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ニューキーツ 作者:奈備 光

1章 海は知っている

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10 むなしき記憶

 翌日も生駒は英知の壷に向かった。
 楽しかった思い出に浸るために。

 あれは、生駒が五十歳代の頃だった。
 優と知り合ってまだ数年。彼女はまだ二十歳代。二人の間で、ようやく「愛」という言葉を使ってもよいという雰囲気になっていた頃だった。
 一人の少女を挟んで、川の字になって寝たことがある。
 その夜の思い出。

 生駒と優は、京都の山奥の隠れ里で殺人事件に巻き込まれていた。事件の真相を探るため、里の少女、綾と行動を共にすることになる。
 東京育ちの綾は、父親の都合でその山村に移り住んでいた。
 不思議な少女だった。村の老婆に見初められ、聞き耳頭巾の使い手としての訓練を受けていたのだ。
 聞き耳頭巾とは、鳥の声や木々の声を聞き分けることのできるという不思議な布である。おとぎ話での想像上の道具ではなく、実在していたのだ。
 そんなものが代々引き継がれてきた、それほど山奥の、大昔の不思議が今もなお目の前にある神秘が充満しているような村だった。

 綾。
 小学生とは思えない芯の強さ。
 疑うことを知らないもののみが発散させる純真な喜びを、小さな体全体で表現していた。

 ある日、三人は綾の父親の行動を探るため、深夜、山神の社の木に聞き耳頭巾を当てて、その声を聞いた。
 漆黒の闇の中で聞いた意味不明の言葉と、眼前に展開された大人達の不可解な行動。

 生駒と優の間に寝そべった綾が吐露した不安。
 小学生らしい言葉と裏腹に、聞き耳頭巾の使い手としての悩み。
 けなげな一言一句が、そのかわいい唇から無理なく発せられるたびに、瞳は不思議な色合いを帯びた。

 生駒はその瞳を見つめ続けた。
 そこには生駒が写っていた。
 そして奥底には、子が親に見せるゆるぎない安心と信頼が静かに横たわっていた。
 生駒は、子を持つ親が、わが子を慕う感情とはこういうものか、と思ったものだった。

 数年後、綾の父親が死んだ。
 母親の元には戻りたくないという綾を、生駒が引き取ったのである。


 建築家としてそれなりに活動している生駒は、当時、独身の五十男。
 その事務所兼用の狭いマンションの一室に転がり込んできた、自称歌手兼モデルのプータロー三条優は二十代の美女。それに綾を加えた三人の暮らし。
 周囲にはどう見えようとも、ひとつの典型的な幸せの形だったと思う。

 華々しいことは何ひとつない。
 かといって、退屈かというと、もちろん違う。
 生駒が施主に褒められたといっては喜び、優の歌がテレビで流れたといってははしゃぎ、綾が結婚したときには生駒は父親として涙した。
 いさかいといえば、ほとんどの場合、「私達、結婚しないん?」という優の決まり文句から始まり、生駒の「熟考しておく」で終わる。
 そんな平凡な幸せの日々だった。

 三人の暮らしは西暦2010に始まり、一時は綾が抜けたものの、離婚した綾が戻ってきてから十数年間は続いた。
 終幕は2031年。
 優が部屋を出ていったのだった。
 当時の生駒は、建築家業は続けていたものの、齢七十を回っていた。優は四十代半ば。綾は三十代半ばの頃である。


 探偵から、連絡があった。
「早いな」
「成果の乏しい仕事は、さっさと片付けて、次の仕事をしろってことだ」
「そうか……では、聞こう」
「ニューキーツに住むサリという人物は三人いる。一人は政府機関に勤めているアンドロで年齢は二十二。正確にはサリーという。もう一人は囚人。服役十年のベテランだ。こちらはマトでザリという。最後の一人は現役の兵士だ。名前はサリ。誰の情報を聞きたい?」
「兵士を頼む」
「一人だけでいいのか? 三人分聞いてもお代は一緒だぞ。特にマトで十年の服役ってのは珍しいぞ」
「服役中に兵士として、外に出られるのか? しかも数年間も」
「ありえない」
「では、兵士の方を」


