなく、融合しているというのでもない。
 すべては自分なのだ。


 しかし、ンドペキはどうか。

 自分がンドペキであるという意識には、まだ程遠い。
 行動や思考は手に取るようにわかるのだが、それはあくまでンドペキであって、自分ではない。
 とはいえ、別人格の思考や感情を覗いているというのでもない。
 自分の思考であり、感情であることもわかっているのだ。
 ただ、その間に、まだ垣根があるということなのだ。

 しかしイコマは、その垣根がいずれなくなるだろうとも感じていた。
 なぜなら、ンドペキは今どうしているのだろうと、意識するまでもなく、自分の思考として感じ始めていたからである。
 いわば、フライングアイに乗せた自分の思考と同じように。


 アヤがうっすらと目を開けた。
 そうかと思うと、またまどろみの中に戻っていく。
 もう、アヤのそばに隊員が付いているということはない。
 扉は開け放たれてあり、隊員達が入れ替わり立ち代り、覗いていく。
 それとなくアヤを見てくれているのだ。心優しき隊員達である。
 もちろん、レイチェルも一日のうち、半分はアヤの部屋で過ごす。
 みんなに見守られて、うれしいよな、とイコマは声に出さすに言った。

 自分やユウのことが話せないなら、ハワードの事を聞いてみようか、という気にもなる。
 ハワードの言葉。
 あれは本当のことだったのだろうか。

 このところ、ハワードは姿を見せない。
 サリのことをさらに詳しく調べてみるといったきりだ。
 冷たくあしらい過ぎたのかもしれないが、イコマは疑心暗鬼になっていた。
 彼は、何らかの意図で情報を収集していただけではないだろうか。
 あるいは、逆にすでに捕えられてしまったのかもしれなかった。

 アヤはどんな反応をするだろう。

「おじさん」
 アヤが目を覚ました。
 こういうとき、イコマは歯がゆい思いをした。
 目を覚ましたアヤの髪も額も、撫でてやれないのだ。
 言葉を掛けてやるしかないのだが、気の効いた言葉をそれほど多くは持ち合わせていない。
「一段と顔色がよくなってきたね」
 などというしかない。

「夢を見てた」
 本当はアヤの顔色はよくなかった。
 額に汗までかいている。
 きっと、よくない夢でも見ていたのだろう。
 しかしイコマは朗らかに聞いた。
「へえ、どんな夢?」
「仕事している夢。いやだよね。職場の夢を見るなんて」
「復帰したい?」
 アヤは少し考えて、
「どうかなあ。わからない」といった。

「職場といえば」
 イコマは、ハワードとは誰か、と聞いた。
 同僚だと応えるアヤ。
 その返事の仕方が想像以上に短かったことで、イコマはさらに聞いてみようという気になった。
「どうして僕がハワードを知っているのか、聞かないんだね」
「だって」

 イコマは、ハワードが訪ねて来たことを話した。
 アヤの反応はあいまいなものだった。
「私、彼のこと、あまり好きじゃないから」
 イコマは微妙に安心した。
 アヤとハワードの仲の良さを歓迎はしなかったが、かといって嫌悪するつもりもない。
 ただ、アンドロが相手だからという不安があったことは確かだ。

「そうか。ハワードはアヤちゃんにご執心だったけどな」
「そうだと思う。でも、彼は私じゃなくても、マトなら誰でもいいかも」
「どういう意味?」
「彼は、今時のアンドロ。んーと、つまり、人間に興味がある」
「愛情とか、友情とか、その口か?」
「うん。人としての基本的な感情に興味があるの。私は、まあ、その実験台ってことかな」
 実験台。
 なんとも味気ない関係だ。


「彼はそれを知りたいの。人として生きたいと思ってるのね」
 だからといって、その実験になにもアヤを選ばなくてもいいではないか。
「職場に他のマトはいないのか?」
「たくさんいるよ」
「じゃ、なぜ、アヤちゃんなんだ?」
「たぶん、私がレイチェルと仲良しだから」
「ん?」
 ハワードが最も興味があるのはホメムなのだという。
「レイチェルとふたりで立ち話をしているところを、何度か見たことがあるよ」
 ホメムのレイチェルと近づくために自分に交際を申し込んだのではないか、とアヤはいうのだった。
 アヤの態度に嘘やごまかしはないと感じた。

