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ニューキーツ 作者:奈備 光

8章 タブレットを飲んで

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111 俺の心はどこに……

 ユウが話してくれたことは、全く予想もできない世界だった。
 記憶は、自分の脳にあるものだと思っていたのだ。
 それは正しいことであると同時に、間違っているのだ。
 真実は違うのだ。

 マトやメルキトの思考や記憶をつかさどる脳の働きは、すべて海に注ぎ込まれているの。
 政府のコンピュータシステムを経由して。
 ヘッダーやゴーグルを外して誰かと話をしても、実は政府のコンピュータはその中身を取得しているのよ。
 そして海に蓄積される。
 再生時には、それをあるアルゴリズムでチョイスして、インプットされるのね。

「そうだったのか。ものすごいシステムだな。脳の働きをすべて蓄積するというのは、とてつもないデータ量だ」
「そう。だから、海を使うことを考え出したのね。いつそのように移行したのか知らないけど、私が宇宙に出て行っている間に人類が発明したものの中で、最大の意義があるものじゃないかしら」


「俺を見つけ出してくれた状況は、だいたいわかった。しかし、俺の、つまりイコマとしての記憶はどうやって取り戻してくれたんだ? たった今のことだけど」
「タブレットのこと?」
「そう」

 あれは、生駒延治という人物の記憶を、海から正確に抽出するための基礎データ。
 つまりフックのたくさん付いた網みたいなものね。
 それに加えて、あなたの脳に埋め込まれているマイクロ装置を動かすプログラム。
 そしてアギとなったノブの思考と同期させるためのプログラム。

「ちょっと待ってくれ。俺の脳に、そんな機械が入っているのか」
「当然じゃない。マトは本当に何にも知らないんだね」


 それがあるから、脳の動きを政府のコンピュータが吸い出すことができるんじゃない。
 それがあるから、監視衛星であろうが、通信傍聴システムであろうが、個人を特定できるんじゃない。
 それがあるから、死んだとき、その位置に次元の扉が開くんじゃない。

「そんな魔法でもあると思ってたの?」
「そうだったのか」
 知らないことだらけだった。

「その装置は、出力だけじゃなく、アーカイブを作り続けている。だから再生時に、記憶をインプットできるのよ。私はそれを逆手にとって、生駒延治の記憶をあなたにインプットしたのよ」
 背筋が寒くなるような話だった。
 となれば、あらゆる人間の記憶や知識や感情を、入手できることになる。


 ンドペキは、ふと思った。
「ちょっと待て。ということは、俺はイコマじゃないこともありうるよな。今は、自分はイコマだと思っている。心の底から信じて疑わない。しかし、それは違っている場合もあるってことだよな」
「ないよ。そんなことは」
「でも、どうして俺、ん、つまりンドペキがイコマだとわかったんだ? 人違いってことも、あるんじゃないか?」
 ユウが笑い出した。

「なに言ってるのよ! この期に及んで。違和感でもあるの?」
「違和感なんて、全くない。おれはイコマだ。しかしそう信じているのは、その記憶が脳にインプットされたからじゃないのか?」
 ユウがまた笑った。
「間違いないって」
「でも、どうして間違いないってわかるんだ?」

「私が海にいて、大阪で一緒に暮らしたノブの記憶を見つけ出したとき、それを辿っていくとンドペキと名乗っているあなたに繋がっていた。それで十分じゃない?」
「それだけのことで……」
「嫌なの? 生駒延治であったということが」
「とんでもない! 俺はイコマだ。しかしだな!」
「面倒な人ね。昔から、そういう人だったけど。じゃ、教えてあげる。この話は最後にしようと思ってたんだけど」
「教えてくれ。そして俺を安心させてくれ」

「わかったわ。ねえ、ンドペキ、あなた、聞き耳頭巾を使ったでしょう。そのとき、何を見て、何を聞いた?」
「あっ」
「あの記憶はノブのもの。種も仕掛けもない聞き耳頭巾を使ったことで、あなたは自分の記憶を少しだけ思い出した。それが決定的な証拠。それがあったからこそ、私は今日の日を迎えることができた。そういうことなのよ」


 ンドペキは、まざまざとその夜のことを思い出した。
 暗い神社で、アヤと……。
 そうだ! スゥと一緒に!
 スゥはずっと唇を寄せて、俺の記憶が蘇るようにサポートしてくれていた!

 スゥは!