 探偵の情報は貧弱だった。
 サリの本名は不明。
 性別は女。
 年齢は二十五。
「肌の色は白で瞳は濃いブラウン。ま、珍しくもないな。髪は金髪。というより白銀に近い。これは珍しい」
「フム」
「人種はメルキト。しかし、出生の記録、再生の記録、共にない」
「ん?」
「普通は直近の再生年月日がわかるんだが、今回はない」

「メルキトで二十五歳なら、普通は数年前に再生されているはずだ。それに、今はどうなっている。十日ほど前に死んだのかもしれない」
「疑問は預けておく。先に進むぞ。両親は不明。一応、ホメムとマトの間に生まれたことになっているが、真偽は怪しい。非常に珍しいケースだからな。両親の名は、父親の方がマトでシーザー、母親の方がホメムでアントワネット。これも怪しい。きっとでたらめだろう」
「それは通称名か?」
「サリ本人の本名がわからないのに、親の方がわかるはずがない」

 探偵がサリの住所を読み上げた。
「もちろんIDは不明だ。といっても、わかっていてもこれは教えられないがな」
 探偵は、自分の音声は自動監視システムにスルーされるようになってはいるが、万一ってこともある、と弁解した。

「さて、先の疑問だが。どうぞ」
「まず、再生記録がないとは、どういうことだ?」
「言葉通りだ。記録はない。再生されたことがないという意味ではない」
「調べられなかった、というべきではないのかな」
「私の調査力は、この業界随一だ」
「それは失礼した。でも、業界なんてものがあるのか?」
「あんたは私の友人であり、顧客だ。しかし、答えられないこともある」
 生駒は、ため息が出そうになった。

 この探偵は、信頼できる男である。
 生駒が友と呼べる数少ない人物でもある。
 精神が壊れかけたアギが多い中で、この男は六百年間も調査会社を経営し続けている。
 生駒は探偵としてこの男と知り合ったのではなく、この男が書いた数百年前の人類大量地球退避事件を痛烈に批判する論説を読んだことがきっかけだ。
 生駒は、その論説に賛同の意見を寄せたのだった。
 正義の男であると思っている。
 しかし言葉に、妥協や思いやりがなく、刺々しいのだ。

 生駒自身もそうだったが、アギとなって数百年も経つと、元の自分のままでいることが難しくなってくる。
 言葉が刺々しいくらいはいい方だ。
 義務として課せられているマトらとの面会を除いて、社会との接点を捨ててしまったものも多い。
 以前は盛んに連絡を取り合っていたものも、多くは消えていった。
 自らデータを消去してしまったのか、政府によって削除されたのかはわからないが、思考のみの存在で生き続けていくことは、思いのほか難しいことだった。
 たとえ聖人君子であろうと、世界的に有名な学者であろうと、稀代のエンターテイナーであろうと。

 残っているものも、忍び寄る狂気に立ち向かわねばならなかった。
 今の自分の思考が、正常な状態で連続したものなのかどうか。それが、わからなくなっていた。
 普通なら、昨日の思いは今日に引き継がれ、明日に繋がっていく。
 自ら決めた起床時間に、コンピュータのスイッチが入り、思考が始まり、時間になるとスイッチが切られて思考は中断される。
 起床時や就寝時は、人として生きていたときの同じように、ゆっくりと覚醒していき、眠りに落ちるがごとくに思考が薄れていくようにプログラミングされているとはいえ、その決まりきったパターンに、誰もが正気を失っていく。

 生きた肉体を持つマトにも、同様のことが言えた。
 アギほどではないにしろ、彼らには彼らの悩みがあった。
 本人達は悩みだと感じてはいないのかもしれないが、次々と失われていく記憶に、本来の自分を見失っていったマトをどれほど見てきただろうか。

 綾もそうだった。
 彼女がマトとなり、アギとなった生駒と連絡を取りながら、ユウの手がかりを求めて生きてきたのは、わずか百年。

 しかし三度目の再生を機に、綾の記憶から、生駒やユウの部分が消えた。
 再生した綾を探し出すことはできたものの、記憶のなくなった綾にこれまでのいきさつを話しても、彼女が以前の綾に戻ることはなかった。
 そしていつしか、行方がわからなくなった。