「彼は、なんとなく恐ろしいよ」
「どういうところが?」
「んー、なんていうのかな。恐れを知らないというか、思ったことは絶対に実行に移すというか」
「それはわかる」
「思い込みも激しいし。そもそも、アギのおじさんに近づいてくること自体が、常軌を逸しているでしょ」

 アヤの言うことが正しいのだろう。
 ハワードは、本当はアヤを好きでもなんでもないのだ。
 実験台なのだ。
 愛情とか友情といった感情を理解するために、アヤに近づいたのだ。
「念のために、聞いていい?」
「うん」
「ハワードがアヤちゃんを実験台にしたことで、結局は本当の愛情をアヤちゃんに抱くってことはないのかい」
「それはあるかもしれないよ。だから、私は嫌なの。彼が生まれて初めて好きという感情を持つ相手が私だとしたら、それはそれで光栄だってことかもしれないけど、なにか粘っこいじゃない。ちょっと遠慮したいなって感じ」

「うっとおしいってこと?」
「うん」
 つまり、アヤはハワードに対し特別な感情はなく、もし言い寄ってくるのならシャットアウトするというのだ。
 思えば、アンドロはかわいそうな存在である。
 しかし、かわいそうだからといって、気に入らない相手に付き合う必要はない。
「わかった。今度ハワードが来たときは、注意して相手しなくちゃいけないな」
「うん。彼の研究ターゲットのレイチェルがいなくなったことで、躍起になってるかもしれないよ」


「ところでさ、レイチェルは友達といえる人が少なかったそうだね。友達どころか、親しく話をできる人自体がほとんどいないって」
「そう。彼女は孤独だから」
「ホメムだから?」
「うん。そういうことになるかな。彼女には人類を絶やさないっていう、重い重い責任があるから」
「わかるような気はするけど」
「私にも、家族はとか、子供はとか、よく聞くよ」
「ふうん。僕もアヤちゃんの夫とか子供のことは気になるけど、もうそれは過去のこと。どうしても聞きたいという気はないけどな」
「それが普通の感覚。でも、レイチェルは違う。彼女は、今まさにその問題に直面しているから」
「ん? ということは、好きな人がいてる?」
「わからないけど……。多分、いてると思う……」
「へえ! 誰?」
「さあ」
「なんだ。聞いてみたことないの? 親友なのに」
「親友かあ。そうなんだろうけど、さすがにね」
 親友と呼べる友がいても、ホメムであり、長官であるレイチェルに聞くことではないのだ。
 悲しいことである。


「アヤちゃんの他に、サリという兵士とも仲がいいんだって。知ってた?」
「サリ?」
「東部方面攻撃隊の」
「あ、そか。ごめん。私、何も調べられなかったね」
「ううん。いいんだよ。もう」
「どうやって知り合ったんでしょうね。不思議ね」
「レイチェルはダンスの稽古に街に出てるくらいだから、機会はあったんじゃないかな」
「まあねえ。でも、おじさんはなぜそれを知ってるの?」
「ロクモンから聞いたんだ」

 アヤがフッと笑った。
「もしかすると、ハワードは知っていたかも。なにしろレイチェル研究家だから。今度は、私からサリに乗り換えるかもしれないわね」
「街の兵士に?」
「彼なら、そんなことはものともせずにアプローチするわよ」
 ハワードの、アヤを愛している、とはこの程度のことなのだ。
 だから最近ハワードは顔を見せないのだ。
 もし今度来ることがあれば、これまで以上に冷たく追い返してやろう。


 そのときだった。
 ニューキーツのコンフェッションボックスから、ハワードが訪ねてきた。
 残念ながら、居留守は使えない仕様だ。

 ハワードは入ってくるなり、
「お願い事があります」と、切り出した。
「洞窟に伺いたいと思います」と、言う。
 イコマはこれまで、洞窟での出来事は話していない。
 どう応えるべきか迷っていると、ハワードが膝を乗り出してきた。

「彼女に会って話がしたいのです」
「何を?」
「お見舞いを言いたいのです。それに、レイチェルにも会いたいのです」
「会いたい?」
「理由をここではお話できません。しかし、洞窟ではお話しできるでしょう」