 ンドペキは、ハッとして、セラミックのテーブルを振り返った。
 よかった!
 スゥはまだそこにいた!
 うなだれたままの姿で。

「スゥ!」

 ンドペキは思わず叫んだ。
 驚愕の話を聞いて、スゥのことを忘れていた。

「スゥ!」
 ンドペキは立ち上がった。
 スゥは聞こえていないはずはないのに、顔をあげようともしない。

「どうした! スゥ!」
「来ないで!」
 駆け寄ろうとするが、スゥが厳しい声で制した。
「なぜ!」
 スゥに駆け寄り、抱きしめたい!
 そして、無性にスゥが恋しいと思った。


「だから、まだこの話はしたくなかったのに」
 ユウが呟いた。
「ちょっと待ってくれ! 俺は!」
「スゥが好きなのね。いいのよ。それで」
「そうだ! いや、ユウ、俺は!」
「私が好きなの?」
「そうだ! ユウ! 当然のことを聞くなよ!」
「でも、スゥも好きなのね」
「そうなんだ……」

「ほんとうに、困った人よね」
 ユウが溜息をついた。
「その話は後にしよう。アギのノブの話もしないと。ンドペキ、あなたは少し待っていてね。スゥのそばにいてやってもいいよ」
「ああ、そうする」
 ンドペキは、スゥに駆け寄った。


「スゥ……」
 スゥは、涙を堪えていた。
「ごめん。放ったらかしにして」
「ううん、いいの。私の役目は終ったから」
「なんだよ、役目って」
「ンドペキの記憶を取り戻すことができた。ありがとう。私を信じてくれて」
「おい、泣くなよ」
 目から涙がこぼれ落ちていた。
「ありがとう」
 スゥは何度もそう言っては、涙をこぼした。

「わけがわからないよ。礼を言うのは俺の方だろ。知り合って、ほぼ一ヶ月になるかな。その間、助けてもらってばかり。最後は自分自身を思い出させてくれた。感謝の言葉も見つからないよ」
 スゥが首を何度も横に振った。


「アギのノブ。今から言うことを、よーく聞いてね。そして怒らないでね」
「わかった。こんなことが起きているんだ。もう、どんなことも驚かないし、ユウのすることに怒ったりはしない」
「うん。じゃ、まず謝るわ」
「なんだ、謝るのかよ」
「ンドペキとノブを、私の考えで同期させちゃった。いいでしょ? いや? 嫌なら戻すこともできるけど」

 ンドペキは、アギのノブと同期していることを、また実感した。
 自分は今、スゥと話している。
 スゥに心を奪われている。
 スゥの涙を見て、動揺している。
 なのに、頭の中にアギのイコマが話していることが、自分が話していると感じてしまうのだ。
 ユウが問うたことを、その必要はない、とイコマとして考えているのだ。

 アギのイコマは言った。
「そんな必要はないよ。彼が僕なら、当然じゃないか。彼は僕なんだから。僕は彼なんだから」
「ありがとう! ノブはきっとそう言ってくれると思った」
「でも、事前に言ってくれてもいいと思うけどな」
「そんなこと、できるはずないやん! だって、ノブは私の言うことを信じてくれると思ったけど、ンドペキの方は、信じてくれないと思ったから」
「しかしだな」
「ンドペキが記憶を取り戻す前にノブに話してしまったら、もしンドペキがそれを拒んだとき、どうする?」
「ややこしくなるな」
「でしょ! それは避けたかった。いずれきっと、スゥが役目を果たしてくれると思ってたから、ノブにはちょっと待ってもらったのよ」


 ンドペキは思った。
 その通りだと。
 自分は東部方面隊の隊長で、それどころではない。
 こんな途方もないことを聞く耳は持たなかっただろう。

「ノブ、ここからが本当に聞いて欲しい話。いい?」
「きっと、おぞましいことを言うんだろうな」

 そのときだ。
「ンドペキ……」
 チョットマだった。


 ホトキンの間に現れたチョットマは、憔悴しきった顔で、入り口から入ってこようとはしない。
 うなだれたスゥと、JP01の、いやユウの顔を見て、遠慮がちに言った。
「話があるんだけど……。なかなか帰って来ないから……。今、ダメ?」
 ンドペキは、努めて明るく言った。
「いいよ」
 チョットマは、迷うそぶりを見せたが、切羽詰っていたのだろう。
「さっきね」と言い出すと、泣き声になった。
「レイチェルが」
「どうした?」
「もう、私は用済みだって」
「なんだって?」
「私、ふざけるなって言ってやったんだけど、気になって。ンドペキ。私、足手まとい?」
 ンドペキとイコマは同時に言った。
「そんなことがあるか! あいつ、ふざけたことを言いやがって! 俺が今からレイチェルと話す!」


 ンドペキが立ち上がるやいなや、スゥがさっと立ち上がった。
 バーチャルの水面に目をやると、
「なにかいる!」
 と、通路に飛び込んでいった。

「スゥ!」
 ンドペキも後に続く。
「クッ!」
 ユウも姿を消した。
「チョットマ、話は後だ! そこで待ってろ!」


 スゥが地下通路の脇道にある、ホトキンの機械室に突き進んでいた。
 ンドペキもわずかに遅れて、続いた。
 一瞬のうちに、機械室に到達したが、誰の姿もない。

 ふたりとも装備はつけていなかったので、スキャナーは使えない。
 肉眼だけが頼りだ。
「うむう」
 どこにも変わったところはない。

 地下通路にも、ホトキンの機械室にも、バーチャルの水面そのもの中にも、誰もいなかった。
「何かいるはず」
 スゥが執拗に探したが、やはり誰も見つけ出すことはできなかった。
 ンドペキは、もしや淵の中に何かいたのではと思い、ユウが浮上するのを待ったが、ユウはそれきり姿を見せなかった。
「そうか……。あいつだな」
 スゥが呟いた。
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