 思い出すことを止めた者。
 考えることを諦めた者。
 自分が何者かを思い出せなくなったとき、人は往々にして人間としての尊厳さえも失っていく。
 アギにとってもマトにとっても、よほどの強い生きる目的がなければ、退行はあっても進化はないのだ。

 そんな彼らとの面談。
 縁もゆかりもない「息子や娘」との面談。
 しかし、それは苦痛ではなく、逆説的ではあるが、生駒にとって自分の正気を保つ意識付けとなっていた。


 生駒にとっての唯一の希望。
 生きる目的。
 それは、幸せだったあの三人の暮らしを実現すること。
 同じような暮らしは望めないまでも、どうしていたのさと言いあって、笑いあうこと。
 記憶をなくした綾はもう無理でも、ユウだけはなんとしてでも探し出して……。
 きっと彼女は、どこかで生きているはずだから。

 そんなちっぽけな望みだけを頼りに、生きている。
 建築家としての夢や、様々な望みはすべて消え去った。
 あの幸せの感情を一瞬でもよいから味わいたい。
 ただそれだけを胸に、変わっていく世界を見つめているのだった。


 サリという兵士を詳しく知りたいと思ったのも、サリのしぐさがユウのそれに似ているような気がしたから。
 ただそれだけのことでも、生駒は望みを繋いだ。
 そうして、自分の生きる力を振り絞っていた、といってもよいだろう。

 英知の壷に向かうのも、記憶を味わうためだけでもない。
 六百年ほど前、日本の金沢郊外で、光の柱の守人、当時は女神と呼ばれる存在となったユウに出会った。
 あの頃と今の光の柱は、機能も規模も大きく変わっている。しかも、日本のそれは今はない。
 ユウが今もどこかの光の柱の守人である確証はまったくなかったが、もしやひとかけらのヒントが落ちてやいないか、と思うのだった。


「ホメムとマトの子供というのは、制度上はあるが、近年そういう例はないのではないか? いや、数百年ないのではないか? 聞いたことがない。そもそもマト同士の出産も、最近はほとんどないと聞いている。ホメムとマトとは……」
「さっき、非常に珍しいケースだと説明した」
「生きる世界が違いすぎる。接点がない。生きる目的が違う」
「昔流の言い方をすれば、王女と野獣だな。疑問はそれだけかな?」
「待て。アントワネットというホメムのことは、なにかわからないのか?」
「今、地球上にホメムは六十七人しかいないといわれている。一説にはもっと多いというものもいるが、それは荒野の果てに潜む妙な宗教の狂信者どもを含めてのことだ。逆にもっと少ない、最悪の場合は人類はすでに絶滅しているというものまでいる。私は六十七人が妥当なところだと踏んでいる。そして私は、その六十七の通称名も本名もそらんじることができる」
「で、アントワネットは?」
「いない」
「どういうことだ」
「私が言えるのは、ここまでだ」
「おい、ちょっと待て。これじゃ、サリのことを何も知らないのと同じじゃないか」
「だから最初に、成果の乏しい仕事だといった。後は自分で考えてみることだ」
「あんたが入手しているデータは、データとしては正しいかもしれないが、必ずしも真実ばかりを記載してあるわけではない。そう考えてもいいか?」
「では、今回は相当の値引きをして三百四十クロを振り込んでくれ」

 参照したデータ、あるいは聞き込みなのかもしれないが、得た情報は間違っている。
 探偵は、言外にそういって通信を切った。
 生駒はそのように理解した。

 ホメムとは、数百年以上前の世界戦争で生き残った男と女が、肉体的なセックスによって生まれた子供が最初の起源である。
 その後も同様に子供を生み、育て、寿命が来ては死んでいくサイクルの中にいる、真正の人類のことである。

 その数は減少を続け、今や風前の灯といわれて久しい。
 六十七人という数字は、生駒も聞いたことがある。
 しかも、いずれも超後期高齢で、人類の滅亡は避けられないというのが通説だ。
 だからこそ、アントワネットと記載されたホメムは何らかの方法でマトの男性と接触し、自分の子を宿したというのか。二十五年前とはいっても高齢の女性が?
 しかも生殖機能を失いかけたマトと?
 ありえないことではないかもしれないが……。