 イコマはカチンと来た。
「迷惑だな」
 イコマの中のンドペキが、そう反応した。
「洞窟は戦地だ。その本拠だ。そんなところにまで来て、うろうろされては困る」
 あえて、アンドロが、とは言わなかったが、それで十分通じるだろう。

 しかし、ハワードは意に介す様子もない。
「お邪魔になるようなことはしません」
「断る」

 ハワードは、洞窟の位置も、そこにレイチェルがいることも知っている。
 軍だけでなく、一般人にも知れ渡っているからだ。
 イコマはふと思いついたことがある。
 もし、街の人々が押し寄せてきたらどうすればいいのだろう。
 エリアREFに多くの市民が潜り込んでいると聞く。
 ハワードに続けとばかりに、市民が保護を求めてきたら、どうすればいいのだろう。

 ハワードの希望を叶えるわけにはいかない。
「あんた、それは厚かましいんじゃないか。自分の希望だけで勝手なことをされて困る人も大勢いる。ということを考えてもみないのか」
「イコマさん。お言葉ですが、本当にそう言えるかどうか、バードさんやレイチェルに確かめてくれませんか」
「なに!」
「きっと彼女達はオーケーと言ってくれるはずです」
「勝手な理屈を!」
「ですから、彼女達に確認してください」

 なんだ、レイチェルに会いたいとは。
 おまえは、情報部の一職員ではないか。
 レイチェルは雲の上の存在で、話しかけることもままならないと言っていたのではなかったのか。
「断る」


 ハワードの表情が曇った。
「そうですか。残念ですが、直接出向くしか方法はないようですね」
「来るつもりなのか」
「もちろんです。できれば、イコマさんにもご了解を頂いた上で、と思っていたのですが」
「来るな。迷惑だと言っているだろうが!」
「それはレイチェル長官ならびにンドペキ隊長が決めることではないでしょうか。失礼ですが、あなたに私の行動を止める権利はないはずです」

 イコマは怒り心頭に達したが、自分がンドペキであると言える筈もない。
「勝手にしろ」
 というほかない。
「ありがとうございます。では、後ほど。二時間ほどで伺います」
 ハワードは、深々と頭を下げて出て行った。


 イコマは、今あったことをアヤに伝えた。
 隠していても、奴はやってくる。そのとき驚かせるより、今、アヤがどうしたいかを聞いておく方がいい。
 しかし、アヤは、ふうんと言っただけだ。
「どうする? 来たら、会うのか?」
「そうねえ……。まあ、会うだけ会おうかな……」
 なんとなく曖昧だが、通せということだろうとイコマは判断した。

 アヤが溜息をついた。
「疲れた?」
「ううん。そうじゃないけど、ここ数日、胸騒ぎがするんだ」
「胸騒ぎ?」
 アヤが、枕元に置いてある聞き耳頭巾の布を撫でた。
「よくわからないんだけど、よくないことが起こるような気がして」
 アヤはあっさり話題を変えた。
 ハワードのことはどうでもいいのだ。

「よくないことって?」
 もう立て続けに起きている。
 アヤ自身もそうだ。
 一命は取り留めたものの、レイチェルもろとも死にかけたのだ。
 ハクシュウが死に、プリヴが死んだ。
 街はアンドロに乗っ取られ、ンドペキ隊は洞窟に篭り、先の見えない状態が続いている。
 これ以上、まだよくないことが起きるというのだろうか。


「アンドロが攻めてくるとか?」
「ううん。そういうことじゃなくて、誰かの恨みが爆発してとんでもないことが起きる、というような……」
「恨み、か」
「なんとなく。しかも、街ではなく、この洞窟で……」

 洞窟で、という条件なら、恨みという言葉に最も近いところにいるのはレイチェルだろうか。
 隊員達の間にそれはないと思う。ロクモンでさえも。
 レイチェルとチョットマ。
 しかし、恨みという言葉が当てはまるような強い感情ではないと思うが……。
 あるいは、スゥの周辺で……。
 まさか、ハワードがその災いを連れてくる?

 何が起きるのか知りたい。
 しかし、アヤには別のことを言った。
「あんまり気にすることはないよ。疲れているんだよ。取り越し苦労に終るさ」
「そうね……」
「それに、ハワードが来ても、疲れていたら会う必要はないよ。追い返せばいいんだから」
 アヤが、ほのかに笑った。
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