 生駒はホメムの姿をもう数十年以上見たことがない。ワールド暦五百年を祝う式典に姿を見せた背の曲がった老夫婦を、モニターで見たのが最後だ。
 彼らがどこに住み、どんな暮らしをしているのか、またどういう血縁関係にあるのかないのか、なにも知らない。
 彼らが「ヒト」としての、自然な血統を守り続けている人々である、ということを想像してみるだけだ。


 いや、おかしい。
 アントワネットが命を賭してまでマトの子を生んだのなら、その子をメルキトとするはずがない。
 制度上はメルキトということになるだろうが、兵士として育てるはずがない。

 たしかに現在の兵士は、実質的にメルキトとマトのみに開放されている職業だが、あまりに危険で、言い方は悪いが、しかたなく就く職業である。
 戦争のない世界になってからというもの、めったに襲ってこない散発的な敵の攻撃から街を防衛するのはもっぱらコンピューターとマシンに頼ることになり、彼らの仕事は、いわば有用金属回収業者なのである。

 推測の域を出ないが、ホメムであるアントワネットは自分の子を、ホメムとして扱うこともできるのではないか。
 制度上はメルキトだとしても、記録を改竄して……。


 おかしい点は他にもある。
 もし、誰かが何らかの事情でサリの素性を隠そうとしたのなら、濃い茶色の瞳と白い肌を持った輝くような金髪女性、というのは変だ。
 あの世界戦争で、世界の人口分布は大幅に変わった。
 中国、インド、アメリカ、EUという大きな人口を持つ国々の内、アメリカとヨーロッパの人口は壊滅といえるほどの減少を見た。
 現在のホメムの祖先は中国人、インド人、ナイジェリア人、ブラジル人が中核をなしている。
 わずか六十七人にまで減少した人類の中で、ヨーロッパ系の人々が純血として生き残ってきたとすれば、非常に珍しいことになる。
 そんな目立つ特性を、サリに付与したとは考えにくい。
 いや、だからこそ、濃い茶色の瞳と白い肌を持った白銀のような髪を持った女性、というのは真実なのだろうか。


 もうひとつの可能性。
 クローン。
 製造を、そして生存を禁止された生体。

 技術は数百年前に確立している。
 しかも、クローンなら、生体の性質はいかようにも変えることができる。
 肌の色といった表面的なことはもちろん、生体の内部構造も人としての性格も。
 そして、本人の意識とクローンの意識を同期させることさえできる。

 ただ、極めて高度なアンドロを製造できるようになり、人そのものの再生技術も進んだことから、クローンの需要はなくなった。
 ただ、何らかの目的で、自分のクローンを作るものがいることも事実だ。
 彼らは政府の厳しい目をかいくぐってクローンを作るが、アンダーグラウンドや宇宙空間に浮かぶ非公認の研究所に支払う高額な費用と、万一露呈したときに自分の身に及ぶかもしれない危険を考えると、割に合わないといわれている。

 サリがクローンである可能性はあるだろうか。
 誰のクローンなのだろう。
 しかしその誰かは、危険を犯して作ったクローンを兵士にするだろうか。
 そうすることによって、何が得られるというのだろう。
 生駒は、その可能性は考慮に値しないと思った。


 生駒は、サリがユウであることの可能性を吟味した。
 メルキトという情報が正しければ、ユウではない。
 ユウはマトとして扱われるはず。
 万一、光の柱の守人、つまり女神という特殊な立場を利用して、肉体再生人間とはならずに六百年を生きてきたとしたなら、ホメムとして扱われるはず……。

 だが、地球にはそんな技術はないはず。
 神でない限り。
 ユウの瞳は黒だし、肌の色は白ではない。
 髪は黒だ。
 ただ、探偵の情報が間違っているなら、話は別だ……。


 生駒はむなしさを感じた。
 結局、なにもわかっちゃいない……。

 しかし、やはりサリという娘に会ってみたいという気になった。
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